芸は身を助く
ネルシア
芸は身を助く
日本のとある小学校のとある教室。
外の曇り模様と同じように、曇った顔をしてうつ向いている1人の男児。
これが分かる人~!!と先生が男児の表情とは真逆の明るい声を教室全体に響かせる。
分かる男児女児が我先にと答えたそうに手を挙げるが、その子達は今までもさんざん当てられてきているため、先生の顔が少し困り顔になる。
先生の脳がざっと誰があまり答えないかを逡巡する。
そして、うつ向いている男児が視界に入り、当てるのは可哀想という感情と、成績書に書き込む理由付けの天秤にかかる。
「じゃぁ、この問題7×9は?」
男児が自分に当てられたことに恐怖を抱き、手が勝手にぎゅうと握りこぶしを作ってしまう。
クラスに流れる気まずい沈黙。
「教科書も見てもだいじょうぶだよ?」
先生の優しい声に操られるように、男児が子供の我慢のなさを刺激するには十分すぎる速度で教科書にのんびりと目線を動かす。
「まだかよ~」
別の男児がしびれを切らし急かす。
「・・・63。」
ようやく答えを探し当て、小声で答えるが、しびれを切らした男児女児の非難めいた声の波にかき消される。
ただ、さすがは先生というべきか、かすかに届いたのか、はたまた第六感か。
男児生徒の発声を聞き逃さない。
「そう!もう1回大きな声で!!」
「63!」
もう勘弁してくれよという男児の大きな声が教室全体に響く。
「はい、よくできました。」
見計らったかのようなタイミングで、終業ベルが鳴り響く。
算数の授業が終わり、ふぅと安どのため息をつく男児生徒。
しかし、悪意のないからかいはどこの世界にもあるもので、別の男児たちが近寄ってくる。
「ほんっとお前って算数できないよな!!」
塾に通っている勉強が1足も2足も進んでいる子からの指摘。
仕方ないじゃんと答えようものなら、からかいが余計にひどくなる。
「うん、苦手なんだ。」
素直に苦手なものを認められる時点でこの男児は社会人としては塾に行っている子よりは1足先を歩んでいるのかもしれない。
「俺には苦手なものないもんね!!」
へへっと両手を腰に当て、自慢げに胸をそる。
「うん、すごいね、またね。」
「おう、また明日な!!」
家に帰る途中、九九の暗唱をする。
1の段は大丈夫。
2の段も大丈夫。
3の段もぎりぎり・・・。
4の段・・・。
しさんじゅうに・・・。
ししじゅうろく・・・
しご・・・えっと・・・。
分からなくなり、頭をかきむしる。
空の曇天は少年の気持ちを表すように一層暗く、重くなっていた。
九九が苦手なまま過ごしていたある日。
父親が海外に転勤することになり、家族みんなで引っ越すことに。
つまるところ、外国の小学校に通うことになる。
英語等も学んだことはない。
不安だけが募る中、ついに外国の学校へ。
学校の中は知らない言語で話す同世代。
わけのわからぬまま席に着き、教科書もなく、完全に意味不明の世界で受ける授業。
唯一くらいついていけそうだったのが、算数だった。
算数なら問題さえ解けてしまえば、言語の壁など関係ない。
そうだ、九九をちゃんと覚えよう。
苦手だけど、いつまでたっても逃げたじゃ、何も変わらない。
日本から持ってきた教科書を開く。
日本を出る前に、先生から6年生までの算数の教科書をプレゼントしてくれた。
「最初は英語分からないだろうから」
とわざわざ用意してくれたのだ。
先生ありがとうと感謝を述べ、自分が立ち向かわなくてはいけない九九のページを開く。
ただ、開くときも唾を飲み込み、手汗も出てきて、よほど算数が嫌いなんだなと男児は苦笑いする。
しっかりと九九を目に焼き付ける。
1~3の段はできている。
大丈夫、4の段もできる。
そう言い聞かせ、ぶつぶつとひたすらに4の段を繰り返す。
翌日、算数の授業の中で、4×4+2という問題が出された。
その瞬間、男児の脳がぱちぱちと火花を散らすような、まるで、憧れのスポーツ選手を見た時のような興奮が脳内を駆け巡る。
わかる!!!!!!!!!!
できる!!!!!!!!!!
今までできなかったことができるようになった快感。
自分の努力は間違っていなかったという、確信と自信。
ありとあらゆる喜びの感情が男児を包み込む。
先生の誰か解ける人~に対し、
手を挙げる前に、
先生に当てられるより前に、
ホワイトボードに吸い寄せられるようにふらふらと近寄り、歓喜のあまり震える手でマーカーを掴み、答えを書く。
あまりの異質な行動にクラス全体もただ男児を見守るほかできなかった。
書き終わり、先生の目をじっと見つめ、深呼吸して一言。
「18です。」
「正解!よくできたね!」
というようなことを言っているのだろう。
先生の顔がそういっている気がした。
得意げに席に戻り、その授業は浮ついた気持ちが抑えられず、足がずっとパタパタしてしまっていた。
その後も5の段、6の段と覚えられるようになり、
それにつれて算数の楽しさに気づき、没頭するようになった。
算数でも真っ先に手を挙げ、正解に正解を重ね、一目置かれる存在とはなったが、英語ができないという足かせのせいでいまだに1人ぼっちではいる。
今日も1人ご飯かと心がチクリとするような感情を飲み込み、ご飯を食べていると、1人の女児が近づいてくる。
「Please teach me Math.」
Mathが算数であることをようやく理解していた男児はおーけーと快諾し、
その女児ができなかった計算をできる限り式を簡単にし、教える。
その間も英語はほぼ使えず、ジェスチャーと勢いだけだったが、なんとか伝わったようだ。
「Thanks!」
というと女児は去っていったが、なぜかものすごい数の視線を感じていた。
それもそのはず、その男児は知らないだろうが、聞いてきた女児は有名なモデルの娘で、そんな人が話かけるのか、という一種の畏怖と尊敬の眼差しだった。
そこから男児の人生はいい方向に転がり始める。
算数で分からないことを聞いてくる人が続出した。
その質問に答えていくうちに英語も少しずつ話せるようになり、仲のいい友人も増えていった。
もちろん、あの女児もグループの一員だ。
男児は自信と勉強の楽しさを忘れることなく、世界的な数学者になるのだが、それはまた別の話。
FIN.
芸は身を助く ネルシア @rurine
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