6.神奈川県三浦市の溶岩蛇-3
「で、どんな状況だ?」
柿本に背中を押され渋々現場に向かった貝塚の前には、土砂が消え去ってできた大きな窪地と、高いところから岩陰に隠れながらそれを監視する嶋田たちがいた。
嶋田は監視の目を外さないまま貝塚に答えた。
「中央のあたりを見ろ」
嶋田に言われて視線を向ける。
窪地の広さは地下に広がっていた大空洞の4割程度だろうか。
溶岩の海は大量の土砂に埋め立てられ、デコボコした地面に岩や木などが転がるだけだった。
その中央に見覚えのある装飾が転がっていた。
「祭儀場の残骸か?」
「組織の生き残りと思わしき奴らも10人ほどいる」
目を凝らせば確かに黒いローブを着込んだ人影も確認できた。
倒れたりうずくまったりしている者もいるので全員が無事とは言えないが、それでもあの状況から生き残ったとなればかなりの手練れだろう。
『報告にあった石像も動き出したぞ!』
貝塚たちとは離れた場所に隠れている男性から通信が入る。
何体ものミノタウロスを模した巨大な石像が、土砂を掻き分けながら地面の中から立ち上がってきた。
呼吸が不要なことに加えて、土砂で押し潰されないだけの耐久力のおかげだ。
溶岩の中を泳いでいた石の蛇や、大空洞を飛び回っていたワイバーンなどは死体となってあちこちに転がっているため、その差が命運を分けたことになる。
「......師匠、子供がいますよ?」
「......確かにいるな」
柿本が不思議そうに指差す。
飾りを施され魔法陣が描かれた祭儀場の中心に、明らかに場違いな小さな子供が立っていた。
10歳くらいだろうか、身長も140センチほどしかない。
着ている服も安物の服という感じで全く個性がなかった。
「なんだあいつは?」
周囲の者たちがざわつき始めるが、誰一人として油断するような者はいない。
こんな状況でただ子供が紛れ込むはずがない。
嫌な予感しかしなかった。
「......もしかして、あれが邪神か?」
「クソっ、手遅れだったか」
誰かが漏らした最悪の可能性が、次第に参加者たちの間に不安として広がっていく。
しかし、邪神と言われても実物を見たことのある人間はこの場にはおらず、確信を抱くには至らない。
不安げにする参加者たちは貝塚の方を向き、貝塚は仕方なく隣で静かにしていたニスロクに尋ねた。
「あれはなんだ?」
「ご想像の通り異世界の神ですね。しかも最悪の」
普段は柔和な笑みを絶やさないニスロクだが、この時ばかりは笑みを消して真剣な眼差しをしていた。
「どのあたりが最悪なんだ。能力や特性か?」
「大異変が起きて、異世界と地球が融合した。それはご存知ですね?」
「有名な話だな」
「あれがその原因です」
「は?」
唐突なニスロクの説明に、さしもの貝塚も唖然とした。
聞き耳を立てていた他の者たちも同様で、嶋田に至っては頭を抱えていた。
「『世界』という概念すら食べる理外の存在。あれが異世界を半分ほど食べて神々と争った結果、大異変が引き起こされました」
「食べたって...世界を?」
「ええ、大地や動物、人々に神々も。ありとあらゆる物を食べ尽くそうとする飢えた神。『世界』という概念まで食べられると、食べた分だけ虚無が広がると思ってください。大異変後のこの世界でも同じく暴れまわった末、てっきり討ち取られたと思っていましたが」
「それを儀式で生き返らせたのか!?」
死刑宣告に等しい説明を聞いて、慌てて嶋田が会話に割り込む。
その問いにニスロクは首を横に振って答えた。
「流石に人間ではそこまではできません。半死半生で肉体を失っていたのでしょう。元の姿は全長数キロメートル程度の巨体ですから、顕現するための器を用意したものの、あのサイズが限界だったと思われます。とはいえ、大幅に弱体化していますが人間では相手になりません」
最悪の回答ではないが、明るい内容ではなかった。
どちらにせよ手の出しようがない。
作戦は失敗だという認識が参加者たちの間で広まり始める。
「お前でも無理なのか?」
そこを何とかという表情で貝塚が尋ねるが、ニスロクもため息をつきながら答えることしかできなかった。
「流石に無理ですね」
「酒を飲んだくれている奴も?」
「対抗できるかもしれませんが、このあたり一帯が消し飛びます」
「それは困る。打ち上げの約束を守れなくなるし、地元産の魚介類を失うわけにはいかない」
戦って勝てる相手ではないためさっさと撤退するか、命をかけて敵組織の生き残りだけでも潰すか。
どちらを選択しても問題は残る。
そもそも逃がしてもらえるのかすら怪しい。
嶋田は額に汗を浮かべながら思案しているが解決の糸口は見つからないだろう。
貝塚は嶋田の方をチラリと見た後、「俺に考えがある」と言い出した。
