34.英雄の必要性
「カトレア令嬢。署名するかしないかを決める前に、言っておきたい事がある」
「……何でしょうか」
淡々と対応するカトレアに、アーノルドは構わず続けて言う。
「君が、イサムとの結婚を決めたとしても、ケリー家の名前は今後一切、継がれていく事は無くなる」
「はぁ!?」
アーノルドの言葉を聞いて、カトレアでは無く勇が驚愕の声を上げた。
勇が後継者として指名されている上、カトレアとの結婚ともなれば、当然、勇が婿養子としてケリー家に入る物だと、勇は思っていた。
それだけにアーノルドの発言は納得し難いものがあった。
それを察して、アーノルドは勇にも説明するつもりで更に言葉を続ける。
「イサムが君と結婚する事は勿論重要だが、それよりも重要なのは〝英雄〟の存在だ。今回の戦争に於いて、アロウティ神国の英雄は名実共にイサムとなっている。そんなイサムが没落した貴族の名を継ぐ事があってはならないんだ。後世に英雄カジロの名を残していく為にも、イサムにはカジロの名をそのままに、侯爵を継いで貰いたいと思ってる」
アーノルドの説明を聞いて尚、勇は納得し難く顔をしかめた。
アロウティ神国の歴史上に、イサム・カジロの名前を刻む為に、ケリーの名前を捨てろと、カトレアに要求しているのだ。
余りの言い分に、勇は怒りに任せて声を上げた。
「っ! 巫山戯るな!! ケリー家を継げと言いながら、ケリーの名は捨てろだと!? よくもそんな無茶苦茶な事を……!」
怒声を上げる勇に、アーノルドは心苦しげにしながらも言った。
「無茶苦茶でも何でも、我が国には必要な事なんだ! 君の存在は我が国の希望だ! その希望は後世にも必要なものだ! 君の子供がカジロの名を継いでいけば、英雄の希望は長く続いていくだろう!? そうなれば、次なる戦争も防げるかもしれないじゃないか!」
「……っ!」
アーノルドの必死な説得の最後の一言に、勇は口を噤んだ。
今回の戦争が終わる前、勇はカトレアに言った。
自分の存在が圧力となって、戦争が早く終わるなら進んで前に出る、と。
その気持ちに嘘は無かった。
それが今後は、戦争が始まらないための抑止力となるのだと、アーノルドは言ったのだ。
戦争を終わらせるよりも、戦争を始めさせない存在になる。
それは勇が目標とする〝全員が生き残って帰る〟事よりも、遥かに前にある生きていける条件だ。
ただ名前が残っていくのでは無く、それには大きな意味を持ち合わせている。
そう説得されては勇には何も言えない。
勇は急激に頭が冷えて、悔しげに俯いた。
すると。
「イサム」
いつもの様に、静かに淡々とカトレアが勇の名前を呼んだ。
勇は恐る恐ると顔を上げてカトレアを見る。
カトレアは一切変わらない無表情のまま、イサムの顔を見て言った。
「結婚しましょう」
前置きも無く、短く告げられた求婚の言葉を受け、勇は茫然とする。
そして、カトレアは勇の返事を待たずに婚約申請書に署名してしまった。
カトレアは署名し終えた婚約申請書と、後継者推薦状を揃えて、アーノルドに差し出した。
無言で差し出された書類とカトレアを交互に見た後で、アーノルドは神妙な面持ちで受け取って、席を立った。
「……ありがとう。僕は急いで陛下の元にこれを届けに行く」
「はい。宜しくお願い申し上げます」
席を立ったアーノルドに合わせて、カトレアは席を立って礼をしながら言う。
淡々とした態度のカトレアに、アーノルドは申し訳なさそうにして謝る。
「カトレア令嬢……すまない。辛い決断をさせてしまって――」
今にも頭を下げて謝りそうな雰囲気のアーノルドの言葉に割って入りカトレアは言った。
「殿下。これはケリー家の総意です。父、ルイス・ケリーの最期の忠信とお考え頂ければ幸いです」
恭しく告げられた言葉を受け、アーノルドは目を潤ませた。
それを誤魔化す様にアーノルドは急いで背を向ける。
「君達の忠信は確かに受け取った。……陛下にも、そう伝えさせて貰うよ」
そう言って、アーノルドは談話室を出て行った。
談話室に残された勇とカトレアは沈黙する。
暫くして、カトレアは勇の隣に座り直して口を開いた。
「……ごめんなさい」
「……」
返事をする様子の無い勇に、カトレアは少し悲しげにして言葉を続けた。
「私達の為に貴方を犠牲にする選択を取ってしまった。これが我が国にとって最善だと思ったの。恨みは私が全て受けるから……」
「お前を恨む事なんてない」
カトレアの言葉を遮って、勇がきっぱりと断言した。
勇は続けて言う。
「俺が恨むのは、俺だ。何もかも、お前から言わせて情けない……!」
「……え?」
予想外の言葉を受け、カトレアは目を見張って驚く。
すると、勇はガバッと顔を上げて、カトレアを真っ直ぐ見つめた。
「カトレア。俺は、俺の生涯を賭けて、お前を守っていくとケリー侯爵の墓の前で誓った。お前が平民になって、何処ぞの町で暮らす様になったとしても、俺は着いて行くつもりだった。……お前が嫌がったら、陰ながら守るつもりだったんだ。結婚なんて考えもしなかったが……こうなったからには、俺が腹括って、さっさと言うべきだった」
真剣に告げられる言葉の数々からは、カトレアを心から思いやる気持ちだけが伝わってくる。
カトレアは何も言わず、勇の言葉を待った。
そして。
「カトレア。俺の妻になってくれ。俺をお前の夫にしてくれ」
既に決まった事とは言え、勇の口から告げられた求婚の言葉は、思いの外にカトレアの心の響いた。
義理でも、義務感でも、勇は本気で生涯を賭けようとしてくれている。
本気で自分を守っていこうと決意して言っている。
その事が何よりも嬉しく思えた。
「……はい」
溢れそうになる涙を堪えながら、カトレアは静かに返事をした。
情に厚く、責任感が有り、感情的になりがちな転移者、神代 勇。
お互いに持つ感情が愛情ではなく友情だとしても、この人となら生きて行ける。
そう確信して、カトレアはそっと微笑むのだった……――
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