第14話   其の二   生まれ変わり  四


 気を良くした静馬は、翌日の早朝から張り切って探索を始めた。


(病に詳しくないゆえ医者を名乗るにはいささか心許ないが、怪我や打ち身なら、手当はお手の物だからな)

 医者の手伝いに扮した恰好で竹富周辺をうかがうことにした。

 道場に常備している、打ち身や怪我の薬などを詰めた薬箱を提げている。


 ひどく足を引きずりながら、四十過ぎの男が出てきた。謎の虚無僧に一番こっぴどく痛めつけられた男だった。


(ちょうどいい。あれにするか)

 男は不自由な足で所在なげに町中をうろつき始めた。


 薬研堀を大川端沿いに南へ進んだところで立ち止まった。

 左手は隅田川(大川)で、右手には諏訪家下屋敷の塀が長く続いている。

 男はいくつも立ち並んだ蔵の裏手の石垣に腰を下ろした。荷揚げする舟の出入りをぼんやり眺めている。


(そろそろ〝笑顔〟を仕掛けてみるか)

 蔵の陰に身を寄せると、おもむろに愛用の鏡を取り出してさまざまな笑顔を映してみた。


 凝った意匠のギヤマンの鬢鏡だった。鬢を映してみるのに使う、柄つきの小さな手鏡である。

 お熊が叔母からもらった品だったが、ある夜、酔っ払った墨伝が鏡を手にしながら『男のようなお熊には鬢鏡など無用じゃ』とふざけて逃げ回った。

 鏡を取り返そうとするお熊と追いかけっこをするうちに、土間に落ちてヒビが入ってしまった。激怒したお熊はすぐさま捨てるよう静馬に命じた。


(後でやはり要ると言われるのではないか)

 お熊の目に付かぬ場所に隠しておいたが、それきりお熊は忘れてしまった。


 今では静馬の愛用の品となっていた。

 割れぬよう気を遣わねばならないが、銅製の鏡より映りが良く、重宝していた。


(よしよし、今日も上々だ)

 手製の小袋に入れてそっと懐にしまうと、ゆっくりと男に近づいて何気ない軽い口調で声を掛けた。


「だいぶ辛そうですね」

「何でえ、おめえはよ」

 頭の軽そうな中年男は、見知らぬ静馬に凄みを利かせた。

 こういう手合いは、己より弱そうな相手なら、とりあえず凄んで優位に立とうとする。


「わたしは町医者の木庵先生の弟子で一馬と申します。まだ独り立ちしていませんが、先生の代診もしております。商売柄、あなたの歩き方が気になったもので声を掛けさせていただきました。気に障ったらあいすみません」

