節獣伝
蛸屋 匿
第一章 仙楽の落ちこぼれ
一
時は大乱が終わり百二十年。
この
人は神を崇め、文武神は人を守る。それが雁の仕来りだ。
その昔は、
だが、それと同時期に鬼──邪気を振りまく存在──が広まり、鵆国の呪いと噂された。
それを払拭したのが、かの
さて、ここ
神の眷属である神獣は、時に鬼を殺し、時に自然災害を食い止める。
位、『
だがここに、八百年もの間『疑獣』で居続けた変わり者がいる。仙楽での修行も、試練も、全くもって意味をなさなかった神獣だ。
彼は不真面目というわけではなく、むしろ勤勉な部類だ。なのに、『幻獣』はおろか『霊獣』にすらなれない。不出来な者だった。
これは、そんな落ちこぼれ神獣の……子燕と呼ばれた彼の話である。
✥ ✥ ✥
「おめでとう、
神獣が住まう山間の浄土、
道すがら、魏仙とすれ違った神獣は「ぽん」と手を叩いて言った。
「それは嬉しいことでしょうか」
「もちろん、貴方はその小さな体で、かの
「なるほど」
魏仙は、玄亭の大岩のことを思い出す。
十二ある大小様々な岩には『節獣』になった
魏仙はその燕の羽を羽搏かせると、目の前の
「ちなみにどの岩に刻まれるんですか」
魏仙は節獣どころか、霊獣にすらなれていない落ちこぼれ。霊獣になる条件は「人像になること」だが、魏仙は人像を長く保つことができないのだ。だから、ほら、今だって燕の姿をしている。
でもきっと、麒麟真君(仙楽で一番偉い獣)が魏仙の頑張りを認めてくれたのだろう、と期待を込めて聞いた。
だが、目の前の彼はその高い鼻で笑った。
「ああ、仙人殿がいつも腰掛けている十三番目の岩ですよ」
「それは……あの中庭に持ち込まれたという?」
仙人は、この仙楽に出入りする唯一の人間だ。今いる仙人は四人だったか。どの仙人か忘れたけれど、勝手に大岩を持ち込んだ者がいたのだ。それも、座りやすい石がなかったという理由で。
その岩に刻まれるのだろうか。魏仙は自分の名前が尻に敷かれるのは嫌だなと顔を曇らせる。
そんな魏仙を見て、神獣はますます嬉しそうに笑った。
「名前が彫られていては、座りづらくないですか?」
「なに、魏仙殿は仙人の心配を?」
「そういう訳じゃないんですが」
一見すると小鳥と戯れる若人に見えるだろうか。だが、生憎と中身はどちらも神獣だった。
仙楽では、獣の形と、人の形を持った神獣達が入り混じって暮らしている。金色屋根の宿舎がずらりと並び、神獣達はそこで寝起きを共にしているのだ。
だから昇華(位が上がること)できない神獣はずっと寮に残り続けるし、位が上がれば寮もその位に相応しい寮になる。つまり万年疑獣の落ちこぼれ魏仙は、ずっと疑獣の寮に居るわけだ。
ちなみに、目の前の神獣は
「依頑
「ああ、そうだった。ありがとう、
そう言って立ち去る依頑を見届けたあと、魏仙は「はぁ」と溜め息を漏らす。それから自分を見下ろすと、背負っている鈴をしゃらんと鳴らした。
魏仙は、過去に七百回以上、昇華の試練に挑んでいる。疑獣から霊獣になる試練は、毎年春に行われるのだが、毎年の如く試練を突破できない。
「玄亭が試練の告知をしましたね」
玄亭、というのは神獣達がより高位な存在になるための学び舎で、仙楽で最も大きな建物のことだ。
神獣と一括りに言っても、『疑獣』『霊獣』『幻獣』『仙獣』『節獣』とそれぞれ位が存在する。位は歳を重ねる事でも上がるが、殆どの者は玄亭に通い詰めている。誰もが早く偉くなりたいし、強くありたいものだ。
「ああ、
満面の笑みを浮かべて言う魏仙。
文城と呼ばれた女性を象った神獣は、持っていた巻物から目を上げる。
「それは良いことですね。私としても、小さな同期の成長が楽しみです」
彼女は魏仙の同期でありながら、今は『仙獣』である将来有望な神獣だった。
文城は文官の神に付いているので、いつもは仙楽ではなく神界にいる。そんな彼女がわざわざ魏仙の前に姿を現したのは、偏に自分の同期が未だに最低位なことを心配したからだろう。
玄亭では、春に霊獣、夏に幻獣、秋に仙獣の試練を受けることができる。文城はすでにその三つを終えていて、今は、節獣になることを目指しているようだ。
節獣になれる神獣は一握りだ。魏仙は文城ならなれると考えているが、そればかりは才能と運の問題なのでなんとも言えない。
「まあ、お互いに頑張ろう」
「ええ、そうですね」
それから文城は、忙しそうに魏仙の前を後にした。
試練の三日前の出来事だった。
✥ ✥ ✥
試練当日になり、様々な獣が仙楽の入り口に立った。
魏仙は試練の内容を今一度思い出す。
