ラスト・たん五・イン・ボローニャ
山本楽志
ラスト・たん五・イン・ボローニャ
地中海に突き出るブーツ、ボローニャはその根元に位置する。
赤レンガ造りの建物とポルチコと呼ばれる柱廊がほとんど隙間を空けることもなくひしめき建つ、歴史と経済的重要性を持つイタリア有数の都市。
褐色の屋根が街中を覆い、たぎる情熱がイメージされるラテンのこの地も、けれども地理的には稚内よりも北に位置するため、冬は重く厚い雲がかぶさり気温が氷点下に至ることも稀ではない。
それでも気質の故か、太陽の不在を嘆くよりも、人々は仕事を終えてからの仲間同士の集いに大いに力を注ぎ長い夜の過ごし方を模索するのに余念がない。
十二世紀に建造された百メートルを超える偉容を誇るアシネッリの塔とその隣に並ぶ約半分のガリセンダの塔は、この街のランドマークでもある。そのお膝元にあたるマッジョーレ広場は、同時に七本の街路が集まる街の中心となっている。
二本の塔の存在感を背中に受けつつ、そこから南東におよそ十五分ほどのイオ・ペンソは、日系人マリオ・ハセガワ氏の経営するレストランで、主要産業である自動車業や精密機械工業などに従事する当地の日本人が足しげく通っている。
その人々がクリスマスも過ぎて新年を待つばかりのある一夜、店を貸し切って、本国より二人の落語家と一組の漫才師を呼び寄せた。
そこには
潮家初の女性真打昇進にとどまらず、年が明ければ自らの師匠も名乗っていた名跡潮家
さらに、今年真打になりたての
イオ・ペンソは小さな舞台が設えられた店で、そこにさらに台を組み立てて、即席の高座が作られていた。
舞台袖に置かれたアップライトピアノの前に白髪まじりの正装した男性が腰掛け、おもむろに弾きはじめた曲は「黒ネコのタンゴ」。
潮家たん五の出囃子曲だ。
日本ならば三味線と太鼓のところをピアノで演奏している。
それに合わせて、舞台袖から本人が姿を現す。
丸テーブルに座った観客から拍手とともに歓声というよりはどよめきがあがった。
長身の女性を見慣れたボローニャに暮らす人々でも潮家たん五は異質だった。一般的にはすらりと形容されるところが、たん五ではのそりであり、やや猫背気味の態勢でゆらゆらと頭を――それにつられて後ろで束ねた癖っ毛も揺らして、軽快なピアノ伴奏からはほど遠い重い足取りながらも、不思議と足音は一切たてない。
一八〇センチメートルという公式プロフィールを信用するものは誰もいないだろう。
高座に上ればさらに上背は高く、奥二重の瞼の下にくまをたたえた三白眼の目できょろりと見下ろす様子には迫力が伴う。
たんぽぽ色といってもいい鮮やかな黄八丈に、濃紺の羽織を掛けた出で立ちも雰囲気を増させるばかりだ。
けれども、ピアノ演奏がやみ、座布団の上に端座したたん五が、大きく体を折って下げた頭を再び戻した際、そこに浮かぶ笑みは案外と愛嬌をたたえていた。
*
温かい拍手を賜り、誠に有り難く存じます。潮家たん五と申します。
高い位置から失礼いたします。
束の間ではございますが、一席おつきあいをよろしくお願い申し上げます。
本当にありがたいことに、この度は初めてイタリアの地を踏ませていただきました。
海外はこれまでソウル、バンコク、ホノルルにお呼ばれいたしましたが、ヨーロッパはこちらが初となりまして、改めまして深く御礼申し上げます。
それにいたしましても当地ボローニャ、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州ボローニャ県ボローニャという長い正式な所在を口にいたしますと、改めて日本からの距離を実感いたします。
先ほど聴いていただきましたわたしの出囃子――そういえば出囃子は海外だとどう言えばいいんだろうと調べてみましたところ「エントランス・ミュージック」で、それっぽいと喜んだ後でもっとかんたんに「テーマソング」だと教えていただき、それもそうかとちょっと納得するやらがっかりするやらでした――「黒ネコのタンゴ」は原曲はイタリアの童謡ではありますが、落語家という商売では生憎あまりイタリアに縁を感じる機会は多くありません。
普段わたしどもはこんな具合に扇子を箸に見立てまして、そばをたぐる仕種をいたします。その際、日本の麺類を食べる習慣で、屈み込むようにしてすすって思い切り音をたてますね。
けれどもこれがパスタでは、こうフォークを持っているように扇子を持ちまして、くるくると回すことはできるんですが、こちらはすするという行為がタブーですからフォークを口に持ってきましてぱくりと。
あんまり雰囲気がともないません。
ましてや「時そば」ならぬ「時パスタ」はなかなか成立しそうにありませんですね。
寒さの募ります冬の夜、耳を澄ましますと、
「パスターえぇー、パスタぁー……。パスターえぇー、パスタぁー」
夜泣きパスタの屋台の掛け声が何処からともなく聞こえてまいります。
「パスタ屋さん、一皿つけておくれでないかい」
「へい、カルボナーラにナポリタンがありやすが、いかがいたしやしょう!」
「こう寒くなってきたら体が冷えていけないからカルボナーラにしてもらおうかねえ」
やっぱりどうにも違和感が勝りますでしょう?