 相手を必ず安心させる、一撃必殺ならぬ一笑必殺の笑みを浮かべた。


「お、お医者なのかよ」

 鋭い眼差しがたちまち緩んで男は安堵の色をみせた。

 もうすっかり静馬の術中に陥っている。

 どんよりと濁った目には、すがるような光すら感じられた。


「先生の代診で出向いた帰りなのですが、足の具合を診て差し上げましょうか」

 男は一瞬、嬉しげに目をしばたたかせてから、急に口の端をゆがめた。


「使いの帰りに小遣い稼ぎってんだな。あいにく銭は一文もねえぜ。こんな打ち身、日にち薬で良くならあ」


「いえいえ、これも修業のうちです。多くの例を診てこそ腕も上がるというもの。医は仁術と申すではありませんか。お代など決して要りません」

〝決して〟の一語だけ語気を強めた。


「じゃあ銭は取らねえってのか。嘘をつきやがると承知しねえからな」

 男の瞳が揺れ、目の険しさが潮が引くように再び和らいできた。


「どれどれ……。これはひどいですね」

 男の打ち傷に薬草を巻いて丁寧に治療してやった。


「こりゃあ助かった。俺{おり}ゃあ小船町の竹富ってえ質屋の番頭でな。松ってんだ。竹富じゃ一番、長げえんだ」

 飲み薬まで手渡す静馬に、松は胸襟を開いて身元を明かした。


「竹富の番頭さんでしたか。あの店は、わたしもよく使わせてもらってますが、今の今まで、雇い人は小僧さん一人かと思っていました」

「番頭っていっても裏方なんで、客とは顔を合わせねえんだ」

「そうでしたか。じゃあ、お店の裏には大勢、お人がいなさるんですか」

「そりゃあまあ、質屋稼業より裏の仕事のほうが儲けが大きいってもんだ」

 松は得意げに言ってから、しゃべり過ぎたとでもいうように、

「流れた質草を高く売りさばいたり、ま、いろいろとやることが多いわけでえ」

と口を濁した。


(なるほど。裏で盗品やだまし取った品、ご禁制の品などを売りさばいていたのか)

 六蔵の代から怪しい質屋だったのだ。


「正直で真っ当な商いだけでは、なかなか儲かりませんからねえ」

 真面目一方の笑みから一転、存外、狡猾な一面もあるとうかがわせる薄笑いを見せた。


「ま、魚心あれば水心ってえわけだ」

 気安さを感じたらしい松は、片目を瞑りながらにやりと笑った。


「じゃあ、おりゃあ行くぜ」

 早々に立ち去りかける松を、袖の端をひょいとつかんで引き止めた。


「ちょっと待ってくださいよ。ここで会えたのも何かのご縁です。松の兄いを見込んでご相談があるのです。竹富ではどのような品でも何とかしてもらえるという噂を存じているのですよ」

「な、何でえ。ことと次第によっちゃあ、相談に乗らねえこともねえがよ」

 松は小狡そうに目を細めた。


「誰にも口外しないと誓っていただけるなら申し上げますが」

 秘密めいた口ぶりで誘うと、松は引き込まれるように前のめりになった。


「言ってみねえ。訳ありの品だって売りさばいてやらねえこともねえぜ」

 悪党面がさらに醜くゆがんだ。


「実は……」

 松の耳に顔を寄せ、口元を般若のように裂いてにやりと笑いかけた。

「十日ほど前に往診に行ったある大店でついつい……。木庵先生とお店の人たちが病人の余命について顔を突き合わせて話している間に、やらかしてしまったんですよ。で、まっとうな質屋やら古道具屋ではもう手配が回っているやもしれず……」


