第39章 では此処に来て図らずも跛の小虫嬢の橋へと差し掛かるが、其処には追って白兎こと仔山羊の楽神殿も現れ、或る勧告を齎さん。

LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA

清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ

Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.


POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM

                    A Prof. Lilavach

Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.

Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).



第三十九章

では此処に来て図らずも跛の小虫嬢ドニャ・コヒーホ・コホがゴホの橋へと差し掛かるが、

其処には追って白兎こと仔山羊の楽神殿ドン・ムサ=チーボも現れ、或る勧告を齎さん。

Capítulo XXXIX.

Donde a caso vino aquí doña Cojijo cojo a pasar esta puente de Gojo,

para donde iba a ir más tarde don Musa-chivo, el blanco conejo, para darle un consejo.

[訳註:CojijoはCojiro、Musa-chivoはMusashi-boの転語トランスリテラシオーン


ラ・サンチャのエーンブラドニャ・キホーテが最後の征野ウールティモ・カンポ・デ・コンバーテス目指し――尤もセビーリャの種馬との果し合いは兎も角、哀れ死して尚ガレスの魔術師が手駒ピエーサ・デ・アヘドレースと成り果てた白鏡の学士とは河辺の砂地アレーナ・デ・リベーラにて雌雄を決する運びとなっているわけだが――非情にも又もや愛馬をその恋人より引き剥がすことで女帝の不興を買っていたエンペオランド・エル・ファボール・デ・ラ・エンペラドーラ丁度その頃、その母驢マードレ・ブーラが仮にローマ皇后ルーミシャ・カイゼリンにして墺女大公エルツヘルツォギン・フォン・ウースタライヒなれば当の本人は《墺太利女オートリシェンヌ》――それとも《墺太利のメス猫オートリシャット》?[訳註:Autrichienneのchienneが仏語でメス犬を指すことから]――などと揶揄されていたであろう半坐家長女の口には未だ、予てより口の端に上っていたところのヴィーン風ラ・ビエネーサは疎か葡萄酒中毒の牛トロ・ビノレーント[訳註:前々章で饗された牛すじの赤葡萄酒煮込みテンドーン・デ・レス・アル・ビノ・ティントのこと。《暴れ牛トロ・ビオレーント》]も入ってはいなかったし、そもそも食堂への再入店すら果たさずにその店先で乳牛驢のアフリカ女アフリカーナ・デ・ラ・バカブーラ・レチェーラ[訳註:罵倒語のvacaburra《牝牛バカ牝驢ブーラ》には《無作法/田舎者》といった語義の他、《どでかい、非常に肥えた》及び《不均衡な大きさの》なる意味合いがあると謂う。とすると形容詞lecheroも《乳用の》ではなく、単純に《胸の大きな》と解するのが自然であろう]との詮無き問答に終始している始末であった……否、これこそ詮無き見立てであろう。というのもマリア・テレジアがこの場にご来臨あそばされたとしたら、他ならぬ愛娘が事もあろうに小憎らしき求婚者プレテンディエーンテアマデウスの演奏会へと喜び勇んで足を運ぶのを黙して許しはしなかっただろうし、それ以前にその会場として陛下の居城たるシェーンブルンを提供しよう筈もなかったに違いないのだから!

 然らば嘗ての学士リセンシアダーンテにして目下は生ける屍ムエールテ・ビビエンテ・エン・ビボたる――これが素直に《嘗ては生きていた屍ムエールト・ビビエンターンテ》[訳註:つまり只の死体]で居てくれてさえしたらこの地上に又ひとつ無用な諍いを生み出さずに済んだものを!――サラマンドラの自動二輪乗りモテーロとの宿命の巡り合いが実現するまでの間に、奇しくも悪しきメルダリン潜みし地底世界と同じ番地内で遅い昼餐を取っていた四匹の猫たちが食後の甘味を含め食卓に上がった全ての皿を平らげたのみならず、剰え投宿先の十三階へと上がり込んで夜宴の支度まで始めていたというのを聴けば、物語の紀聞者ならずとも――一行の足の速さに感嘆するより寧ろ――蜂娘の翅の遅さの方にこそ些かなりとも閉口せざるを得ぬのではなかろうか?……とはいえそれとて偏に盲たる我等の与り知らぬ諸事情が、赤き紫陽花と白き月との邂逅を遅滞ならしめたと考えれば幾分得心が行くというものだ。

 何れにせよ、たった四五分であれ乙女の湯垢離アブルシオーン・カリエーンテを扉の外に耳をそばだて待ち受けるのは[訳註:即ち前章末尾、千代さんが浴室に入った直後から再開するのは]如何にも節操がないように思えるので、河畔での決戦に至るまでのドニャ・キホーテの動静にもあれこれ思いを巡らせながら、東国の女傑跨る鞍上へと今一度場面を戻すこととしよう……


連綿と立ち並ぶ監視者が順繰りに灯す赤い目玉は時として戦場へと赴く勇者の昂揚した戦意を徒らに挫いて憚らぬものだが、その藪睨みに依る横槍を幸いにも被らずに済んだ阿僧祇花とその半鷲半馬は南北を貫く大通りを一跨ぎにすると、それと平行して流れる堀川までの街道を一息に突き通ることが出来た。

「斯様に狭隘な水路となれば、槍を突き合うに足る川っぺりだ土手っ腹だは到底望むべくもないようじゃな……」桜橋の中央で一旦手綱を締めた騎士は、遥か上流を望みそのように独りごちながら肩を落とす。俄に南側の対岸、つまり川のではなく車道の対岸を顧みるも、もうかれこれ百分ほど経っただろうか、欄干を背に夏陰に憩っていたあの礼儀知らずな蛙食い共が[訳註:第三十五章参照]今一度川颪ラーファガ・フルビアールに吹かれんと、性懲りもなく又候またぞろこの場へと引き返してくるような気配などは流石に感じられなかった。

 橋梁の上は相も変わらず引っ切り無しに行き交う四頭立てや鉄牛でごった返してはいたものの、こちらは対照的にどいつも売る為の油アセーイテ・パラ・ベンデールなど只の一アスンブレ[訳註:液量を測る単位で八分の一カンタラ≒約一升強に相当する。日本語の《油を売る》は第十九および三十四章で既に言及があった]も積んでいなかったとみえ、往来の真ん中に踏ん張って交通に支障を来すような――おっとこれでは好色な破落戸どもよりも《武の歩み》に淫する騎士たちをこそ誹謗したように取られても致し方ないけれども――、そして同時にドニャ・キホーテが川下を見通すのを邪魔立てするような、有り余る閑暇に恵まれた牛馬に限っては一頭たりとも走っていよう筈もなかった。

「さてと」ドニャ・キホーテは下流に架かる伝馬橋を一瞥するなり、直様その首を愛馬のそれと同期させてから不意にその横腹を蹴った。「奴の腹こそ量り兼ねるものの、川を下るも野に下るのも嫌というからには[訳註:前章でメルリンは決闘の待ち合わせ場所として「浜辺は遠いからせめて川辺で」と所望し、騎士もそれに応じている]――成程厠で下るは腹ばかりとは云い条――、一先ずこいつを遡らずばなるまいて。何、北と云ってお前さんの生国と見紛うばかりの雪渓を拝むが如き、深山幽谷に達するまで歩かせようとはそれがしも思わんで安心せい」

 川の東岸に渡るや馬首を左へと巡らせ、それからは一路北辰ポラーリス目掛け直走る……と書き切りたいところだが、三エスタディオも北上せぬ内に異色虹彩の三つ目族ラ・トリーブ・デ・トレス・オーホス・コン・エテロクロミーアの一群が揃ってその赤き眼光で彼女を見下ろしたものだから、然しもの荒くれ者も些か気圧されたらしく慌ててイポグリフォの手綱を引き絞らざるを得なかった。

「――急くなリペオス。此れを越えれば件の霊亀れいきだか蓑亀みのがめだかが、まるで端渓硯たんけいけん毫端ごうたんを浸らすかの如くその尻尾の筆先を澄み切った[訳註:墨を切った?]御堀の中へとダラリ垂らしとるところじゃわい」騎士は再び取り舵を選び、吉兆ブエーン・アウグーリオを示すという瑞祥の雲ヌベ・ケ・アトラーエ・ラ・フェリシダッの名持つ大きな橋[訳註:桜通より一本北を走る県道・外堀通り――第三十四章では四匹の猫が『くまのプーさん』に纏わる遣り取りの後で横断している――に架けられた景雲橋]を更に西岸へと駆け戻った。「兎角亀毛と謂うようにあれだけ釘を刺された上で、尚も亀の尾を追い掛ける迂闊な白兎もよもやおるまいでな……」

 幅員の広さを鑑みる限りこの橋は馬上試合の決戦場カンポ・デ・バタージャ・デル・トルネーオとして不足なかったであろう。反面騒音の喧しさに目を向けると――しかもそれは両雄の死闘を待ち侘びて双眼を血走らせた観戦客の怒号や喝采などではなく、哲学的無常観トランスィトリエダッ・フィリソーフィカを掻き立てる砂煙の代わりに有害な排気を吐き出しながら、騎士道精神には何ら関心を抱かず素通りするだけの駄獣や輓獣が轟かす輪蹄や鼻息ばかりときた!――、これは桜通も同様であるけれど、実際に干戈を交えるふたりにとっても如何せん興を削がれる舞台であろうことは我々の耳にも明らかであった。これでは天覧試合コンペティシオーン・コン・プレセーンシア・レアールなど空中楼閣カスティージョス・エン・エル・アーイレの如しだ![訳註:そもそも前章では対戦相手からも、極力人目を避けた会場という条件が出されている]

「ふうむ……今となれば、押し返しお城の空堀でも間借りした方が余程――」首を伸ばして淀んだ川面を覗き見る。この際せせらぎが歓声、野次馬も川魚のみという試合場にも一考の余地がありそうとはいえ、この中に飛び込むとなると今一ぞっとしないノ・アトラーエ・ムーチョ。「いやはや尾張の亀が幾ら曳尾塗中えいびとちゅうと嘯いたところで、これが人馬となれば話は別だ。一度ひとたび足袋を取られたが最後、途中で生きて這い上がること能わず、かといって止事無きエル・トボソの姫君でもない我等じゃあ泥中の蓮を咲かせるのとて到底叶わぬ夢であろうよ」

 折り返して美濃路に入ったはいいが、一旦橋を渡り切ってしまうと両岸とも遮蔽物に目隠しされるので路上から河畔の様子を窺うことは出来なかった。


そのまま南下して最初の四つ辻を左に折れると又橋が見える。こちらは幾分小振りで、喧騒と呼ぶほどの人いきれも伝わっては来ないようだが……

「はてさて《橋に逢いては須らく――》!」さては石畳の凹凸に尻か膝を揺らされでもしたか、馬を徐行させつつやおら鞍から飛び降りる蜂の騎士。「――痛っ……供でもあれば兎も角、単騎じゃ掎角きかくの計も儘ならんじゃあないか。箸にも棒にも掛からないとはまさにこのこと……おや?」

 花はふと橋銘板プラーカ・デル・プエーンテの手前で足を止めた。

「おい君、端女はしため[訳註:端馬? 直前の《箸にも棒にも~》が半鷲半馬の半端振りを小馬鹿にしたように響いたやもと、云い繕う意味を込めたのだろう]などと捻くれるこたあないぞ。真実ここに五条が架かってるとなりゃ、も少し下れば六条の河原が待っているに違いない。そのはしこい八つ脚をもう寸歩ばかり貸しておくれでないか?」一度屈伸して膝を伸ばし、次いで足首を巡らせた騎士はうんと踏ん張って鞍上へと尻を乗せた。「《……私だったら食べらんない八つ脚なんぞよりも、渡れない八ツ橋の方を頂戴したいもんですがね》」

 どうやらその母親に比べると声帯模写[訳註:第十二および三十五章他を参照のこと]の精度も納得の行く出来たり得なかったようで、少女は小首を傾げて鼻を鳴らすと徐ろに石畳の一枚を蹴った。

 それから暫くの間、依然として見通しの悪い西岸の小径を戻り、右手に現れた橋を渡り河岸を変えて尚、南下を継続する……指摘するまでもないことだけれども、どれだけ川沿いを下ろうと――高欄バランダールに対象を為して据え付けられた擬宝珠ファスティーヒオスの合間から目視できる範囲に限れば――(その地名が六条にせよ従僕ラカージョにせよ)向かい合わせた馬を駆けさせることが可能と思しき河原など決して存在せぬことは、この饒舌と狂気を両天秤に載せて綱渡りするエン・ラ・クエールダ・フローハ・ソペサンド・ロクアース・イ・ロクーラ我等がラ・サンチャの騎士とて重々承知の筈であった。にもかかわらず彼女がそのような妄執を振り払えずにいたのは、恐らく川辺オリージャ・デル・リーオこそが対敵を払い除ける活力の源泉フエーンテ・デル・ブリーオ・ケ・オリージャ・スス・エネミーゴスだと信じて疑わぬが故に他ならない。


専任の監視者ビヒラーンテ・デ・ホルナーダ・コンプレータにはその円な碧眼を除き瞑目を命じていたらしき桜通を――独りで移動している正気の人間が(《魔法の蝋版》を耳に当てている時は例外としても)往々にしてそう振る舞うのに似て――緘黙したまま一足飛びに横断したドニャ・キホーテが尚も美濃路を下っていくと、前方に幾らか見覚えのある――というよりそれなりに見慣れた――景色が又候飛び込んできたのだった。

「時に羽根持つ駿馬、蹄蹴る猛禽よ……」花が約二分振りにその口を開く。今度は橋の袂にてきっちり一時停止してから下馬した様子である。「鵜の目鷹の目と謂うけれど、お前さんのはどうだったかしら――馬の目と鷲の目のどちらだったかのう? 草食動物エルビーボロは随時四方を見渡せるよう総じて頭部の左右に分けてくっ付けとるらしいが、貴様の双眸がその鷲鼻同様正面を向いていたところで獅子や猪、それがしのように首を捻らにゃ前しか見えぬという不勝手はあるまい……第一ワシというのは首を真後ろに回せると聞くし、左右の網膜にそれぞれ中心窩ちゅうしんかを持つ関係上両眼に依る前方視と単眼に依る側方視を即座に切り替えられるのだとか」出し抜けにこのような講釈を聴かされても、鷲や馬の脳味噌が筆者のそれよりも大分大きく立派である場合を考慮に入れぬ限りに於いて、イポグリフォにとってはまさしく《馬の耳に念仏》乃至《馬耳東風》[訳註:第五章の高尾から南下を始めた辺りでもこれらの表現については説明が為されている]であったろうことは想像に難くない。只スズメバチという生き物も、存外――狂気に憑かれた人間に似て――かなりの視野狭窄ビスィオーン・トゥーネルなのだとは何かの記事で読んだ憶えがある。「……掻い摘んで申せば今より先暫くの間、人の子の方は向こう岸だけ見据えて進むので、獅子鷲と牝馬ヒッペーの合いの子にはそら、馬手めてに流る川面の方に目配りを利かせておいてもらいたいのじゃ――En otra palabras, «un par de ojos al plato y otro al gato.»」[訳註:《一対の目は皿に、別の一対は猫に》。本来の諺は《片目は皿にウン・オホ・アル・プラート残りの目は猫にイ・オートロ・アル・ガト》だが、騎手と馬で分業するとそれぞれ両目を使えるという理屈。尤も文脈上、馬の方は右目でしか川下を覗けまい]

 リペオスの悍馬が微かに嘶いた。まさかこの《荒ぶる嘗ての自転車ビシカンテ・ビオレント》、幾ら主人の地獄耳に肖ったといって、トルデシリャスの別邸にて女王が淋浴中に囲んだ朝食の席での主従の会話[訳註:第二十章では花が《猫が尻尾を上げるのはクアンド・セ・レ・エンピーナ・エル・ラボ・アル・ガト皿が空っぽの時ノ・ティエーネ・ナダ・エン・エル・プラート》という俗諺を持ち出して従士をからかう場面が確認できる]を、庭先の厩舎の中から耳を立てこっそり盗み聞きしていたというわけでもなかろうに!

「いやそいつは思い違いというものだ……縦しんば空の皿を泥水で満たした河童が川に拐われようが、将又はたまた呑気に土手で甲羅干しした挙げ句干涸らび息絶えおつむの皿が割れていようが、何ならサラディン率いるサラセンの大軍がイワシサルディーナ牽く戦船で一気呵成に溯ってきおったところで[訳註:鰯は海水魚]歯牙のかんに置く気など更々ない」折角引き上げようと奮闘したのも虚しく、自分から川中に没した愚かなボルランドの藻掻く姿が脳裏に去来する。あれから三十分後、その河童が今度は落ちるというよりも自由意志で飛び込んだことを彼女が知れば、申し訳程度に残った憐憫の情すらもが余さず無に帰するに違いない。「……とはいえ思い浮かべてもみるがいい、このナルセ川だかミキオ流れだかいう掘り割に[訳註:成瀬巳喜男が監督した一九五六年の映画『流れる』?]、丸々と――無論これはしこたま飲んでたらふく膨れたが故ゆえ是非なき体型であるのだが――肥えた青い猫が、浮草に絡まり漂っている様を……」[訳註:因みに成瀬には五五年公開の『浮雲』という代表作があるが、或いは題名の似る五九年の小津作品『浮草』と混同したのかも知れない]

 そりゃ《エモン違いオートロ・エーモン》の《ドラ違いオートラ・ドーラ》だ!――喉元まで出掛かった一噛みモルダース[訳註:辛辣なツッコミを指す。尚、《噛ませモルダーサ》というとこちらは猿轡のこと]を何とか飲み込んだイポグリフォは、些か感傷に耽り気味な主人の心境を慮って素直に付き従った。

「まだき猫の目を借りねばならぬ刻限でもあるまい」花は進行方向より僅かに左へと伸びる己の影を横目で押さえながら、愛馬のたてがみに括り付けられた前照灯を嫋やかに撫でた。この間只の一度も嘶きレリーンチョ鼻鳴らしレソプリードが聞こえてこなかったことからしても、どうやら下流を見渡す限り水面を猫掻きで泳ぐが如き赤ん坊や酔っ払いベベース・ニ・ベベドーレス・ケ・エステーン・ガテアンド[訳註:《猫のようにするガテアール》で四つん這いで進む動作を表す]の類は認められなかったようである。

 だが速歩はやがて常歩へと移り、東岸の親柱ピラール・エン・ラ・オリージャ・オリエンタールを過ぎた辺りでリペオスの悍馬は音もなく停止した……否、停止させられた。無聊なる川下りバハーダ・アスティーアもここらで打ち止めか?