そう、ナポリタンは日本生まれのパスタなんです。
そこではありませんね。
食べ物や食事作法は、土地土地で異なります。ですので、わたしも初めてお邪魔する際には調べさせていただくことにしております。
まして今回は知らないお国、知らないヨーロッパですから、いつにも増して念を入れました。
正直申しましてイタリア料理、特にパスタがこれほど多岐に分かれて、複雑に入り組んでいるとは思いもよりませんでした。
でも考えてみますと、日本も全国津々浦々、ご当地ごとに独自の料理はあるわけで、パスタに似たところでうどんを例にあげてみましたら、関東と関西のおつゆの色の違いもさることながら、稲庭うどん、伊勢うどん、きしめん、岡山のしのうどんに群馬のひもかわ、山梨のほうとうと、見た目、食感、食べ方、打ち方など千差万別は大袈裟といたしましても十差百別くらいの違いはございます。
日本は四十七都道府県ですが、イタリアは二十州がさらに百十の県で分割されているのですから、その地方地方でオリジナルのパスタがあって、しかも地域同士の料理の交流はほとんどないというのをうかがいましても、もっともなことなのかもしれません。
それでボローニャを代表するものをうがいましたら、ボロネーゼと答えが返ってきまして、これはなるほどと納得いたしました。ポイントはボですよね。ははーん、ということはボンゴレも!
それは違うとあっさり否定されてしまいました。
さて、年の瀬にはひとつ思い出がございます。
今のように忙しくさせていただくようになりました以前、まだ
瓦太郎夫人のお姉様が少し体調を崩されまして、重篤ということではなかったそうなのですが、年末年始はなにかと不便も多いということで、奥様は手伝いと里帰りも兼ねまして実家に一週間ほど戻られることとなったのでございます。
「普段なら、旦那だって子供じゃないんだから、勝手に一人で身の回りの支度でもなんでもさせるんだけど、仕事納めと仕事はじめをしくじらせるわけにはいかないからさ。うちの弟子はさ、ほら、師匠譲りでみんなぼーっとしてるだろ? 風呂に湯を張っといてって言ったところががんもどき買ってくるようなのばっかりで、いざって時に役に立ったためしがないんだよ。玄関先の隅っこにでも転がしておけばいいから、寄席に出掛けるところだけ見てやってくんない? お願い!」
寄席という場所は一ヶ月を十日間ごとに上席・中席・下席と分けまして、毎日興行が行われております。これは一年変わりなく。ですので正月も元旦から毎度のばかばかしい噺を披露しております。
とはいえ、やはり年の初めとなりますと気分も違いますもので、特に一月の上席は初席と呼んで特別あつらえをしておりますし、元来芸人は験担ぎにこだわる方ですから、この初席をしくじりますと一年にけちのついた気持ちになります。
そこで、万一にも間違いがないようにと、ちょうど初席でご一緒することになっていたうちの師匠へと依頼があったわけでした。
「どうぞどうぞ。姉妹水入らずってこともあるでしょう。気にせず行ってらっしゃいな」
気っ風のいい瓦太郎師匠の奥様と、うちの女将さんは昔からそりが合ってもおりまして、二つ返事で快諾、そうしたいきさつで瓦太郎師匠はおいでになりました。
瓦太郎師匠は、ご記憶のお客様もいらっしゃると思いますが、狸の格好をしてエアコンのCMに出演されていらした……
今「ああ」という声が聞こえてきましたが、そうです、「エア“ポン”ディショナー」のキャッチフレーズはテレビコマーシャルだけではなくて、新聞・雑誌の広告でも使用されておりましたので……
あら、「ああ」がより大きくなりましたね。
けど、それでしたら説明がしやすいです。みな様もあの狸の格好ご存知ですよね。月影楼というとてもスタイリッシュな屋号を継がれておいでですが、本当の瓦太郎師匠、あの着ぐるみに負けず劣らず、いいえ、もっと狸っぽいチャーミングなおじさんだったんですよ。
