馬刺しの哲

@SBTmoya

第1話 ラストミール






「ラストミール」をご存知だろうか。


 それは、主に合衆国で死刑囚となった人間が最期に食べられる、言わば「最後の晩餐制度」である。

 クオリティ・オブ・デスの観点から、死刑囚へのラストミールは可能な限り、要望通りのものが与えられた。


 202X年、この制度が日本にも導入されることになる。

ラストミールが日本の刑務所でも配給されるようになった背景には、政権の交代がある。

それは主に元々死刑制度というものに懐疑的だった昨今の国連や、人権団体の声に寄り添う形で、

欧米のシステムを取り入れて導入されたのだ。


 さて大変なのは現場である。

日本人の死刑観は国柄なのか実に両極端といえる。つまり「犯罪者であっても、殺すのでは犯人と変わらない」という潮流と、

「死刑囚に税金をかけ続けるなんてとんでもない」という潮流の主な二つである。


 二つの潮流を両立するなんてことのできない新政権は、年毎の死刑の執行を増やす代わりに、

ラストミールの導入に至ったのだ。

それも、「なるべく、囚人の要望に寄り添うように」との法務省刑事局からのお達しがきている。


「なるべく、囚人の要望に寄り添うように」



 これをいうのは非常に簡単だが、実際注文された食品を用意するのは困難を極めた。

しかも、『いつかはこうなる』ことを、頭のおめでたい法務省も厚生省も予想できていなかったのか、

来るべきしてやってきたオーダーに日野刑務所の警官たちは頭を抱えていた。


「は!? これに承認をしたんですか!? 法務省の人間は!」


 日野刑務所のラストミール部。通称『給食係』の警官、山井は、とある囚人のラストミールのオーダーを読んで卒倒した。

詰所にて山井の向かいに座る上官の北沢はデスクで頭を抱え、額に滲んだ汗を拭った。


「『囚人の要望に極力寄り添うように』。そう言われたよ。」


「しかしこれは……できる事とできないことがありますよ」


「ごもっともだ。だから、極力でいい。用意できるか?」


 山井はオーダーを何度も読み直した。


「極力とは、どのレベルまでのことです? まずそこからはっきり線引きしていただきませんと、現場は動けませんよ」


「決めてなかったんだろう。何でもかんでもアメリカの真似しかできんのだ。日本の警察は」


「アメリカではこういったケースではどう対応していたんですか」


 そう聞かれると、北沢はため息をついた。


「周到に、『常識の範囲内で』と定められておるよ」


 日野刑務所、『給食係』の詰所に重たい沈黙が流れる。


「最も、その囚人もふざけてそれをオーダーしたのかもわからないがね」


「ふざけてないのだとしたら、なんなんですかこれは」


「そう言ってくれるな。目を丸くしてひっくり返りたいのは私だって同じだ」


 ただでさえ、やれ税金の無駄遣いだと国民からお叱りの言葉を受けることの多い部署だ。

山井も、北沢も疲弊しきっていた。それでも、囚人とはいえ最後に食べたいものを食べさせてあげたい。

その使命感のみで奮闘してきた。

 そこにきてこのオーダーである。


「しかし……」


山井の手が震え出した。


「『赤兎馬が食べたい』とは……」


「そうだ。赤兎馬。それは、三国志に出てくる中国大陸で一番早いとされていた馬だな。

 かの呂布奉先や関羽と言った武将の愛馬として有名だ」


「私は歴史に明るくありませんが、これは現代で調達できるのですか?」


「まあ、不可能だな。そもそも赤兎馬は『名前』であって『馬種』ではない。

 このオーダーを言い換えるなら『ディープインパクトの馬刺しが食べたい』と言ったところだろう」


「それも、数千年も前の馬の名前ですね?」


「そうだ」


「無理です! 普通の馬刺しで手を打っていただきましょう」


「私もそうしたいところだがそうもいかんのだ」


 北沢は、囚人のファイルをデスクに広げた。

山井はそれを読む。


「……囚人の宗教上の関係ですか……?」


「そうだ。私もよく知らない宗教だがね。この囚人の所属する宗教は生き物の肉は禁止されているのだ」


「赤兎馬も生き物でしょう」


「そのとおりだ。ただし、半ば架空のな。

 ……おおよそ、ラストミール制度に反対している宗教団体からの嫌がらせだろう。このオーダーは」


 再び、詰所には嫌な沈黙が流れた。刑務所に対するコストの見直しが行われ、清掃業者を依頼できなくなった。

よってこの詰所も掃除が行き届いておらず、あたりは塵が舞っている。


「無理なものは無理と割り切りましょう。まずは……法務省に連絡します。このようなケースが続くようではラストミール部の存続も危ういです」


「そうしたいのは山々だが、無理と割り切ることはできんのだ」


「なぜです」


「自民党が野党になってから突然、『死刑制度撤廃』を訴え出したのは君の知っての通りだ」


「はあ」


「政権交代直後の黎明期の与党、それに対して10年以上続いた大いなる野党。民衆の支持率は置いておいて……

 どちらの声が政治的に力を持っているかはわかるな」


「それはつまり……」


「ラストミールが叶わない限り、囚人への刑の執行が不可能になる」


 山井はため息をついて、俯いた。


「つまりまあ、このようなメチャクチャなオーダーは自民党にとっては想定内のことだった、とこういうことだろう。

 死刑制度だけに目を向ければ諸説意見はある。私にだって思ところはある。

 しかし、日本は狭い島国である以上、道徳観倫理観では死刑撤廃には至らないというのが私の考えだ」 


「これでは大いなる野党の嫌がらせじゃありませんか……。私だって何が何でも死刑囚を殺したいわけがありませんが……」


「いや、待て。一つ手がある」


 北沢は、額の汗を手拭いで拭いて、重々しい口調で答えた。


「山井君。すまんが今から熊本に行って、『哲』という男を訪ねてくれこの男なら、この問題を解決できるかもしれん」


「熊本?」


「この男は、『馬刺しの晢』と呼ばれた、生ける伝説だ。彼にかけてみよう」


「いやいや、ただの馬刺しではダメなわけでしょう!?」


「そのとおりだ。しかし、『哲の馬刺し』なら、あるいは……」


 北沢は歯軋りをしながら、一つ一つ、言葉を噛み締めた。


「『馬刺しの哲』……?」




それが、悩める山井と、のちに伝説を産むことになる『馬刺しの哲』との出会いであった。


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