拾ったメモを書き起こします
ギガ肩幅担当大臣
老学徒暴発事件
――このようにリビドーという言葉はしばしば、抑えきれない性的な衝動という意味で使われる事があるが――
『怪蟲轍』は今日この瞬間まで、己が如何わしい下種の下等性別である事を理解していなかった。
その衝動は露骨に、吐瀉物星人がどの惑星でもかまわず嘔吐するかのごとく、ごく自然体に怪蟲へ悪辣な行動を取らせようとした。
目の前のかの女史『剛斑梅』の艶やかな白髪をかぎ舐めんと、その手を伸ばしかけたのだ。
無論怪蟲も、もはや自分は枯れ木立であり、その性なる衝動は底をついたものとばかり考えていた。
しかし、剛斑の歳月を経てなお艶やかに輝く色素の抜けた白髪を前に、燻っていた己のマントルが今しがた火を噴き上げたのだ。
それからの怪蟲の行動は老人ならざぬ異形の動きであった。心理学の講師など歯牙にも掛けず、周りの学徒どもを塵芥のように吹き飛ばしながら、机を蹴散らし、講堂を転げ走り、恐ろしい悲鳴を上げる剛斑の髪にむしゃぶりついた。
世に知られる、血のリビドー事件である。
犯人の老人が警察官に射殺された時、多くの日本人は警察を非難した。か弱い痴呆老人をよってたかって、計十七発の弾丸で射殺したとして。
しかしその凄惨たる講堂の地獄をみた者達は皆口を揃えてこういった。
あれは殺さないとダメだった。
実際駆けつけた警察官の中には、その恐ろしい経験から職務を放棄し、自身を撃ち殺してしまった者もいた。
広い講堂の怪蟲老人が座っていたとされる席は、彼が立ち上がった勢いのまま突き破られていた。それから一直線に剛斑女史の席まで吹き飛ばされた椅子や机や学徒やらが、一緒くたになって壁という壁に刺さり、またへばり付いていたのだ。
剛斑女史は、怪蟲老人に髪束をごっそりと掴まれ、その怪力の勢いのまま頭皮ごとべろりと剥かれて絶命した。
そしてかの老人は、瞼が割けるほど目をかっ開いており、頭皮のついた白髪を両手で掴んだままかぎ舐め続けていた。
多くの学生達は逃げおおせたが、ふたたび講義へ顔を出せるものはごく僅かであり、また幾人かの生徒はそのまま家にも帰らずに失踪してしまったそうだ。
抑圧された衝動が、何かをトリガーとして暴発したものだと世間は考えているだろうが、ここまで読んでいただいた方であるならば、その異常現象的な力の奔流を感じていただけたと思う。
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