給仕夢 -maidream-
@Tomato_Mato
給仕夢 -maidream-
歩く。ひたすらに歩く。目的地に向かって。一人旅は良い。気兼ねなく自分のペースで歩いてゆける。休憩も進むも思いのままだ。装備も荷物も少なくて良いし、食料だって一人分で良い。
歩く。ただひたすらまっすぐに。
太陽が沈んで、月明かりしかない世界でも歩いてゆける。暗がりで進んだ方が周りに誰かが居ても気付かれにくいだろうから安全でもある。夜行性の野生生物は危険だが。
「疲れた……」
ため息と共に独り言が漏れる。
一人旅の欠点は話し相手が居ない事である。いよいよ飽きてきた。
かつて東京と呼ばれたビルだらけのこの都市に入ってから二回太陽が沈んだ。周りは廃墟だらけで、安全の確保が出来ない以上、まともに身体を休められそうな建物はなかった。
景色の変わらない街を黙々と歩き続けて、私以外の人間を見掛ける事もなく、いよいよ心が折れかかった頃、目線のずっと先に薄ぼんやりと明かりが見えた。
電気が止まって久しいこの世界で明かりがあるという事は、そこに人間が居て、活動しているという事に他ならない。太陽光発電か、ガソリン発電か、それとも。なにで発電しているかなんてこの際どうでも良い。
私は元気を取り戻した様に歩き続ける。
近づくまでそこに居る人間が安全か危険か分からないので、まずは安全の確保が最優先だ。
誘蛾灯に導かれる羽虫の様に近づくとそれは、電飾看板だった。薄黄色に明滅する看板には経年劣化による傷は多く、一部の文字は欠けていたけれど、読める。
『給仕夢-maidream- OPEN』
「メイ……ドリーム?」
こんな終末世界でなんらかのお店を営業しているのか? まさか。
ガラス張りの出入り口からも光が漏れていた。
危険を顧みず店内を覗き込んだその時、金属製のドアが開かれ、ちりりん、と鈴の音が鳴った。私は咄嗟に一歩後退り、レッグホルスターの拳銃に手を伸ばした。
「あら珍しい、お客様」
店内から人間が現れた。私を見てにこりと穏やかに微笑む。
拳銃に伸ばした手をそのままに私は問うた。
「あの、ここは一体?」
「喫茶店です。ここでお会いしたのも縁ですから、どうぞ中へ。お腹は空いてませんか?」
古典的にも私のお腹はタイミングよく鳴ってしまった。久々に会う人間の、屈託のない笑顔に緊張が解けたのか、私の脳は、目の前の人間を危険認定はしなかった様だ。私もずいぶんゆるくなったものだ。
事実、空腹だった。一人分の食料はあるが、いつまで続くか分からないこの旅路、節約しないわけがない。空腹で元気を無くしては元の子もない。
「でも私、お金も渡せるモノもない」
「お代は頂いてないのでご安心を。こんな世界じゃあ通貨もへったくれもございません。どうしてもと言うのなら、お客様のお話をお聞かせくだされば。あとはわたし達の振る舞うお食事の感想と笑顔が頂きたいですね」
喫茶店。かつてこの世界で、軽食や甘味、味のある飲み物などを提供していたとかいう、人々の憩いの場。存在しているとは。
「タダでご飯が食べられるなんてあり得ないでしょ」
「疑うのも無理からぬ事。ですがどうか信じてくださいませ。取って食おうだなんてこれっぽっちも思っておりません。ささ、どうぞ中へ。暖かいですよ」
抵抗虚しく、背中を押されて半ば無理矢理店内へ押し込まれてしまった。女性だと言うのになんて力だ。
店内は暖色系の照明が煌々と付いていた。
二人掛けのテーブルが三つ、あとはカウンター席が四つ。こじんまりとした店内だ。カウンターの奥には食器類が並んでいて、オシャレな小物のインテリアも置かれているが、私にはよく分からないものばかりだった。
「お姉ちゃん、どうかした? 店の外になんかあった?」
カウンターの向こう側から気だるげな声が聞こえた。