高座での瓦太郎師匠は、落ち着いた話し口でじわじわと笑いを起こさせる名手で、「夏泥」「目黒の秋刀魚」「転宅」などは絶品、大ネタの「甲府い」の牧歌的な雰囲気はちょっと他にない味わいを持っていらっしゃいました。
そんな感じの師匠ですので、舞台を下りるなり騒がしくなるなんてことはなく、楽屋では隅の方で座布団にちょこんと座ってニコニコとお茶を飲んでおりまして、それに輪をかけて家におりますと身じろぎする音ひとつ聞こえてまいりません。
「やっぱり気を使ってらっしゃるのかしら」
「他人の家ですとただでさえ落ち着かないところで、あわただしい年末年始ですからねえ」
などという話を、いらして二日目か三日目くらいに、当時やはり住み込みの内弟子をしていた今の
「あれ? なにかしら……」
わたしの耳が小さな音をとらえました。
「なんです?」
「いえ、だれか話しているような……」
「ええ? 勘弁してくださいよ。
確かに耳を澄ましますと、そのようでした。
「御用があるのかしら」
「電話しているだけじゃないんですか?」
「師匠、携帯お持ちだった?」
「さあ? でもあのお歳でもお持ちの方は結構いらっしゃいますからねえ」
まだそういう時代でした。
「そうかもしれないけど、もしかしたら私たちに声を掛けあぐねているかもしれないから」
念のため瓦太郎師匠に客室代わりに使っていただいている部屋に向かいました。こう申し上げますと、大変な豪邸みたいに思われるかもしれませんが、決してそのようなことはございませんので。狭い敷地でどうにかやりくりしておりました。といいますと、それはそれでうちの師匠に失礼ですね。
とにもかくにも、部屋の前にまで向かいますと、なにかお話しなのはわかりましたが、その相手は不明のままです。十ん坊君の言っていたように電話をしている可能性もあります。聞き耳をたてるわけにもまいりませんので、思い切ってノック――落語家の家と申しましても基本はどこも洋間です――いたしました。
「失礼いたします、十子です。瓦太郎師匠、なにか御用はございませんでしょうか?」
「ありがとう、大丈夫ですよ」
はたと話し声がやみ、すぐに答えが返ってきました。ところが、それに加えて、
「だいじょうぶですよー」
そんな年若い、はっきり申しまして幼い女の子の声が続きました。
「
わたし、目の前が真っ暗になりまして、声を荒げながら扉を開いてしまっておりました。
「ああ、見つかったねえ」
「みつかったー」
そこには瓦太郎師匠の膝の間に座って、本を読んでもらっている娘の姿がありました。
「申し訳ございません」
何度頭を下げたかわかりません。
わたしは
そもそもわたしの入門も、ようやくおむつを外した娘を連れてお願いにあがった際、一度は師匠に断られましたのを女将さんの鶴の一声で認めていただきました。他のお弟子さんと比べましても内弟子期間が長かったのも、ひとえに親子二人で住む場所を与えてくださったからでした。二ツ目に上がりまして、どうにか独り立ちした後も、なにかとお声を掛けていただきまして、本当にわたしたち親子があるのは女将さんのおかげで……
ええと、なんの話でしたっけ。
はい、そうしたわけで、師匠の家でともども御厄介になっていたわたしの娘の宮香が、瓦太郎師匠の部屋にお邪魔をしていたのでした。
なにしろ芸人の家のこと、人の出入りの多いのに慣れてしまって、初対面の方でも気後れしないどころか、図々しく振る舞うようになってしまっておりました。
「いやいや、こちらこそ、しばらくお子さんと接する機会なんてなかったから、大変楽しませてもらっていますよ」
とても丁寧で、満更まったく嘘というわけでもなさそうに仰っていただけたので、こちらもほっと胸を撫で下ろしました。
そうした経緯もありまして、物静かながらも瓦太郎師匠も十たん家での年末年始をくつろいでくださっているらしいと知ることができました。
後で聞きましたところによりますと、居候している身分だからと、瓦太郎師匠と奥様よりお弟子さんにはくれぐれも十たん師匠の家に連絡することのないようにと通達があったそうです。