「«... No está la carne de caballo en el garabato por falta de gato;»」そう呟くと、蜂の騎士は橋の終点――その最後の支柱ウールティマ・ピラーストラ――の根元に座り込んだ。骨張った花の背中と硬い石柵の板挟みとなったイポグリフォが主人にも劣らぬその痩身を心持ち軋ませた音を聞く限り、彼女は袂の南側に腰を下ろしたのだとみえる。[訳註:自転車を押して進む場合は通常車体の左側を歩く形となる為、少なくとも渡り終えた時点では自身の身体と欄干でイポグリフォを挟む位置取りになっていた筈。東進している以上、停止したのが南側であるのが道理であるが、何故このような些細な描写を捩じ込んだかといえば、恐らく途中までは更に南下する意志があったことを匂わせたかったが故だろう]「«...ni el carné de caballería.»」[訳註:前半部の直訳は《肉が吊り鉤に残っているのは猫の不在のせいではない》。愛馬への配慮なのか何故か《馬肉デ・カバージョ》となっているが、本来は未婚女性を示して「男にモテないから売れ残ったのではなく、自由意志に基づいて独り身を貫いている」ことを表す表現。ひとつ前の諺と共に《プラート》と《肉吊り鉤ガラバート》は入れ替え可能であり、要するに泥棒猫が皿に置かれた肉を盗るか吊られていた肉を咥えて逃げるかの違い。西garabatoというのも語源を辿ると《湾曲》を意味したらしく、現代の西語話者にとっては《何気なく描かれた落描き》を連想する単語なのだとか。後半は花の創作で《騎士免状カルネッ・デ・カバジェリーアとて同じこと》。現在carnéといえば自動車免許カルネッ・デ・コンドゥシールを指すことが多いと思われるが、中世に於いては叙任された騎士が免状を携帯したとも考え難いのでこれは単なる洒落であろう。勿論自分が単騎で行動しているのは孤高が故であって、千代さんの在否とは関係がないことをいじましくも人知れず強調しているのだ]

 蕾のような口唇から肺腑を空にするが如き大きな溜息が漏れ出る。ドニャ・キニョネスがバルセロナの浜辺に代え敢えてこの手狭い橋梁を選んだのも、一つには当然午前中の輝かしき勝利に験を担いだことがあったであろうとはいえ、これ以上鐙に乗せた踵を何周も回転させるには太腿や足首の具合が芳しいとは言えなかったからというのも又、一概に思い過ごしとは断じ切れぬものがあった。


――ブロム、ブルム。

 阿僧祇花は筋の通った鼻を咄嗟に埋めていた両膝の合間から引き上げると、まるで聡く反応した片耳に引っ張られたかの如く堀川の対岸を振り返った。ともすれば研ぎ澄まされていたのは聴覚よりも、年頃の娘にしては脂肪の薄い大殿筋だったやも知れぬ……というのも件の排気音が――さも《寝た伸ばし犬を起こすなア・ペロクースト・ケ・ドゥエールメ、ノ・ロ・デスピエールテス》を律儀に実践するかのように[訳註:《寝た犬を起こすなアル・ペーロ・ケ・ドゥエールメ、ノ・ロ・デスピエールテス》のperroに、アテナイの英雄テセウスの手で寝台に縛り付けられたままハミ出た両脚を切断されて死んだ山賊プロクルテスProcustoを掛け合わせた言葉遊び。別に睡眠中に退治されたわけではない。語源は古希語のπροκρούωプロクローステース《引き伸ばす者》]――かなり控え目に押さえられていた為に、空気中を飛ぶ音波よりも石造りの橋を通じて伝播した振動の方が、却って精確に対象物の移動を観測者へと伝えていたのではないかと推測できるからである。

 だが騎士が梟とは言わぬまでも鷲さながらに捻ったその首を尚又長く伸ばし、橋の向こうへと目を凝らした頃には既に、美濃路を南に突っ切ったと思しき鉄騎の影も左手の物陰へと隠れてしまっていたようだ。となれば待ち人ペルソーナ・エスペラーダではなかったと見るべきや……?

 体勢を戻し改めて親柱に凭れ掛かった花は、その口から自然と溢れる欠伸を途中で押し殺すと徐ろに懐中を弄ぐった。二分ばかり微睡んでいただろうか……気付けば目庇も下げたままだ。ドン・ジョヴァンニが中天の太陽を浴びつつ居眠りしていたのと丁度似たような格好で[訳註:第二十八章に拠れば、紳士は日光が遮られた南側の高欄に凭れて休んだと記されている。彼が炎天下に晒されたのはその直後、一旦牙城へと戻った花を待つ間、橋の只中にて立ちながらに石化させられていた折の出来事]、遅蒔きながら己も午睡の深淵スィエースタ・プロフーンダに没していたという次第である。

「No parece muy claro que se pueda sustituir el opio ni el cannabis por estos huevitos...[訳註:「こんな卵モドキで阿片や大麻の代わりが務まるとは俄に信じ難いが……」]」小袋から開いた掌上へと、ボーロが数粒零れ落ちる。「なあに腐っても不死食アンブロシーアめが遣わしたサラマンドラゴラの首根っこともなれば、引っこ抜いて擂り鉢にでも入れりゃあ鎮痛薬アナルヘシコの役目くらい果たすじゃろうて」

 音を立てて噛み砕き生唾と共に嚥下する。《良薬は口に苦しブエーナ・メディシーナ・ティエーネ・サボール・アマールゴ》とは日本人の忍耐強さを示す表現であろうが、遺憾ながらその金言に信を置く限りこの蜂蜜色の丸薬パスティージャス・メラーダスに大した効き目は期待するだけ無駄のようだった。

「何の……大英無敵艦隊を沈めし大立者おおだてもの《カルタヘナの棒義足パタパーロ》に立てて、」成る程ブラス・デ・レソは早くから数多の海戦で活躍し、齢二十五にして隻眼片端そして跛足の三重苦トリープレ・ディスカパシダッ・デ・トルテダッ、マンケダッ・イ・コヘーラを背負いながらイスパニア海軍史に燦然と輝く大提督として今でも語り継がれているではないか!……ドニャ・キホーテはそれまで自ら労るように擦っていた右足首を一転ピシャリと打つや以下のように奮起した。「どうして此の《東方レバンテ嘗ての隠者エルミタニャンテ》に立てぬ謂れがあろうものか!」[訳註:これは勿論第十六章以降幾度となく引き合いに出されてきたセルバンテスの異称《レパントの片手者エル・マンコ・デ・レパーント》に肖ったもの。名詞levanteの語源はlevantar《起きる、立ち上る》で、日の出の連想から東を意味するようになった。大文字でel Levanteと書くとイベリア半島の地中海側地域、若しくは東部地中海沿岸地方に位置する中東諸国を指すが、ここでは恐らく関東地方程度の意味合いだろう。隠者エルミターニャは言わずもがな、三軒茶屋を鹿島立ちするまでの数ヶ月間自宅で引き篭もっていた史実をやや華飾気味に言い換えたといったところか]

 骨折って足を踏ん張るとセ・プソ・デ・ピエ・コン・ムチョ・トラバーホ蹌踉めきつつも何とか立ち上がるタンブレアーンドセ・アル・フィン・セ・レバントッ(愛馬の背と欄干の手摺の助けを借りながら)。

「……まったく、《黒き駒を駆りその手に竿秤さおばかり持てる騎手は凶荒を齎す》と謂うが、早う齎してもらわぬことにはその前に天秤の騎士の目方の方が増してしまうぞ」[訳註:暇潰しに手持ちの卵ボーロを食べ尽くしてしまうという意味だろうか? 因みに『ヨハネの黙示録』に拠ると、この秤は小麦と大麦を量る為のものである]

 しかしながら替え馬橋の東岸に立ち塞がって五分待とうが十分待とうが――鳴り物入りで登場したガレスの魔術師が、中央情報局セントラル・インテーリジェンス・エイジェンシーどころか国家情報機関セーントロ・ナシオナール・デ・インテルヘーンシア程度の追跡能力すら持ち合わせていないというのであれば、不可知の世界ムンド・アグノースティコに淡い夢を抱き続けてきた我等としても甚だ以て幻滅を禁じ得ぬものの――黒馬に跨った遍歴の銀騎士カバジェーロ・エランテ・デ・プラータ・モンタンド・エル・ネーグロ銀張りの鎧に代わり糊の効いカダーベル・アンダンテ・ジェバンド・ウナ・カミーサ・プランた襯衣で身を包んだ徒の死者チャーダ・エン・ルガール・デ・アルマドゥーラ・プラテアーダは疎か、西部劇で転がる植物プランタ・ロダーンテ・デル・オエーステのひとつとしてこちらへと渡ってくる気配はなかった。[訳註:実際には数組の通行人や乗り物の通過する音が拾われている]


「¡Bah!」遂には音を上げるラ・サンチャの騎士。

 第一昼間のように立会人レプレセンターンテのひとりも居らぬというのが宜しくない。仮令たとえ臆病風に吹かれた対戦者が逐電したとしても不戦勝ビクトーリア・ポル・アバンドーノを宣言してくれる証人にすら事欠くのだ。

「ことに依ると――」花は傍らで待機する自転車に問い掛けた。「お前さんはどう思うねイペルグリフォ? 今この時も暗渠に巣籠もりする物臭なハヤブサのことだ、暗がりからピーチクさえずるしか脳のない内弁慶からしても外回りの石松地蔵殿に嘘偽りなく決闘場所を伝えるとは限らぬ。それ、譎詭けっき変幻こそ奴の十八番ではないか……」

 イペルグリフォは沈黙を以て先を促した。

「……待てよ奴め、ラ・サンチャの偉業に茶茶入れたその熱き椀の中へもてて加えて水を差すのみならず、こともあろうに世に名高きドン・スエロの《芳しき果実乗せ焼菓パステリーリョ・オロロー――》、もとい《名誉の小路パシーリョ・オンローソ》までも愚弄せんとして――?」

 突としてドニャ・キホーテは馬首をもたげさせるや半ば強引に百八十度回頭させた! 咄嗟の出来事に不意を突かれ、訳も分からず鷲の目を白黒させるコン・ロス・オーホス・アギレーニョス・エン・ブラーンコリペオスの悍馬!

 鞍上に飛び乗るなり横っ腹を蹴り上げると、堀川に沿って南北に伸びる木挽町通を一路北上する間、一時も鞭を振るう手を休ませることはなかった。

「俄仕込みの鬼若丸よ、レオンの獅子が分捕った百六十六条の更に六倍余りの稲穂を刈り上げたとそう御坊が仰せならば、」軍記物『義経記』に拠ると、弁慶なる剛力無双の怪僧モンヘ・モンストゥルオーソが京の五条大橋にて挑んだ刀狩りカサ・デ・エスパーダスでは、押し通らんとした武士から実に九百九十九本もの武具を奪い取ったとされる。今から七時間半前にも騎士はこの橋と豪傑について僅かに触れていたのだが、よもや記憶に留めておられる方はいらっしゃるだろうか?[訳註:第二十八章で自身が徒手である点を嘆いた際の引き合いに出している。尚、著者は後世の御伽草子や謡曲と混同しているが、『義経記』には五條天神とは書かれていても五条大橋の記述はない。そもそもこの橋を現在の位置に移設したのは秀吉なので、四百年以上時代がズレている点に注意しておこう]他ならぬ千本目で牛若丸と相見えたのが運の尽き、決闘に敗れた弁慶は爾来死ぬまで勝者牛若の忠臣として仕えるわけで……その運命の出会いが奇しくも慶長十七年、我々の暦にして一六一二年というのが中々に心憎いではないか。[訳註:セルバンテスの『ドン・キホーテ』は前篇が一六〇五年、後篇が一五年に出版されている。因みに慶長十七年といえば巖流島の決闘だが、著者が素で混同したのか日本史に疎い読者を意図して欺いたものなのかは不明]「此処なラ・サンチャの小冠者こかんじゃがその又六乗分の獲物を狩り尽くし、十把一絡げに束ね玉兎ぎょくとよろしく一羽二羽と数え上げてくれようぞ!」[訳註:槍の穂先と稲穂、次いで稲束を数える際の《一把二把》と掛けたものだろう。玉兎は月の異称なので、前章でも言及された《白月の騎士》を思わせる諷喩だ。尚、999の六乗は九十九京四千兆を超えるので、仮に毎日十二時間ずつ百年掛けて収集を試みた場合でも毎秒六億人以上敵を負かさねばならない。尤も味方を六十億人集められたなら、各自十秒当たりひとりずつ倒せばいいので、この大言壮語も飽くまで僅かながらとはいえ現実味を帯びるであろう]

 おお、疾駆するその勇姿はまさしく陸に上がったドニャ・ブラソさながら!――というのも片足を負傷した花には既に、隻眼神オディーン片腕作家セルバンテス・エル・マンコという頼もしき両雄の加護が約束されていたからである……然らずとも、読者の皆さん、牙城の地下墳墓で千里眼持つ憎き魔法遣いが予言した通りに少女がその綺麗首を落とされる未来に比べたら、足首の一本や二本踝用の熨斗シンタ・デ・トビージョ[訳註:西cinta《細長い布/飾り帯》では足首の関節や靭帯を保護する為の布製ないし護謨製包帯を連想するかも知れない。足首に巻く輪状の装飾品は通常《踝用腕輪アホールカ・デ・トビージョ》等と呼ぶ]を付け気前良くくれてやるがよいとこのアベンダーニョ、差し出がましいこととは重々承知ながら衷心よりそう願わずにはおられぬのです。


桜通を見下ろす三つ目の監視者も此度に限って騎士の急行軍マールチャ・エクスプレーサを邪魔立てするが如き無粋な真似をせねばならぬ事由など何ひとつ思い浮かばなかったとみえ、十数分前と同様に鮮やかな碧玉を以て、名城方面目掛け荒ぶる蜂が飛び抜けていくがままに任せた。

 ――五条橋。そう、これこそ陸に上がった金鯱を調伏せし四匹の猫の一行が内一匹の投宿先へと帰参する道半ばで立ち寄った、そして牝牛の姫をして《現実に石造りの橋プエーンテ・デ・ピエードラ・レアール》と呼ばしめた[訳註:第三十四章参照。実際は清須の五条川から移設された木造橋で、現存するのは昭和初期にそれを模して架け替えられた石張舗装の鉄筋混凝土製]、四百年の歴史を有する古式床しき桁橋プエーンテ・ビガである。何でも堀川で最初に渡された人道橋パサレーラなのだと謂う。

 慥かに腕試しの舞台としては伝馬橋と比してもより相応しい名を持つ橋であることを否定するものではないにせよ……つい先程渡った際には立っておらなんだ僧形の武者ゲレーロ・エン・ロパ・サセルドタールが、気紛れに引き返してみれば今になって通せんぼを始めたなどという都合の良い話があろう筈もない。

「山吹色した御佩刀みはかしの一本すらも差しちゃあおらぬ御曹司[訳註:御娘子おんじょうしと発音した?]風情は見逃してやるから好きに通れとでも言わんばかりじゃあるまいか……」ドニャ・キホーテは橋の袂で馬を下りると、目庇を上げる代わりに片手で西陽を避けながら川風行き交う四方を見晴らした。「ふん、等閑視どころか敢死を以てこそ挑むべき相手だったと、涙の河ながら航海へと繰り出す帆掛の御膳立てでもしてやりたいところじゃが。然るにても薄墨うすずみやギャラルホルンが無いにせよだ、せめてアンジェリカの笛の一管でも」隠しを弄れど穴の開いておらぬ小卵では幾ら吹こうが音の鳴らしようがない。「――残っておればその裹頭かとう[訳註:法師の被る袈裟頭巾のこと]だか兜巾ときんだかの下に隠れた兎耳を串打ちさながらに劈いつんざいてやれたものを……」

 ……いや。誰かを呼び出すだけのことなら、件の《魔法の笛フラーウタ・マーヒカ》の一本もあれば充分に用を為したであろう!(但し呼び出す為の旋律を暗譜している相手のみに限られる)

[訳者補遺:前章にて著者は駐輪場を発ってから一騎討ち開始までを《空白の数十分デセーナス・デ・ミヌートス・エン・ブラーンコ》と記していたが、ご覧の通り彼女がここまでの二十分足らずの間必ずしもその口を閉じ続けてきたわけでもなかった点については彼に代わり慎んで修正させていただきたい]


――ブロロム、ブルルルム。

 それから何分が経過したのか――欄干の端に腰掛けウトウトしていた東国のトローラ[訳註:三匹の山羊を待ち伏せる獣人トロールの女性形? 西語の口語表現ならばtrolaは《嘘、偽り》を指す。一方でtroleは路面電車trolebúsや車輪付き小型旅行鞄trolleyのこと]は、尻の接地面に些か憶えのある小虫が這うが如きムズ痒みコスキジェーオを感じて思わず身を起こしたが、その反動で下半身が――伝馬橋のそれとは違って――丸みを帯びた手摺から滑り落ちそうになったのを、咄嗟に傍らの擬宝珠へと縋り付くことで何とか踏み留まった。

「やれやれこちらにお出でで……さてさて名にし負うラ・サンチャのドニャ・キホーテよ、心ならずも長らくのご無沙汰――」男は考えた……果たして己の記憶には、箱根峠から沼津港に掛けて主従と同行した折の次第が微かにでも残っておるものだろうかと。「一寸の虫にも五分の沙汰無しと謂うからには、セタ・ガヤのツバメバチと謳われた貴顕であれば、うむお見受けするに身の丈五尺六寸は下らぬ背格好、つまり五日くらいお見受けなくとも失礼には当たらぬかとは存じますけども」[訳註:主従が沼津を発ったのは五日前の月曜午後。第八章を参照されたい]

「汝おくレタリッ!」西岸の美濃路からカルピエ共々ひょっこり顔を出すなり呑気な挨拶を物した烏小路卿の物腰[訳註:多少声を張り上げているとはいえ、そこまで距離が離れているとは考え難い。徐行して橋の半ばまでは自動二輪を乗り入れていたのではないだろうか]に痺れを切らせたドニャ・キホーテは、片足を庇いつつ歩道へと飛び降りるや思わずククリヒメの白鞘を――カランカラーンティンティーン――抜き放つ! その獣の形相アスペークト・ベスティアールは、六乗ア・ラ・セースタ・ポテーンシアは無理でも百六十六と九百九十九の間を取って、六百六十六条の刀剣なら奪い取れるくらいの潜在力ポテーンシアを感得させるに余りあった。「ええいこれでは武蔵違いではないかッ!」

「何時と申されても……小生ガウラのマーリンからも詳しい刻限は元より、ジョスト会場の所在すら聞かされてはおりませなんだ」彼女が偽のドニャ・キホーテであれば、迷わずサラゴサを目指したかも知れないが……騎手が黒馬の首筋を一撫ですると、それまで低く唸っていた馬体がまるで眠りに落ちたかのように静まり返った。「先達ても下流の方で船をお漕ぎになっているのをお見掛けしました故、てっきり舟島もアチラだったのかと……あっ、ええっと――ドニャキ巖流がんりゅう敗けたり!」

「な、何ですと?」

「勝たば何ぞその鞘を捨てん」

「勝った後で拾えば宜しかろう」

「ごもっとも」浜辺で打ち返す波に拐われたり、高欄を支える支柱コルームナスの隙間から川面へと落っこちたりでもしない限りそれは容易であるに違いない。鞘と間違えてうっかり抜き身の方を放り投げたのでもない限り、どうこう言われる筋合いもなかろう。「……ですがお手の物はどうか懐へとお収めください。何故って決闘の得物が匕首あいくちとあっちゃ余りにヤクザ染みておりますし。これじゃさしづめ投げ槍試合で開いた口とて塞がりませぬ」

「そいつは御尤も」

「どうも……第一その刀身じゃ物干し竿というより釣り竿――いや鳥刺し竿?」

「パ――パゲーノ」ここに至ってもモーツァルトの呪縛が! 矢張りドニャ・キホーテに割り振られた役回りは[訳註:魔笛を授けられた]埃及エヒープトの王子ではなく、魔法の鐘カンパニージャス・マーヒカスの代わりに鳥黐棒バレータ・コン・リーガを振り回す鳥刺しパハレーロ(若しくはその恋人パパゲーナ)に留まるということなのか? そうでもせぬ限り、この哀れな少女が橋から身を投げるのを防ぐことなど到底出来はしないのだとでも?[訳註:歌曲『魔笛』の終盤では失恋に狂い首を吊ろうとした鳥刺しが魔法の鐘の力でそれを思い留まる場面があることから、大衆の自殺を抑止する影響力を持つ報道を称して《パパゲーノ効果》と呼ぶことがある]「...como un papagayo.」[訳註:まま直訳すると「オウムのように」。考えなく同調する態度を自嘲した一言か]

「その白刃で返せるのだってせいぜい雀止まりでしょう」要するに燕の方は帰ってこないと?[訳註:科白は「戻ってくるのはケ・レトールナ」と訳されている。《黒い燕なら還ってこようボルベラーン・ラス・オスクーラス・ゴロンドリーナス》で始まるベッケルの詩については第三十六章末尾を今一度参照されたい。《燕返しレトルノ・デ・ラ・ゴロンドリーナ》?]

