秋月国偉人言行録
今村広樹
序文
「孤独は恐ろしい。いつまでも追いかけてくるよ」
今、あんたが読んでるこの言行録とやらを遺した老人がそう言ったのを、今思い出した。
その日がやってきた時俺はどうするだろうか?
きっと後悔するだろう。
嘲笑されるよりも恥ずかしいことがこの世にはある。
誰よりも、自分で自分を笑っていたい。
それでいいのだと思う。人はそんなに強いもんじゃない。
結局、そんなことを気づいたつもりだった自分に都合のいい教訓ができただけで、いまだ道はぼんやりとしている。
もう日が暮れようとしていた。
俺は今この文章を書きながら怯えている。
今、あんたが読んでるこれが、遺書かもしれない。
「胃が痛え」
ダチの祐二が呻いていたのを、俺は笑いながらこう返した。
「なんだ、オンナにキッツイこといわれたのか?」
「ちげえよ」
祐二は腹を抑えながら言う。
「昨日、ちょっと飲み過ぎちまってよ。二日酔いがひでえんだ」
「へえ? 珍しいな」
「ああ……だから、今日は早く帰るわ」
祐二はそう言うと、その日のバイトを早く終えた。
「なんだよ。大丈夫か?」
俺が声をかけると、祐二は青い顔で答えた。
「ああ……大丈夫」
そう言いながらも、祐二の足元はおぼつかない。俺は心配になって家まで送ることにした。
「いいって」
と、最初は断っていたが、そのうちに諦めたのか、祐二は俺の肩を借りて歩き始めた。
「悪ィな……」
そう呟く祐二を横目で見ながら、俺たちはゆっくりと歩いた。
その途中だった。
「あれ?」
と、祐二は声を上げた。
その視線の先には、一人の女がいた。
女は道の端っこでうずくまっている。
「どうしたんだろう?」
祐二は女に近づくと声をかけた。
「大丈夫ですか?」
すると女は顔を上げた。
「はい、大丈夫です」
女の顔には血の気がなかった。明らかに大丈夫そうではない。
「顔色が悪いですよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
女は俺たちに軽く微笑んで見せたが、その顔には生気がない。
祐二は心配になったのか、女に手を伸ばしかけた。
その時だった。
「触らないで!」
女は叫んだ。
その声があまりにも大きかったのに驚いて、俺は思わず女の顔を見た。
女はハッとしたように口に手をやった。
「ごめんなさい。でも、私、男の人に触られると、その……」
「あ、いや、こちらこそ、すみません」
祐二は謝ると、女から少し距離をとった。
「本当に大丈夫ですから」
女は立ち上がると、そのままフラフラとした足取りで歩き出した。
「なんだったんだろうな?」
「さあ?」
俺と祐二は首を傾げながら顔を見合わせた。
「なんか、気になるなあ」
祐二は女の後姿を見ながら呟いた。
「でも、これ以上の深入りはやめといたほうがいいんじゃないか?」
俺が言うと、祐二も頷いた。
「そうだな……じゃあ、俺、帰るわ」
「ああ。ちゃんと休めよ」
俺はそう言うと、祐二を見送った。
次の日、祐二はバイトに来なかった。
裕二の後任として来たのが、じいさんだった。
「今日から働くことになりました」
じいさんはペコリと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
じいさんの見た目は70くらいか。白髪の混じる髪を後ろに撫でつけ、背筋は猫背ぎみ。
「こちらこそよろしくお願いします」
俺も挨拶を返した。
その日から、俺の仕事の中にじいさんの運転手という仕事も加わった。
じいさんは車の免許を持っていないため、俺が毎朝迎えに行かねばならない。
「それじゃあ、行ってきます」
俺はアパートを出ると、車に向かった。
エンジンをかけると、助手席のドアが開き、じいさんが乗り込んだ。
「すみません。お願いします」
そう言ってじいさんは頭を下げた。
「はい、じゃあ出発しますね」
俺はアクセルを踏むと車を走らせた。
じいさんは物静かな人だった。俺が話しかけても、あまり言葉を発さないし、自分から話そうともしない。ただ、いつも静かに座っているだけ。
「あの……何か音楽でもかけましょうか?」
「いえ、結構です」
じいさんはそう言うと、また窓の外に視線を移した。
「そうですか……」
俺はラジオのスイッチを入れた。
車の中に音楽が流れる。でも、じいさんはそれにも興味を示さなかった。
「あの……何かありましたか?」
俺が尋ねると、じいさんは少し驚いたような表情を浮かべた。
「どうしてだい?」
「いや、いつも静かだから……」
「ああ……」
じいさんは微笑んだ。その笑顔はどこか寂しげだった。
「私ももう年だから」
「そうなんですか。でも、まだまだお若いですよ」
「ありがとうございます」
じいさんはそう言うと、また黙り込んでしまった。
俺はそれ以上何も言えなくなり、車を走らせた。
「ありがとうございました」
アパートの前で車を止めると、じいさんが言った。