年末年始で放送されるラジオやテレビへの収録の仕事はおおむね事前に終わっておりますから、寄席に出掛ける以外は、たまに娘の宮香の相手をしてくださって、後はお持ちになられた本を読まれて静かな、こちらへ何か指示されるということもない、いたって手のかからない師匠でした。
いえ、もちろん、他の師匠や
ですからこそ、
「おう、そこのでかいの、アレ買ってきてくれ」
「アレと申しますと?」
「俺がアレっていったらメビウスだろ!」
「おう、そこの暗いの、アレ買ってきてくれ」
「はい、行ってまいりました」
「俺の今日の気分はラークだったんだよ!」
こうしたやりとりも、世の不条理をあらかじめ教え込んでくれる御深慮あってこそだと確信しております。そうでなかったらどうしてやることか……
いえいえ冗談でございますよ。恨みノートなんてつけておりませんから。もう今は。
わたしのポイント制絶対許さないやつランキングノートには、もちろん瓦太郎師匠がノミネートされることもなく、必要以上にはお互い言葉をかけないでもいい、そういう空気を出してくださっておいででした。
例外といいますと、お越しになった当日に、
「落語家になると、年末年始もなくて、特にあなたたちのような年頃の人は、故郷から帰省はしないのかとたずねられて大変でしょう。十子さんはどちらの御出身なんです?」
とうかがわれたくらいで、わたしは関東生まれですので、話はそこでおしまいとなりましたが、ずいぶんと気を配られる師匠だと思った記憶がございます。
前座時代は高座に立つのが本当に怖かったのです。
今は怖くないのかと問われますと首を横に振るしかありませんが、前座の頃のそれは得体のしれない怖さでした。一度舞台に上がりますとなにが起こるかわからない、当時のわたしとしましては客席が突然海原に変わり大きな波が押し寄せてきてさらわれるかもしれないというような妄想さえ抱いてしまっていて、ただ覚えたことだけを口にして少しでも早くその場を後にしようと躍起になっておりました。
いよいよ年の瀬も押し詰まってきたその日も、回り持ちの開口一番の務めを終えまして頭が真っ白になり、全身から汗を吹き出し、湯気をあげながら――これは今も同じでして、一席行いますと汗で全身ぐっしょりになってしまいます。ですので、髪をこのように縛りまして少しでも風通しをよくしようとして、胸にはさらしを巻いて発汗を抑えようとしているのですが、このくらいでは追い付きません――楽屋に戻りました。
「いやあ、お疲れ様」
びっくりしてしまいました。
「え? 師匠、本日は池袋で中トリでしたよね……。お疲れ様です……」
時間も出演寄席も異なるはずの瓦太郎師匠がそこに座っていたのですから。挨拶と質問がごっちゃになってしまいます。
「いえいえ、お世話になっているのも何かの縁だと、拝見しにきました」
「きょ、恐縮です。わたしの拙い噺を……」
「うん。いただけませんね」
他の前座さんが用意してくださったお茶を飲みながら、瓦太郎師匠はずばりとそう切り捨てました。
きゅっと心臓を掴まれたようで、一気に血の気が引いて全身に震えが走りました。口調は穏やかで、まなじりは下がっているものの、明らかに家にいる時と眼光が異なっております。落語については一切の妥協を許さない、真打月影楼瓦太郎の姿がそこにはありました。
わたしは身を固くしながらも、意気が急速にしぼんでゆくのを感じておりました。
「十子さん、自分の芸を一口のものにしてしまってはいけませんよ」
「はい……?」
言葉の意味を捉えかねて、いつも以上に声がかすれてしまいました。
「ああ、いけないいけない。こんな差し出口をしたら十たん師匠に怒られますね」
ところがそれをきっかけにしたように、瓦太郎師匠は首を振りますと、もう雰囲気は一転していつもの穏やかな、狸の置物に戻っているんです。