「あいつは飢えた神だって言ったよな?それは間違いないな?」
貝塚がニスロクに確認するが、ニスロクはまさか解決策があるのかと目を見開いた。
「はい......打つ手があると?」
「どうせ駄目なら死ぬだけだ。無駄な足掻きでも損はしない」
貝塚は手提げ袋を片手に立ち上がろうとするが、何かに引っかかって動きを止めた。
見れば貝塚の服の裾を柿本が掴んで引き止めていた。
流石に今回ばかりは無茶が過ぎる、いつもとは状況が違うとその表情は言いたげだ。
服を掴む手は強く決して手放そうとしない。
そのまま無言で柿本と貝塚が目線を交わし、しばらくしてから貝塚はため息をついて口を開いた。
「人間は神には勝てない。これは実地で人類が学んだことだ」
「じゃあ、どうするんですか?」
柿本は貝塚の服を掴んだまま納得していないという表情を崩さない。
だが、それは貝塚も同じだ。
「講義を忘れたのか?捧げ物で機嫌をとる、上手く交渉する、騙して契約する。好きな手段を選んでいいぞ」
「詐欺師みたいですね...」
「力ではどうにもならないんだ。知恵を使って立ち向かうしかないだろ?神も完全無欠というわけじゃない。特性に合わせたルールで縛られているのもいれば、弱点を抱えているのもいる」
貝塚は柿本から目を背けないまま喋り続ける。
その場しのぎの言い訳ではない、あくまでも事実を述べているだけだ。
「人間より身体的に優れた動物は山ほどいた。人間がそいつらに勝って地球の覇権を握れたのは悪知恵が働いたからだ。なら、同じことをやればいい」
その言葉を聞いて服を掴む力が少し弱くなったのを見て、貝塚は優しく指を解き、俯く柿本の頭に手を乗せた。
そして、今度こそ祭儀場の残骸が残る窪地の中心へと歩き始める。
高所から低い窪地に降りる形となり、加えて周囲には何もないため貝塚の姿はすぐに敵に発見される。
あまりにも堂々と近づいてくる姿を見て戸惑ったのか、それともさほど余裕がなかったのか、組織の者たちは攻撃はしてこなかった。
警戒されジロジロと見られているが、結果的に貝塚は10メートルほどの距離まで、あっさりと邪神に近づくことに成功した。
「おーい、確認だがお前が邪神ってことでいいのか?」
貝塚は邪神に声をかけるが反応は返ってこない。
こちらを見てはいるが焦点が合わないままボーっとしている。
近づいて見直してもその姿はやはり10歳くらいの子供にしか見えなかった。
「返事なしか。まあいい、とりあえず言いたいことを言わせて貰おう」
貝塚はそんな様子にも気を悪くしたりしない。
代わりに息を吸い込んでから大声で叫んだ。
「この世界を変えてくれてありがとう!おかげで俺は楽しく生きていられる!」
邪神を除く全てのその場にいる者たちがその言葉に困惑した。
安全で安心に暮らせていた時代を偲ぶことはあっても、今の時代の方が良いと宣言するのは悪人くらいだからだ。
隠れている味方たちは「まさか裏切るのか?」とざわつく。
敵から貝塚に向けられる視線も若干和らいだものが混じり、「お前もこっち側の人間か?」と聞きたそうな者までいた。
「お前に渡したいものがある!」
貝塚は目ざとく周囲の動揺を察した。
無茶な要求を通したければ相手の混乱に乗じるのが鉄則である。
相手の反応を見て、即座に「冷静さを取り戻す前に押し切るならここだ」と判断して勝負に出た。
警戒心を煽らないよう邪神の方へとゆっくりと歩きながら、手にしていた手提げ袋を掲げ言葉を続ける。
「弁当食わないか?腹減ってるんだろ?礼代わりだから遠慮しなくていいぞ」
その行為を見て再びその場にいる者たちが困惑した。
邪神に弁当を渡そうとする意味が分からない。
味方たちは自信ありげだった貝塚の意図が分からず混乱し、敵側も毒気を抜かれたように呆然とする。
唯一完全に周囲を飲み込み、その場の空気を支配した貝塚だけが笑みを浮かべていた。
貝塚は「飢えた神だ」という説明を聞いて1つのアイデアを思いついた。
飢えた神なら食事を与えれば満足するのではないか。
少なくとも交渉の取っ掛かりが生まれれば十分、後は無理矢理なんとかしよう。
貝塚のことをよく知る柿本と嶋田だけが、この穴だらけで勢いだけの作戦を察して頭を抱える。
嶋田が『流石に無理があるだろ!』と通信機越しに叫び周囲に抑えつけられていると、今まで何の反応も見せなかった邪神が口を開いた。
「美味い食べ物なんてこの世界に存在するのか?」
今度は組織の者たちが驚愕した。
こんな話に邪神が反応を見せるとは思っていなかったのだ。
彼らが呆然としているのを尻目に貝塚と邪神は会話を始める。
「どういうことだ?」
「今まで様々なものを食べてきたが美味いものなんてなかった。手当たり次第試したが全部駄目だ」
「大地や神々は?」
「不味かった」