「久しぶりのお客様よ! おもてなししましょう」
お姉ちゃんと呼ばれた私を招き入れた女性は「るんるん」と声に出して小躍りしながらカウンターの向こう側へと入っていった。
「さあさあお客様、どうぞお好きな席へ」
そう言って、自分の目の前の席に案内するので強制的に彼女たちの真ん前へ座る事になった。背負っていたバックパックと小銃を下ろして、バックパックは床に置き、小銃はすぐ側に立て掛けた。
「お姉ちゃん嬉しそう」
「そりゃもう。久しぶりのお客様だからね」
二人はどうやら姉妹のようだ。
私を招き入れた女性が姉か。艶のある黒髪を長く伸ばしている背の高い妙齢の女性。私が彼女の顔を見ているとレンズのぬけた眼鏡をクイっと指で上げた。
もう一人はじゃあ妹か、あまり似ていないけれど。店内の照明に照らされて綺麗に映える短く切り揃えられた金色の髪の毛が特徴的だ。身長は姉の頭一個分ほど小柄で、十字架モチーフの装飾品を身に付けていた。
二人は同じ衣類を着ていた。
黒いロングワンピースに白いエプロンドレス、頭にはホワイトブリムが装着され、胸元には白い宝石があしらわれたレース生地のスカーフを付けていた。
「二人のその格好は……?」
「メイド服と言うみたいですよ。喫茶店の制服です。動きやすいので気に入ってます」
くるくるとその場でゆっくり回って、全体像を見せてくれている。
この時世にスカートだなんて無防備だと思ったけれど、案外武器を隠すのに悪くないのかも。
メイド。今よりもずっとずっと昔に存在したと言う、上流階級者の家で働く召使いの総称だったか。
「まあ、あたし達は別にメイドってわけじゃなくて、飽くまでこの喫茶店の制服として気に入って着てるだけだけどね」
妹の方がスカートを持ち上げながらそう言う。
「店名は、だからメイドさんへのリスペクト的な」
なるほど、だから給仕の夢なのだろうか? 語感は良いとは思う。
「さあ、改めてようこそ、わたし達姉妹の喫茶店へ」
姉がそう言うと二人揃ってスカートの両端を摘んで持ち上げて広げ、膝を軽く折ってお辞儀をしてきた。これがメイド流の挨拶なのだろうか。
「メニューなんてないからあたし達の得意なもの作るけど、それで良い?」
お辞儀を終えた妹からそう言われて、それだと良いも悪いもないでしょと思ったけれど頷くだけにしておいた。
そう言えば自己紹介がまだだったけれど、お別れが辛くなってしまうから、ここでは喫茶室を経営しているただの姉妹と、たまたまお店に立ち寄ったお客様という関係に留めておきましょうと言われた。
私も私で素性を明かすのはあまり良くないとは思っていたので、その提案はとても助かった。
私と姉メイドが話してる間に、妹メイドが手際よく鉄製フライパンで米と細かく刻んだ肉と野菜を炒めていた。
この滅びかかった世界にまだ米と野菜があるとは。肉はその辺に生きている野生生物を狩れば食べられるが、農業を生業にしている人が居ることには驚きを隠せなかった。
外の電飾看板も店内の明かりも、米を炒める火も、発電機がどこかにあるから使えるのだろうけど、余計な詮索はやめておこう。
今は少しずつ料理が出来上がるこの光景を目に焼き付けておこう。匂いをしっかりと記憶しておこう。
炒め終わった米を綺麗な楕円形にしてお皿に盛ると、先程のフライパンに油を流した。
もう驚かないと思っていたが、取り出したのは卵だった。油も卵もとても貴重なものじゃあないか。
惜しげもなくそれを二個、三個と割り入れすぐさまフライパンの上で箸でかき混ぜる。出来上がったのは甘い匂いのふわっふわトロトロの半熟玉子だ。それを先程の米の上に器用に覆い被せ、さらにその上に赤いソースをかけた。今のはトマトケチャップか。黄色と赤のコントラスト、あまりに色鮮やかかでむしろ私には毒に思えた。色の付いた食べ物とはこんなに食欲をそそるのか。匂いも、立ち上る湯気までも全てが美味しそうで、ツヤツヤに輝くオムライスを目の前に思わず私は生唾を飲み込んだ。