「十子さん、あなたは『金明竹』をやってみるつもりはありませんか?」
そして次には驚いたことにそんなことを仰ってくださいました。
「金明竹」はこれからやらせていただく噺ですので、あんまり内容を語るのも憚られますが、道具屋での言葉の取り違えを扱う内容で、前座噺とされておりますが、二ツ目、真打でも高座に掛けることのある息の長い噺です。
それをやってみないか、つまり稽古をつけてあげようかといってくださっていたのです。
わたしども噺家は、お客様の前でする噺は、全て稽古をつけていただきまして、これならば人前に出してもよろしいとお墨付きをいただいたものだけとなっております。稽古は別に自分の師匠に限らずで、他の一門、他流派問わず、落語演芸協会であっても大衆落語協会であっても、どなたに教えていただいてもかまいません。
基本は真打以上の方でしたら誰でもよく、それこそ老若男女関係ありません。例えば現在のわたし潮家たん五しか知らない噺を持っていた場合、ずっと年齢が上の大師匠連であっても、その噺を高座で掛けるには一度はわたしのもとにやって来て稽古をお願いしないといけないというわけです。
何を覚えているか何ができるかでも、その噺家さんのカラーが出てくるのです。
けど前座時代では、そもそも覚えている噺の数が微々たるものですから、まずは高座に上げられる演目を増やさないことにはお話になりません。
ですので瓦太郎師匠のお言葉は、本当にありがたいことでした。
「ありがとうございます、帰りましたら、早速師匠にうかがいたいと思います」
もちろん、前座の時代には何事も師匠の許可は必要になってきます。
芸事の世界は、現在もほとんどが、教え手ごとでその教育方法を異にする世界です。
落語家も例にもれず、師匠のやり方が絶対ですので、一門によりましては二ツ目になるまでは他の師匠から稽古をつけてもらうことを許していないところもございます。
これは一長一短ございまして、どのやり方が正解ということはないと思います。
わたしの師匠五代目
「ん、わかった」
その時も、瓦太郎師匠の御厚意とわたしも稽古をお願いしたい旨を伝えますと、ふたつ返事で快諾してくださいました。
大晦日の前日のことだったと記憶しております。夜席の準備に向かうまでの間に、わたしと師匠は正月用の買い出しに来ておりました。
女将さんは正月料理の仕込みや年末の掃除・片付けにてんてこまいで、なにかと構ってもらいたがる娘の宮香を引き離すという意味もありました。
その娘の手を引いてくれている師匠は、トレーナーにスウェットパンツで、上は着古したジャンパーを羽織って内にはももひきという出で立ちでしたので、噺家という職業を知らなければ――おそらく知っておりましてもどこにでもいる孫と祖父という光景です。
「瓦太郎さんの『金明竹』はなにしろ本場のすごみがあるからな。しっかりやんな」
師匠宅の御近所の商店街をまわり、かけていただく挨拶も一年をねぎらうものとなっていて、年の瀬を感じているところに師匠がそうつぶやきました。
「本場、ですか?」
「なんだ、知らなかったのかい。あの人は西の方の出身だよ」
「金明竹」には関西弁でしゃべる人物が出てまいります。
「そうなんですか? 全然そうした雰囲気がありませんから意外です」
こう申しますと失礼にあたるかもしれませんが、上方落語の方などを拝見しておりますと、せっかち、あちらの言葉ではいらちな方がほとんどで、瓦太郎師匠の様子とはかけ離れておりました。
「関西じゃなかったけど、近辺なのは間違いなかったはずだ」
「そうですか」
それまで瓦太郎師匠が「金明竹」を選ばれたのは女の登場人物があるからだと思い込んでいたのですが、そう聞かされますと、ふと、わたしの噺を聴いての御注意との間になにか意図があったのではと思えてまいりました。
そこで前日瓦太郎師匠よりいただいた言葉を師匠にお伝えいたしました。
「ふーん、なるほどねえ」
「おわかりになりますか」