「お~、皆まで言うない。それなりに値の張るお宝をくすねたものの、どう売りさばけばいいか分からねえってんだな」


「平たく言えばその通りなんですよ。へへ、今までだって往診先のあちこちでいろいろ拝借していたんですがね。ぐくくく」

 喉が引きつったような声で笑ってみせた。


「で、お宝ってえのはいってえ何んでえ」

 静馬がワルだと知った松は、首を突き出してますます話に乗ってきた。


「その大店の主が大事にしていた年代物の香炉なんです」

 蟻通の本家に家宝として伝わっている香炉を思い出しながら、色形や由緒などを詳しく語った。


「後で考えると恐ろしくなりましてね。高価過ぎて、この盗みだけで打ち首ものじゃないかと。何とか早く処分しちまいたいんです」

 恐ろしげに肩をすぼめ、ひどい悪寒に襲われたかのように両腕をかき抱いた。


「おいらに任せな。悪いようにはしねえよ」

 松はぎらりと目を光らせた。

 買い叩いてただ同然で買い取り、謎の虚無僧相手にしでかしたへまの埋め合わせをするつもりなのだ。


「それはありがたい。人助けはするものです。情けは人のためならずですね」

「おめえも、たいしたタマでえ。真面目で正直そうな色男が盗人たあな」

 松は静馬の肩を気安げにぽんぽんと叩いた。


「ところで、裏におられる人たちはずっとあそこに住まっているのですか」

「長いのは俺くれえなもんでえ。お江戸で一稼ぎする間だけ逗留する者がほとんどだな」


 静馬を同じ闇の住人と信じた松は、さらに口が軽くなった。

 竹富は裏で贓物を故買するだけでなく、清兵衛が江戸で盗みを働く際の足掛かりとして利用されていた。


「いけねえ、いけねえ」

 口を滑らせたと思った松は、

「おめえだからつい話しちまったがよ。竹富の裏の顔を誰にも喋るんじゃねえぞ。いいな」

 今になって凄んでみせた。


「むろんですよ。話せばわたしの首まで危なくなります」

「そりゃまあそうだ」

 松は得心したようにふむふむと頷いた。


「では、明日の夜、香炉を隠し場所から持ち出して参ります。刻限は夜五ツ、場所はここでどうでしょうか」

 昼間のうちは、舟の出入りや荷揚げで人や荷がひっきりなしに行き交うものの、夜になればまるで人通りが無くなる物騒な場所だった。


「ようし、明日の晩の五ツだな。合点承知」

 凶悪な顔つきに戻った松は唇をべろりと舐め上げた。

 一人で静馬を殺して香炉を奪うつもりか、あるいは仲間を集めて襲わせるのか、いずれかの心積もりだろう。


「じゃあ、よろしくお願いしますよ」

 いかにも安堵したと思わせる笑みを作って松に投げかけた。


「おうよ。任せときなって、兄弟{きょうでえ}」

 松は乱杭歯を見せて笑いながら、静馬の肩をばんと叩いた。




 翌日はお熊とともに探索することになった。

 二人して竹富の見張りを続けている。


(お熊どのの行く末を考えれば、何不自由ない奥さま暮らしも良いかもしれぬ)

 塗笠の下の横顔を見ているうちに、あれこれ悶々と考え始めた。


(利之進どのは良きお方ゆえ、利之進どのに合力すべきだろうが)

 考えれば考えるほど、心は嵐の中の小舟のごとく揺れるばかりで定まらなかった。


(拙者はお熊どのの実の兄ではないが……)

〝娘や妹の幸せを考えればこそ〟との名目で、男親や兄は、相手の男にある種の憎しみを抱いてしまうものである。


(いかに完璧で素晴らしい相手にせよ、あるいはいかに高貴なお方の室に迎えられるにせよ、そういうものであろう)

 政略結婚で娘や妹を喜んで差し出すなど、所詮はその娘なり妹なりを大事に思っていないからだと思えた。



 午を過ぎても何ら得るものがなかった。


「お熊どの、家に戻って昼餉をとってから出直しましょう」

 二人して薬研堀あたりまで戻ったときだった。

 武家屋敷が立ち並んだ通りを曲がろうとすると、目の前の辻をお忍び駕籠らしき女物の駕籠が静々と通り過ぎた。ほのかにかぐわしい香りが鼻腔をくすぐった。


(あの紋所は、確か……)

 違い枝桔梗の紋に見覚えがあった。


「お熊どの、あれは利之進どののご実家の駕籠に相違ありませぬ」

 小声でお熊に告げた。


「え? それがどうかしたのですか」

 腑に落ちぬ顔のお熊に、

「先日、利之進どのから気になる子細を聞きましたもので……」

 言いかけてから言葉を濁した。


「けしからぬ道場破りがいかがいたしたというのです」

 お熊が顔色を変えた。

 目尻がきっとつり上がる。


「あの折、守り袋を落としていかれたゆえ、先日、届けに参ったのです」


「何と! 静馬どのの人の良さには、ほとほと感服いたします。わざわざ道場破りの住み処まで届けに参ったというのですか」

 お熊は呆れ顔を見せたが、利之進との交誼を邪魔されたくなかった。


「すっかり意気投合いたしまして、向後、友となると約しました」

 きっぱりと言い切ると、お熊は不満そうに口を尖らせ、

「静馬どのがわが蟻通家に迷惑をかけぬ限り、どこのどなたと仲良くしようが勝手ですが、よりにもよって道場破りと知己を結ぶとは呆れ果てました」

 憎々しげな顔つきで話題を断ち切った。


(このぶんなら、縁組みが持ち込まれてもきっぱり断るに相違ない。拙者があれこれ悩む必要もなさそうだ)

 拍子抜けした気がした。


(ともあれ……)