「はい。じゃあまた明日迎えに来ます」
俺が運転席から降りようとすると、呼び止められた。
「あの……」
「なんですか?」
「もしよければ、少しお話しませんか?」
「話ですか? まあ、少しなら……」
「良かった。では中で」
じいさんはそう言って俺の手を引いた。俺はその勢いに思わず頷いてしまった。そしてそのまま家に招かれてしまったのだった。
部屋に入ってすぐに気付いたのが、殺風景な部屋だということだった。まるで家具というものが存在しないかのような錯覚に陥ってしまうほど何もない部屋に通されたのだ。普通ならテーブルやソファーといった生活に欠かせない家具があるのだが、ここにはそれがないのだから不思議だと感じたのだった。とりあえず勧められたソファーに腰かけて待っていると、じいさんは湯気の立つカップを二つ持って戻ってきた。
「どうぞ」
じいさんに差し出されたカップにはコーヒーが入っていた。
「ありがとうございます」
それを受け取ると一口飲んでみる。すると口の中に苦味が広がった。でも、そのおかげで頭が冴えた気がした。
「それで、お話というのは?」
俺が尋ねるとじいさんはカップを置いて口を開いた。
「実はあなたに頼みたいことがあるだよ」
「頼みたいこと?」
「はい……あの、私が死んだあとこの原稿を頼みたいんだ」
「え?」
俺は驚いてしまった。だっていきなりそんなことを言われても、はいそうですかと答えられるわけがなかったからだ。
「あの……どういうことですか?」
「この原稿を保管して欲しいんだよ」
「それは構いませんけど、でも、なんでそれを俺に?」
「あなたが一番信用できそうだと思ったんだ」
じいさんはそう言うと、また一口コーヒーを飲んだ。
「でも、なんで俺なんかを……」
俺は疑問を口にした。するとじいさんはカップを置いて答えた。
「あなたは優しい人だからだよ」
「俺がですか?」
「ああ、だからあなただったら頼めると思ったんだ」
じいさんはそう言うと微笑んだ。その笑顔はなんだか寂しげだった。
「分かりました」
俺は了承した。
「ありがとう」
じいさんは深々と頭を下げた。その様子に、なんだか照れてしまって顔を背けてしまった。するとふと目に入ったものがあった。それは机の上に置かれた一冊の本だった。俺はなんとなく気になって聞いてみた。
「これはなんです?」
するとじいさんは、ああと言ってそれを手に取った。
「これは私の思い出の本だよ」
じいさんはアルバムのようなものを開いて見せてくれた。中には一枚の写真とたくさんの手紙が入っていた。どれも同じ人のものばかりだった。
「誰?この人」
「それは私の想い人だった人」
「え?」
俺は驚いてしまった。だって、じいさんはもう80近いはずなのに、想い人がいたなんて信じられなかったからだ。でも、よく見てみると確かに写真に写っているその人はじいさんよりも若かった。おそらく30代半ばといったところだろう。とても綺麗な人だった。
「この人とはどこで知り合ったんですか?」
俺は聞いてみた。するとじいさんは懐かしそうな表情を浮かべて話し出した。
「もう20年も前になるかな。その人が勤めていた会社で出会ったんだよ」
「へえ。どんな感じの人でした?」
「とても優しい人だったよ」
じいさんはそう言って微笑んだ。俺はさらに質問を続けた。
「その人とは恋人だったんですか?」
するとじいさんは首を横に振った。そして言った。
「いいえ、私は想いを告げることさえできなかったんだ」
そう言って目を伏せたじいさんの顔には深い後悔の念が浮かんでいたような気がした。
それから少しして。
俺はじいさんの家を後にした。
「色々とありがとうございます」
アパートの前で車から降りると、じいさんに礼を言った。するとじいさんは首を振った。
「こちらこそありがとう。また来てください」
そんなやり取りをして別れた後だった。俺が家に戻ると、ふと机の上にあるあのアルバムが目に入ったのだ。なんとなく手に取って開いてみる。
すると一枚の写真が目に入った。
それはあの女の人の写真だった。彼女は砂浜に佇み海を眺めている姿だった。その横顔は美しかった。
まるで一枚の絵画のように美しかったのだ。
「綺麗だな」
思わずそう呟いてしまうほど、その写真は魅力的だった。
俺はその写真を手に取ってじっと眺めていた。すると突然後ろから声をかけられた。
「何見てるんだ?」
驚いて振り向くと、そこにはじいさんがいた。
「あ、いえ別に……」
俺は慌てて写真を机の下に隠した。
「なんだ?」
じいさんは首を傾げながら近づいてきて、俺の手にある写真を見た。
「あ……」
思わず声が漏れてしまった。だが、じいさんは何も気にせず言った。
「これかい?これは私の思い出の品でね」
じいさんは懐かしそうな表情を浮かべてその写真を手に取った。そしてそのまま立ち去ろうとしたので慌てて呼び止めた。
「あの!」