「あくまで俺の考えだからなあ。あー、でも瓦太郎さんは、俺に聞けっていってたんだったなあ」
師匠は顎を撫でつつ立ち止まりました。
「十子、昨日は何を高座にかけた?」
「『道灌』です」
「どこがよくなかった?」
「……全部です」
わたしてはそう申し上げるしかありません。
「だろうなあ。俺もそう思う」
とはいえ頭からそう肯定されるのもつらいものです。
「でも、だ。俺のよくできたって噺とお前さんのよくできた噺ってのは違うよな」
「もちろんです」
「だとしたら、俺の悪いとお前の悪いも、もちろん違う。わかるな」
「……はい」
「じゃあ、そのお前さんの良い悪いの量りで考えてみて、昨日の高座の悪かったところはどこだ」
「……わかりません」
それがまったく正直なところでした。やり通したという記憶があるだけで、どこが良いも悪いもまったく判断がつかないのでした。
「そこよ」
その答えを知っていたかのように師匠は即座に言葉を継いできます。
「お前さんはまだ全部を追っかけるのが精一杯で、部分部分を反省することができてない。そうなると噺の笑わせるところとか軽く流すところとかもわからなくなっちまう。芸を一口のものにするっていうのはそういうことだ。その点だと『金明竹』は、少なくとも関西弁のセリフは、普段使い慣れていない言葉をまくしたてなきゃならんから、覚えるだけじゃなくてその意味を考える分、個々に気を配るきっかけになる。かもしれない、ってところじゃないかなあ」
いわれてみますと頷ける解釈でした。
「なるほど、よくわかります」
「けど、これは俺の勝手な考えだ。それから『金明竹』は今だと名古屋弁や津軽弁で演じられたりと色々と趣向が加えられている噺だが、そいつはあくまで基本があってのことだからな。まずは瓦太郎さんに、しっかりと型を教えてもらえ」
「はい」
わたしの返答を師匠は嬉しそうに笑って聞いていたのを覚えております。
「師匠、わかりましたから、そろそろ買い物の続きをいたしましょう。今日は竹村さんに立ち寄る用事はありませんよ」
師匠は商店街にある和菓子屋さんの前に立ち止まって先ほどの講釈をしておりました。
師匠十たんは、お酒はからっきしなのですが、甘いものには目がなく、お医者様とその診断を伝えれた女将さんから、くれぐれも節制するようにと戒められているのでした。
「いや、宮坊がさ」
見ると、わたしどもの話に退屈したのでしょう、娘は和菓子屋さんに入り込んで、ショーケースに張りつき色鮮やかな和菓子を見つめていました。
寄席では一月を十日間ごとに上席・中席・下席と分けると先ほど申しましたが、では三十一日はどうなるのかと疑問に思われる方もいらっしゃることと存じます。
この日は定席外の余一会と申しまして、特別の興行が催されることとなっております。
もっとも十二月三十一日は、寄席も新年の準備のため開いていないところがほとんどで、噺家も案外のんびりとしています。
ですので、当時まだまだ駆け出しだったわたしは、大晦日は女将さんと年越しと新年の準備の佳境にとりかかっておりました。
「とこちゃん、瓦太郎師匠から噺を教えてもらえることになったんだって? よかったじゃないの」
「はい、そうなんです」
台所で女将さんは年越しそばのだし作りを、わたしはお節料理の数々を重箱に詰めておりました。
二人きりの時、女将さんは前座名を縮めてわたしをとこと呼んでくださいました。また、表立って芸道に口を出すことはございませんでしたが、落語も大変好まれていて、この時も私が新しい噺を覚えることを喜んでくださいました。
それがお世辞や挨拶代わりの言葉ではないと知っておりますので、わたしも嬉しくなりまして、瓦太郎師匠がいらしてすぐこちらに気を使っているのではと考えたこと、それが宮香のおかげで打ち解けたこと、それから高座を見に立ち寄ってくださって稽古について仰っていただけたことなどの経緯を伝えました。
「そりゃあ、宮香のお手柄だ」
「みや、おてがら?」