「......そうか、不味いのか」
表情や声色に変化はないが、本気で言っていることだけは伝わってくる。
不味いものを食べた時の雰囲気は万国共通のようだ。
しかし、こうなってくると疑問が湧いてきた。
「世界を滅ぼすために食ってたわけじゃないのか?」
「違う。世界などに興味はない。結果的にそうなっただけだ」
「ほう。つまり、腹は減ったが不味いものばかりで、仕方なく目についたものを食べ散らかしたと?」
頷く邪神を見て思わず笑みがこぼれた。
これは良い情報を聞けた。
世界を滅ぼすつもりがないなら歩み寄れるかもしれない。
逆に組織の者たちは「聞いていた話と違うぞ!」と慌て始めているが無視だ。
「不味かったのは分かったが、今までどうやって食べてきたんだ?元は巨体だと聞いたが、料理できるのか?」
「丸ごと噛んで飲み込むだけだ。それ以外に別のやり方があるのか?」
邪神は首を傾げながら答えた。
その姿は愛らしく、なんらかの挑発や意図を隠しているような素振りはなく、子供が素朴な疑問を抱いているようにしか見えない。
しかし、その言葉は貝塚の逆鱗に触れた。
「ふっ、ふざけるな!」
貝塚は激昂し、そのままズカズカと無防備に邪神へと近づく。
組織の者たちは慌てて攻撃の態勢を取るが、貝塚は目もくれず邪神の目の前まで近づいて再び叫んだ。
「調理もせずに物を食べて味に文句を言うとは何事か!」
「だが」
「だがじゃない!それは食材に対する冒涜だ!お前に料理のなんたるかを教えてやる!」
恐らく世界初であろう、人による神への説教が始まった。
**********
説教がてら色々話したところ、どうも邪神は生まれたばかりで調理という概念がないことが判明した。
味覚も未発達で、当然食育などされているはずがない。
話を聞き終わった貝塚は天を仰いだ。
「育児放棄か!それなら仕方ないな......」
『仕方なくはないだろ』
貝塚の嘆きを聞いて隠れているハンターたちが反応するが、貝塚は無視し優しげな表情を浮かべながら邪神の頭に手を乗せた。
「俺が美味い食べ物を教えてやる。ついでに料理も教えてやる。自分の好みにあった食べ物を探せるぞ。どうだ?」
貝塚が邪神を勧誘するのを見て、今まで話についていけなかった組織の者たちが声を上げる。
「おい、さっきから黙って聞いていれば好き勝手言いやがって。馬鹿なことを言うんじゃない!そんな提案に乗るはずが......」
「いいぞ」
「いいぞ!?」
『いいぞ!?』
貝塚の話に興味を持ったのか邪神は驚くほど素直に提案を受け入れた。
そして、その言葉を聞いた全ての者たちは驚きで思考が停止した。
「じゃあ、さっさとこんな場所からは離れよう」
「分かった」
邪神は貝塚の後をついてトコトコと歩き出す。
衝撃的な展開を目にして、この場にいる者たちは敵味方問わず唖然としていた。
異なる反応を見せているのは2人だけ。
ニスロクは手を叩いて涙を浮かべながら笑い、柿本は言いようのない羞恥心に襲われて真っ赤にした顔を両手で覆ってしゃがみ込んでいた。
「まっ、待て!」
正気に戻った組織の者たちが慌てて貝塚たちに追い縋った。
彼らからすれば、せっかく手間暇かけて蘇らせた邪神を奪われては堪らない。
必死の形相で「絶対に逃がさんぞ」と貝塚を襲おうとする。
「クソっ!よく分からんが邪魔させんぞ!」
今度は嶋田を筆頭に、ハンター側の人間がそうはさせまいと立ちはだかった。
最大の障壁であった邪神が排除されたのだ。
ここから更に盤面をひっくり返されることだけは何としても避けたく、彼らは切羽詰まった様子で慌てて高所から駆け下りて臨戦態勢を取る。
そのまま彼らは戦いを始めるが、背後の争いを気にすることもなく貝塚と邪神は歩き続けた。
柿本は目の前まで戻ってきた貝塚に対し、目の前で繰り広げられる戦いを指差しながらおずおずと尋ねた。
「いいんですか?」
「いいんだよ。おっ、ちょうどいいのが落ちてるぞ。こいつは回収しておこう」
かつて溶岩の中を悠々と泳いでいた蛇のモンスターは、哀れにも土砂に押し潰されて死んでいた。
それでも原型を止めているあたり頑丈さはかなりのもので、正面から戦えばさぞ手強い相手だっただろう。
その石に覆われた蛇の死体を切って一部を担ぎ上げる。
巨体だけあって流石に全てを持ち帰ることはできないが、数メートル近いブロックがあれば試作には十分事足りる。
一連の作業を見ていた柿本はなおも何か言いたそうな表情をしていた。
だが、貝塚は鼻を鳴らした後に言い放った。
「俺の仕事は終わった。後はあいつらの仕事だ」
貝塚はそのままその場を立ち去り、2度と振り返らなかった。
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