 花は勝敗が決するを待たずして石畳の上に転がる鞘を拾い上げると、大人しく小刀の切っ先を収めた。《雀大の蜂アビースパ・コン・エル・タマーニョ・デ・ウン・ゴリオーン》の名を賜る戦士がいとも容易く抓み上げられるのだから、けだし蠅鳥パーハロ・モースカ[訳註:日本語では蜂鳥]が羽を休める小枝としても短すぎるかもしれぬ。となると残るは……《羽根筆は剣より強しプルーマ・エス・マス・ポデローサ・ケ・ラ・エスパーダ》だの《蚤こそ西班牙の支配者だプールガス・ソン・ロス・ポテンタードス・デ・エスパーニャ》だのと宣ったのはたしか英国人だっただろうか?[訳註:前者は英国の劇作家ブルワー=リットンが自身の戯曲の中で、仏宰相リシュリューの口を借りて言わせた台詞。無論《羽根筆》とは花がセビーリャの紳士から頂戴した筆燈リンテルナ・ティポ・プルーマのこと]

「競技用の槍となると、伝統に則る限り本来ならば十尺は欲しいところ」依然兜で顔を隠したままの学士がこのような一言で機先を制したお陰で、出鼻を挫かれた騎士は続けて腰に差した別の一物を引き抜く機すらも逃してしまったのである。「馬を下りるにしても刺突剣ラピエール片刃剣サーベル……敢えて卑見を述べますと、身を屈めてカチャカチャ短剣を搗ち合わせるようなのは野良犬が尻尾を齧り合うが如しで感心しませんな」

「犬の喧嘩でしたらば」さも足元を見たような底意地の悪い挑発を真に受けた空の殺し屋アセスィーナ・アエーレアが徐ろに懐中の弾薬庫ポルボリーン・デ・ボルスィージョより機銃用の実弾を数発ウーナス・バーラス・デ・アメトラジャドーラ取り出したかと思うと、グッと拳を握り締めるなり大きく振り被って――「蜂と隼のどちらが天空の覇者か、その土手っ尻に何発かブチ込んで証明するのも吝かではありませんぞ!」

 ――ピム!パム!プム! 騎士の口上とは裏腹に、正面切って放たれた全ての飛び道具プロジェクティーレスが黒馬の騎手の被った鏡のような瞼甲ベンタージャに着弾し軽妙な打音ゴルペシートス・リヘーロスを響かせた。

「うわっといたた……これじゃ鳩に豆鉄砲、鬼若は外と――いやここは既に屋外ですけども――そう仰せなら、半年前の節分にでも済ませといていただきたく……何です?」覗き窓パンタージャを上げ、鞍上から地面を覗き見る。「……成る程、鉄砲玉ならぬ鉄砲卵ボーロですか。いよいよラ・サンチャもラ・サンシタめいて参りましたな!」

 嗚呼、これがボルランドを仕留めた黒たまごであれば烏小路とて[訳註:視界ビソールが汚れて?]斯様に余裕綽々ではいられなかったろうに!……しかしながら箱根名物は自ら購入者コンプラドールの手許へと帰るのを拒んだかの如く[訳註:但し第八章の訳者補遺に記したように、噴火に依り生産が中止されている最中の商品を彼が如何にして入手したかについては何も判明していない]、替え馬橋の一弾[訳註:第二十九章参照]を最後に品切れアゴタードスとなっていたのだった。


やがて従者に続き次は自ら《膨らし粉ポールボ・ガスィフィカンテ》の称号[訳註:不機嫌な膨れっ面のこと。前章の小麦粉絡みの記述に詳しい]を名乗る順番が回ってきたと思しき蜂の騎士が忸怩たる思いを抱えながらも返答に窮していると、少女を彼が敷いた台車用の軌条リエール・デ・カリートの上に乗せる為の最終段階に入ったサラマンドラ予科生はその顔色を窺いつつ尚も畳み掛けるように続けた。

「それにつけてもラ・サンチャ殿は知らぬ間に随分と立派な甲羅を冠っておいでのようですが……はて《椿カメリア》の号でも名乗ったらとはお勧めしたものの、オカメとなって膨れてみてはと申した憶えなどはとんと――」流石に悪巫山戯が過ぎたかと、腰砕けにフラカサダメンテ撤回するサンソン・カラスコ学士。「――って言えって、あの、メルリンの奴が」

「はっ、どうだか!」一転こちらは虚勢を張って哄笑してみせる。「火男ひょっとこならぬ火蜥蜴ひょっとかげの成り損ねが分限を超えて御多福を亀呼ばわりする暇があるのなら、そろそろ子飼いのトメ・セシアルでもお呼びになったら如何か」

「トメ?……乙女、セクシャルな?」

「未だ姿を見せぬ御自分の従者、森の――否、《小森の従士》をお忘れか?」すっかり忘れていた! 続篇『騎士ドン・キホーテ』に今も綴られる彼の名台詞シタ・ファモーサ[訳註:恐らく本家第二部随一の短さを誇る第十五章終盤にて森の騎士カバジェーロ・デル・ボースケに扮したカラスコに向け発せられた一節「おいらがおいらの意志でポル・ミ・ボルンタッ気狂いになったのは旦那様の従士になりたかった時のことであって、今度もてめえからポル・ラ・ミースマそいつを辞めてえと思ったから家さ帰るだよ」のこと]を残せしサンチョの隣人も、どうやら今回ばかりは自発的にボルンタリアメンテ狂って従士へと身を窶すより先に、それを辞退しようという自由意志アルベドリーオの方が目覚めてしまったとみえる!「天に唾する椿の騎士より、猪武者たるドニャ・キホーテは牡丹の騎士と呼ばるるを選びとうござる!」

「あらあら、ポトリと落ちるは同じこと」二輪乗りが今度は右手を向いて首を伸ばし、川下の両岸を見渡した。「道理で六条河原の直ぐそばを選んだわけだ」[訳註:鴨川上流の三条河原同様、六条河原も平安から江戸時代に掛け刑場として使用された。罪人は川下で斬首された後、東海道五十三次の終点でありより人目に付く三条大橋の袂に場所を移してその首級を晒されたと謂う。第十六章で花が詠んだ《柿くはぬ石田三成六条河原》なる珍句を思い出しておこう]

「天に口無しとは云い条、貴兄こそ物言わぬ《梔子くちなしの居士》なる戒名を授からぬ内に自慢の得物を御披露なさるがよい」日本語のクチナシガルデーニアは《口無しスィン・ボカ》と同音である。成る程、白い花と黄色い実フルータ・アマリージャ[訳註:染料として抽出される色素は黄色だが、果実自体は赤味掛かった橙色とでも記するべき]ならば卵の伝道師ミスィオネーロ・デ・ウエーボスとしても妥当なところだ……いや黒たまごと言うからにはより腹黒な花卉プランタ・ケ・フロレーセ・デ・コラソーン・マス・ネーグロを探すべきだろうか?「言わぬ色した岩融いわおとしか――否、石松殿の枝振りじゃ柄も足しての三尺五寸、好いところで《石融いしおろし》じゃて……それとも今から削り出すかね?《櫂は三年櫓は三月みつき》と謂うけれど、待てば海路のなどと験を担いで鰹節かつぶしよろしく三日掛けてののんき節なんてのは御勘弁願いたいもんだね」

「ははのんきだね――ってアンタそれ戦前の……いや大正?時代の流行歌じゃないの?」

「石田一松というからにゃ貴兄の親戚筋じゃあないのですか?」[訳註:石田一松は一九二〇年代から活躍した歌手で、戦後は衆院議員も務めた]

「……流石にそんなものまでご碩老の英才教育が賜物とは思いたかないが、それはそれとして――」Seki-rouの翻訳には幾つかの候補があるものの、どの漢字を当て嵌めるか絞り込むには筆者の日本語の知識が不足している事実は認めよう。故にここでは《徳の高い老人ビエーホ・ビルトゥオーソ》という意味の他、考え得るものとして《赤い/隻腕の狼ロボ・ロホ/マンコ》という訳があることを記すに留める。「そういや僕もう死んでるんだったか、口無しの居士とは言い得て……まァ成り行きに任せたとはいえてめえで次郎長一家をかたっておきながら余所様を侠客扱いしてりゃ世話ぁないですな」[訳註:第七章に拠れば、千代にモリノで始まる烏小路以外の名を明かすよう求められた際に、思い付きで口を付いた経緯が確認できる]

「騙りじゃと?」何処までも糞真面目にドニャ・キホーテは問い質す。「では親の譲りの五字ごじ忠吉ただよしは言わずもがな、鬼神丸きじんまる国重くにしげを拝むことも叶わぬとな?」

「そりゃもう、拝一刀おがみいっとうを拝むことすら叶いますまい[訳註:これが漫画『子連れ狼』の主人公の名であることから、直前に著者が付した一見蛇足に思える狼絡みの解釈も一概に見当外れとは断言し切れぬ歯痒さを残す]」森から解き放たれし石松イシマツ・エル・ピノ・ペートレオ・デル・ボスキータ[訳註:小森ボスケーテは返上したということで《ボースケ解放キタ=bosquita》]は何やら後ろ手に背中の辺りを弄りつつそう釈明した。「そうそう博覧強記のドニャ・カメリスタ・デ・ラ・カメーリアよ、マーガリンだか塩バターだかから聞き及ぶに何でもラ・サンチャの暴れ蜂は暴れ蜂で遠州三河が国境くにざかいの峠じゃあ、いつぞやなどはヌマンシアの白波が掠め取らんとしたのを誰かさんが命懸けで救い出したことでも名高きスキロポリアの白コウモリを、どういうわけか猫バス待ってる大トトロにあっさり賜与しよなされたのだとか……真実でしょうか?」

「それがしは鷹匠たかじょうではござらんしアレも鷹じゃあありませんで、一度飛び立ったが最後この手に戻らんでも何ら不思議はありませぬ」花はそう嘯くと、遥か東の本坂峠で今も枝葉の一部となっているだろう嘗てのドゥランダルテを偲んだ。「カラス何某が白き子守の騎士を名乗りながら育児放棄して何処ぞに飛んで行ったほどにはね」[訳註:《年少者である主従を浜辺に放置して立ち去った》と解釈した著者は《排気を通して我等を見捨てたアバンドナーンドノス・ポル・エル・エスカーペ》と訳している。二輪の排気管escapeの原義は《逃亡、逃避》]

「まったく同感です! キハなのかキハノなのか判然しない――キハダならば何でしたっけマカジキマルリン?とも仲好くやれそうなものですが――そんな引き籠もりな芳紀十六七八の女子高生が、夏休みに入った途端に突然武装蜂起してロードバイクに乗りながら行方知れずになっちゃうのに比べたら?」

 烏小路参三と阿僧祇花の眼光が搗ち合った。

「交通法規は遵守しとったつもりだが」[訳註:否、岡崎に到着するまで毎夜繰り返した無灯火走行は歴とした道路交通法違反である]

「狂えるオルランドよ、小生が遅参いたしましたのは迂直之計うちょくのけいを狙った上ではございません。無論ウサギとカメに倣って居眠りしたからでも……いや亀さんの方に居眠りされたからといやそれも強ち間違いじゃないんですけれど――この仕合を滞りなく執り行う為に無くてはならぬ兵仗一式を取り揃えんが為だったのです」嘗ての小森の学士はここで漸く背後に隠し持っていた長物を二振りウン・パル・デ・アールマス・ラールガス、面前に突き出して以下に続けた。「糸杉や秦皮とねりこ製とは参りませぬがどうぞ、お好きな方をお取りくだされ」

「これは……」左右の手で受け取ったそれらを、ドニャ・キホーテは入念に吟味する。「とんだ業物――尤もそれがしの目にはどちらも只の箒としか映らぬが」

「見ての通りの代物です」カラスコは臆面もなくそう言い放つ。「敢えて名付けるならばそうですな……《意気地ありきの箒》」[訳註:《前進する為の箒エスコーパ・パラ・アバンサール》。西escobaはマメ科の庭木retamaの別名でもあり、その小枝は箒の素材としても使われる]

「アリカンテの魔女が跨るには些か寸足らずのようじゃ」名駅前に今も鎮座まします魔女帽の頭囲タジャ・デ・ラ・カベーサ[訳註:第二十六章でレポレッロが検索した東口の《飛翔》は周回六十六米の円錐体――正確には《擬球プセウダエスフェーラ》と呼ばれる喇叭型の双極多様体――だが、これは着用者の頭囲ではなく鍔の外周を示す数値と捉えるべきだろう]から推測するに、その持ち主の背丈も一エスタディオを下らぬことが窺えよう。つまり日本の残酷な風習《人柱ピラール・ウマーノ》宜しく立った状態で地下に埋められていることを除けば、その高さは久屋大通公園に屹立するあの塔とも対等なのである。「ふむ、ハシバミの柄にエニシダの穂……いやこれは棕櫚しゅろか」

「河川敷の闘いといって流石に化繊ホウキじゃ趣きに欠けますでな」察するところ、長槍に代えて箒で突き合おうという算段か。「当方自由契約の身故、恥ずかしながらこいつも無料でお配りいたす所存[訳註:《無料の長槍フリーランス》と言いたいらしい。そういえば第七章では、千代に「非正規雇用者フリーターか」と白眼視される一場があった]……もちょっと近場で調達することも出来たには出来たのですが、カメリアの仮眠ライダー殿には休息こそが勝利のかなめであることが見て取れましたし、折角だから先代の《獅子の騎士》に敬意を表して栄のナゴヤ・アイ前までこのケルピエの腹を蹴る運びと相成った次第です」[訳註:第三十一章終盤で、観覧車から降りた千代たちが立ち寄った《殿堂》を指している]

「ナゴヤ・アイ?」

「いえ、聞いた話じゃ奴は単円眼キュクロプスではなく百手の巨人ヘカトンケイルなのだとか」さて誰から聞いた話だろう?「我等騎士には目も手も一組あれば十二分……さてお決まりになりましたか?」

「犬の喧嘩[訳註:英dogfight]を真に受けて、こいつで空中戦をやらかそうという腹積もりならば……」イポグリフォを東岸に残してきたドニャ・キホーテは戯れにその一本を股に挟んで見せる。「生憎それがしに邪法の心得を期待されても困る(原註:これまで彼女が幾度となく超自然的な呪術を披露してこれたのは、偏に霊力を帯びた《魔法の何かアルゴ・マーヒコ》の為せる業であった)……それとも貴兄は何かポマーダ、飛び軟膏の類をお持ちなのか」

「折悪しくドンキには菲沃斯ヒヨスは疎か別剌敦那ベラドンナや鳥兜も置いてはおりませなんだ」

狼茄子おおかみなすび狼殺しマタローボスか……」《狼のナスベレンヘーナ・ロブーナ》とは糸切り美女神アトローパ・ベジャドーナの和名である。[訳註:狼殺しウルフスベインはトリカブトの異名。因みに黒ヒヨスベレーニョ・ネーグロも《雌鶏殺しマタガジーナス》という通称を持つ]「然りとて貴方ならマンドラゴラの一株くらい持ち歩いておられるのでは?」

「生憎サラマンドラゴラには薬効がありませんで」学士は苦笑いを押さえつつもそのようにへりくだった。「さあさ表通りを外れたにせよこことて大名古屋の只中が端くれ、野次馬に飛び入りされては敵いませぬ。こちら黒い鴉にゃ不自由ないけれど、ラ・サンチャの騎士の手勢には黒猫どころか草履取りの青猫殿すらおらぬご様子――これで魔女の真似事は叶いますまいて」

「赤猫で宜しければこの紅紫陽花、」花が胸元から手繰り上げた紅玉の首飾りは、西陽を浴びてカラスコの瞳孔を突いた。「――黒駒御するサラマン殿より先にこの橋焼き落としてくれましょうぞ!」[訳註:江戸時代以降の隠語で《赤猫を這わす/赤犬をけしかける/赤馬を飛ばす》等の表現は一般に放火を意味する]

「眩しい眩しい……焼いて良いのは八ツ橋だけと、聖護院しょうごいん八橋検校やつはしけんぎょうが定めておられるのを知らぬ貴顕でもあるまいに!」幾ら火元素の精霊エスピーリトゥ・エレメンタール・デル・フエーゴが係累とはいえ、流れる川の真上で小火ぼや騒ぎを起こすほどに不見識ということはなかろう。火付けに失敗するだけならいざ知らず、万一両生類の方の山椒魚サラマンドラ・サラマンドラ・エル・アンフィービオであった場合カラカラに乾いた上自身も焼け死ぬ羽目となる。学士は遊んでいる方の箒を少女の片手からふんだくるなり以下に続けた。「黒雲を御するのは真っ暗黒い蔵じゃなく赤備えの田んぼの方じゃないの?[訳註:武蔵でなく武田信玄ということだろう]大体《赤猫座》に『少女椿』じゃあまた部長さんに趣味の悪さを詰られてしまう……よいですかカメバチ改めアカバチの騎士よ[訳註:共にキイロスズメバチの別名]、西天が紅く染まる頃にはこんな橋でさえ人通りに加え車輌の行き来も増えてまいります。焼き落とすどころか槍で刺す前に川から引いた水を差されるのは、梅雨の風物詩たる紫陽花殿とて本意ではないと拝察するが如何でしょう?」

「……然り、《消火栓イドランテの騎士》が水を被ったなんていう浮き名を火消しする方が余程に骨であろうこったわい」そうでなくとも――目撃者が唯一人でしかもその場で懐柔できたから良かったものの――彼女は既に昨晩、まともに水爆ボンバ・アチェ[訳註:但し《水素爆弾ボンバ・デ・イドローヘノ》ではなく《水爆弾ボンバ・デ・イドラーンテ》。第二十三章参照]を被弾しているのだ。

 ここで大方東岸から進入した自動車であろう、短い警笛音クラークソンが二度鳴り響き、ケルピエの尻に垂れる豊かな一房を小刻みに揺らした。[訳註:学士の背後なら西岸からの間違いか]