わたしたちの手伝いのつもりなのでしょう。あちこちを行ったり来たりして、ちょこちょこと台所に顔を出していた宮香が、自分の名前が出たのを聞きつけてきました。
「うん、お手柄だ!」
女将さんはいつもの快活な調子で頭をなでてやります。
「そういえば出身地を聞かれたっていってたわよね、なにかそんな話をするきっかけでもあったの?」
「え? いえ……」
たずねられまして記憶をたどってみますが、瓦太郎師匠がお越しになられて挨拶をした際にそう質問を受けたので、特に前振りがあったわけではありません。
「そう。とこの話を聞いて思い出したんだけど、十ん坊も同じような質問をされているのを聞いたのよねえ」
いいながら女将さんは顎を撫でて考えだしました。
この仕種が師匠と女将さんはそっくりで、夫婦なんだなあと思えました。
「ふうん、これはひょっとしたら」
ところがその矢先、ひとつつぶやくなり、不意に電話をとりました。
「
相手は馴染みの味噌屋さんで、たずねながら何事かメモをとっております。
「ありがとうございます。なにしろ不調法なもので大変助かりました」
そうして電話を切ると、わたしへそのメモを手渡しました。
「悪いんだけど、ここに書いているものを揃えてきてもらえる?」
噺家の正月は大晦日から一転なんとも慌ただしいものになります。
申し上げました通り、寄席は元日から開かれますし、各席亭ともに縁起よくできるだけ多くの芸人を高座に上らせようと計らってくださいまして、通常は昼席と夜席のところが午前中からの三部構成とするのがほとんどとなっております。
ですので忙しい方ですと、朝昼晩と異なる寄席に出演するなんてこともございます。
それに芸人はなにかとつきあいが多いものですから、新年から来客はひっきりなしに訪れて途切れることがないものです。
もっとも、この年に限りましては、瓦太郎師匠がいらっしゃっているということで、お気を使わせてはいけないと、わたしと十ん坊君を除いた十たん一門には、新年の挨拶は松の内を明けてからと厳命がくだっておりましたし、瓦太郎師匠のお弟子さんにも同様の通達が行われていたとのことで、朝だけは例のないほどの穏やかに迎えることができました。
「いや、正月もこれだけ静かだとありがたいな。これからは、毎年瓦太郎さんに泊まりにきてもらおうかな」
「あなた、奥さんは看病で帰られているんですよ」
「いえいえ、昨日もうちのから電話がありまして、義姉さんは少し熱が出たくらいで食欲なんていつもより旺盛だといっておりましたので、特別お気遣いにも及びません」
例年ですと年始の挨拶の御来客にそなえまして、和室に大きな座卓を用意しているのですが、その年はダイニングキッチンで普段通りの洋風のテーブルを椅子に座って囲んで、束の間の穏やかな団らんを行っておりました。
テーブルでは、正月に向けて女将さんがせっせと準備くださっていたお節料理がお披露目されています。
「おめでたい席に拙いものですが」
「なにを仰いますやら。立派な伊勢海老に、輝くようなつやの黒豆、鮮やかな数の子と、どちらも大変お見事ではありませんか」
「ありがとうございます。でも、おせちばかりですと、どうしても体が冷えてきますからね。今、お雑煮を用意してきますので」
女将さんとわたしはお盆を使いまして、人数分のお雑煮運びました。
「おっ、こりゃあ」
師匠が意外そうな声をあげました。それは十たん家ばかりでなく関東でよく食されているあぶった角餅を入れるすまし汁ではなく、焼かない丸餅での白味噌の関西風のお雑煮でした。
「たまにはいいでしょ」
女将さんがそう応えたところで、師匠はもう一言口をはさもうとしましたが、
「ああ……」
感に堪えないようなそんな嘆声が聞こえてきました。
声の主は瓦太郎師匠でした。それまでの控えめな態度からは打って変わって、お椀を抱え込むようにして背中さえ丸めてお雑煮をすすっていました。
その姿を目にすると、師匠もそれ以上はなにもいおうとしません。