「いっちょうあがり〜、オムライスだよ。冷めないうちにどうぞ」
カウンター越しにオムライスを渡してくれた。
幼い頃に母に作って貰った記憶が蘇る。オムライスが嫌いな人類は居ないだろう。
「いただきます……!」
両手を合わせてからスプーンで山盛りに掬う。
「お姉ちゃん、なんかこの人泣いてるんだけど」
「え!? お口に合いませんでした?」
「いや、美味しくて……」
久しぶりに誰かに作って貰った温かいご飯を食べて自然に涙が溢れてしまった。普段は自分一人で栄養さえ摂れればと簡素な食事になりがちなので。
「ふふん」
妹メイドが得意顔をしていた。
「それなら一安心です。さてわたしはじゃあ紅茶を淹れましょう。食後のデザートもご用意しますね」
言うや否や姉妹は場所を変わり、姉がケトルに水を注いで火にかける。テキパキと動いて、白いカップとティーポットを用意した。
「紅茶ってたしかお茶の葉を乾燥させて発酵させたやつ?」
「あらご存知でした? お客様は博識ですね」
「知識だけで飲んだ事はないんだけど」
「では初めてですか? お楽しみに」
「ちなみに。さっきのオムライスとかこの紅茶とか食材の入手経路は聞かない方がいいよ。美味しければ良いじゃん」
妹に釘を刺された。それが正規品だろうが自分達で作ったものだろうが、もう訊ねるつもりはない。正にそう、美味しければ全て良しだ。
それにきっと彼女らは私よりも強い。でなければこんなところで生活して飲食店なんて営めないだろう。厄介な客だって今までにたくさん居ただろう。
常に手に届く範囲に置いてある二丁の小銃。恐らく、カウンターの客席から見えない所や、その衣類の下にも武器を隠しているんじゃないだろうか? 姉の、私を店内へ押し込んだ際の抵抗できない力は、逆らうべきではないと判断できる。
その間にも紅茶の準備は進む。
沸いたお湯をカップとポットに少量注いで温める。
十分に温まったのか、お湯をケトルに戻して再び火にかけた。その間に茶葉をポットに大さじスプーン山盛り一杯を入れた。
もう一度沸いたお湯をポットに注ぎ蓋をして厚めの布を被せる。
「これであと二分お待ちくださいな。その間にクッキーも温め直しましょう」
アナログの時計をポットの脇に置いてから、満月の様に綺麗なまん丸の、子どもの手のひらサイズのクッキーをどこからか二枚取り出して、オーブントースターに入れた。クッキーも久しく食べてないな。
「お姉ちゃんの手作りクッキーは美味いんだぜ」
「それは楽しみだ」
姉がふんふんと嬉しそうに鼻歌交じりにクッキーを眺めている。そろそろ二分が経とうとしていた。
「そろそろですね。一杯目はわたしが注ぎますね」
茶漉しをカップに添えて、ポットを傾けると透明度の高い橙色の飲み物が注がれた。湯気が立ち昇り、甘酸っぱい果物の様な爽やかな匂いに包まれる。これが紅茶。
「どうぞ冷めないうちに。あと二杯は飲めると思いますのでごゆっくり」
カップとポットと、温め終わったクッキーを小皿に乗せてこちら側に寄越してくれた。
言われるがまま、冷めないうちに飲んでみよう。
「うまっ……! クッキーも美味しい……!」
昔、幼い頃に食べた果物の様な不思議な味。甘いクッキーを食べてから飲むと相性が抜群だった。
「ねえねえ、あたしのオムライスとどっちが美味しい?」
「んん……。どっちもって答えちゃだめかな」
「んー。まあ良いけどね、美味しいならそれで」
妹は薄く微笑んで自慢げだった。
本当にどちらもとても美味しかった。
「ところでお客様はもうずっと旅を続けているんですか? もしよろしければ旅の理由をお聞きしても?」
