引越し
海猫ほたる
前編
トンネルを抜けると、辺り一面にススキの生えた田んぼ道が延々と続いていた。
父の運転する車は午前中に元いた家を出たが、そろそろ日が暮れかけている。
僕は後部座席でスマホのゲームをしている。
最近のゲームは容量が多い。
このゲームも36ギガあって、64ギガしかない僕のスマホは、このゲームひとついれたら他のアプリが入れられない。
車の中でずっとゲームをしていたら、ひどく気持ち悪くなってきて、僕はスマホから目を離した。
窓の外の景色を見る。
真っ赤な夕日が赤く照らすススキの生えた田舎道が、視界いっぱいに延々と続いていた。
車はつぎはぎだらけのアスファルト道路を走り続けている。
「ねえ
助手席の母さんは、手で欠伸を隠しながら父さんに向かって呟いた。
「もうすぐだよ
父さんは前方を指差す。
遠くの方に、二軒並んだが並んでいるのが見えた。
一つは庭付きのおしゃれな外観の洋風の家、その隣には塀で囲まれた古い屋敷がみえる。
その二軒の家以外、周りには民家らしきものが見当たらない。
車は洋風の家の庭にたどり着いた。
「着いたよ、さあ降りて」
父さんと母さんが車から降りて、続いて僕とサンディも降りた。
僕は大きく伸びをする。
ちなみにサンディは犬だ。
白い毛並みがふわふわの、大型犬。
オールドイングリッシュって言う犬種らしい。
サンディという名前をつけたのは僕じゃない、母さんだ。
なんでも、母さんが好きな、なんとかって言う劇に出てくる犬だそうだ。
父さんは、家を見上げている。
「いい家だろう、まだ築十年も経っていないんだぞ、キッチンもトイレも綺麗だし、浴室乾燥機も付いてるし、部屋もたくさんあるんだ。父さん念願の地下室まであって、それなのに破格の値段だったんだぞ。こんな中古物件、滅多にない」
確かに、近くで見ると思っていたよりずっと外観はおしゃれな家だった。
今まで住んでいた公営住宅とは、雲泥の差だ。
でも母さんは、あまり嬉しくはなさそうだ。
「安すぎるのは、ちょっと不安だわ……ねえ、永太さん、この家、何か
「無いって、ちゃんと何度も確認したから大丈夫だって」
「でも……」
「香がそう言うの苦手なのはよく知ってるから、買う前に色々調べたんだ。本当に何も無いんだよ」
「なら、なんで安いのかしら」
「この辺りは街から遠いから、利便性が悪いんだよ」
「それと、隣の家は何なの?」
母さんはさっきから、隣の家をしきりに気にしている。
実は僕も気になっていた。
隣に建てられている家は、やたらと大きくて、立派そうな屋敷だ。
だけど、かなり古そうにみえる。
「ああ、空き家だよ」
「空き家?」
「心配しなくても、誰も住んでいないから大丈夫だ」
「でも、なんだか気味悪いわ」
「ははは、香は心配症だな」
「僕は、ちょっと隣を見てくるよ」
僕は隣の家の敷地に向かって歩き出した。
「ちょっと、勝手に入っちゃだめよ」
「平気だよ、空き家なんでしょ」
僕は隣の家の敷地に入った。
その瞬間、風が吹いて、庭の草がさあっと揺れた。
庭は広いけど、あちこちに雑草が生えて荒れていた。
家は古い木造の二階建てで、古いけど大きな家だった。
「戦前に建てられたそうだよ」
いつのまにか父さんが後ろに立っていた。
母さんは怖がっているんだろう。
車のそばを離れようとしない。
「家の人は?どうなったの?」
「それがな、元々いないらしい」
「いないらしい?」
「ああ、役場の記録にある一番古い記録にも残っていないらしいんだ」
一階の窓は全部、木の板が打ちつけてあって、窓から中は見えない。
「なら、取り壊さないの?」
「ああ、そう言うわけにはいかないらしい」
「何で?」
父さんは僕の耳元に顔を近づけると、小声で僕に囁いた。
「それがな、どうも、どうやら誰か住んでいるらしいんだ」
「ちょ……父さん」
「不動産屋に聞いたんだけど、この家には、記録上は誰も住んでいないんだ。それなのに新聞は毎日配達されるらしいんだ。牛乳もね。それが夜には、いつの間にか無くなっているんだよ」
「まじ」
「ああ、それに郵便受けに入れられたチラシも、いつの間にかなくなっているらしいんだ」
「住んでないのに?」
「ああ」
僕は玄関のドアに手をかけて、力を込めた。引き戸はびくともしない。
鍵が掛かっているんだ。
「それにな、二階を見てごらん」
父さん言われて建物の二階を見る。
二階の窓は一階と違って木の板で打ちつけてはいなかった。
「窓、閉まってるだろう」
二階の窓は全部閉まっていて、内側から遮光カーテンが引かれていて、中は見えない。
「不動産屋によるとあの窓、たまに開いてるらしいんだ」
「怖っ」
「母さんには内緒だよ」
おいおい、そりゃそうだ。母さんにそんなこと言ったら、卒倒しちゃう
「わ、わかった」
なぜ父さんが家を安く買えたのか分かった。
隣の家の方が曰く付きだからだ。
「じゃ、そろそろ戻ろうか。母さんが心配そうにしてるからな」
そう言って、父さんは楽しそうに笑った。
◇◇◇
引越しの荷物はすでに引越し業者によって運ばれていた。
「荷物を開けるのは明日にしよう、今日は疲れただろう」
新しい家のキッチンで、僕たちはとりあえず電子レンジをセットして、僕と父さんと母さんは、パックのご飯とレトルトのおかずとペットボトルの水で簡単な夕飯を済ませた。
「ねえ
母さんは家に入ってからも、ずっと父さんに愚痴っている
「そんな事言ったって、仕方がないだろう、前の家はもう解約してしまったんだ。それに父さんの立場じゃ転勤は断れないし」
「それは、分かってるけど……」
「ほら、サンディを見てごらん」
父さんはサンディを指差す。
サンディは、ドッグフードをむしゃむしゃと食べている。
「サンディ、おとなしくしてるだろう、大丈夫って言う証拠さ」
「そうだと良いけど」
「今日は早く寝て、明日、引っ越しの荷物を片付けよう」
「分かったわ」
その時、プルルルル……と音がした。
父さんのスマホが鳴っていた。
父さんはスマホを取り出して、話し出した。
「もしもし、あ、はい……そうです……はい、はい……」
電話を切ると父さんは、上着を羽織り出した。
「父さん、どこか行くの」
「ああ、職場だよ。少し顔を出してくる」
「え、こんな時間に?あなた今まで、職場からの呼び出しなんて、なかったじゃない」
「ちょっとだけだよ、これから働くことになる支店に、挨拶に行くだけだ。すぐに帰ってくるから」
「気をつけてね」
「ああ」
そう言って父さんは車の鍵を取り、家を出て行った。
僕と母さんはずっと待っていたけど、その日、父さんは帰ってこなかった。
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