第3話:聳え立つ時計塔

「この時計塔は、闇の精霊にとって住み良い場所?」

「そうねぇ。此処って一時、自殺の名所だったでしょ。だからイッパイ居るみたいよ」

「居る、とは?」

「此の世に絶望した故に死を選びながら、その無念が為に縛られて動けない亡者の御魂みたま


 マフユの問い掛けに、チアキは笑みを潜めた真面目な顔で言葉を紡ぐ。

 放たれた声は闇に溶け、何を残すこともなく消えて去る。ただ少女の鼓膜を震わせて、求めた答えを確かに伝えた。


「死んだ者達が自分の抱えた怨念や呪詛に囚われて、成仏出来ずにたーくさん残ってるわ。この時計塔、言うなら死霊の見本市ね」


 時計塔という呼称が示す通り、マフユ達が立つそれは時を刻む摩天楼だ。

 けれど科学全盛の都市を象徴する巨大さに反し、人を数倍して尚余りある時盤は、長針と短針からなる古風な作りをする。ゼンマイ動力による歯車の組み合わせで、早からず遅からず確実に時を刻むアナログ式。

 眼下の街へ訪れた者は、その高さ故に誰もが時計塔を視界に入れた。そして揺ぎ無き堂々たる威風に驚嘆し、感嘆の吐息を零していく。が、最上方に嵌め込まれた時盤を認めるや、人々は一様に首を傾げるのだ。「何故これほどに文明化を遂げた街の最高建築が、あんな古臭い時計を使っているのか?」と。

 勿論、培われた技術力を持ってすればデジタル時計に作り変えることなど造作もない。しかし敢えてそれをしないのは、この時計塔が都市の在り方を体現しているからからである。

 人の手ではどうあっても制御不可能な絶対の存在、それが時間だ。人類発祥以後、どれほどの天才も、どれほどの大魔導師も、時間を完全に支配化へ置くことは叶わなかった。時間とは決して触れえぬ不可侵の事象であり、束縛の利かぬ完結した概念。科学も魔法も到底届かぬ高みに位置付いている。

 なれども人は、目に見えず、肌にも感じぬこの時間というものを暴き出し、自らの手で読み計る術を作り上げた。高次元の存在を自分達なりに解釈し、同じ次元で観測するための法と装置を生んだ。

 人は時間に敵わない。それでも時間を見出し、隣り合って歩く手段を得た。それは絶対たる時間への接近でも、超越でもなかったが「得体の知れぬモノを独自の感性で認知する」その一点に於いては勝利したとも言えなくはない。

 即ち時を計る術こそが、飽くなき人類の探究心をそのもの顕している。森羅万象の解明を追い求め、進化の技法を模索し続ける科学鋭端は、遥か昔から変わることなく連綿と繋がり受け継がれ、人類の足跡として繁栄の芽を育んできた。

 その偉大な成果の一つとして不動不変の地位を確立するものこそ、古人が構築せしめた時を刻み読む会心の法なのだ。遠い時代の遺産であり、未来まで続く気概の先駆者。そうした意味合いを多分に含み担う時計をこそ、都市は存在意義の形として掲げ、誇っている。

 時計塔は太古の識者へ対する敬意と、自分達の目指し行く道を示す故に、前時代的な様相をままに尖塔の高みへ設けられてきた。


 展望台を兼任する上階からは、都市の全容を見渡すことが出来た。何処までも広がる高い空と、眼下にひしめく建築物の集群は地平の果てまで伸びるが如く。

 遠い他の街をも視認へ至るその眺望は爽快なものであり、正しく絶景の一言に尽きる。

 好奇心と胸すく期待に心躍らせる人々が連日訪れ、歓声は止む事無く常に賑わい続けてきた。歴史と意義を内包して佇立する時計塔は、都市の顔と呼んで差し障りない。

 けれどあまりに高く、あまりに有名であるがため、時計塔はある種の負心を吸い寄せてしまう。壮麗たる雄建だからこそ、その威容へ不釣合いな汚辱を被ったのだ。

 世を儚んだ虚無的内心の者が、此処を死地と定めて身投げする事件。有体に言う投身自殺が、その始まりだった。

 一人が飛び降りたという事実はメディアを介して恐るべき速度で各地へ広まってしまい、健全な精神を持つ者には忌避を、落ち窪み荒んだ心情の者には解脱地への巡礼を促した。

 これ以降、都市が誇る大時計塔の美名は自殺の名所として塗り替えられ、暗澹あんたんとした獄界への入り口という不名誉極まりないそしりを受ける。一度付いた汚名は拭えないまま時を重ね、犠牲者の数に合わせて彩りを暗く染め替えるばかりであった。

 こうなってはもう一般に開放することなど出来る筈もない。程無くして時計塔は閉鎖され、管理者以外立ち入り禁止の場所となった。唯一の例外は、年に一度だけライトアップされる建立記念日のみ。この時だけは厳重な警備の下に開放され、一般客の来場が認められている。

 それを除けば、巨大な時計塔内に誰かが入り込んでいる事態などありえない。つまり現在この場に立つマカベ・マフユは、不法侵入真っ只中のルール破り娘である。


「ところで、闇の精霊がどういうものかマフユちゃんは理解していて?」


 唐突に質問され、マフユは思案顔になった。

 顎に手を当て、真剣な様相で考えを巡らせる。


「光の及ばぬ陰の領域に対し、強い影響力を持つ」

「それは彼等の表層を表しているに過ぎないわ。もっと本質的な事があってよ。闇の精霊は、納まるべき器のない剥き身の魂を制す精霊なの。特に負の想念で凝り固まったドロドロの亡者を、誰よりも何よりも深く支配して扱うわ。これって、なにかと関係あるように思わない?」

「死魂の使役……屍霊術ネクロマンシー


 マフユは思考と疑念を伴い、隣の友人を仰ぎ見た。

 その可憐な美貌へ満足気に笑み掛けて、チアキは大仰に首肯する。

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