第7話   誰もが好感を抱く〝必殺の笑み〟で     

 

 広大な吉原田圃を貫く道をたどれば、浅草寺の北端にあたる奥山まで十数町(千二百メートル)しかなく、若い二人からすれば目と鼻の先だった。


「いったいどのように探ったらよいか分かりませぬが、行けば何か方法が見つかるでしょう」

 心の高揚を感じながら奥山に足を踏み入れた。

 浅草寺本堂の西側に位置する奥山は、今日も大小の見世物小屋や茶屋が立ち並んでにぎわっていた。


 だが……。

「なんだか変ですね、静馬どの」

 生人形の小屋の前は、二日前ほど長蛇の列ではなかった。


「戦場のような混雑ぶりが嘘のようですね」

 呼び込む口上の声も明らかに不景気で、きびきびしていた木戸番の動きも心なしか鈍かった。


「客の入りが減って精彩を欠くのか、小屋の者たちの意気が上がらないから客の入りが悪いのか、どちらもありえますが、先日の今日でこの変わりようは解せませぬな」

 顔を見合わせながらさらに近づいた。


 法被を着た痩せた男と、派手な色目だがくたびれた衣装を着た女が、小屋から少し離れた松の木の根元で何やら話をしている。


「男のほうは、先日、小屋の裏で出会った文次郎の弟子ですね」

 静馬とお熊は頷きあった。


「いったい文次郎師匠はどこへ行かれたのか。あんなお方だからよ。気に入らねえと、ふらっとどこかへ消えちまう日もあるが二日も続けてとなると解せねえ。姐さんは何か知ってなさるかね」

 男は探るような眼差しで女を見た。


「知るもんか。あたしだって心配なんだよ」

 女は男をきっと睨みつけた。


「文さんは気紛れだけど、人形に命を懸けてなさるからね。うちの小屋みたいに閑古鳥が啼いてりゃともかく、小屋を二日も放っぽり出すってありえないよ」

 女はほつれた髪を骨の浮き出た細い指でなでつけた。

 着ている衣装の若ぶった派手さが、かえって年増女を惨めっぽく見せていた。


「婀娜っぽい女はどうやら別の見世物小屋に出ている女らしいですね、お熊どの」

「文次郎と親しい女子でしょう」

 耳をそばだてながら、またも頷きあった。


「このめえ破落戸が大勢で押しかけてきただけに、師匠の身に何かあったんじゃねえかと心配でよ」

「文次郎さんがあたしに何も言わずに姿を消すなんてさ。おかしいじゃないか」

 二人は深刻な顔つきで首をひねった。


 風が吹いて乾いた広場を砂塵が舞う。

 もうもうとした砂ぼこりから守るべく、袖を広げてお熊の顔をかばった。


「けどねえ……」

 良い案も出ぬらしく、しばらくの間沈黙が続いた。


「じゃあ、あたしゃ小屋に戻るとするよ」

 腕組みして突っ立ったままの男を置いて、女は隣に建っている小体な蛇遣い小屋の裏口へと向かった。


「お熊どのはここで待っていてください」

 手短に告げてから女の跡を追った。


 いつものごとく懐に小さな手鏡を潜ませていた。

 小屋の裏手、木の陰でさっと取り出すや己の顔を映してみた。

 鏡に向かって柔和で誠実そうな笑顔を作ってから、

(よしよし)

 すぐさま懐にしまった。

 口角を上げた笑みは、初回から誰もが好感を抱く〝必殺の笑み〟だった。


「もし、姐さん」

 小屋の裏口から入ろうとする女を、気軽な口調で呼び止めた。


 相手を警戒させぬ親しげな笑みを見て、

「え、あんた、誰だっけ。知ってる人ってのは分かるんだけど思い出せないんだよねえ。ごめんよ」

 女は無防備な笑みを返した。

 笑みは片頬が引きつっていて、どこか寂しげな色を含んでいた。


「いえいえ、小屋の客だっただけで、姐さんが覚えてられないのも無理ありません」

 静馬は恥ずかしげに、顔の前で手を振ってみせた。


「何だ、お客だったのかい。うちの小屋は客が少ないし、自慢じゃないが物覚えが良いほうなんだがねえ。あんたみたいな良い男の顔を忘れるたあ、あたしもやきがまわったね、あははは」