するとじいさんは不思議そうに振り返った。
「何か用かな?」
俺は思い切って聞いてみた。
「あの……その人とは恋人だったんですか?」
するとじいさんは驚いたように目を見開いた。そしてしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「違うよ」
「じゃあ、どういう関係だったんですか?」
俺はさらに突っ込んでみた。するとじいさんはため息をつくと言った。
「私は彼女に恋をしていたんだ」
「恋?」
「そうだ。でも彼女には恋人がいた」
「その人とは別れたんですか?」
「ああ」
「どうして?」
俺は思わず聞いてしまった。するとじいさんは言った。
「彼女は死んだんだよ」
「え?」
俺は驚いた。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったから。
「彼女は病気で亡くなったそうだ」
「そう……だったんですか」
俺はそれ以上何も言えなくなった。でも、じいさんはまだ話を続けた。
「私は彼女を愛していたんだ。でも、彼女は死んでしまった」
「……」
「私はずっと後悔していたんだ。なぜ自分の気持ちを伝えられなかったのかってね」
じいさんはそう言って空を見上げた。その瞳には涙が浮かんでいたような気がした。そして最後にポツリと言った。
「ありがとう」
「え?」
俺は驚いてしまった。だって、突然お礼を言われたからだ。
「君がこの写真を褒めてくれたとき、嬉しかったよ。だから礼を言いたかったんだ」
じいさんはそう言って微笑んだ。その笑顔はどこか切なく感じられた。
「あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったね」
「ああ……そうでしたね」
俺は少し照れくさかったけど、素直に答えた。
「俺は○○○○って言います」
するとじいさんは少し驚いたような表情を浮かべた。それからすぐに笑みを浮かべた。
「そうか、いい名前だね」
「ありがとうございます」
俺は礼を言うと、じいさんに向かって言った。
「また来ます」
するとじいさんは嬉しそうに微笑んで言った。
「ああ、本当ありがとう」
こうして俺とじいさんは別れたのだった。
それから数日。
俺はじいさんの家に通いながらバイトの日々。
じいさんは相変わらず無口だったが、それでも少しずつ打ち解けてきたような気がしていた。
そんなある日のこと。
コンビニで接客してたら、こんな客が来た。
「あの~すいません」
見ると小学生ぐらいの女の子がいた。ショートカットにした髪が少し似合わなくて、男の子のように見えた。
「はい、いらっしゃいませ」
俺は笑顔で対応した。すると女の子はもじもじしながら尋ねてきた。
「あの……ここって漫画とか売ってます?」
「はい、ありますよ」
俺はそう答えると、女の子を店内に案内した。そして雑誌コーナーの前で女の子は目を輝かせて言った。
「わあ!すごい!」
それからしばらく悩んだ後、一冊の本を手に取った。それは少女漫画だった。それを見せてくると言った。
「これください!」
俺は笑顔で答えた。
「ありがとうございます」
レジで会計を済ませると、女の子に手渡した。すると嬉しそうに言った。
「ありがとうお兄ちゃん!」
俺は思わずドキッとした。
「どういたしまして」
俺が言うと、女の子は手を振って店を出て行った。俺も手を振り返した。そしてふと我に返り、あることに気がついた。
(あれ?あの子の名前聞くの忘れたな……)
まあ、いいかと気にしないことにして仕事に戻ったのだった。
それからしばらくしてのこと。
またあの女の子が来た。
「こんにちは!」
元気よく挨拶されて、俺も笑顔で返した。
「いらっしゃいませ」
すると女の子は嬉しそうに言った。
「あの~この前買った漫画読みました!すごく面白かったです!」
それを聞いて俺は嬉しくなった。だって自分の好きな作品を褒められるのは嬉しいものだし、それが子供となれば尚更だ。だからつい饒舌になってしまったんだ。
「本当ですか?それは良かった」
俺が言うと、女の子は首を傾げた。そして聞いてきた。
「あの、お兄ちゃんは漫画を描いているんですか?」
俺は一瞬戸惑ったが、正直に答えた。
「いや、漫画は描いてませんよ」
すると女の子はさらに聞いてきた。
「でも、たまにノートでなんか書いてますよね」
「おお、これはバイト仲間が集めたのをまとめてるんです」
「へえ」
彼女は、それを聞いて微笑みながら言う。
「読ませて欲しいなあ」
「でも、まだ未完成だから」
「へへ、じゃあ完成したとき、見せてくださいね」
「わかりました」
警察から連絡がきた。
「◯◯祐二さんのご友人ですか?」
「はい」
「残念なお知らせですが……」
と、連絡してきた警官の溜息。
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