試練はこの仙楽から、神々の祀られる十の祠に立ち寄って帰ってくる事で合格となる。どの神の祠を通るも良し、同じ祠でなければどこでもいい、言ってしまえば十人の神に認めて貰えればいいのだ。
まれに不在な事もあるが、基本的に神々は神獣の呼び掛けに答えてくれる。問題はそこではない。
この巡礼の旅は、必ず人像で行わなければいけないのだ。つまり、『霊獣』になるには僧侶の真似をしなければいけない。ただ、魏仙は擬態をするのが苦手だ。
その上魏仙は、方向音痴だ。だから、今の今まで仙楽を出たことが一度もなかった。ただの一度も、だ。そんな状態だからか、今年の魏仙は目標を下げて「人里に降りる」ことを目指すことにした。
「魏仙、頑張ってください」
「ああ、頑張るよ。文城……文城?」
「はい」
「なんでいるんだ?」
そこには三日前に神界に帰ったはずの文城がいた。これでも、神界と仙楽は物理的に遠い。神なら
だが、文城はなんの躊躇いもなく「麒麟真君に呼び寄せられました」と言った。口寄せ(魂を引き寄せる術)を行なったのだろう。神獣は基本的に魂が象っただけの存在なので、口寄せで簡単に呼ばれてしまうのだ。
「……文城、君がすごく出世しているのはよく分かったよ」
「ありがとうございます。ああ、魏仙にひとつ忠告を。魏仙、今回の試練は気をつけてください」
「うん? どうしてだ」
文城は躊躇ったようだが、そっと魏仙に口を近づけるとその平坦な声で言った。
「ここ最近、仙楽の麓で邪の気が続出しています」
「
「分かりません。私は麒麟真君が請け負っていた巻物を捌くために呼ばれました。ですが……」
「武官の神と神獣も来ているのか……」
コクリと頷く文城に、魏仙はその小さな体を震わせた。
それから考えるように唸り声を上げる。
仙楽のある傀勿原には、麒麟真君による結界がなされている。だから、基本的に邪の気を持った者は入ってこない。つまり、鬼は当たり前のこと、少しでも邪の気を持っている人間すら入れないのだ。
人が迷い込んだならまだいい。そんなこと、魏仙がこの仙楽に生まれてから一度もなかったが。人は基本的に無害で、守るべき存在だ。
だが鬼は違う。鬼の元は堕落した人間と言われているが、神を殺し、人間を堕落させようとする存在……というのが一般論だ。
「文城、仕事、頑張ってください」
「はい。もちろん。魏仙こそ、呉々も死なないように」
そう言った瞬間、試練が始まる合図である鐘の音が仙楽に響き渡った。
一気に傀勿原へ向けて飛び出した魏仙達。やっぱり、龍や大鷲なんかの神獣は傀勿原に降りるのも早い。どちらも空高くを飛ぶことは出来ないが(疑獣である彼らは幼体なのだ)、それでも森の中を縫うように飛ぶ姿は、将来有望と言えた。
一方で、魏仙はゆっくりと木と木の隙間を飛んでいく。
気持ちよく飛んでいると、一匹の狸が魏仙の前を通りかかった。
「そこの君!」
声を掛けると、足元を走っていた狸は驚いたのか「なっ、なんだっ!?」なんてぴょんと飛び跳ねる。
「私は魏仙と──」
「え、なに、魏仙なの!?」
「ああ……正真正銘、八百年もの間、疑獣だった魏仙だよ」
少しだけ不服そうな魏仙の言葉に、狸はまた飛び跳ねた。声からして女性だろうか。魏仙は彼女の後ろをついて行きながら、彼女の返事を待った。
「あ、あたしは
「よろしく李娘」
李娘はチラチラこちらを見ながらも、確実な足取りで森の中を歩いて行く。この調子ならすぐにでも傀勿原に出ることが出来るだろうと考えていると、彼女はおっかなびっくりといった風に「その、魏仙がどうしてあたしの後ろをついて来ているんだ?」と聞いてきた。
「まさか、魏仙はあたしが昇華できないようにするためについて来ていたり……!」
「違う違う。何を考えたらそんな飛躍した話になるんだ」
呆れる魏仙に、李娘は尻尾を振る。
聞けば、彼女のような若者の間では、『疑獣の魏仙』は疫病神のように扱われているらしい。
仮にも神と言われて喜ぶべきか、やっぱり疫病神扱いを嘆くべきか、魏仙はひどく迷った。
「まず、私は疫病神じゃない。それから私が李娘について行っているのは、人里に降りるためだ」
「人里って、あたしの知ってる道以外にもあるでしょ」
「残念だけど。私は方向音痴だから」
足を止めた李娘は、くりくりの目を溢れんばかりに開いて、大きな声で「つまり七百回も迷子になったわけ!?」と叫んだ。
「李娘、うるさい」
「だって! ……魏仙、今回みたいに、誰かについて行くって手は取らなかったの?」
「生憎と、みんな私を連れて歩くのは嫌がってね」
魏仙がついて行こうとすれば、そそくさと逃げられてしまうのが常だった。
なら、こっそりつければいいと思うかもしれないが、鈴を背負っているお陰ですぐにバレてしまうのだ。