 女は甲高い声で笑った。

 はすっぱさが女の生まれ育ちを物語っていた。


 相手をすまない気持ちにさせれば、懐に入ったも同然だった。

「そりゃあ無理もありません。仕事をさぼって小屋に入ったので、知っている人に見られたらまずいから頬かぶりしてたんですよ」

「おやまあ、そうかい」

 女は得心した表情を浮かべながら、袖で顔に風を送った。


「で、もう一度、太夫の芸を見たいと思ってやってきたのですがね」

「小屋掛けした当座はけっこうな入りだったんだけどね。飽きられちまってさっぱりさ。だから今日も早じまいしちまったんだ。親方はそろそろ小屋を畳む潮時だって言ってたよ」

 申し訳なさそうに語った。


「せっかく来たんだから、まあそこにお座りよ」

 裏口に置かれた粗末な縁台をすすめた後、煙草盆から煙管を取り上げて煙草の葉を詰め始めた。


「姐さんの名前は何と言われるのですか。わたしは六郎と申します。町医者の木庵先生の手伝いをしております」

 自分でもおかしいほど、嘘がすらすらと口をついて出た。

 正直そうな笑顔が嘘をまことにする。


「あたしゃねえ、さちってんだ。幸をつかめるようにって、おとっつぁんが名付けてくれたんだけどね。二親ともあたしが小さいうちに死んじまって見世物小屋の親方に拾われたってえわけさ」

 おさちはけだるい仕草で長煙管の煙草に火を点けた。


 見世物小屋の者たちは西へ東へ流れ流れの根無し草である。一定の土地に縛り付けられないから気楽といえば気楽だったが、不幸な生い立ちの者が多かった。


「わたしの境遇も似たようなものです。親はまだ健在ですが、小さい頃、木庵先生の家に奉公に出され、小間使いのようにこき使われて、そりゃあ苦労しました」

 事実に近い嘘は真実味があるはずだった。


 静馬の両親は芝増上寺近くの長屋で健在に暮らしている。

 子だくさんゆえ、八歳で八王子にある蟻通家へ奉公に出された。

 仕送り一つできぬ身では、たまに里帰りしても良い顔をされない。

 同じ江戸の空の下に暮らすようになった現在{いま}も滅多に訪ねることはなく、親といえば墨伝を思い浮かべるほどである。


「そうなのかい」

 おさちは頷いた後、生人形の小屋に目を向け、ほうっと大きなため息をついた。


「苦労といやあ、文さんのことさね。ここまでの小屋にするにゃ、ずいぶん苦労してきたってのにねえ」

 ようやく文次郎の話題につながった。


 矢継ぎ早に問いかけたい気持ちを抑えて、

「今じゃ弟子も大勢で大きな小屋まで立てていなさる。取り得のないわたしは師匠の才能が羨ましいですよ」

 ゆったりとした笑みを向けながら、何気ない世間話を装った。


「才能だけじゃだめさ。まずは元手ってものが要るのさ」

 おさちは、もう一度、深いため息をついた。


「ここだけの話なんだけどね。文さんの妹は吉原でお職を張っていた花魁だったんだ。けど、ついこの間、亡くなっちまってねえ。文さんは『俺のために身を売り、資金を作ってくれた妹なのに、弔いもできないとは情けねえ』ってえらく嘆いていたねえ」

 おさちは煙草を立て続けに吹かせた。


「もしや、その花魁は倉田屋の舞袖さんじゃないですか」

 せっつきたい気持ちを抑えて、遠景に目をやりながら静かな口調で聞き返した。


「おや、何で知ってるんだい」

「最近、亡くなった花魁で、弔えなかったといえば舞袖さんのことじゃないですか」

 しんみりした表情を作りながら目を伏せた。


「あんた、なかなか勘がいいんだね。その通りさ」


「実は、あの見世にゃ、木庵先生がときどき呼ばれなさるから、わたしも付いて行くんですよ」


「何と世間は狭いね。じゃあ、お袖さんの亡くなった経緯やら倉田屋の怪異騒ぎも知ってるってえわけかい」


「あの女将が死んでせいせいした、という人も多かったみたいですね」

 ここぞとばかりに水を向けてみた。


「お袖さんは文さんの才をよ~く知っていたからねえ。文さんの才能を世に出したいがための身売りだったんだ。その金子を元手にして文さんは籠細工の師匠の小屋から独立したんだ。自分が作りたい人形をどんどん工夫していって、あんなに精巧な生人形を作り出したってえわけさ」

