P013 怖くなった朝希子が必死にもがいていると、文庫本が床に落ちるばさっという音で柊はやっと覚醒した

 怖くなった朝希子が必死にもがいていると、文庫本が床に落ちるばさっという音で柊はやっと覚醒した。


「わっ、朝希子か」


 素早く上体を起こすと彼は叫んだ。


「どうして朝希子がここにいるの。あれ……」


 湿った口を拭いながら、不思議そうに部屋をきょろきょろと見回している。罪悪感から朝希子は答えられず、ごめんなさいともう一度言って部屋を走り出たのだ。



「じゃあ、たまにしか逢えないのかな」


 気づくと高城は、おおーい、と朝希子の顔の前で手を振っていた。朝希子は目を見開くと、そうですね、と機械的に返事した。


「見てよ、綺麗だね」窓の外では震災復興のシンボルであるハーバーランドの大観覧車やポートタワーのライトアップがはじまったところだった。のっそりと港に近づいて来るクルーズ船が眩い輝きを放っていて、うちのテラスから見える白くて切ないのはこの光のことかもとぼんやり見入っていると、急に切なくなって、また柊のことを思い出してしまった。


 高城がテーブルに置いた朝希子の手に自身の指を絡ませてきたので現実に引き戻された。


「しばらく遠距離になっちゃうね。寂しいな」


 熱のこもった眼差しでじんわりと見つめられる。すぐにでも逃げだしたかったが華代に迷惑がかかると面倒なので、やんわりと男の指を外した。


 時計を見ると二十時半だった。


「そろそろ帰らないと。親に叱られます」


 えっもう、と小さく叫ばれたが、朝希子はすでに椅子から立ち上がっていた。家にはクラスの友達と会うと嘘をついて出てきたのだ。これ以上遅くなるわけにはいかなかった。


「連絡すれば。次いつ来れるかわからないよ」

「厳しいんです、うち」


 もう絶対、会わんとこ。この人と話しているとしんどい、と朝希子は思った。


 妙に湿っぽいムードを醸し出してくるところが貧乏くさいし、自分とは合わない。それに店のドアだって開けてくれないし、紳士じゃない。標準語以外で柊との共通点も見つけられなかった。


 散々引き留められて店を出る頃には二十二時を過ぎていた。


 朝希子たちに門限はないが、それは夜に出歩く習慣がないからであって放任とは違った。山井を呼ぶわけにもいかずタクシーで帰宅したが、門の前で柊と鉢合わせしてしまい気まずい思いをした。


 顔を見るのはキスをした日以来だった。

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