 駕籠には供が一人しか付いていなかった。

 余人に知られたくない微行である。

 利之進の母牧惠が、件の人物に会いに行くに違いなかった。


(もしも牧惠さまが逢い引きしておられるのなら、事が露見せぬうちに利之進どのから諫めていただこう。逆に、潔白であれば利之進どのを安心させられる)

 信頼して秘密を明かしてくれた利之進の心に報いたい。

 友として力になりたい。


「少々、気になるので跡を追ってみます。実は……」

 経緯を有り体に語った。


「分かりました。それは面白そうな話です。わたくしも参ります」

 お熊も首を突っ込みたくなったらしかった。


「では……」

 駕籠の跡を追った。

 両国西小路のにぎわいを抜けて柳橋を渡ると、駕籠は《かわぐち》という料亭の前で止まった。

 

 風雅で上品なたたずまいの店だった。


「お連れさまがお待ちでございます」

 美々しい立ち居振る舞いの女将と女中が現れ、牧惠は暖簾の内に入っていった。


「静馬どの、裏に回ってみましょう」

 料亭は川に面していて、小座敷が河原に突き出すように三つ並んでいた。


「お熊どのはそこで待っていてください」

 袴の股立ちを大きく取って川に入ると、浅瀬伝いに近づいた。


「ささ、こちらです」

 案内の女中の声が聞こえ、牧惠は一番、西端の部屋に通された。

 川の瀬音、打ち寄せる波の音、店で立ち働く者たちの立てる物音や声が聞こえるものの、まだ真昼なので音曲の響きやかしましい喧噪は聞こえなかった。


 部屋の張り出し部分の真下に身を潜めて、牧惠と相手の会話に耳を傾けた。


 牧惠を呼び出した相手は庄右衛門と名乗る男で、ちらりとのぞき見たところでは立派な身なりの町人だった。

 顔立ちも整って物言いも上品である。教養もあり落ち着いたお大尽といった風情だった。


(なるほど、利之進どのが二人の仲を危惧されるのも無理はない)

 牧惠はわずかに横顔を向けているものの、逆光で顔形が定かでなかった。


「先方さまもこの縁談に乗り気になっておられますゆえ、あと一押しでございます。今少々のご辛抱で大願が成就されましょう」

 肝心のところは要領を得ない言葉ではぐらかしながら、言葉巧みにおだて上げて金子を無心するさまが聞き取れた。


(もしや……。いや、言葉遣いはまったく違うものの間違いない)

 先日の虚無僧の声だと気づいた。

 詐欺師の庄右衛門は、詐欺で得た財物を六蔵に売りさばかせているうちに、たまたま清兵衛や六蔵周辺の事情を知ったのだろう。


(もし牧惠どのが操まで差し出すとあれば……)

 踏み込むべく機会をうかがっていると、牧惠がほんの少しこちらのほうに身体の向きを変えた。


(こ、これは……。庄右衛門がよほどの物好きか、女なら何でもよい好き者でない限りとても食指が動くまい)

 牧惠の目は金壺眼で、鼻はあぐらをかいていた。

 頬がこけて険のある顔立ちな上に色も黒く、女らしさのかけらも感じられない牛蒡のような女だった。

 気位の高さが嫌味となって顔に出ていて、あまりの取り得のなさに驚くしかなかった。


(利之進どのは身びいきもあろうし、見慣れておられるからだろうが、不貞を疑うなど、とんだ取り越し苦労だな)

 思わず噴き出しそうになるのを懸命にこらえた。


「では何とぞよしなに」

 牧惠は金子の包みを差し出すなり、あっさりと座敷を後にした。



 しばらくしてから庄右衛門が座敷を出る気配に、お熊とともに店の表に回った。


《かわぐち》が手配した町駕籠がすぐにやってきて庄右衛門は駕籠に乗り込んだ。


「静馬どの、跡を追いましょう」

「ここでとっちめるわけにもゆきませぬな」

 笠の縁を掲げて頷き合いながら、駕籠の跡をつけることにした。

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