こんなに美味しいものを食べさせてもらったのだからそれぐらいならいくらでも話そう。隠しているわけでもないし、なんの変哲もない理由だし。
「ここからずっとずっと北の方角から来ていて、もうずっと一人で歩いてます。目的はここよりも、もっともっと南の方、暖かい地方へ行く事」
私の暮らしていた土地はここの比じゃないくらいの寒冷地で、冬になると、とてもじゃないけど人が生きていくには不便過ぎる。ので、私は故郷を捨てて、家族を置いて、一人で温暖な土地を探して南下している。ずっと寒い土地で無理して生きていくよりも少しでも温かい場所で暮らしたい。
「なるほど、であればここから南に言ってしまうと海沿いに出てしまうので、遠回りになってしまうかも。一度ひたすら西へ行った方が良いかもしれませんね」
「この国で一番高い山を目印に行けば分かるよ」
「方位磁針はお持ちですか? そのあとは南西へ向かって歩き続けて海沿いを歩けばいずれ温暖な気候の土地へ辿り着けるかと」
「ずいぶんと詳しいんですね、助かります」
「私達はほら、ここで喫茶店を開いてるので様々なお客様と関わるんです。各地からの旅の方も多いのでお話を伺う内に知識も得られたというわけです」
なるほど。
結果的に目的地への行き方もおおよそだけど分かったし、美味しい食事にもありつけたし、久しぶりに対話も出来た。とても良い日だ。
ポットの中の紅茶もあと一杯分ぐらいか。クッキーは美味しくて早々に食べ切ってしまった。
紅茶を飲み終えれば、名残惜しいがこのお店と、姉妹ともお別れだ。
「二人はずっとここで営業をしているんですか? もし大丈夫なら私と一緒に行きません? 話し相手も欲しいし何より二人は私よりよっぽど強そうだし用心棒としてでも……」
「申し訳ありません、お客様。わたし達姉妹はこれまでもこれからもずっと二人でこのお店を守ると決めておりますので、旅の同行はできません」
その代わり。と一息ついてから。
「いつでも、いつまでも喫茶 給仕夢-maidream-と、わたし達姉妹はあなた方お客様を待ち続けると約束いたします」
「ごめんね、あたし達はここで待つしかできないんだ、そう決めたから」
「や、こちらこそ変な事行ってごめん。私もまた来るねって約束はできないけど、もしまた来た時は美味しいご飯食べさせて下さいね」
この旅の終わりがどうなるかなんて私にだって分からない。
道半ばで餓死もあり得るし、誰かに襲われるかもしれない。運良く温暖な土地に辿り着けたとして、そこに住めるかも分からない。それこそ、故郷の方がまだマシなぐらいに酷い土地の可能性だってある。そうしたらまた、この喫茶店に戻ってくるのも良いかもしれない。私の旅はまだまだ、これからなんだ。
「ご馳走様でした。こんな美味しい食事は久しぶりで……!」
「喜んで頂けたようで何よりです。冥利に尽きるとはこの事ですね」
姉が優しく微笑む。
私は立ち上がって、自分の荷物を背負ってお店を出る準備をした。
二人がカウンターから出てきて、
「ではお見送りを」
そう言ってドアを開けてくれた。
「では、行ってらっしゃいませお客様。またのお越しをお待ちしております」
深くお辞儀をした二人に私は改めて、また来ますとお礼をして、方位磁針を取り出して、言われた様に西方向へと歩を進める。太陽が昇れば教えてもらった一番高い山も見えてくるだろう。
後ろを振り返れば黒髪と金髪の姉妹が遠くで手を振っていてくれていた。私も頭の上に手を挙げて別れを告げた。
歩く。ひたすらに歩く。目的地に向かって。
給仕夢 -maidream- @Tomato_Mato
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