ちなみに魏仙は知らないが、いっときは「鈴の音聞こえれば、貧乏神来たり」と裏で言われていたぐらいに、魏仙と鈴は切っても切れないものだった。
彼の鈴だが、彼が意図的に外すことができない代物で、生まれた時からずっと生活を共にしてきた。寝るときも、食べるときも、試練のときも、ずっと背負っていたのだ。
「あたしも嫌なんだけど……」
「私は貧乏神じゃない。ただの魏仙さ」
「う、うーん」
悩んでいた李娘だが、魏仙は動かない。
でも逆に、八百年もの間落ちこぼれとして名が通ってきた彼を霊獣にさせることが出来たら、英雄と謳われるかもしれない……と考えてみた。
貧乏神だってのも、誰かが確認したわけじゃない。迷信だという事にも気づいたようだ。李娘は満面の笑みを浮かべると、元気一杯な声で言った。
「よし、あたしについておいで!」
✥ ✥ ✥
目の前に広がるのは、黄金の原っぱだ。風に揺れる金の草と、どこまでも高く澄んだ空が気持ちいい。
魏仙と李娘は、森を抜けて山を下ってきた。麓にある傀勿原は、仙楽しか知らない魏仙の目に焼き付く。
その傀勿原、とても広く見えるがその実、百里しかないらしい。
魏仙は、はじめて踏み入った原っぱに小さな目を輝かせた。
「傀勿原の草は意外と背が高いな」
それは、李娘が入った瞬間に見失いそうになるぐらいだった。
魏仙はガサガサと動く影を一生懸命追いかけていく。シャンシャンという鈴の音と、草をかき分ける音だけが傀勿原に響いた。
黄金の原っぱのギリギリを飛ぶ魏仙は、そっと原っぱの動きを観察した。不思議なことに動いているところは見当たらない。魏仙が見落としているのかと思ったが、そういう訳でもなさそうだ。
想像していたよりも、傀勿原にいる神獣が少ない……いや、むしろ居ないなと違和感を感じつつも、順調に進んでいく。
だが、それは順調すぎたのかもしれない。魏仙も李娘も油断をしていた。
その時、シュンッという音と共に、李娘の体が宙に浮いた。
「ギャンッ」
「李娘!?」
「取れたぞ!! 神獣が取れた!!」
粗野な声と共に現れたのは人間の男達。数は十二人いる。
「まさか人間がっ」
「おい、
人間が、神獣の楽園に侵入してきたのだ。
当初の考えでは、それは何ら問題はなかった。だが、今、目の前にいるのはただの人間ではない。神獣を狩ることを目的とした山賊だ!
人の中には、神獣を捕まえれば神の力が手に入ると本気で思っている阿呆が存在する。彼らもその類か、そんな阿呆を商売相手にしているかのどちらかだろう。何にせよ、魏仙は今、危機に陥っている状態だ。
李娘は一生懸命暴れているが、その度に赤い血が舞う。李娘を苦しめているのは、針金と棒で出来た簡単な罠だった。
一方で山賊達は、魏仙を捕まえようと網を振り回している。魏仙は巧みに避けながらも、李娘を助けようと考える。
(今の私は上空を飛べない。なら、一旦原っぱの中に潜り込むべきか!)
魏仙は急降下すると、黄金の草に紛れ込んだ。魏仙ほど小さいとなると、原っぱの中から探すのは困難だ。
潜んだ彼は李娘を助ける隙を探す。
だが、山賊達は魏仙を捕まえるのを諦めたようで、李娘の元に向かっていた。
まずい、早く助けなければ……と慌てれば慌てるほど、体の中がカッと熱くなっていく。
その瞬間、魏仙の体はぐぐぐと大きくなっていた。
所謂『人化』をしている状態だった。燕の羽根のような黒髪は風に流れ、急に視線の高くなった赤橙色の瞳は動揺に揺れている。尻からは尖った羽根が伸びていて、それは正に『燕』のようだった。
首には背負っていたものと同じ鈴がある。それがシャランと音を立ててたお陰で、山賊達は魏仙に気がついてしまった。
(よりによって今! 人化してしまうなんて!!)
魏仙が見たのは、それはそれは悪どい山賊達の笑み。
直後、思うように動かない魏仙の体に、鈍い衝撃が走った。
ゴンッと鳴って、魏仙の体は黄金の草の上に倒れ込む。殴られた場所がズキズキと痛み、口の中がにわかに血の味を帯びた。
山賊はそれ以上殴ってこなかったが、代わりに、狸姿の李娘の首を鷲掴みにした。宙吊りにされた李娘は、苦しそうな声を上げる。
意識を保つので精一杯だった魏仙。それは、自分の無力さをマザマザと見せつけられているようだった。
「馬良、さっさと行こうぜ」
「ああ」
山賊の内の二人は、その会話だけで傀勿原を後にした。
しかも、魏仙と李娘を
だが、魏仙はまだ知らなかった。
神獣狩りに捕まるということがどういう事かを。
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