花は端から歩道アセーラに[訳註:但し名古屋の堀川に架かる五条橋は――下流の伝馬橋とは異なり――歩道が設けられていない。一応白線で区切られた路側帯パセーオ・ペアトナールが左右に確認できるのみ]、小森も黒馬を車道カルサーダの端に寄せており、通行の妨げとなっていたわけではなかったのだとみえ、車輌は徐行しつつもそのまま通り過ぎる。

「言った傍から」参三は東西に伸びる京町通の前後を交互に見渡した。「取り分け橋の周囲は許可取りが難しい。お役所がしゃしゃり出てくる前に、これはお互い偶然を装って擦れ違いざまに白黒――紅白?付けるよりありませんかな」

「元よりこの《武の歩みパソ・デ・アルマス》には戦の庭カンポ・デ・リスタ帯舞台ピスタもなければ砂敷アレーナすらありゃせぬ」尤もこの試合中に小麦粉アリーナの騎士が粉微塵にエチャ・ポルボされれば、明日からは粉敷アレーナ[訳註:西arena+harina=harena]と称しても構わないだろう。「さあさ木っ端役人に木っ端の火を消されぬ内にとっとと始末を付けようか」

「枯れ葉集めて落ち葉焚きにゃ少々早うございますがね……では打ち込まれた槍を骨灰さながらに打ち砕くこちらを弓手にどうぞ」サラマンドラは箒の入っていた袋から別の武具を取り出してみせた。「兜鉢も一応予備を持参しましたがご自身で用立てていただいた模様、となると後はこいつがあれば板金鎧ローリーカなども不要かと」

「頂戴いたす……」右手で持った箒をドン・ブラソとは反対側の棒義足として石畳に突き立てながら、空いた左手を差し出したドニャ・キホーテ。「此度は鳥黐とりもちが塵取り持ちに化けおったな!」[訳註:「鳥刺しパハレーロ掃除屋パレーロに~」]

「落馬して尻餅をかぬ為です[訳註:《ケツの為ですパ・エル・クレーロ》。実際には身体の一部というよりも《馬鹿者/怠け者/臆病者》といった意味合いで使われることの方が多い]」学士はそれを構えて見せつつ以下に続けた。「ドンキが何とかポリバケツの蓋だけを売ってくれてたら小生もそちらの方で見繕ったんですがね」

「差し詰め又候フレストン奴の仕組んだ芸のない目眩ましだろうが、せめて吾が想い姫への忠義を図案に模した紋章エスクードのひとつくらい残してほしかったところだわい」

人鳥じんちょうを象った掘り出し物なら探せばあったかも知れませんよ」

「人鳥というとハルピュイアかね?」

「ペンギンです」

「¡Qué pingo![訳註:「ピンゴとな!」。西pingoには売女、悪ガキ、悪魔といった語義がある]……とはいえ白黒もとい黒鉄くろがねエスクードと呼ぶには些か軽過ぎるし」花は頭のネクロカブリーオに数回打ち当ててから尚も苦言を呈した。「革盾アダルガを名乗るならばせめて瓢箪軍配でも見繕うべきでしたな」[訳註:アダルガは元々北アフリカのベルベル人イスラム騎士が使っていた防具で、十四世紀以降はキリスト教徒にも広まった。当初は卵型であったが、騎乗でも重宝するよう徐々に心臓型――上下中央が括れている――へと変化する。尚、相撲の行司が持つ軍配団扇にも卵型と瓢箪型があり面白い]

「塵取りより相撲取りをご所望で? 何なら尻餅予防に尻取りで勝負を決めますか?」

「貴兄に勝ち目があるとすればせいぜい揚げ足取りくらいじゃて!」

「《弘法ペンをえらばず》!……酵母が膨らますパンを選べぬのと同じこと」要するに騎士の腕さえ確かならば、槍と盾の代用品として筆と麺麭を装備したところで勝利は堅いという理屈である。換言するに――「ペンは剣よりも、パンはペンよりも強し――と……だったらこっちはフライパンにすべきだったかしら?」[訳註:長い柄が付いているという点で塵取りレコヘドール揚げ鍋サルテーンの形状は近似している。となれば慥かに金属製の方が守備力は高そうだ]

「……膀胱は便所を択ばず」[訳註:第十三章、浜松はカラオケ店前の場面を参照]

「本番前のお花摘みでしたらこの水怪馬乗りケルピエロ、鼻を抓み目は瞑り、耳も塞いでここに控えておりますが?」

「それには及ばぬ」ラ・サンチャの騎士は得物をクルクルと回転させてから、結局は穂先プンタを上に向けるとそれを陽光に透かし見ながら――「握りがこちらである以上そちらで突くより手はないな……まあこれなら決闘罪は兎も角、暴行罪に問われることはあるまいて」

「我等揃って縉紳しんしんの騎士ではあれど成らず者じゃあござんせんから」そう嘯くなり石畳の上を一振り二振り掃き清めてみせる。「品行方正罪なんてのがあれば別ですけど」

「尤も一騎討ちフスト目途もくとは殺生ではないが、」花は踵を返し背中越しに脅しを掛ける。「――悲劇はいつ訪れるとも知れぬものだ。名を落とすくらいなら落命を採ろう」

「名を落とすも何も観覧席は空ですから」

「是あるかな、喇叭吹きトロンペテーロス馬引きパラフレネーロ旗持ちペンドーネスの先導もなければ貴賓席パルコ・デ・オノールには王や諸侯が着いとる様子もない。そもそも命賭する者が誓いを立てるべき《祝祭の女王レイナ・デ・フェステホ》の姿が見えぬのは口惜しいばかりじゃ」そっと顧みるその双眸を西陽が煌めかせる。「然れど他ならぬそれがしとおぬしが此処にある以上、この干戈が名誉の一戦であることに疑い挿む余地はない……いざや」

「お待ちなさいな、名誉も余命もそうおいそれたあ逃げやしませんぜ」カラスコ学士が呼び止める。「禍根を残さぬよう事前に取り決めを。内輪のことですし略式で構いますまい」

「念の入ったことだ。そうじゃな……ひとつ、徒手空拳にて敵騎を打つべからず」

「異論なし」地上に降りての白兵戦メレ[訳註:この場合は多人数の騎士同士が入り乱れる団体戦のことだが、現代では専らラ式蹴球ルーグビに於ける押合いスクラムを指す]でもない限り、拳の届く間合いでもなかろう。

「一、 敵騎の馬体を害するべからず」

「願ってもない」肝を冷やすのはククリヒメを振り翳された地下墳墓だけで懲り懲りなのに違いない。[訳註:前章参照]「こいつを傷物にされた日には、あの麗しきシャルロッテ姫のパンクを直すのとは訳が違いますから」[訳註:第八章に拠れば、沼津では千代のママチャリの修理費用を烏小路が負担している]

「この試合場リサには木製の柵バレーラ・デ・マデーラがありませんでな」これは馬同士の衝突を避ける為に設けられた《防護壁インクリナシオーン》[訳註:英語由来で原義は《布幕》らしい]のことである。「後は――そうだなも一つ、打突部位は盾の他、敵方の顔面と胸部に限るべし……こんなところかしら」

「……まァいいでしょう」兜を落とせば勝ちというわけでもなし、瞼甲ベンタージャ面頬バルボーテを持たぬ少女の顔を狙うのは剣呑に過ぎるが、これは学士の方で控えればよいだけの話だ。[訳註:但し著者自身、花の兜に付いた防護眼鏡を指してventallaと呼んでいる箇所が何度も見られた。目庇ビセーラという語についてもこの眼鏡のことなのか帽子の前縁――眉庇――のことなのか、場面次第で特に限定されておらぬ節がある。但し学士の全面帽の前面に当たる《覗き窓パンタージャ》と瞼甲は同義と見て間違いなかろう]「――して勝敗は如何様に?」

「一方の息が絶えた場合は是非もないが、一見して戦闘不能と判断できる時も決着は着いたものと見て異存はありません。敗北宣言も然り」次いでドニャ・キホーテは右腰で水平に構えた《意気地ありきパラ・アバンサール》の先を僅かにもたげると、「惜しむらくは槍が槍留めリストレに差したこの一本を置いて代えのないことだ」

「一発必中を為す傾注なくして何の武辺者ぶへんものでしょう? 得物をこわされるのも己の不覚悟故、等しく敗けで良いでしょう」そもそも試合前からして無残に破砕されたが如き形状の武器である。「取り落した場合も同様です」

「馬を下りて拾うことは許されぬと?」

「五条の上でご冗談でしょう? これが只の槍競技ハスティルディウムではなく一騎討ちジョストだと仰せになったのはラ・サンチャご自身の筈。一番勝負に二の太刀なし。一旦戦端が開き一度火蓋が切られ、両騎の蹄が掻き鳴らされるのを耳にして尚、よもや下馬する暇などあるとお思いか?」

「下りる暇がなくとも止む無く落ちることならあろう」

「落ちた後の心配ならばそれこそ無用の長物ながものというものです」学士が箒を垂直に落とすと、馬の足許で硬質な打音が響いた。「玉敷きならばいざ知らず、この橋梁にはご覧の通り端から端まで――こちらも仰せの通り砂の一粒すら敷かれちゃおりません。疾駆する軍馬から突き落とされたが最後、良くて脚、程々で腰、鉄鉢に護られているにしても最悪その兜首を折るは必定……自然改めて落とした槍を拾う手間も省けるというもの」

「御高談の腰を折るのは忍びないが、それがしの足首や欠伸にも限界があるでその辺りに留めていただこうか」駄弁サンデーセス[訳注:西sandezは形容詞sandio《愚かな》からの派生語だが、その起源としては羅語のSancte Deus《聖なる神サンクテ・デウス》が挙げられる。眼前で醜態を晒す愚者への哀れみを全能の神に請う意味があるのだろう]を弄している内に日が暮れてしまう。「幾ら互いの馬は夜目が効くとはいえ、このドニャ・キホーテなど未だ話を聴いてくれる嫁もおらぬ遊歴の身」

「はは、はっ――花嫁候補がおられるだけ羨ましい限り。小生が読めるのは空気のみ」

「然るに此度は野良試合故に報奨の類は期待できぬ。となれば勝者は相手の生殺与奪の権に加え馬と兵具一式を手にするという条件で障りないかな?」

「従います」烏小路参三は負ける気など毛ほども無いという口振りだ。「元来このサラマンドラゴン、痩せ馬や掃除用具にゃ興味はございません。移動は火蜥蜴や炎竜に跨りゃ済むし、ゴミの類も連中が火炎一吹きでキレイに燃やしてくれますので」

「便利なことだ」

「然らば騎士よ、博覧強記が錯乱狂気へ終には立ち戻る前に、早速手合わせ願いましょうか」学士は最後に抜け目なくも以下の如く付け加えた。「但し先刻フレストンと――メルリンの方か、メルリンと交わした約定の方はお忘れなきよう何卒どうかご確認たまわりたい」[訳註:前章で花は蘇った学士との果し合いに敗れた場合、三軒茶屋に帰って高校に復学し、一年半以上故郷を離れない旨の誓いを立てている]

「二言は無い」騎士は再び背を向けると、東の親柱の傍らで主人を待つ愛馬と空の槍場ランセーラ・バシーア[訳註:《槍置き台ポルタラーンサス》? 第二十九章で《槍立て》と和訳した西bastidorは木枠のことで、欄干の支柱と手摺の組み合わせから連想されたことが窺える。普通は三本勝負なので、手許の一本に加え予備の槍が二本そこに立ててある筈なのだ]の許へ戻る道半ばで以下のように呟いた。「……遺言の方も然るべき者に預けてあるでの」[訳註:何とも物々しいが、第二十六章で内兜より発掘された、恐らく十三行は下らぬと思しきあの三行半の換言だろう]

 それは扠置きイポグリフォの不憫なこと! 主人の狂気を鑑みるに幾分なりとも腹を括っていたろうとはいえ、八日掛かりで漸う百レグアを走破したかと思えば旅路の果てフィン・デ・ビアーヘに待ち受ける歓待が(下手するとエン・エル・ペオール・デ・ロス・カーソス)己の二十倍の目方を誇る仏産重騎ペルチェローンとの真っ向勝負ドゥエーロ・フロンタールだったなどと……公明なる伝道者エクレスィアステース・エル・エクレークティコとて彼の境遇を只の一目でも見ていたら、《当然疑いなくスィン・ドゥーダ・コン・ラソーン心臓なき馬より生命ある鶏マス・バレ・ガジョ・コン・ビダ・ケ・カバージョ・スィン・コラソーン》なり何なりと書き記して憚らなかったに違いないのである。[訳註:旧約『コヘレトの書』第九章《死せる獅子より生ける犬マス・バレ・ペーロ・ビボ・ケ・レオーン・ムエールト》より]


しかし白玉の学士リセンシアード・デ・ロス・コホーネス・ブランコス[訳註:兎の複数形conejosの文字列置換アナグラーマ。一般にcojonesといえば《睾丸》乃至《肝っ玉》のことで、cojónは元々《小さい袋》、更に遡ると古希語で《鞘》を意味したと謂う。尚、第八章に端を発する《烏賊の金玉テスティークロ触手テンタークロ》論争は前章でも蒸し返されていた。兎が多産で繁殖力に長けるが故の言葉遊びだろうか?]も認めた通り、この野天の石橋プエーンテ・アビエールト・デ・ピエードラ[訳註:《開放された野原カンポ・アビエールト》といえば馬上槍試合の会場だが、これでは《上がった状態の跳ね橋プエーンテ・レバンタード》の如しで相手の騎士と槍を交える前に袂の方へと転がり落ちるであろう]に於ける落馬は――それも馬に振り落とされるのではない、長槍で突き落とされるのである!――それだけで致命傷エリーダ・モルタールとなりかねぬ大事故に直結するではないか? 分別を以て主従を導いたあの二輪乗りは一体どうしてしまったのだ? まさかラ・サンチャの狂気の風ビエント・ロコに当てられて、これまでは雲に隠れていたアティカの月ルナ・アーティカ[訳註:Áticaは首都アテナがあるギリシャ南部の半島。無論《白月ルナ・ブランカの騎士》と狂気ルナーティコを掛けたもの]が遂にはその姿を見せ始めてしまったのだとでも?

「...Esta victoria con todo mi amor la dedicaré a la señora del palenque, dama de honor, flor de mi vida, de bello loto renaciente andando en el Toboso.」蜂の騎士は強ち見当違いでもない方角[訳註:東岸南側の親柱の隣からであれば西か南西になるだろうか]を向いて跪坐すると、欄干に両肘を付きその細い十指を組んだ。「どうしたイペル、お前の出番……それも最後の見せ場じゃぞ? というのもこの一本目、初擲しょてきがそのまま乾坤けんこん一擲いってきとなるのだからな」

 立て続けに四頭立てが二台――前方と後方から一台ずつ――橋の上を通り過ぎた。

「It is the sword of a good knight, though homespun was his mail, what matter if it be not hight, Joyeuse, Colada, Durindale, Excalibar, or Aroundight?――どうだ見るがいい! 彼の湖のランサローテとて斯程の長槍ランサには終ぞ巡り合わなんだろうて!」成る程、高輝剣アルタキアーラ一連剣セケースが実は斧槍アラバールダ叛軍槍パルテサーナのような形状であったという文献に出会した例もなければ、主君の妃と仲睦まじく聖なる箒で護幸城ジョワユーズ・ギャルドを掃き清めたという伝説も残ってはおらぬ。愛馬に跨ったドニャ・キホーテは南側の車道へと進み出るや、無数に枝分かれせし《意気地ありき》の穂先を天高く掲げた!「¡Venga mi lanza, sin tregua avanza! ¡Con esta adarga que la vida me alarga!」

 西の対岸では嘗ての石松イシマツァーンテも同じ身振りで応える。そもそも両者の間に示し合わせた合図セニャール・コンベニーダなど取り決められてはおらぬ。

「¡...Pero qué extraño se siente!, y no sé qué es...」ふと花は首を捻った。[訳註:「……得も云われぬ違和感!、然るにその正体が知れぬ……」]

――その時である。


――ブゥーーーーーーーーーッピイイイイイイイイイイイ

 騎士の背後で警笛クラークソンが轟いた。

「¡Toca la trompeta!」ドニャ・キホーテは今一度棕櫚葉箒エスコーバ・コン・オーハス・デ・パルメーラ[訳註:実際には葉ではなく樹皮を解して穂先とした(樹皮繊維を用いたコン・フィーブラス・デ・コルテーサ)皮箒であろう]を突き上げるや直様右脇腹の槍留めに手際良く固定すると、時を経ずしてイポグリフォの脇腹をこれでもかと蹴り上げた。「¡¡Cabalgata de las valquirias!!」

 両者の隔たりはせいぜい百ピエス――どうにか足りるだろうパレーセ・アペーナス・スフィシエーンテ――、その西端から届く鼻息ブフィードがまた一段と昂ぶったかと思えば、容赦のない蹄鉄に削られた敷石の悲鳴が徐々に大きく、そして接近してくる!

 おお神よ、取り分け大熊女神アンダールタそして虐殺の乙女アンドロクタースィアよ、そしてドゥルシネーアにカシルデーア・デ・バンダリア(それとも大釜姫プリンセーサ・カルデーラだっただろうか?)よ、この勇ましき両雄の何れかはどうあってもこの五条ゴホ橋の上で死なねば――運が良くても足を挫かねばエスタール・コホ――ならぬのでしょうか?

 激突の瞬間モメーント・デル・チョケまでこの間僅か三秒足らず、我等の主観的時間が鈍化していくエントルペシエンド・ヌエーストロ・センティード・デ・ティエーンポ……ここで筆者の脳裡にある種の懐疑シエールト・ティポ・デ・ドゥーダスが惹起される。

 馬術に於ける歩法アーイレ初歩ルディメーントを復習しよう――先ず常歩パソでは右後肢~右前肢~左後肢~左前肢の順序で(つまり四拍子でエン・メートリカ・クアードルプレ)足運びが為され、これが速歩トローテだと対角線上に位置する肢が同時に前へと(二拍子で)動かされる。更に速度を上げて駈歩ガローペとなれば速歩で同時に動いていた二組の肢の内の片方だけが着地する瞬間を前後でズラす為三拍子となるのだが、何れをとっても長時間左右のどちらかにだけ重心が傾くことはない。

 では四脚の代わりが前後の車輪二枚であった場合はどうか? 言うまでもなく自転車や自動二輪が走行中の車体を安定させる為に大きな役割を担っているのが、運転手が左右の手で握り締める一双の持ち手ドーブレ・マンゴ(これは当然操舵輪ボラーンテの用途も兼ねる)だ。無論平衡感覚に優れた乗り手なら《両手離しアンダール・スィン・マーノス》とて然程難しい技術ではないものの、これが可能な条件は横風のない平坦な道に限るであろう……はて橋の上の一騎打ちがそれに該当するだろうか?

