第3話 本当に?
どうやらこの男がとんでもない嘘つきという訳ではなさそうだ…
確かに見えるその光景が男の話が本当だと訴えている。
本当に異世界とやらに来てしまったのか、と絶望感が溢れ出すと同時に、なんだか違和感を感じる…。
私の中では日本の江戸時代なら時代劇をイメージするし、平和のために戦う様な冒険ゲームなら、イメージする舞台は日本ではないし、時代劇でもない。
それになにより町を行き交う人々もこの男も、和風の衣を着ているのに…髪型が全然和風じゃない事に違和感を感じざるを得ない。
髷を結ってる人はいないし、日本人なら黒髪が多いだろうに、この男の髪も少し青みがかっているし…
街行く人の中には、ピンクや緑といった現代でも見慣れてきた髪色の人も多くいた。
まるで、甘いと思ったら辛かったような、固いと思ったら柔らかかったような…
スッキリとしない気持ち悪い違和感に顔を顰める。
少しだけふらふらと覚束ない足のまま、窓際から離れてストンと力が抜けたように座り込んだ。
「まぁいずれ慣れるさ」
「慣れなくていいので、帰りたいです」
方法を知っているなら早く教えてください、と膝を整え姿勢を正し、キセルの煙を吐く男にズバッと言い放つとーー
「 本当に? 」
ーー窓の外を見ていた男が、その視線を私に移し聞いた質問になぜかギクッと心臓が跳ねた。
自分でも、何故そうなったのかわからないまま「何がですか」と聞き返す。
「私の耳には随分と、君の元いた世界の不平不満が聞こえてきたのだけど、本当に帰りたいの?」
「…いや、それと、これとは…」
別でしょう?確かにたくさん愚痴ってしまったけど、帰りたくないという訳ではないし、と考えこんで黙っていれば…
男のキセルの煙が私の目の前を横切った。
「焦ることはない。もう少し考えてみたらいいのではないかな」
煙が揺蕩うその奥で、
どこか胡散臭い笑顔を浮かべる男に、私は何も言い返すことが出来なかった。
突然に異世界へ舞い降りて焦るなというのは無理があるけど、なんだかその胡散臭い笑みを見ていたら力が抜けるようで、私は小さく息を吐く。
どちらにしても、この目の前の男と、しばらく関わるのは避けられない…
「名前、教えてください。あと貴方が一体何者なのかも」
「あぁそうだね」
トン、と灰皿にキセルを叩き灰を落とした男は、窓のサッシから腰を上げると、着物をパサッと揺らし私の目の前に座り直したーー
「この世界の私は
「…この世界の?」
「うん。その時々で滞在する世界が違うからね。名前も職業も定ってはいないんだよ」
「意味が…」
わからない。滞在する世界が違うってどういうこと?
「なので本来の名前は無いけれど、本来の職業というものはあるね。それはーー」
私の頭が、ぐるぐると混乱している間も男は説明を続けていたけど、途中で不自然に途切れさせた。
どうしたのかと不思議に思った時、パタパタと足音らしき音がだんだんと近付いてきている事に気付く。
「時成様、サダネ様からお電話が入っております」
足音がすぐ近くで止まり、部屋の外から戸を隔てて女の人の声が聞こえてくると、男は二つ返事の後「すぐ向かうと伝えておいてくれ」と返事をした。
「かしこまりました」と遠ざかっていく足音を聞きながら、初めて感じた第三者の存在に何故だか無償にここが現実なのだと、突きつけられたような心地になる…。
「さて」と立ち上がった男に顔を向けると、その手はすでに部屋の戸に手をかけていた。
「私の事は時成で頼むよ。敬称はなんでも構わないからね」
「え、ちょ…どこ行くんですか」
「聞いていたろう?サダネのところだよ。あぁ、そうか。君はスーツだったか、うーん…これで良いか、ほら。これを着て」
サダネは誰で、どこに行くんですか、という質問すら浮かぶ暇もなく、説明がまだ途中だと文句を言うこともできず…
部屋の戸から戸棚へと踵を返した男から、山吹色の羽織りを渡される。
「とりあえずこれを羽織って格好を隠そうね」
「いや、あのそうじゃなくて…」
問答無用とばかりに「行くよ」とだけ言って、スタスタと先行く背中を見て慌てて羽織を着て追いかける。
途中沢山の部屋らしきところや台所を通り、確かに旅館らしい場所にいたんだとは分かったけど…
「ちょ、本当に待ってください!」
玄関で靴を履き替えるやそのままさっさと行こうとする男を呼び止める。
そこでやっとこちらを振り向いた顔に「靴がないです」と叫ぶと「あぁ」と気のない返事のあと「そこにある草履を」と下駄箱を指差した。
何足かあるけどどれだ?と思いながら一組手に取り「これですか?」と確認すれば、男はすでに歩き始めていて、その背中に私の声は届いていなかった…
ちょっとは待ってくれてもいいのではないか、と内心思いながら草履を履いて追いかける。
慣れないそれに少しもつれながらもなんとか歩き、やっと男に追いついて少し後ろをついて歩いた。
コンクリートのように硬くないその砂の地面を歩くのはあまり経験がなく、ザリザリと草履と接するたびに鳴る音が耳に心地いい。
下を見ていた視線を上げて、改めて町並みに目を向けると、それはまるで時代劇のセットのようだった。
その中でも学生くらいの歳の子たちがミニスカートのような着物を着ていて、露わになっているその生足に、自分の知る江戸時代とは違うのだと痛感する…。
「あの時成、さん?何か急ぎの用事なんですか?」
すたすたと脇目も振らず、少し速いと思う速度で歩く様子にもしかして、と聞いてみたけど…返ってきたのは「急いでいないよ」という返事で、この男はこれが普通で男より背の低い私の歩幅に合わせてくれるような気はさらさらないらしい。
「あの、だったら先ほどの説明の続きをお願いしたいんですけど」
「こんな町中では無理だね。世界がなんだと話すのを聞かれれば最悪狂ったと思われて処刑されかねないからね」
「ひぇ…しょ、処刑?」
そんな物騒な事が平気で行われる世界に来てしまったのか、と恐怖しながら、自分が決して下手な事を口にしないよう心に誓った。
「とりあえず今は、この世界の空気を感じたらいいのではないかな」
「世界の空気?」
「似ていることは合っても違うものだと理解しなければね。君の中にある歴史や常識はここではあてにならないと覚えておこうか」
なるほど確かに、と納得して、油断すれば平気で私を置いていく男との距離も気にしながら、私は町並みを眺め歩いた。
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