由理さん

「省吾さん、私は人殺しなんです。


 びっくりしないでくださいよ。世間なみに生きていたら、だれだって、人のことを多少なりとも殺しているんですよ。みんな、それを知らないふりしているだけで。

 私の場合は父親です。

 四十代のなかばに、大きな事故にあって寝たきりになりました。あいにくとうちの母親は私と同じように旅館で働いていてお給料があったから、外で働くのは母親の仕事、父親の面倒を見るのは子供の仕事になりました。

 うちは三人兄弟で、私の上に三つ年上の兄が一人と、二つ年上の姉がいます。私は末っ子でしたが、あまり兄弟とは仲がよくなかったんですよ。性が合わなくて。

 じゃあ両親と仲がよかったかと言われると、それも違いました。

 特に父親は厳しい人で、私はしょっちゅう悪口を言われていましたし、優しくされた記憶がありません。

 大嫌いでしたね。だから事故で頚椎が折れて、エリートコースを歩いていた人生がおじゃんになって、家から一歩も出られなくなって、本当にざまあみろと思いました。

 ええ、今も思っていますよ。死にましたけれど。


 私、父親の面倒をよく見たんです。

 そのときは高校生だったので、学校から帰って来るとご飯を作ってあげました。父親が好きなものを作りました。鯖を焼いて、小骨の一本まで丁寧に取りのぞいて皿に盛るんです。

 父親は腕が動かせないので、私が食べさせてあげないといけません。

 でも父親は、私なんかの手から食べたくないって言うんです。だから私は骨まで取りのぞいた鯖を、飼っていた猫にあげました。

 そういうことを、よくやっていました。

 父親は倒れてから五年後に、衰弱して死にました。もともと大酒飲みで心臓を悪くしていたので、それがよくなかったみたいです。

 でも、どこかで思いますね。

 父親の生きる力を、私も少しずつ奪っていったみたいです。

 死ねばいい、死ねばいいって、いつも思っていましたから。

 顔をあわせると、おまえは本当にぶすだって言うんです。頭がおかしいし、嫁にもきっと行けないだろうし、お前が俺の代わりに事故に遭えば社会のためにもなったって言うんです。

 それって本当にそうだと思います。

 でも死んだのは父親のほうなので、もう役に立てないんですよね。それが事実です。私は生きていたって、なんの役にも立っていないですけれど。


 話がそれましたね。つまりね、私がおじいさまを神様だと思ったのは、あの人が他人を本当に愛せる人だったからです。うちの父親とは違って、ですね。

 それは違うと思う? 

 そうでしょうか。直接おじいさまから聞いたのですか? 

 仮にそうだとしても、私は違うと思っていますよ。お優しいから、自分のやってしまったことを投げ出すようなことが言えないんです。

 あの女はずいぶん前に、東京の自分の家で死にました。睡眠薬をたくさん飲んで、浴槽で溺れ死んだそうです。この家で死んだわけではありませんが、おじいさまは気に病んだみたいですね。なにがあったかは知らないし、知る必要もありませんが。

 だからか、この保養所を取り壊す話になった時に、懇願して家を買いあげました。たくさん借金をしたみたいです。

 それから、あちこちで働いていらっしゃいましたね。それで当時、私も微力ながらお手伝いしようと思って家に出入りするようになりました。

 あの女が死んでからのおじいさまは、すっかり空っぽになっていました。

 だれとも話をせず、ただ存在しているだけ。そんな感じでした。

 私が勝手に玄関に食事を置いて帰ったり、庭先を掃除していてもなにも言いませんでした。お邪魔して台所をお借りしても、それこそなんにも。

 やばい人だねって、おじいさまが、ですか? 

 うん、私が?

 でも、放っておいたら死にそうだったので。

 父親と逆のパターンですね。私は父親は死んでもいいと思っていましたが、おじいさまが死んでしまうのは違うと思っていましたから。

 ね、でもそれって正しいんですよ。実際にそのあと、とてもいいことが起きました。

 小学四年生の男の子がやってきたんです。

 ひどい母親ですよね。信じられませんよ、小さな子供を預けて外国へ行っちゃうんですから。ろくなお母様じゃないでしょう? 勝手にこういうことを言うのは、よくないのかしら。でも私はそう思いますよ。


 でもね、おじいさまと私にとっては本当に素敵な出来事でした。

 たしかにおじいさまは、もともとの奥さんや、あの女にひどいことをしたのかもしれません。

 でも、省吾さんのことは、とても大切にしていましたよ。

 それまで、ぜんぜん笑わなかったのに、省吾さんが来てからは、毎日楽しそうでした。

 省吾さんがいなくなってしまったあとも、さびしそうでしたけれど、でも、ときどき笑っていましたよ。絵を描いたり、飾ったりしていましたよ。お買い物に行って、近所の人と話したりして、私とも話してくれました。

 毎日幸せそうでした。


 省吾さん、おじいさまが幸せだったって聞いて、許せないですか?

 まあ、べつにいいんですけれどね、許そうが許さなかろうが。

 私は省吾さんに、ありがとうって毎日毎日心の中で思っていますから」

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