 石畳の形作る凹凸に関してはこの際目を瞑ろう……我等が蜂娘の軽業アクローバタはこれまで幾度となく耳にしてきたし、黒馬の回転する一対の蹄ウン・パル・デ・ロダーンテス・カースコスとてその幅広を鑑みれば安定性抜群であることに疑う余地はない。

 しかしながら忘れることなかれ。ふたりの騎士が今から二秒後、斜交いからの打突アターケ・ディアゴナールを以て激しく渡り合うということを――斜交いにディアゴナルメンテ

「...Eur-eurítmica.」[訳註:名詞形の《律動的な動作エウリートミア》は言葉や音楽が持つ拍節リートモに合わせて行う身体表現法のこと。ここでは三拍子で打ち鳴らされる蹄の音か。過去に著者が使用したEurídiceやEurípedesよりもEurekaの音素を色濃く残している点を素直に評価しよう]

 真正の興奮物質アドレナリーナ・アウテーンティカで満たされ極限状態にあったと思しき麗しき対戦者コントリンカーンテの思考はこの刹那、拍車を掛ける直前に彼女自身の心中へと去来せしひとつの懐疑を立ちどころに氷解させたのであった……果たしてそれは如何なる違和感インコングルエーンシアであったか?

 右斜め前方では彼女の不可視の前立てシメーラ・インビスィーブレをその瞼甲に映した手鏡エスペフエーロスの騎士[訳註:エスペーホの縮小辞espejueloは手鏡や眼鏡を指すが、この単語が持つ多くの語義の中には偶然にもヒユ科の一年草《ハママツナスアエーダ・マリティーマ》――海岸性の松菜――の意味もある]が、今にも一太刀浴びせようと右手に構えた長槍をほぼ同一線上に(則ち車道中央線リネーア・セントラール・エントレ・カリーレスに沿って)向かい合う相手の槍の穂先に向け突き出さんとして――

 不意にドニャ・キホーテは弓手に把持していた革楯を肩の後ろに打ち捨てると、右脇に抱える石切鎚エスコーダ[訳註:エスコーバの誤記。こちらの方が幾分武器らしくはある]をお手玉ペロータ・デ・セミージャスよろしくポンと左方に放り投げ、即座に空いた左手へと持ち替えた。

「――ぇえっ!」

 面食らったはサンソン・カラスコ、内側へとえぐり込むように投じられた《意気地パラバーンサ》は、それこそ瞬く間すら与えられずに撃墜目標オブヘート・パラ・デストゥルイール――《意気地二世パラバーンサ・ラ・セグーンダ》――を見失い虚しく空を切った……これで合点が行く。石松は当初より対戦者の得物を打ち落とすのみに専心し、少女に一切の手傷を追わせることなく勝利を掴む心積もりだったのだ。

 擦れ違いざま、今度はラ・サンチャの騎士が外側から捩じ込むように振り被り――いやこれは間に合わない、《二世》が突き刺したのも又、サラマンダラの背中が通り過ぎた後の何も無い空間であった……或いは相手の背後からの一撃は違反となる為、否、仮にそうでなくとも騎士道に悖る卑怯な攻撃――まさしく犬畜生の所業コンドゥークタ・カニーナ!――との心得から、ドニャ・キホーテが既のところで敢えて必中の打突を思い留まったと考えるのが妥当だろうか。

 ……欧州エウローパ! この一瞬の攻防から筆者が導き出した答えは以下の通りだ。騎手は左手で盾の持ち手エナールマス[訳註:といっても塵取りというからには、使用者が持つのもゴミを掬う面の内側ではなく内輪のように下に突き出た柄の部分だろう。西enarmaは中世の盾の裏側に鋲打ちで固定された上腕アールマを通す又は握り拳で把持する為の革帯のこと。同じく首から下げる吊り帯はtiracolティラコール(tirar+cuello《投げる+首》)と呼ばれた]を握る代わりに、槍の柄を馬の右耳[訳註:二輪車の握り手マニジャールの右側]に預けることで――撞球に於ける橋役の左手プエーンテ・エン・ビジャール・コン・ラ・マノ・イスキエールダを思い浮かべていただきたい――、左右に揺さぶられることなく長槍と馬体双方の均衡を保つことが敵ったのである。[訳註:訳者であれば左手で塵取りを握ったまま手の平の小指側――小指球――を左側握り手に乗せることで、最低限の安定を得る手を採ったであろう]

 だがそのままでは騎手も槍の柄を通して間接的に操舵棒マヌーブリオと接しているに過ぎぬわけで、転ばないにせよ安定性を著しく欠くことは避けられぬ。換言すると命知らずのラ・サンチャの騎士は盾を捨てる――防御を放棄する――ことで右手を自由にし、右の握り手をしっかり掴めるようになった故に、却って左に持ち替えた槍の威力を増すことに成功したのである……否、それならば武器は右持ちのままに、左で手綱を握れば良かっただけの話では?

となるとどうやらドニャ・キホーテの思惑は別のところにあったらしい。


――バキバキバキクラグ・クラグ・クラグ

 後ろから届く大仰な破壊音ルイード・エクサヘラド・デ・ロトゥーラにも構わず泰然と徐行に入った阿僧祇花が西岸の袂に到達するなり突如として愛馬の前肢に停止を命じると、馬体は小回りに右手へと旋回しつつ丁度半回転した辺りで橋の北側の車線へと移った。イポグリフォの嘶きと呼応するかのように、後輪と石畳との摩擦が土煙ヌベ・デ・ポールボを巻き上げる……(即席の競技場アレーナ・インスタンターネアには砂が敷かれておらずともこの程度の演出アレーグロならば許されて然るべきであろう!)

 この時前後転身して間もない馬上のドニャ・キホーテの真横で俄に停車した四頭立ての、僅かに開いていた車窓の隙間を更に大きく下ろしつつ、手綱を預かる御者コチェーロが車内から――というのも現代の街中を走る馬車の多くは、運転者を含む全ての乗員を雨風から守る構造を取っているからなのだが(そしてこれは仕切り付き高級車リムスィーナに於いても同様である!)――やおら声を掛けた。

「何か踏んづけちゃったっぽいですけどすみません、何か――」これは十秒前の対岸にて唐突にリペオスの悍馬が揺らす尻尾の直ぐ後ろでけたたましい警笛を鳴らし、それこそ尻尾に火を付けられたが如く吃驚した彼が――その直前まではむずかって突撃を渋っていたくせに――一目散に駆け出すよう仕向けた張本人に違いない。「落としました?」

「御気に召さるな」風防眼鏡ガーファス・アンティビエーントを上げるラ・サンチャの蜂。「いや馬上より失礼つかまつる。それがしは東都ラ・サンチャから罷り越し歴遊の……まあよい其方も御急ぎでしょう。貴殿が踏み砕いたのは一介の塵芥じんかい――もとい塵取りに過ぎませぬ」

「えっ、あぁ……ご苦労さまです」見上げればこの少女、肩に箒を担いでいる。「でもまあ、何つうか……さすがに下りてやった方がいいですよ」

「ふふ、返す言葉も御座いませなんだ」花は思わず相好を崩すやゆっくりと目庇を下ろしながら以下に続けた。「お手間を取らせ申した。貴方がたも道中御用心くだされ」

「は~いお疲れさまで~す」奥から女の声。「うわあ絵になるぅ」

「セニョリータ……」

「じゃ失礼します。えっと暗くなってくるしお姉さんも車に気を付けて」運転席の車窓が音を立てて迫り上がって行く。「まだちょっと開けとく?」

「いいよ冷房入れよもう」

「あいよ」――プップッピ・ピ

 四頭立ては左右の安全確認を行ってから細い美濃路を横断し、そのまま風船の飛んだ交差点[訳註:第三十章参照]に向け走り去った。

「«Vamos de paseo,...»――か。まったく返す返すも返す言葉に窮するわいね」尤も旅人が乗車していたのはそこまでのポンコツカチャーロでもあるまいが。[訳註:童謡『お父の自動車アウト・デ・パパ』の歌詞《おでかけしようバーモス・デ・パセーオ、ピッピッピッ。オンボロぐるまでエン・ウン・アウト・フェーオ、ピッピッピッ》より]ドニャ・キホーテは橋の中央よりやや東寄りの南側車線で無残に砕け散った残骸を視界に収めながら、所謂《諸行無常トランスィトリエダッ》を感得しつつ目を細めた。それでも下馬することなく、槍を半円でも描くように振り下ろすなり枯れ葉を踏むが如き音を響かせ地面を拭うと、次いで如何にも口惜しいといった口振りで以下に継いだのである。「願わくばオハラッ!、懐中のボーロ共が馬球ポロボーラであったらば!」[訳註:馬球は馬上から打棒タコ小球ペロータを打つ競技だからである]

 橋の向こうでは同じく方向転換を済ませた烏小路卿が、対向馬線ピスタ・コントラーリア――則ちこちらから見た右手――にケルピエを移し対戦相手の様子を窺っていた……聡明な読者諸賢であれば既にお気付きであろう、日本では英国やその旧領土アンティーグアス・コローニアス(別名《繁栄する共同体コモンウェルス》、但し独立戦争後の北米は除く)に於ける交通法規――則ち左側通行シルクラシオーン・ポル・ラ・イスキエールダを採用している。この事実が島国根性テンデーンシア・インスラールに起因したとしても、半島民ペニンスラーレスの我等に口を出す権利はあるまい。何れにせよ十九世紀になって彼のコルシカ男コールソ進路交換インテルカーンビオ・デ・クールソスの大号令を掛けるまでは――古代ローマどころかそもそも埃及エヒープト希臘グレーシアの時代から――左側通行こそが世界標準だったことは認めておく必要があろう。

 元を辿ればその原因は人種や時代に限らず人類の九割が右利きだからで、ではそれは何故なのかといえばヒトとその他の動物を分かつ決定的な差異――則ち言語能力を司る部位が脳の左側であったから、要するに言葉の能力の発達こそがそれと並行して我々を右半身の優位性へと導く帰結となった次第なのである。(左脳が右半身、右脳が左半身に対応するという知識は、既に初等教育を終えていると思しき皆さんの左脳が十全に記憶していることと拝察する)

 往時欧州では馬車の運転者が御者台中央に腰掛け、利き手で鞭を振るっていた。となると二頭引き四輪馬車ファエトーン・ティラード・ポル・ドス・カバージョスであれば右側の馬で操車していたことになる。つまり右手に注意が向くわけだから、対向車との衝突を避ける意味でも左側を走るのが望ましかったのだ。

 一方で江戸時代の終焉までは舗装された街道もなく、それ以前に馬の数が圧倒的に少なかった日本については多少事情が異なる。最もよく知られる説を紹介すると、侍が(勿論彼等も右手で刀を振るう)左側の腰に帯刀していた為、他の武士と擦れ違う際にそれがぶつかることを防ぐ必要性から左側を歩く習慣が広まったというものがある。刀は侍の魂アールマ・デ・サムラーイであった故、迂闊にもそれら腰の物が互いに搗ち合うようなことがあれば一触即発デ・ミーラメ・イ・ノ・メ・トーケス、仮令決闘は《争いやインチキには二人必要アセ・ファールタ・ドス・パラ・バタジャール・イ・タンガール》[訳註:《タンゴを踊るには二人必要アセ・ファールタ・ドス・パラ・バイラール・ウン・タンゴ》の言い換えで、要は喧嘩両成敗の意]に依り双方切腹と定められていようが家門の名誉を傷付けられたとあっては刃傷沙汰デラミエーントも避けられぬ……これは所構わず喧嘩を吹っ掛ける何処かの老騎士と重なるものがあろう。

 ところが馬上槍試合はどうだったか?……論ずるまでもなく、二頭の馬はそれぞれ右側を駆け抜け、騎士は左手に向かってくる対戦者目掛け槍を喰らわす。何故なら武器は右手に持っているからで、これは利き手の問題のみならず盾で守るべき自身の急所が左胸に位置することも或いは無視できまい。もし左側から右手の敵に得物を突き立てようとすれば、頗る不自然な方向に身体を開く羽目になりこれは著しく安定性を損なうであろう。日本の伝統的な神事にして武芸者の嗜みデストレーサ・マルシアールでもあった騎射アルケーロ・ア・カバージョにヤブサメなる競技があるが、仮に左で弓を引き右で矢を射ろうというのに的が右側にあったとしたら、如何なる巧者であれ的中させるのは至難の業ではないか?[訳註:尤も一騎打ちフースタでは真横ではなく飽くまで斜め前方の騎馬を突くわけだから、流鏑馬やぶさめ笠懸かさがけで右方向に射るほどの難易度ではなかろう]

 第一走の開始間際、花が覚えた違和感はそこにあった。馬は左側、相手は右側、にもかかわらず《意気地》は右手に構えている。この体感的矛盾コントラディクシオーン・デ・スィネステースィアを彼女の野性の本能インスティーント・サルバーヘがもし感知せぬまま接触していたら、死して饒舌な予科生バチジェール・ムエールト・コン・ラービアが不意を突かれて狼狽することも――そして女郷士の革楯アダールガ・デ・イハダールゴが車輪に轢かれて粉々になることとて――なかったに違いないのだ。

「さても吾が友ビシカンテ、モスコビアの暴風ビエント・ビオレントよ……その遮眼帯アンテオホスを外してこちらを見ちゃあくれまいか。栴檀せんだん鳩尾きゅうびの板などは云うに及ばず鎖帷子ロリカ・ハマタの一枚も着けてはおらぬ故、胸倉に風穴のひとつくらいは覚悟しておったが、幸いなことにどうやら拳は疎か指一本突き通るほどの隙間も開いてはない様子」前後に貫通していたら、呼吸音の代わりに隙間風コリエーンテの通る音が聞こえている筈である。「然らずば、入口と出口は閉じていたとて内ではポッカリうろとなっているなんてことも……或いはあるのじゃろうか?」

 東に二十パッスス、対岸の南側親柱の傍らには早速サンソン・カラスコが次の攻撃に備え、一分前のラ・サンチャの騎士と寸分違わぬ位置取りで待機している。車線の左右を取り替えるつもりはなさそうだ。ご覧なさい、日本人の大半は斯様にも規則レーグラスに従順なのである……嗚呼、もし道路交通法コーディゴ・デ・シルクラシオーンに予め《名誉の道に関する特例エン・カソ・エスペシアール・デ・パソ・オンローソ》という条項が併記してあったなら、このような些細な行き違いに気を揉む必要もなかったのだが![訳註:《一騎打ちが催される場合に限り、対戦する騎馬は右側の車線を走るものとする》とか?]

「――おや、常時下がり松殿もアダルガをかなぐり捨てたぞ?……ふん、これを以て《武蔵敗けたり》とは申すまいよ。肉を切らせて骨を断つとは良い心掛け……尤も奴さん、屍肉を幾ら切り刻まれたところで痛くも痒くもなかろうがね」戦闘に敗れども戦争に勝てば良しエス・メホール・ペルデール・ウナ・バタージャ・イ・ガナール・ラ・ゲーラ……これが何処かの猫娘ならば、《私に肉を切ってコールタメ・エル・カールネ骨はしゃぶるからイ・ロス・ウエーソス・チュパレッ》と物したところである。[訳註:《先ずは我が肉を切れコールタメ・ミ・カールネ・プリメーロ然すればお前の骨を折ってやれるアスィ・ケ・トゥス・ウエーソス・テ・ポドレッ・ロンペール》]「これでこそ鏖殺おうさつ免れし彼の《アベンセラージュ》を元来の保有者の手に返したのとて一概に勇み足ではなかったというもの。しかし解せぬのは彼奴の槍筋。あれは端からそれがしの……」

 小型の自動二輪が花の背後より忍び寄り、大きく中央線からハミ出しながら躱し追い越すや――対向車が皆無である以上咎め立てすることもあるまい――そのまま少しずつ左車線に戻りつつ向こう岸へと渡って行く。

 狩蜂は考察する……サラマンドラは――右手で槍を構えていたとはいえ――一貫して彼女の盾ではなくその右半身、つまり防具を帯びておらぬ喉か肩か胸の何れかに狙いを定めていたのではないか?……成る程、その闘牛士の意気や好しエセ・エス・エル・エスピーリトゥ・デル・マタドール![訳註:前述の通り著者とは解釈を異にする記述だが、そもそも烏小路の意図にせよ花の読み取りにせよこれらの代弁自体がアベンダーニョ自身に依る類推の域を出ない点は注意しておこう]

 臆病風は何処かに吹き飛んだとみえ、奮い立ったリペオスの悍馬が矢庭に棹立ちとなったものだから、あわや鞍上にあった痩身の騎士も振り落とされんばかりであった。

「¡So, monstruo, soo!――はやるでないわ」ドニャ・キホーテは愛馬を叱り飛ばしつつも、その荒い鼻息が収まるまで首の辺りを撫でてやる。しかしながら前方を見据えるその眼光には俄に殺気が帯び始めていた。「それにその愁眉しゅうびも目一杯開くがいい。半鷲半馬イポグリーフォの乗り手が偽善者イポークリタであったなどと物笑いの種になっては敵わんでな、それがしとて手心を加えるつもりは毛頭御座らぬ」

 鉄の仔馬ポニ・デ・イエーロが五条橋を渡り切った。それを横目で見送って尚、己の落とす影のその又先まで顧みた烏小路参三は、少なくともこれより数秒の間ふたりの試合を邪魔立てする者のないのを見て取ったらしく、この時とばかりに――恐らくこちらも蜂娘に倣って左手へと持ち替えたであろう――天に名高き《意気地ありきの箒》を今高々と突き上げる!


――第二走ラ・セグーンダ・カレーラ

「¡He aquí, la hora viene, y ha venido ya!」機は熟せりア・ジェガード・エル・モメーント――辛気の湧いた嘗ての自転車ビシカーンテ・ピカーンテ[訳註:但し風味や香り以外でpicanteという形容詞を用いると一般には《扇情的な》という意味になる。《刺すピカール》との兼ね合い及び先刻言及のあった《闘牛士マタドール》に馬上から牛を突き刺す役割の《槍士ピカドール》を対応させた都合もあろうが、昂奮の方向性からしてここは《戦場的》とでも訳すべきか]はその前肢で二三度立て続けに荒々しく敷石を蹴ると、今一度上体を跳ね上げてから今度はつんのめるかのような前傾姿勢で決死の突進アグレスィオーン・モルタールを開始した!「¡Arre!」

 おお、迫りくる真実の瞬間モメーント・デ・ラ・ベルダッ! 今や両者とも――公式な作法マネーラ・オフィシアール鏡面仕様ア・モド・デ・エスペーホであるとはいえ――斜向いの対戦相手コンテンディエーンテ・ディアゴナルメンテ・オプエーストの無防備な胸倉へと騎馬の体重と加速を乗せた痛烈な一撃をお見舞いすることの出来る、外側の腕ブラーソ・デル・ラド・エクステールノに必殺の武器を携えているとなれば、少なくともこの場に相対した命知らず共の何れかの、下手をすると双方の胴体に数百にも及ぶ細かな穿孔アグヘリートスが……神よ! この際黒馬の騎士の延命までは請いません(何せ奴は既に死人なのだから)! それでもせめてこの年端も行かぬ少女を鉄の処女ドンセージャ・デ・イエーロの餌食にしたり、日本の伝統的な華道アールテ・トラディシオナール・ハポネース・デル・アッレーグロ・フロラールに於ける文字通り《生け花フロール・ビビエーンテ》として剣の山モンターニャ・エスパドーサに突き刺し五条河原の晒し者とすることだけは何卒ご容赦の程を!

 ――パキパキックラクラック!……これは何の割れ弾ける音だ?