わたしも席につきまして、初めての白味噌のお雑煮をいただきました。
白いお汁は焼かずに入れた丸餅が蕩けてややとろみがつき、そこに入る具材も大根、くわい、里芋とますます白さを高めて感じさせます。唯一赤みの濃い金時人参がその中で鮮やかに色づいています。
前日の大晦日に、急遽女将さんから頼まれたのが、この白味噌のお雑煮の具材一式でした。
その発想に半信半疑だったのですが、瓦太郎師匠の様子を見るにどうやら大正解のようでした。
やがて一息ついたらしい瓦太郎師匠は箸を置きました。
「お心遣い、本当にありがとうございます。女将さんには、すっかりあたしの心づもりが透けていたようですね」
普段の笑顔から、さらにくしゃくしゃと相好を崩しています。
「雑煮の味を思い出すなんてことは、絶えてもうなかったんですが、うちのやつがいない正月だと考えますと、どうにもそわそわと落ち着かなくなりました」
ややうつむき気味に目線をお椀に向けまして、手だけをわちゃわちゃと前に出して動かしています。
「根がいやしいんでしょう。瀬戸内の田舎の村に嫌気がさして、特に何か目的があって出てきたわけでもない東京の街で、どうにかこの四十年ばかり噺家をさせていただきまして、今更夢にも故郷を見ることさえなくなっていたというのに。それでお恥ずかしい話ながら、もしもお弟子さんが西の方なら、こちらでは白味噌の雑煮が出るんじゃないかと、つい口をついてしまっていた次第で」
少し地黒のお顔を、お屠蘇の酔いも加えて紅潮させてはにかませていると、ますます狸さんを思わせて、なんとも愛嬌に溢れておいででした。
「なんにも恥ずかしがることなんてないよ。自宅を一歩出れば旅の空を感じられることもあるだろう。よその家でいつもと違う食い物を期待するなんて、当たり前のことさ」
「そうですよ。どうぞおかわりはたっぷりありますから、ご遠慮なさらないで」
師匠と女将さんは、瓦太郎師匠のあどけなく喜ぶ姿に、こちらもにこにこと笑いながらそういうのでした。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えまして。それとですね、女将さん、わがままついでに、もう一つ聞いていただいてよろしいですか」
すっかり平らげたお椀を差し出しつつ、瓦太郎師匠は照れきった様子でそう口にしました。
「はい、なんなりと」
「実は、うちの田舎だと、雑煮には普通の丸餅と中にあんこを入れたものを用意して、好き好きでどちらかをいただきまして。ゲテモノとお思いでしょうが、なんとかこちらもお願いできませんでしょうか」
「あんこを、ですか」
今ですと白味噌にあんこ入り餅のお雑煮も知られておりますが、当時はまだあまりそうした話も伝わっておらず、思いもよらなかった取り合わせに驚いてしまいました。
そうして周りの大人が戸惑ってしまっている最中、突然わたしの隣に掛けておりました娘が席を立つなり、小走りで部屋を出ていってしまいました。
「宮香! お手洗いなら、ちゃんと皆さんにお断りしなさい!」
予想外のことの連続で、わたしの注意も遅れて、その背中が見えなくなってしまってから声が追いかけました。
けれども、トイレにしては早く、間もなく娘はみんなのもとに戻ってきました。その両手には大事そうに小さな箱が抱えられています。
『あっ!』
思わずわたしと師匠がそろって声をあげてしまいました。
「あんこのおもちならあるよ!」
そういって女将さんに差し出したのは、先日の年始用の買い出しの際、こっそりと師匠が購入して大事に部屋にしまっておいたお馴染みの和菓子屋さんの大福でした。
そのような縁がありまして、瓦太郎師匠からはたくさんの噺を教えていただきました。
というわけで本日はまず、地方ごとのお雑煮の違いが取り持ってくれました「金明竹」をお聴きいただきたく存じます……
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