ゆらゆらゆうらちゃん
色野はくし
第1話 世の中
現代は非常に素晴らしい。江戸時代の一年分の情報を一日で得られると聞いたことがある。さすがに盛りすぎだと思うが、そう聞いて「へえなるほどね」と思うだけの説得力があった。
暗い部屋の中、私がスマホを弄っているのが、その証明だ。今日一日、何もせずごろごろした結果、情報量が足りないとジャンキーのように夜スマホを手に取った。
情報が足りない。何かを探しているわけでもない。けれど、落ち着かなかった。何かを見て、何か情報に従って、「こいつ馬鹿じゃんw」なんて言葉で優位性を誇示する。布団の中、横になりながら芸能人が不倫しただの、政治家が汚職しただののニュースを見る。いやはや、暗いニュースばかりだ。世の中よくならないもんかね、と思った。
もし、世の中がもっとよくなったら、きっと私はこの部屋を出ることができるはずだ。ちゃんと朝起きて、歯を磨きオフィスカジュアルに着替え、いってきますと満員電車に揺られる。デスクでタスクをこなして、疲れと共に帰宅し、ぐっすりと眠る。そんな理想の生活が手に入るはずだ。
「くそったれが」
私は吐き捨てた。睡眠薬を追加しよう。サイレースを砕いて、舌下に乗せる。置いてあったストロングゼロを流し込んだ。まず。工業用アルコールの味じゃん。まあ寝れるならいいか。
睡眠薬とお酒を飲んだら、さすがに眠れるだろう。私は画面をスクロールしながら期待した。すると、やがて眠気が襲ってくる。よし、今はまだ夜四時。今からなら無茶苦茶な生活を立て直すことができる。外に出られるかは分からないけれど、健常者と同じ時間に目が覚める。そう期待して、私は意識を手放した。
しかし、世の中は無情である。神さまなんていないし、願いなんて叶わない。目が覚めたら、朝の六時だった。私は「はあっ⁉」と声をあげて、スマホを凝視した。そこには確かに六時十分と書かれていた。
嘘だ。あれだけ睡眠薬を舌下で飲んで、お酒も飲んだのに。私の体、どうなってんだ。
「クソ!」
私は叫んで、スマホを投げた。幸い、布団に落ちたおかげで大惨事には至らなかった。しかし、私の心は大惨事だ。
また、長い一日が始まる。人生というディア・ドロローサが始まり、私たちは生きることを強制される。外に出られないような障害を持ち、働くことも許されず、親に殴られても、生きろ生きろと世界はうるさい。ネットに出てくるサポート電話のアカウントは全部ブロックしているし、着信拒否もしている。
私は布団をかぶり直すこともせず、ばたりと倒れた。掛け布団の上に、体が冷えるのも気にせず。朝から、父親の怒号と、甲高い母親の声が飛び交っている。兄さんが家を出て行った理由がよく分かる。でも私はだめだ。外に出られない発作を持っている。それに、兄が出ていったぶん、いろいろな矛先が私に向いた。
めんどくせー。私はぼうっと蛍光灯を見上げていた。仕事をしないそれは、のろりとした灰色をしていた。私の心を反射させたみたいだ。私はふんと鼻で笑って、スマホを取り戻した。そして、例のSNSに戻る。やれ結婚した、やれ子どもができた、やれ番組の宣伝、やれ書籍の宣伝。私とは違う、遠い世界の話だ。
こういう時、殺人事件とか、事故とか、そういうものを見たくなってしまうのは、私の性格が悪いからだろうか。もちろんそれが悪いことで、起きない方がいいに決まっている。警察官も医者も、失職した方がいいのだ。けれど、今の私は健常者たちの渦に巻き込まれて溺れそうになっていた。
誰か、誰か私を引き上げて。地獄でいいから、蜘蛛の糸でいいから。
そんな願いを抱きながらスクロールしていた時だった。ふと、広告をタップしてしまう。やべ、と私はすぐに消すように指を動かした。こういうのはだいたい、エロ漫画の広告やつまんねーインフルエンサーの使用化粧品の宣伝ばかりだ。
しかし、私の開いたページは違った。真っ白な背景に、「ゆうら」とだけ書かれている。ゆうら? 聞き覚えのない言葉だ。リンクになっているようで、色が変わっている。私は吸い寄せられるようにそこをタップした。
「辿り着いた皆さん、こんにちは。ここは生きづらさを抱えた人たちへの、応援ページです」
その言葉に、私はドキッとした。生きづらい。その言葉は、私が今まで抱えていながら、口に出さなかった言葉だったからだ。
「説明をしても、分からないと思います。次のリンクを、押してください」
そんな文言の後に、「いりぐち」と書かれたボタンがあった。
私は息を呑んだ。こんなサイト、普段だったら鼻で笑ってさっさと消してしまう。けれど、このホームページの静けさと「生きづらいを抱えた人」という言葉に、抗えなかった。
私は、人さし指で、そこをタップした。それで、私の運命が変わるとも知らずに。
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