 不意に蹌踉めいたケルピエが小刻みに鼻先を揺らすや、学士は咄嗟に南の欄干側へと馬首を振った。つまり中央線から逸れることで馬同士の接触を避けたのである。中央柵バレーラ・セントラールを持たぬ《武装の路パ・ダルム》である以上これは賢明な判断であったろう。

 しかし己の騎乗技術テークニカ・デル・ヒネーテにもそれなりの覚えがあったこの難敵アドベルサーリオ・タン・ディフィーシルは、即座に体勢を持ち直すとそのまま巧みに手綱を操ってその軌道すらも原状へと回復させたのだ! 

 それでは対向車線の騎手や如何に?――何のこれしきの椿事に泡を食うラ・サンチャの暴れ蜂ではない! 彼女とて数多の戦火を潜り抜けここまで辿り着いた剛の者バリエーンテ、敵の目眩ましに逐一動転するような一兵卒ソルダード・ラソ新兵レクルータの類と十把一絡げにされては困る!

 花は白鴉の騎士カバジェーロ・デ・ロス・クエールボス・ブランコス前線フレーンテに復帰するのを見て取るや否や、穂先の狙う照準プンテリーアの微調整を瞬時に行った。然もなくば手綱を握る左手に邪魔されて、渾身の一撃も彼の腕当てブラサーレス肘当てコデーラに申し訳程度の傷を付けるのみに留まったことだろう。それでも上手く衝撃を集中させられたなら騎手を転落させることとて不可能とは言い切れまいが、自ら《打突部位を胸部と顔面に限る》と宣言した手前そのような醜態は是が非でも避けねばならなかった。

 一方のサンソン・カラスコは――筆者の見立てが正しければの話ではあるものの――対戦相手の転落ではなく武器の破壊ないし取り落としに依り勝機を得んとしているわけだから、互いの毛状部分セールダスを真っ向から刺し違えさせることで――それこそ鳥黐さながらに――絡め取る方法を目論んでいたと考えるのが現実的だ。箒同士が絡み合ってしまえば残るは力比べ……弁慶やゴリアテ並みとは行くまいが学士とて日本男児の端くれウノ・デ・ラ・オンブリーア・ハポネーサ、よもや小枝のような腕を生やした年端も行かぬ女子高生に腕力や握力に於いて後れを取ろう筈もない。馬匹については言わずもがな、カルピエの馬力カバージョ・デ・バポール排気量シリンドラーダが痩せ馬の比ではないことを鑑みても、(安全を期して多少は減速していたにせよ)自動二輪の助けも借りればドニャ・キホーテが堪らず得物を手放すは必定、烏小路の勝利は万全のものと思われた。ことに依ると花の放り投げた《二世》は高欄を越えて堀川に落下するやも知れぬ。それでも職務デベールを仕損じた挙げ句に幼気いたいけな少女の頭や尻をして石畳に打ち付けせしめんという所業を犯す愚に比べれば、水路への不法投棄に対する罰金刑など如何にも安い代償ではあるまいか……

 ところが青年は出遅れた。予期せぬ落とし物アールゴ・カイード・イネスペラダメンテ[訳註:《予期せぬ》とは落ちていること自体についてではなく、そもそもは落とされる予定ではなかったという意味]に蹴躓き、そこから立て直すのに気を取られたものだから、左手を突き出すべき拍子リートモ――その肝心なる《瞬間モメーント》――にほんの半拍だけ間に合わなかったのである。そしてその遅れは致命的打撃ゴルパーソ・モルタールでもあった。彼が攻撃に転じようとその標的へ切っ先を向けた頃には、既にドニャ・キホーテが西洋剣術に於ける踏み出し突きフォンド・エン・エスグリーマを繰り出していたのだ。

 学士の右腕当てを嫌った騎士は自然と、打突の瞬間に肘をもたげることで水平に構えた得物の軌道をやや高めへと移行させる手を選んだであろう。そうすれば彼の厄介な右腕を飛び越えてその喉当てゴルハールか面頬に強かな一撃をお見舞いすることが出来る筈だし、少なくとも手元を狂わせ敵将の駆る無辜の駿馬コルセール・イノセーンテに傷を負わせる失態だけは避けられる。だがこの臨機応変の対応が、直後にそれこそ予期せぬ椿事を出来させることとなった。

 さてカラスコはカラスコで、遅きに失した当初の目論見はさっさと項の辺りに押しやって、今やガラ空きとなったドニャ・キホーテの左籠手マノープラ・イスキエールダへと狙いを切り替えたに違いない。少女の真珠色した蝋燭が如き華奢な五指を伴う白皙の手の甲に粗々しい小枝セピージョ・アースペロ[訳註:箒の刷毛部分のこと]を以て打擲するなど、誠に心痛に堪えない蛮行であるとはいえ背に腹は代えられぬ。ここは鬼若オーグロ・フベニールに倣い心を鬼にするアルマールセ・デ・バロールよりあるまい。

 ところがここでも青年は出遅れた。只でさえ狙いを手前の槍先から奥の持ち手へと修正してその分余計に間合いを詰めねばならぬところ、その為に馬首の上まで身を乗り出した彼の眼前へと唐突に飛び込んできたのが先んじて放たれたラ・サンチャの蜂針アギホーンだ。これは寸前になって騎士が槍筋を高めに改めたことと、対する学士が自身の体勢を低くそして前のめりに変じたことが招いた、人智の及ばぬ余波レペルクスィオーン・ケ・スペラーバ・ラ・コンプレンスィオーン・ウマーナでもあった。そうして白月の学士はその顔面に《意気地二世》の直撃を受けたのである。

 ――カンッチス! 額や首が瞬間的に被った衝撃荷重カールガス・デ・インパークトも然ることながら――彼の頭部が胴体に別れサヨナーラ[訳注:西sayonara、ペルーなど中南米の一部地域では浜辺で用いる護謨草履を指す]を告げずに済んだのは、奇しくも棕櫚の穂先に与えられた柔軟性に寄与する面が大きいのだが――、走行中に前触れなく一切の視界を奪われたことに対する狼狽については然しもの名騎手をしても御する術を持たなかった。而してカラスコのカースコの硬さと槍先の柔らかさ、加えて槍の柄の硬さが更なる悲劇を招き寄せるとは、その夕暮れ時に名古屋市中を行き来していた一体誰が想像し得たであろう?

 物理的な損傷レスィオーン・フィースィカの分も脳への痛手ダニョ・セレブラール[訳註:語感からして殆ど違いがないようにも取れるが、後者は多分《知覚への一時的影響インパークト・テンポラール・エン・ラ・コンシエーンシア》程度の意味だろう]の方に加算して齎されたこの攻撃は、それでも矢張りニュートンの第三法則に従って[訳註:《矢張りコモ・エラ・デ・エスペラール》というのは、第二十九章の伝馬橋にて川に落ちそうになったボルランド救出に失敗した際にも言及されたから]東岸へと向けられたのと同じだけの反作用レアクシオーンを――公平性を保ちつつコンセルバンド・ウン・センティード・デ・フスティーシア――西側にも及ぼした。つまり右斜め前方に、そしてより重要なことはほぼカスィ水平に放たれた花の一擲ウン・ランサミエーントは、恐らく炭酸樹脂製デ・ポリカルボナートであろう烏小路の瞼甲とほぼ垂直に衝突した結果、ほぼ逆再生するかのように来た軌道を引き返したと思われる。

 そうなればさして摩擦のない箒の柄はラ・サンチャの騎士の握り拳の中をするすると後退し、右に位置する対戦相手に得物を届かせようと左肩をかなり内側へと捩じ込んでいたのも手伝って、跳ね返った《二世》の反対側の先端――則ち石突き部分コンテーラ――が到達した所謂《終着駅エスタシオーン・テルミナール》も、その穂先がそうであったように、騎手(但し槍の持ち主の方)の眉間ないし前髪の生え際辺りだったのである!

 何故だ? 神は息絶えたか? 乙女の美しい前額に風穴が開くのに比べたら、その薄い胸元を貫かれた方がまだしも慰めになったではないか!――と申すのは他でもない、いざ棺に納める段になったとて首より上に施す死に化粧タナトエステーティカにさえ差し支えなければ何とか体裁を保てるものなのだ……

 ――コッチャ! 哀れドニャ・キホーテ、南の橋で豊かな黒髪を失っただけでは飽き足らず、北では可惜その生命すらも儚く散らす宿命にあろうとは……!

「¡Ppuf!」

 ――幸いにも彼女の寡婦額ピコ・デ・ビウダ[訳註:花の額の形状については誰も言及していないのでこれは著者に依る全くの想像であるのを踏まえ、英国ではV字型の生え際を持つ女性の夫は早死するという俗信があった。これは喪中に服している未亡人の被った帽子の形に似ていることに由来するそうだが、これから絶命するのがドニャ・キホーテであるならばこの額は安藤部長にこそ相応しい筈。尚、日本では《富士額》と呼ばれ古くは美女の条件とされた。因みに加齢に依り生え際が後退した男性のそれに関しては《入り口エントラーダス》と呼ばれるらしい]は山羊の角付き頭骨クラーネオ・デ・カーブラ・コン・クエールノス[訳註:《死せる山羊ネクロカブリーオの兜》は飽くまで第二十四章で直ぐ傍に居た御子神嬢と電話中の千代が徒らに発した《猫被りのネコカブリーノ》から想を得た著者自身に依る命名である]がその目庇を以て堅固に防護していた。岡崎の《殿堂》で購った既製品プロドゥークト・リーストとはいえ、自動二輪乗り御用達を謳っている以上内兜には充分な厚みの緩衝材が敷き詰められていることが前提であるからして、起こって然るべき奇跡としてコモ・ウン・ミラーグロ・ケ・デベリーア・アベール・オクリード、彼女が顕著な外傷を負う事態だけは避けられたのではないか……これがもし浜名湖で拝領せし《水精の兜》のままであったなら、考えたくもないことだけれど、前頭葉への挫傷に依る極めて深刻な障害が、今後この少女が真実狂人なのかその模倣をしているだけなのか思案する為に費やされる不毛な時間と労力から我々を解き放ってくれたかも知れぬ![訳註:多分に偏見を孕んだ仮定だが、要はこちらで考えるまでもなく正常な判断力を失った状態になるだろうということ]そうでなくとも一生消えぬ隕石孔クラーテルを、その蒼穹の眉セーハス・アールコス・デル・シエーロ日輪の双眸オーホス・ソーレスの上に広がる――天地が逆転したが如き形容で恐縮だが――魂の楽園たる平野の額フレーンテ・カンポス・エリーセオスのど真ん中に穿たれる災難だけは免れようもなかったに違いないのだ。[訳註:第三十五章で花が引用したドゥルシネーアの美貌に向けた賛辞を、幾らかの茶化しも含め今度は花本人に対して贈ったもの]

「...¡¡Bah!!」

 然りとて考えてもみよ、武装エキーポを含む騎手をそれぞれ載せた馬二頭分の重量――その上内一頭が筋骨隆々たる巨駒ヒガンテ・エキーノ保佑の軍馬デストレーロ》であるなら尚のこと[訳註:仏Destrierは最上位の軍馬で俗羅語の《右側の馬エークース・デクストラリウス》が起源。従者は騎士の右側で牽き、その主人も戦闘が始まる直前までは別の馬で移動してデストリエの体力を温存させたと謂う。主力で出色という意味なら《右腕の/右に出る物なき馬》といったところか]――に、面と向かって疾駆する双方の速力を足した数値を掛け合わせた運動活力エネルヒーア・シネーティカの全てが、極めて華奢な少女の細首に伝わったとしたら……鞭打ち症ラティガーソ・セルビカール、否、圧迫に依る頚椎骨折フラクトゥーラ・デル・クエージョ・ポル・コンプレスィオーンが、ラ・サンチャの騎士をして彼の無情なる十三階段トレーセ・メディーダス・スィン・コラソーンを一足飛びに駆け上がらしめることだろう!

[訳者補遺:箒の穂先が烏小路の兜前面を打ってから跳ね返った柄の極端が花の頭部に直撃するまでの所要時間は僅か四半秒にも満たぬ。人間の反応速度ギリギリに近い瞬目の間に斯程までの状況説明を詰め込んだのには勿論、それまで供人なくとも多弁であった騎士が――流石に敵に突撃する最中くらいは――言葉少なになったのを補う意図もあろうが、初走および第二走に於ける一連の描写は指摘するまでもなく著者アベンダーニョ独自の推察に過ぎない。尤も対戦者間の前後の掛け合いと照応する限り大きな矛盾は見受けられないことからしても、概ねその通りではあったのだろう。但し容喙が許されるのであれば以下の管見を付け加えておきたい。前述の如くことが進む為には、ドニャ・キホーテは長槍を左小脇に挿む形ではなく左肩に担ぐようにして突進した筈なのだ。仮に腰の高さから得物を突き出したとすれば、如何に騎手が身を乗り出して前傾姿勢を取っていたにせよ、往路に近い軌道で戻ってきたそれが花の額を打つというのは余りに不可解(手首が不自然に捩れる)だからである。その点槍を投擲するのと同じく顔の真横を起点として水平に敵方を狙ったのであるなら、学士の防護面に押し返された箒の柄をまだ握ったままの彼女の顔面目掛け、滑らかな拳の中を擦り抜けたその柄の突端が飛んできても何ら物理法則に反してはなかろう]


降りて湧きし非常事態デラマミエーント・デ・ラ・エメルヘーンシアに動転したのはサラマンドラの学士であった。

 ――キィィィィィィッニィィィィィィィ! 性急な制動フレナール・エン・セコに依り、乾き切った石畳の上には鉤状の弧が二条刻まれる。水怪は川面を滑べるかのように四半周すると、大河を堰き止める水門か或いは敵艦隊に向け一斉射撃を開始する間際の戦列艦ナビーオ・デ・リネーアの一隻、若しくは浜名湖沿岸のハマッシーが如く横向きに停止した。嗚呼、彼の戦艦大和とて斯程な急速回頭ビラーヘ・タン・ラーピドを実現できてさえいれば、坊ノ岬沖の軍艦アコラサードマルスとして魚介どもの根城と成り果てることもなかったろうに!

 迚も斯くても慌てふためき鞍から飛び降りた烏小路参三は車道のど真ん中で愛馬を置き去りにすると(とはいえ取る物も取り敢えずデハンド・トド・パラ・アセルカールセ・ロ・アンテス・ポスィーブレ車体が傷付くのも覚悟の上横倒しに打ち捨てるでもなく、しっかり山羊の脚パタ・デ・カーブラを立ててから場を離れる程度の余裕はあったようだ)、サンチャ女サンチェーガの首から上と下が――近くに纏まって、若しくは離れて――転がっていると思しき方向へと駆け寄った。[訳註:西pata de cabraは前章でも見た表現で、ここでは二輪を停車する際に蹴って立てる支え棒のこと。第五章以降、千代さんがシャルロッテを駐める時には《支え台カバジェーテ》なる単語が使われてきたけれども、乗り物に使うcaballeteというと普通は車輪を両側から挟み持ち上げる体の部品。ママチャリの多くが後輪を浮かせて駐輪するのを踏まえてのこととは斟酌できるものの(但し日本国外では乗鞍の直下に取り付けられている車体も多い)、驢馬に見立てている以上はasnete乃至burreteと記すべきだったかも知れぬ。尚、一般に《小馬カバジェーテ》といえば三脚の付いた画架を指す(英名のeazelイーズルは蘭語ezelエーザルを語源とし、こちらは翻って正真正銘《ロバ》の意)]

「あっ、ハッナ――ドッ……」

 果たしてドニャ・キホーテの首から下はまだ鞍上にあった。そして……神は生きたりディオース・エスタッ・ビボ!、彼女は未だ首無し騎士ガン・キャウンではなかった!

 対戦相手ほど派手な手綱捌きで急停止を行わなかった騎士は、それでも東の親柱に至る前で馬を停めると、瞬きも忘れ宙空を仰いだままに暫しの間放心していたようである。

「ああっ焦っ――あべっ!」生きた心地を取り戻したソブレビビエーンテ・デ・ミエードサラマンドラは踏み出した足を滑らせて尻餅を搗いた。「くっそまた……違うこれ、卵ボーロだ」

 大型二輪での低速走行マニオーブラス・ア・バハ・ベロシダッは安定性を欠くことから、路上に落ちていた障害物が仮に取るに足らぬ小さな瓦礫の一片であろうと一旦乗り上げたが最後、乗り手から制御の自由を奪い馬諸共を容易く転倒させてしまうのだ。故に前方不注意の咎までを否定し切れるものではないとはいえ、鬨の声グリテリーオ・デ・ゲーラ吹き鳴らされる喇叭トケ・デ・トロンペータに気を取られた学士が塵取りのトランパに足を取られつつも何とか切り抜けたのは寧ろ賛辞に値しよう。尤も馬を下りてまで無様に引っ繰り返らねばならぬ謂れなどなかったに違いない。

「ごっご尊容に、創傷などは?」自身と敷石の隙間に手を挿し入れ、強打した臀部を摩って痛みを堪えつつも、その身を案じ少女を仰ぎ見る白月の騎士。

 最早ドニャ・キホーテの左右何れの手にも箒の柄は握られていなかったものの、それはサンソン・カラスコとて同じことであった。瞼甲に打突を喰らった刹那はまだ辛うじて把持していた可能性があるが、その先の展開にこそ心底面食らった彼も等しくその場で得物を手放してしまっていただろう。というのも急ぎ制動を掛けるとなれば、両手で手綱を握るに如くはないからである。[訳註:尤も自動二輪の制動は通常前輪を右手、後輪は右足で行う]

「Mi señora, mi dama...」ハッと我に返って、「……いや《我等が貴婦人ノストラ・ダーマ》に騙されもといほだされて、エンリケ二世の二の舞になるのだけは――」[訳註:西語では«Nuestra Dama»]

「ノストラ、ダマス……ああ、アンリ二世」

「――どうにかこうにか免れたようですじゃ。ホレこのとお――」破顔しやおら風防眼鏡に手を掛けると、それを眉の方へとずらして両眼の無事を……「――り、ん?」

 花の右手の指先は眼鏡のモントゥーラを擦り抜けて直接右の眼尻に触れた。そもそも瞳は硝子板を透かすことなく直に景色を目にしているではないか……つまり彼女は既に眼鏡を外していたのである。

 はて馬が駆け出した時点では下ろしていた筈だが――と兜の目庇の辺りを探ってみるも、矢張りその感触はなかった。否、それ以前に上げた瞼甲を乗せる兜そのものが消え失せている。成る程、道理で先刻から頭周りが涼しかったわけだ……

「ぬ、抜かったァ!」

 トランポリソンダ女帝はその名に恥じぬ反発力レボーテに依り――よもや陛下のガリガリの御居処と痩せっぽちな御馬の背にそこまでの弾性エラスティシダッがあったなどとも俄には信じ難いけれど!――鞍から跳ね上がると、己が所有物に対する慈しみの心に富む主人を持った黒馬とは対照的に――ガチャーンクローンク!、イポグリフォを豪快に転倒させた。しかし人馬一体ヒネーテ・イ・カバージョ・コモ・ウニダッとはよく謂ったもので[訳註:皮肉なことにこれは岡崎の第十九章と前章で一度ずつ、騎士自身の口から出た言葉である]、愛馬がその半身と石畳の乱暴な接吻ベソ・ビオレントで被ったのに等しき痛みを相呼応してその片方の足首にも味わったとみえ、ドニャ・キホーテは着地と同時に上下の歯を閉じたまま思わず息を吸い込んだのである。