 おさちの吐き出した紫煙が、静馬の鼻先を漂って流れた。


「で、諸国を巡って、どんどん小屋を大きくしていきなさった。今までに貯めた金と今回の儲けで、晴れてお袖さんを〝親元身請け〟するつもりだったんだ。『袖を驚かせてやる』って、お袖さんと会うことも我慢してたのにさ。小屋が大入りで喜んでたのも束の間、肝心のお袖さんが突然心中しちまったんだ」

 おさちは一気呵成に語ってから、ぐっと声を詰まらせた。

 親元身請けは保証人などが請け戻すことで、身請け金も少なく、祝儀なども不要だった。


「『せめて遺体を引き取って丁重に弔いたい』って倉田屋に掛け合ったんだけど、無駄だったのさ。心が収まらないもんで、文さんはその後、何度も倉田屋に怒鳴り込んでたんだ。こないだ破落戸どもに絡まれてたそうなんだけど、そいつらは倉田屋に雇われた地廻りどもじゃないかね。だから文さんの身が心配なんだ」

 おさちはまたもせわしなく煙草を吹かせた。


(文次郎は倉田屋が雇った破落戸どもに殺害されたのではないか)

 おさちと同感だった。

 善人面した鉄五郎も、やはり亡八は亡八なのだ。


「太夫と文次郎さんとは、深い仲だったのですね」

 おさちの目をじっと見つめて優しく微笑んだ。

 おさちの目の奥がかすかに揺れた。


「ま、まあね。最初は文さんの小屋の羽振りが良いもんで羨んでたし、愛想の無い人だからさ、嫌なやつだと思ってたんだ。向こうの客の列がうちの小屋の前まではみ出してきてさ、こちらの商売が上がったりだと、何度も怒鳴り込んでやったくらいなんだ。けどさ、お袖さんのことで落ち込んだ文さんを見てたら、何だか慰めてやりたくなってさ」

 おさちは小娘のように頬を赤らめた。


「良いお話をお聞きしました。いがみ合っていたはずが、ふとしたきっかけで逆に固く結びついたのですね」

 芝居ではなく、本心からしみじみとした感慨が湧いた。


 やはり怪異騒ぎに文次郎が関わっている。

 静馬は確信を深めた。


「では、わたしはこれで失礼します。文次郎さんは、一時的に身を隠しておられるに違いありません。そのうちきっと無事に戻ってこられますよ」


 静馬の気休めの言葉におさちは、

「そうだよね、そうだよね」

 何度も頷きながら薄汚れた袖でそっと涙を拭った。


「おさちさんもあまり思い詰めず、達者でね」

 静馬は心をこめた笑みを残してその場を立ち去った。


 頬に冷たい物を感じて見上げると、針のように細い雨が中空から降り注いでいた。


 身を隠していたお熊のもとに戻り、おさちから聞いた話を語ると、

「あの折無礼だったことに相違ありませぬが、他人に事情を言えるはずもないですものね。それに、文次郎さんの頭の中は恨みやら復讐やら、今後のことで頭がいっぱいだったのでしょう。かわいそうに」

 思いの外、しみじみした口調で語るお熊の横顔が妙に大人じみて見えた。

 雨が火照った身体を心地よく冷ます。


「文次郎さんは部外者です。倉田屋内に合力する者がいなくては、箪笥の中に生人形を隠すなど無理です。今度は手引きした者を探しましょう。文次郎さんの安否も気になります」


「ではさっそく、もう一度、吉原内を探索してきなさい」

 お熊はちんまりした小鼻をうごめかせながら厳かに命じた。

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