真夜中の太陽

@harutakaosamu

真夜中の太陽

 ゴールデンウィークが始まろうとしていたあの日、琴ちゃんの最も愛していた人が死んだ。バイクでの帰り道、トラックに引っ掛けられて首の骨を折った。人間っていうものは呆気なく死んでいく。身近な人間があっという間に。

「俺、琴美があいつに惚れてたなんて知らなかったよ。いつも只の友達だって言ってたんだから。だから俺、おまえと琴美をくっつけようとしていたんだぜ」

 あの頃、和也は何度もそうぼやいた。兄貴として5歳年下の妹に手を焼いているふうだった。そして4日目の夜、泣きながら和也の部屋にやって来た。

「お腹がすくの」

 琴ちゃんはそう言ったそうだ。

「もうだめ、生きてたくないって思っているのにお腹がすくの。あの人が死んじゃってこんなに悲しいのに。もう死んじゃっても構わないって思っているのに。お腹がすいてたまらないの。どうして、あの人死んで、もうこの世にいる意味無くなっちゃったのに」

 ぼさぼさの髪を振り乱して泣いている妹に、和也はこう言ってビスケットを琴ちゃんの口の中に入れた。

「仕方ないよ。俺達、生きているんだから」

 一瞬琴ちゃんは泣き止んだが、兄の言葉にまた泣きながら、口にくわえたビスケットを噛み砕いて飲み込んだ。

 そんなことがあったなんて微塵も感じさせないくらい、夏休みの終わりの琴ちゃんは以前と変わらない笑顔で泊まりに来た俺を迎えてくれた。和也の部屋に遊びに来たときも、一緒に夕食を御馳走になったときも、俺に対してのまんざらでもない態度に、多少引きずることがあっても悲しい結末を思い出に変えて、また新しい恋を探そうとしているように見えた。俺はその健気な態度に感動した。

 だから朝方、夜更かしをした俺達の所に琴ちゃんがやって来て、「海に行きたいな」と言ったときは、渋る和也から車のキーを取り上げてしまった。結局、気を利かせたのかそれとも本当に眠たかったのか、和也は家に残って俺と琴ちゃんの二人で海に行くことになった。

 琴ちゃんは鍔広の麦わら帽子を手に持っていた。被る様子はなく、時々俺が借りて被りながら浜辺で他愛のないことを話した。

「やっぱり海風は強いな、寒くない?」俺が聞くと、

「ううん、大丈夫」にっこりと琴ちゃんは笑った。

 その後ふっと琴ちゃんは海の方を向いた。そしてそのまま波打ち際まで行くと、何も言わないでぶらぶらと歩いた。俺も琴ちゃんの後をちょっと遅れて追った。海を見つめる琴ちゃんの横顔からは、何も読み取ることが出来なかった。女の子とは不思議なものだな、と俺は思いながらその横顔を眺めた。無邪気な顔を見せたかと思うと、こんな色気のある顔を見せる。琴ちゃんが麦わら帽子を被ってしまい横顔が見えなくなっても、俺は帽子の端から揺れる髪を眺めた。

 突然麦わら帽子が飛んだ。琴ちゃんの髪が跳躍した。我に返ったとき、琴ちゃんの麦わら帽子は波の向こう側で揺れていて、琴ちゃんは胸のあたりまで海に浸かっていた。

「琴ちゃん!!」

 俺が叫ぶと同時に波が琴ちゃんに覆い被さった。無我夢中で琴ちゃんを水中から引きずり出し、麦わら帽子を波間から取り返してくると、琴ちゃんは膝を半分くらい砂に埋めて、ぼんやりと座り込んでいた。忌々しく思いながら、水を吸って重くなった麦わら帽子を琴ちゃんの頭上に落とした。

 暫くして琴ちゃんが、「サンダル片っぽ失くなっちゃった」と呟いた。

「仕方ないだろ。帰ろう、風邪ひく」

「……歩けない」

「こんなに濡れているのに、此処にずっといる訳にもいかないだろ」

 苛々しながら俺は言ったが、そんなことにお構いなしの琴ちゃんは立ち上がろうとしなかった。

「くそっ」

 苛立ちの余り、俺は琴ちゃんを抱き上げた。ずぼりと音を立てて琴ちゃんの足が砂から抜けた。同時にぼてりと鈍い音を立てて麦わら帽子が砂へ落ちた。

「帽子!!」

「あ、待て、危ないだろうが!」

 俺の腕の中で暴れる琴ちゃんを肩の上で抑えると、俺は砂だらけの帽子を被った。それを琴ちゃんは背後から引ったくるように奪い返すと、両手でしっかりと自分の頭に被り込んだ。腹立ちを覚えながら目に入った砂に苦しんでいたら、ふと琴ちゃんが溺れやすい格好をしていたことに気が付いた。一層腹が立った。背中で悲鳴を上げる琴ちゃんを無視して、車の後部座席に放り込んだ。

 ずぶ濡れの俺達を見て、和也は仰天した。俺が琴ちゃんの麦わら帽子を取るために海に飛び込んだと話すと、「ええかっこしいが!」と怒られた。変に体がだるかった。風呂場から着替えた琴ちゃんが出て行くのを見て、一層体がだるくなった。風呂を借りてさっぱりしたら急に疲れが出てきて、和也のベットでぐっすり寝込んだ。

 目が覚めたらマンガを読んでいる和也がいた。まったくひどい夢を見たものだと思って窓から外を見ると、夕陽が傾いている空の下で、物干しに麦わら帽子がぶら下がっていた。やっぱりあれは現実だったかとため息が出た。

 帰り際、玄関に琴ちゃんがやって来た。

「今朝はどうもありがとうございました」

 やけに丁寧にお辞儀する琴ちゃんに、

「いいよ、大丈夫」

 と答えたが、心の中では「いいな、もう二度とするなよ」と答えていた。

 夏の陽気で乾いた車内から、物干しにまだぶら下がっている麦わら帽子を見た。少し縮んだように見えた。

「……なあ和也」

「んん?」和也は咥え煙草をしながら運転している。

「俺、琴ちゃん好きかもしれない」

「んあぁに!?」

「前を見ろ、前を!」

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