 休む間もなく何とか片足だけで跳ねながら、北側の高欄に手を掛けて眼下を覗き込む。次いで半ば跛を引きつつもカスィ・コン・コヘーラ橋板の上を横断し――おお、これは巣の近くで捕食者デプレダドールを発見した親鳥が、雛を守る為に自ら怪我を装い片足を引き摺って注意を惹くというあの仕種さながらではないか[訳註:《擬傷フィンヒール・レスィオーネス》や《羽折れ演技エキスィビシオーン・デ・アーラス・ロータス》、広義には《誘引行動パンタージャ・デ・ディストラクシオーン》等とも呼ばれる]――、今度は川下の方に身を乗り出すと、視界に飛び込むは橋桁の下から一拍遅れて姿を表しどんぶらんことコモ・ドン・ブラーンコ流れてくるひとつの戯け顔モモ……否、空の兜ジェールモ・エン・ブラーンコ。[訳註:《まるで白い紳士のようにコモ・ドン・ブラーンコ》? 第三十章では下手な言い訳をしたボルランドに対しニコが「どんぶらこ~」と冷やかす一場があった。こちらは擬音というよりも、二度に渡って川に流され《顔面蒼白の男ドン・ブラーンコのように》という意味合いが強いだろうか。或いは最前にも引用された片足の名提督、Don Blas de Lezoを想起させる語呂なのやも知れぬ。ここでの西en blancoは《中身がなく空白の》]

「――何をなさっ!」長い脚を折り曲げて手摺に攀じ登ろうとした騎士の尻を仰ぎ見て言下に立ち上がろうとするサラマンドラ予科生、しかし少女は途中で思い留まったらしく一度は振り上げた片足をゆっくりと橋板の上に戻した。

「……悪いことをしたな」伊勢湾に向け見る見る遠ざかっていくネクロカブリーオから目を離すことが出来ない阿僧祇花の気怠げな面持ちに、蕾のような口唇から溢れる溜息を押し返すかの如き海風ブリーサ・マリーナが遥か下流から襲い掛かり、不揃いでささくれ立った人参色の棕櫚箒の使い手とは思えぬほどに美しい、漆の艶と絹の靭やかさを併せ持ちながら今や肩にも届かぬその髪を勢いよくはためかせる。「とはいえからがら命拾いをしたわい」

 そう、山羊の頭骨は慥かに額への槍傷や前頭葉の負傷から花を防護した。だがそれは直接的な打撃を緩衝したに過ぎず、猛烈な推進力を秘めた《意気地ありき》の前進を完全に阻むことなど到底敵うものではなかったのである……であれば騎士は如何にしてその力を逃したのか?

「……ん?――ややっ!」

 打突に依る第一次の衝撃を回避したドニャ・キホーテではあったものの、頭の上の防護帽には尚も後方へと押す強い力エンプホーン・フエールテ・アーシア・アトラースが働いていた。ここでもし花の頭部が兜と身体の何れとも別れ難いとゴネたならば、最早残された選択肢は身体を鞍上より引き離すことを置いて他になかったと言えよう。換言すれば馬の尻から投げ出されるというわけだ。投擲された槍の描く放物線を鑑みても、後頭部から石畳に叩き付けられる可能性とて決して低くはない。では頭の上と首から下のどちらを切り離すかといえば、それは――頭皮と緊密な関係にあった頭髪すらも躊躇なく両断する娘のことだ――前者であったと見て間違いない。[訳註:つまりこの時彼女は防護帽をアゴ紐コレーアで固定していなかったということになる]

「«...Pacta, sunt, cervanta.»」[訳註:第三十五章の終盤で、花はセビーリャの青年から手渡された浜名湖の野球帽の中に、複数枚の紙片に包まれた筆燈が差し入れられているのを発見したが、その紙の一枚に上記の文言が記されていたのだと考えられる。著者が明言を避けているので訳者独自の解釈は蛇足となる恐れがあるのも踏まえて追記すると、騎士は第三十章末で美容師から受け取った紙片と合わせた後、文言の書かれた一葉のみを手元に残して金一封と共に野球帽に収め、兜の交換に乗じ千代へと移譲したのだろう]

 騎士は箒の石突きを目庇に食らった瞬間、驚異的な反射神経で頭部と、更には続けざまにその上半身を、猫と牝牛の姿勢ポストゥーラ・デル・ガト・オ・デ・ラ・バカでいえば牝牛に倣って――そうだ、彼女は鬼と戦う若い牝牛だったのではなかったか?――大胆に後ろへと反らせた。然すれば少女の石頭――しかも若干小振りの(日本では顔の小ささが美徳であることは以前述べた通り)――という突っ支え棒ペスティージョ[訳註:扉が開かぬよう障害物として差し通す閂錠のこと]が上手い具合に斜め後方へと傾いてくれたこの機を逃さず、ネクロカブリーオは《意気地二世》に押されるがまま単独で日の沈む方角、否、それよりも大分北側目掛け飛んで行ったのである。ボラを突いた後の玉突き棒タコ・デ・ビジャールがそうであるように役目を終えた箒の方は余勢を失いそれ以上遠くまで跳ねることなく橋の上に落ちたようだが、その分肩代わりした推力を一身に受けている兜鉢ボルはというと勢い余って欄干を越え、豪快に堀川の水面へと飛び込んだという次第なのだ。

 思うにソレント生まれの彼の大詩人はこの橋上の一場面に想を得て、ガリーレアの騎士タンクレードが、それが密かに想いを寄せていた相手とも知らず、出会い頭に敵の猛将と相打ちになり、膂力に勝った己が槍を折りつつもその切先で異教徒の女傑クロリンダの鉄兜を弾き飛ばしたあの鮮烈な一節を紡ぎ出したに相違ない。(尤もこちらの面頬の下から姿を見せたのは――その花の顔容こそ彼女にも引けを取らぬにせよ――夕陽に波打つが如き金髪でもなければ溢れ出んばかりの豊かな毛並みですらなかったわけだが)[訳註:野暮を承知で追記すると第一回十字軍は十一世紀末、タッソが大叙事詩『解放されしエルサレムラ・ジェルサレンメ・リベラータ』を上梓したのが十六世紀後半、そして現在お読みいただいているこの物語の舞台は二十一世紀序盤である]


腰でも抜かしたものか、他に通行する車輌が無いのを良いことに《嘗ての小森の石松》はいつまでも地べたに座り込んでいたが、少女の背中越しからでも消沈する様子がまざまざと伝わったらしく、やがて恐る恐る声を掛けた。

「矢張り小生のメットをお貸しするべきでしたな」

「否、腐っても蜂の騎士が己の鉢を脇に押しやって、人のふんどし借りるが如く敵手の兜で槍を振るうなどとは到底誉められた心掛けとは云えませぬ」ドニャ・キホーテは手摺に片腕を乗せたまま振り返って答えた。槍と盾については学士の世話になったわけだけれど、これらは持ち合わせが無かったのだから已むをを得まい。「甲冑具足は家門の誉れ、仮令おつむに戴いたのが稲穂の先でも容易く貫けそうな《水精オンディーナの兜》のままであったにせよ、取っ替え引っ替えして馬に跨るつもりはありませなんだ」

「ふむ……馬に乗っても便乗はすまじとな」成るように成ったということか。ネクロカブリーオも二君ドス・アーマスの頭部を一度ずつ救ったとあれば、川に流されても本望というものだ。「時に何ぞ仔細がおありかと拝察するが――」

「何です?」

「ええっと……《長からん心も知らず黒髪の》」これでは何か言外に匂わせているように思ってか、学士は言葉尻を濁しつつも以下に続けた。「――いえ、《めでたからんこそ》」

「ああ、そうか」そういえばブラドイドの湖畔だかヌマンシアの浜辺だかで袂を分かってこの方、カラスコが無帽のドニャ・キホーテを目にするのはこれが初めてかも知れぬ。花は笑って高欄を離れると、敷石の上で横倒しとなった愛馬を引き起こし、南北どちらかの欄干に凭れ掛けさせた。「捨てる神あれば拾う神……捨てられた髪を追って拾われた紙が今一度それがしの手を離れただけのこと」

「え?」

「先陣の方は追っ付けバルセローナ[訳註;伊勢湾沿岸のことか]に出た辺りですから、サラゴサで槍試合に立った兜がこれより髪の毛に追い付くにゃまだ大分掛かるでしょうて」

「ハァ……」何だか煙に巻かれたようだが余りしつこく訊ねてわざわざ寝た狼を叩き起こさねばならぬ道理もなかろう。「……てっきりアレにフラれでもした弾みで――っと」

「アレ?」

「いえいえ、槍をね、振り回した拍子でご自身の、こう後ろ髪を断ち切ったのかと」

「ふふっ、トボけたことを申される」日本人が長い髪を落とすとなると、それは落ち武者サムラーイ・デロタード引退を決めた力士ルチャドール・ケ・ア・デシディード・レティラール、それから失恋した女子チカ・ケ・ア・ペルディード・ス・アモールと相場が決まっているのである。「だがこの散切ざんぎりに新しく毛が生えるより一足早く、小森殿には早速根が生えたと見える」

「へぇ……小森の石松は卒業しましたけど?」

「然もあろう。然らば白月はくげつがサラマンカの専売特許である以上、マンドラ殿はハッケツとでもお名乗りなさいな」

「ハッケツ? はて……病原菌を貪食どんしょくする勇ましき好中球に肖って?」好中球ネウトローフィロスといえば免疫細胞たる白血球レウコシート白い小球体グローブロス・ブラーンコス)の中でも突撃部隊エキーポ・デ・アサールトと呼ぶべき勇士たち。成る程血球コルプースクロ薄明クレプースクロならば釣り合いも取れようものだが、それでは太陽の要素が色濃くなろう。まだ《上げ潮の騎士カバジェーロ・デ・ラ・クレシエーンテ・コリエーンテ》[訳註:西la creciente corrienteは女性名詞の《潮流コリエーンテ》に《増しているクレシエーンテ》を形容詞として用いた場合の訳で、《繁栄期、好景気》といった意味にもなる。対してel creciente corrienteであれば、男性名詞《三日月クレシエーンテ》を《流通したコリエーンテ》が修飾した形となり《よくある弦月》といった語感になろう]の方が幾分聞こえも宜しいのではないか?「それとも八名の英傑という意味かしら……シャルルマーニュやアーサー王と並び立つにゃ頭数が足りぬとはいえ、ひとりで八人分の働きとなれば話は別です」

「Franco, Franco, que tiene el culo blanco...[訳註:《フランコ、フランコ、その尻が白いのは》。第二十七章を参照するとこの後に《女房が洗剤アリエールで洗っているから》と続く]」全くこれは、前章で(姿の見えぬ海のカジキマールリン・マリーノに)《青っちろい尻クロ・アスール・パーリド》――蒙古斑のある赤子の臀部トラセーロ・デル・ベベ・ケ・ティエーネ・ラ・マンチャ・モンゴーリカ、転じて《未熟な子供ニニャ・インマドゥーラ》の意――と笑われたのを今も根に持っていると見える![訳註:但し第十五章では実物を見ている千代から「あおっちろいどころかまっちろけ」なる証言が得られている]これが《青白き月の女騎士カバジェーラ・デ・ラ・ルナ・パーリダ》なら過不足ない号であったものを!「……しっくり来んな。よし、«...Carrasco, Carrasco, que tiene el culo en un casco... porque su chica lo rasca, ...¿con una lasca?»」[訳註:《カラスコ、カラスコ、お尻は兜の中……何故ならカノジョが引っ掻くから……剥片で?》――剥片ラースカとは打ち欠いた原石から剥がれ落ちた欠片のこと。石器の材料となる。そんな物で攻撃されるくらいなら尻を硬い防具で守りたくなるのも頷けるが、それ以前にそんな恋人とは別れた方が賢明だ]

「訊かれましても」

「いやね上官や親分が居る身でもなし、黒い烏を白い鷺と呼ばせるよな無体に従う義理もないかと思いましてな」

「ああ《白いケツ》ね……ケツなんて言葉を使う子じゃなかった筈だが。羽根を毟ったら存外お尻は白いかも知れませんよ?」学士は臀部を摩りながら漸く立ち上がった。カラスも羽根の根元は白く、地肌は灰色だと謂う。毟らずとも例えばクルミワリカスカヌエーセス[訳註:西cascanuecesの原義は《胡桃割り》で、黒味掛かった褐色の羽毛に白い斑点を持つカラス科の鳥を指す。日本ではホシガラスと呼ばれる]等の尻の辺りは端から白い。「只でさえ鞍擦れが褥瘡じょくそう気味で痛むというのに、これで赤く腫れてたり青アザ出来てたりしたらこれからの長旅に差し支えるところ。《神の正面仏の真尻ましり》の通り、小生は真っ白なおっ尻で御の字に御座る」

「ハッケツで構わぬとな」

「ですが《蜂のケツ》と混同されて、高名な騎士を討ち取り名を挙げたい売出し中の若武者どもの標的にされちゃ敵いませんね」カラスコは落ちていた棕櫚の槍ランサ・デ・カーニャモ人鳥の盾エスクード・ピングイネーロを拾い上げると、それを以て路上に散らばった塵取りの残骸を掻き集めた。「尤も蜂というからには、ラ・サンチャ殿のお尻は虎柄で黒と黄色の縞模様なんでしょうけれど」

「針で突かれる度胸があるなら今此処で御覧に入れても宜しいが」

「尻の逸物に刺されておっ死んだ日にはてめえでてめえに読経するのも叶いませんで、今ここではご遠慮いたしましょう」慎み深い学士はそう言って愛馬の許まで戻ると、その場に跪き足回りの状態を点検する。「あちゃあエキパイに……これも因果か」前輪が巻き込んだ熱可塑性樹脂の破片アスティージャス・デ・レスィーナ・テルモプラースティカが後部の排気管トゥボ・デ・エスカーペに擦り傷でも付けたか? ひとつ大きく嘆息して、「役回りが武蔵坊とあらば源氏の白旗にくみするのも、ヨーク家の白薔薇を胸に差すのとて決して吝かでは……あれ、貴顕は判官ほうがんよりも紅顔の赤贔屓でしたっけ?」

「ふん、出歯亀殿になびく気はないけれど」紅紫陽花の騎士もイポグリフォの傍らへと寄り添いつつ以下に続けた。「――九郎だろうが山本だろうが出っ歯の義経ならば味方もしましょうぞ。然こそ云え、貴兄がどうあってもそれがしを雀返しの蜂の騎士と侮る腹ならばそれこそ話は別じゃて。小小次郎ここじろうなど箸の櫂を削った得物で充分とな?」[訳註:《お椀の船に箸の櫂》といえば一寸法師である]

「いやだって《ハチのムサシは死んだのさ》って謂うからにゃ、蜂の世界じゃコジローが返り討ちにしてるのかも」カラスコはケルピエの山羊脚を上げると、欄干の側へと押していく。人通りも疎らとはいえ、いつまでも近隣住民の往来を妨げるわけには行くまい。「然もなきゃ負けたムサシたあアベコベで、真白に輝くお月様に喧嘩を吹っ掛け勝ったなんて線もまぁ捨て切れんじゃあないですか?[訳註:一九七二年の楽曲『ハチの~』の歌詞では《真赤に燃えてるお日様に試合をいどんで負けたのさ》とある]……流石に古過ぎる? いや石田ナントカののんき節よかナンボかマシだわ」

「やれやれ夕暮れ前から随分よく鳴くカラスであること!」

「声を嗄らすはご勘弁、《歌姫ラ・ディヴィーナ》ほどの美声じゃなくて心苦しいですがね」回収した破片を可塑性袋の中に流し入れる。「何ならこう見えて、ベルガリオンの才能光らす偉大なるベルガラスやも知れませんぜ?」

「¿¡Porqué no te callas!?[訳註:《何故黙らない?》は著者が第二十六章でも引用したフアン・カルロス一世の科白である。尚、ギリシャ系米国人歌手のマリア・カラスの羅/希字表記はMaria Callas / Μαρία Κάλλαςだが、出生名はSophie Cecilia Kalos / Σοφία Καικιλία Κάλοςで、この«καλός»には《美しい》の意がある]」堪らず天を仰ぐドニャ・キホーテ!「これ以上の魔術師マーゴは御免被る!」[訳註:Belgarathとは『ベルガリアード物語』に始まる、エディングスに依る一連の空想小説に登場した魔術師の名。原義は《ガラ村の愛し子ベル》]

「ついでにタマーゴも」対して烏小路は靴裏を敷石に二度三度擦り付けながら、「まあ《灰色狼》の称号はチヨさんがご執心のその……ヴォルフガング?様にお譲りするとしてだ、如何がなさいます?」

「如何とは?」

「とはって貴女……得物を落としたのは両者同時とお見受けいたすが、どうだろうね? 馬を下りたのは小生が先だしカラス公の敗けかしら?」

「はっ、突かれて落ちたのでなければ無効であろうよ」兜を落とされたラ・サンチャの騎士はそう嘯いて体裁を保たんとする。

「そいつは過分なご厚情賜りまして」何処が住み処か定かでないが、《高価な馬の脚ミエーンブロス・カーロス・デル・カバージョ》を手放さずに済んだことについては、飄々と振る舞う学士とて内心安堵したに違いない。酒呑みのミコミコーナならいざ知らず、馬を獲られたので帰りは馬車か汽車を拾ってくださいでは気の毒が過ぎる。「……然らば仕切り直しと参りますかな?」

 馬鹿げた尻めケ・クロ・リディークロ! 戯れにも白月の騎士を騙らんとした烏小路は、陽の落ちるを待たずに東の空から顔を出したせっかちな月光に晒されてか、オルランドやドニャ・キホーテを差し置いて真実気が触れてしまったに違いないぞ?[訳註:念の為調べてみると、この晩の月の出は日付が変わった直後、つまり午後五時半より少し前であるこの時間帯の名古屋に月は出ていなかった。因みに月齢二十三の有明月クレシエーンテ・メングアーンテだったそうである]

 そうでもない限り説明が付かぬではないか……幾ら白星を上げれば《故郷へと戻り少なくとも一ケ・レグレサラッ・ア・ス・プエーブロ・イ・エスタラッ・アル・メー年は留まって勉学に勤しむノス・ウン・アニョ・エストゥディアンド・エン・エル・コレーヒオ》という誓約を果たさせる権利を得られるとはいえ[訳註:前章参照。正しくは《一年半》、出席日数の都合で留年したら《二年半》]、たった今もこの橋の上の野良試合ドゥエーロ・エクストラオフィシアールにてあわや少女騎士の首をぎかけ、大層肝を冷やしたばかりではなかったか?


立て続けに二台の四頭立てがふたりの間を走り抜け、不穏に漂う沈黙の隙間を埋めた。

「そうじゃな……」ラ・サンチャの蜂は無い顎鬚を扱きながら暫く思案していたが、やがてカルピエに歩み寄るとその鼻先を撫でた。「跨川橋の上でこの青鹿毛あおかげに跨るのはもう控えるが宜しかろう」

「これまたどうして?」

「此れ又如何して! サラマンドラの烏山椒からすざんしょう[訳註:山椒魚サラマンドラだから?]はよくよく無鉄砲の向こう見ずとみえる!」[訳註:「落ち着きなさいな兄さんレラーハテ・エルマーノ高く付くぞロ・バス・ア・パガール・カロ?」]

「はて――」学士は仰々しく手を翳すと亀尾城の立つ上流を見渡して、「遠目にゃ見えませんが鉄砲水か水鉄砲でも飛んできますかな?」[訳註:「閃光的氾濫イヌンダシオーン・レラーンパゴ尋常でない稲光レラーンパゴ・イヌスアールでも」]

「向こうから来ずとも手前で飛び込む落ちが付きましょうよ」飽くまで呑気に構えて憚らぬこのお先真っ暗の騎士カバジェーロ・コン・ウン・オスクーロ・フトゥーロには、敵方である筈のドニャ・キホーテでさえも老婆心を掻き立てずにはおれなかったようだ。「貴兄も山椒の学士ならば……」

「――山椒の学士ならば?」

「いや、」嘗ての山椒の従士の姿が頭を過ぎったか?「――ならば、湖沼の水怪たる此奴の本分を忘れたわけではあるまい」[訳註:「人を欺く水怪モーンストゥルオ・デ・アーグア・メンティローソたる此奴の義務デベールを」]

「ああ、胡椒と山椒か……違う、何でしたっけ?」[訳註:「嘘はやめてノ・メ・ミエーンタス? 胡椒はやめてノ・ピミエーンタス?……」「大量の水を飲むベベール・ムチャ・アーグア?」]

「¡Ay, pobre escocés escocedor!」花は敷石との摩擦で炎症を起こした自らの箒ス・エスコーバ・エスコシーダ・ポル・ラ・フリクシオーン・コン・ロス・アドキーネスを拾い上げ、その穂先に馬の鬣を愛撫するが如き慈愛を以て触れつつ以下に続けた。「如何に主人を恋い慕うておろうが、否、慕うておればこそそのさがには抗えぬのがエスコシアの川駒かわごまなのじゃ」

「胡麻と山椒だったのね。仰せの通り河馬と呼ばれるのに比べたら川駒の方が可愛げもあるというもの……成る程そういう、」遅蒔きながらここに来て漸く鱗持つ逃げ馬カバージョ・エスカパード・コン・エスカーマスの主も得心が行ったようだ。「――乗り手を水底へと引き摺り込まずにはおれぬ水棲馬エフーシュカに、橋の上やら川沿いやらを走らせるのは些か酷というもの。これは小生が浅はかでした。そうか、先刻槍を交える間際に突然前肢が高欄の方へと流れたのはこいつの本能の仕業か……云われてみればたしかに、あれしきのプラゴミであっこまで滑べるとは考えなんだもの」

「然り。九死に一生槍ヶ峰、ながらえたは勿怪もっけの幸い儲けもの……これに懲りたら相棒の忠義を試すような嘆かわしき真似は二度となさらぬことじゃ」

「心肝に徹するご忠言――一度臥して従いましたからにはこのサラマンドラ、二度三度と違える気など更々ございません」ではふたり共、次は四本脚から二本足へと乗り換えて、箒片手に丁々発止を演じるつもりなのだろうか?「嘆かわしいといえば小生の川駒が水恋しいのと同じく、ドニャ殿の鷲駒わしごまも月に想いを馳せたりなんてことをなさるのかな?」

「月にとな……はて?」蜂の騎士は首を傾げた。「何だろう、アポロイレブンの着陸船かしら?」

太陽神アポロンに扮したのはルイ十四世カトーズでしょうけどホラ、シャルルマーニュが宮騎士パラディンのひとりにたしか」これは又何かの時間稼ぎだろうか? 渦中の太陽神も刻一刻と、西の彼方に聳える建築群の奥へと消え入っていく只中だというのに?「――今は貴顕が麾下きかもとい鞍下あんかに従える他ならぬイッポグリーフォに跨ってメリエス宜しく月面へと昇り、そこで従兄のロランと自身の正気を取り戻した御仁が居たのじゃあなかったでしたっけ?」

「それはどうかな? アストルフォならヨハネの山の頂で、彼の使徒自ら用立てた紅焔の四頭立てに乗り換えた筈」宮騎士が天馬を解放するのは地上へと帰還してから尚も先、仲間たちとアグラマンテが治める北アフリカを攻略し、プロヴァンスまで戻った時のことである。そこから如何にして花の祖父の手に渡ったか、その来歴については本書でも語られることがない。「尤もそれがしとて直に目にしたわけでなし、仮令その場に居ってもげきを過ぐるが如し、今は吾が尻の下に敷かれし彼奴直直じきじきに身の上話を聴いた憶えもありませぬが、兎も角それがアリオストの記すところ」

「はあ然様で……小生が繙読はんどくしたのは相当昔のことですし、あの大長編はかなり当たって重版出来と聞きますからな。多少の改訂があっても驚くには当たりますまい」

けいがベルガラスたる由、神以しんもって二言なしと申されるならばそれがしも改めて此奴の海馬に言質げんちを取ってみようじゃありませぬか!」学士の減らず口を付いて出た出任せにはラ・サンチャの騎士も思わず失笑を禁じ得なかった。しかしベルガラスであれば齢七千を数える寿老人オンブレ・ロンヘーボ、然しもの大賢人メルリンとて彼の目には洟垂れ小僧チコ・モコーソ同然に映るであろう(……そうなるとガレスの魔法遣いに操られて云々という件[訳註:前章参照]も当然単なる狂言か悪巫山戯というのが真相となるわけだが)。不死の魔術師がその発表当時に手に取り賞翫した長大な叙事詩の一部が、版を重ねる毎に少しずつ脚色や翻案を施され、初版とは異なる内容で現代に伝わっていたとして何の不思議があろうか?

「では当面ドニャ・キホーテも月面を訪れるご予定はない?」

「何の為に?」

「……さあ」理性を取り戻す為以外に動機があるものだろうか?

「餅を搗くならこの地上でも過不足のないことは今し方カラスコ卿が身を以てお示しになられたばかり」《蒸した米を叩くゴルペアール・エル・アロース・コシード》とは則ち尻から地面に落ちることだ。「惜しむらくはウはウでもウサギじゃのうてカラスであったところよの[訳註:卯/烏]……だがその硝子ガラスベルさながらの澄んだガラガラ声に誓って云わせてもらえば、其処なリフェオスの悍馬に里心が付くとなりゃ――これは月世界旅行のあし足り得るかの如何を問わずじゃが――高いといっても空の下、モスコビアより更に遠き大ウラルの雪嶺でしょうや」[訳註:これは欧州から見た位置関係であり、日本を起点とするなら勿論モスクワよりもウラル山脈の方が近い]

「じゃあ裏ルートを採れば少しは近道できましょうかね」

「背に乗せた主人の都合も弁えず気紛れで里帰りされたとして、それがしと貴兄じゃ罹るのがせいぜい高山病か潜水病かの差」

「潜水病?」カラスコは眉間に皺を寄せると、何が気になるのか手摺から身を乗り出し眼下の川面を覗き込んだ。

「薄くとも空気があるだけ山の方が幾分救いがあるとはいえ……まあ学士殿は自前の酸素を担いどるようなもんだし、」日本語では酸素オクスィーヘノをサンソ(酸の元素エレメーント・デル・アーシド)と綴るのだが、これは往時酸素が酸を形成する際に重要な役割を果たしていると考えられていた歴史を踏まえればある程度納得の行く命名[訳註:西oxidarで《錆びさせる》]と言えよう。又、《酸化物オークスィド》といえば酸素と酸の混成語である。「然様に気に掛けることもあるまいて」

「減圧症を患うほどの深度があるようには見えんが」サンソ・カラスコは何やら妙な暗示に掛かってしまったようだ。「東京まで又何本も長い橋渡らにゃならんのに……はてさてどうしたものか」

「鏡よ鏡――カガミさん?」

「はい……ハイ?」

「そんなまじないでも唱えぬことにはとても顔など映りゃせぬでしょうに」硝子のように透き通った清水ではないのだろうが、多少は濁っていた方が光の屈折を鑑みても寧ろよく反射するのではなかろうか?「成程ベルガラスの美貌ベリャ・カーラとは洒落が効いておる……揺れる波紋に浮かび上がるのがナルキッソスの紅顔でないとしたら、玉子ともども黄白こうはくに塗れて歪む好色のドリアン・グレイがしかみ面か」[訳註:著者は花と烏小路との対比からか《紅白ティント・イ・ブランコ》と解釈しているが、玉子と云うからには金銀の符牒たる《黄白》と採るのが妥当。尤も――黒い殻を除き――黄白なのはボルランドの踏んづけた茹玉子であって、先ほど学士が滑った卵ボーロはほぼ単色だと思われる。第八章の海岸では花にパルナッソスの自己陶酔少年を引き合いに出された彼が、「可憐な水仙どころか水栓に詰まった醜い土左衛門となるのが関の山」と切り返した一場も思い出しておこう]

「そこまで像が歪むほど不行状を重ねた憶えもないけれど」強いて挙げるなら、箱根峠で出会って以降――途中何度か見失いながらも決して悟られることなく――このような遠隔の地まで遥々主従を尾けてきた酔狂ボラチェーラには少なからず追及の余地があろう。「そう云うラ・サンチャの美女丈夫だって、蝶のように舞い蜂のように刺すカシアス・クレイは何処へやら、お尻の毒針に加え片翅までも失ったか先刻からどうも千鳥足に見えますぞ?」[訳註:第二十四章でも用例があるが、《千鳥の歩みでアル・パソ・デ・チョルリート》とほぼ直訳されている]

「今何と?」

「いやね、弁慶の……それは俺か、じゃあアキレスの――もといアキッレ・ボッキの泣き所にアポロン放ちたる矢傷のひとつでもお受けになられたのかと!」

いやしくもトレビゾンドの皇帝セサリーナを捕まえてカシウスだブルトゥスだとは!」おお、これは明らかにカラスコの失策であった。言葉尻を捕えた軽口は元より、矢張りイポグリフォに無理を言ってでも月までひとっ走りしてもらい、何より先立って騎士の正気インヘーニオを取り戻してくるべきだったのだ。無論仮に彼が今も《白尻クロ・ブランコ》ではなく《白月ルナ・ブランカ》の号を担っていたとしたならば、――サンソンの身にサンソが宿っていたのと同じ理屈で――己が体内から一定量(ウナ・ポルシオーン)取り出し[訳註:ルナそのものは狂気ロクーラの隠喩であるから、これが一体何のporciónで服用の結果花の精神を改善してくれるのか寧ろ悪化させるのか、その効果に関しても眉唾な代物だろう]その一服分ウナ・ポシオーンを彼女の鼻から吸わせてやることとて出来たのであろうが! せめて異名が《白い腰回りカデーラ・ブランカ》であったら分別の半分ミタッ・デ・ウナ・コルドゥーラくらいは備わっていたろうに[訳註:西caderaにはcorduraを構成する文字が半分強含まれている]、いやはや口惜しい限りだ。「開かず目のアンリに成り損ねたこの血のメアリめが、詭弁家の貴兄が被る弁慶の白頭巾を平家に担がれし赤薔薇のヘンリがお眼鏡にも適うよう唐紅に染め上げてくれようぞ!」

「たしかにハートの女王は赤が好きとは申しますけど、間違えて白バラの木を植えた庭師は勿論のこと、誤魔化そうと白い花を赤く染めたにしても結局は首を刎ねられちまうんじゃありませんでしたかね?」成る程白ウサギも他人事ではないという口振り。「まあ日も暮れぬ内からそんなお手数掛けませんでも、夕焼け小焼けに照らされりゃ白いカラスも自然と赤く――あっ」

 一旦名駅の方角へと視線を投げた学士が再び面紗なき顔カラ・スィン・ベロ[訳註:西veloとは通常女性が顔を覆う薄絹を指すが、ここでは兜の前面で両眼を保護する開閉式の瞼甲ベンタージャのこと]を戻すと、手負いの蜂が性懲りもなく又もや欄干に攀じ登ろうとしているものだから、休息が死を意味する蜂鳥の羽撃きが如きその忙しなさに気を取られた彼は背後を通過しようとした別の鉄騎にも気付かず無意識のまま後退ったものの、これでその車輌と接触した上にもし改めて転倒していたとすれば今度はきっと尻で餅を搗くだけでは済まなかったであろう。


――《一羽の蝶のように舞いフロタリーア・コモ・ウナ・マリポーサ一匹の蜂のように刺すイ・ピカリーア・コモ・ウナ・アベーハ》。

「ちょちょっとおやめなさいって、そんな踵の靴で……」

 擦れ違い際に一瞬接触するのみの一騎討ちならいざ知らず、まだ明るい時分に橋の欄干を歩いている姿が近隣住民の目にでも留まれば如何なる事態を招くだろう? 子供が巫山戯ているのなら優しく説教するなり叱り飛ばすなりで落着する一件だ。しかしこの狼藉の張本人が大人――ある程度背丈があれば遠目にはそう映るに違いない――となると酔漢かも知れぬし、迂闊に怒鳴り散らせば弾みで橋から転げ落ちぬとも限らない……そうなれば小言を素っ飛ばして直接官憲アウトリダーデスを呼ばれぬとも限らぬではないか?

「ホラこここんなに湾曲してますし、こんなの平均台の名手コマネチだってこま落ちすること請け合いです」言われてみればあの囚われの白き妖精アダ・カウティーバ・ブランカ鞍馬カバージョ・コン・アルソーネスにも長じていたという話は聴いた例がない。[訳註:本来《駒落ち》とは将棋に於いて双方の力量に応じ持ち駒を不均等にした対局のことだが、ここでは烏小路の意図を汲み取り《落馬するカエールセ・デ・ス・カバージョ》と訳出している。西洋将棋アヘドレースにも一応これに近い不利な条件デスベンターハを指定した遊び方はあるようだ。因みにナディア・コマネチは跳馬サールト・デ・カバージョでも目覚ましい成績を収めているし、そもそも女子体操の種目には鞍馬がない]「とにかくその箒は放棄して、隣の葱帽子ねぎぼうしに掴まりなされい」

架木ほこぎ蜘蛛舞くもまい[訳註:綱渡りの一種]の糸に見立てるならこの矛は差し詰め天秤棒にござる……」騎士の手にあったのが真実《物干し竿パロ・デ・テンデデーロ》であったなら兎も角、綱渡り用の竿ペールティガ・パラ・エル・エキリブリースタを箒で代用する気であれば事前に穂先を全て毟り取って両端の重さを均等にしておくべきであろう!「さあさ貴兄も上がって来られよ。御身も牛若にくだる以前は奴に兵法を授けた大天狗でもあった筈、口先に劣らず定めしその身も軽かろう」

「そりゃ大した自作自演マッチポンプだが、果たして弁慶と天狗は両立するもんですかね? たしか鞍馬天狗の頭巾は黒か紺じゃあなかったですか?」

「敢えてクロウ[訳註:英crow]と名乗るからにゃ烏天狗の免許皆伝ってのも頷ける話だ」

「ああソッチ……」義経とは忌み名ノンブレ・レテニード――ドニャ・キホーテにとっての《阿僧祇花》――であり、俗名ノンブレ・ブルガールが九郎、牛若は幼名アポード・デ・ニニョだ。「じゃあ《色白くして歯出でたる》ってのは嘴のこと? 尻を蹴飛ばして修行を付けるのにもさぞかし苦労したでしょうよ……待てよ、それじゃ《白尻クロ・ブランコ》だってクロウ様にこそ相応しい通り名じゃないですこと?」

「その尻白きの武士が一本歯の足駄あしだで擬宝珠に立ったと謂うのなら、この《尻薄しりうすの騎士》」こちらは《桃尻クロ・ドゥラースノの従士》が命名である[訳註:第十二章を参照のこと。《尻薄》については《天狼星のデル・スィーリオ腰の細いカデーラ・デルガーダ)》と括弧を付している]……にしても《白軍の九郎クロ・デル・エヘールシト・ブランコ》とは、まさしく白き黒シロノワールの化身なのではあるまいか?「――とて試さずばなるまい!」

「シリアスに[訳註:《冗談抜きでエン・セーリオ》に掛けて《天狼星でエン・スィーリオ》]!」屋上の転落防止柵を跨いで越え今まさに愚行権プリンシーピオ・デル・ダニョを行使せんとする自殺志願者アスピラーンテ・ア・スイシーダを迂闊に刺激しては却って危険であることも承知の上で、天狗は下方から少女を見上げなら彼女を説破する口を休めず以下に続けた。「恋人が《蓮っ葉の騎士》なんて呼ばれるザマは蓮姫はすひめさまとて見たかあないでしょうに! 不肖この下っ端の与太烏よたがらすだって、川上の風見の上からオカッパの川流れなんざ眺めるのは御免ですがな」

「落ちたら落ちただ」ドニャ・キホーテが支柱の突端に乗った玉葱頭カベーサ・セボージャにゆっくりと、無事な方の片足を掛ける!「その時は河戦のアグリッパとなりてポンペイウスなりアントニウスなりの軍船を蹴散らし、諸共に川の藻屑とならしめれば良いだけのこと」

「そんなパッパラッ――パラッパーな!」

「それがしとて伊達や酔狂で陸揚げされたクラーケンを調伏し、鎌倉天狗の石面皮せきめんぴがおっ立てたる鼻っ柱を圧し折ってやったわけではないのだ[訳註:第四および五章参照。鎌倉で天狗と言えば建長寺の半僧坊大権現だろうが、花がここで高尾山と鎌倉山を混同したのは共に登山した庵堂玲愛の現住所に影響を受けてのことだろう。尚、高尾駅の乗降場で騎士の急襲を被った石像の天狗鼻は、千代の尽力に依り無傷のまま危機を脱している]……どうして烏賊頭巾の鞍馬天狗風情に後れを取る謂れがあろ――っと!」

「おあっ!」

「……ふう」流石に片足で平衡を保つのは些か無理があるようだった。「そら、ククリヒメこと吾が懐中の匕首が口縄よろしく鎌首もたげるその前に、貴兄も早早腹を括りなさるが肝心じゃ。鳥刺しに餅付けらるるが憚られる武蔵殿なら、鬼に金棒弁慶に薙刀、遠慮は不要ゆえ自慢の石融いしおろしでこの蜂鳥を田楽でんがく刺しにしてみるがいい」

「立ち往生やら棒立ちに限っちゃ頼まれずともこの通り、十八番おはこも十八番の箱入り息子たる武蔵坊にござるが――」狭い橋の上で通行車輌を立ち往生アタスカードスさせぬ為にも、車道から路側帯へと戦場を移したことだけは評価に値しよう。「小生如何に風任せの閑人なれど人鳥の盾の裏で勧進帳をそら読みする才があるでなし……折角馬から下りても川へと落ちれば元の木阿弥、だったらひと足お先に一段下がり土下座衛門と名を変えて、蜥蜴の如く這い蹲ってでも判官様のお赦しを請うた方がまだ武蔵敗けたり負けるが勝ちたりというものです」

「山椒魚なら五体投地もお手の物でしょうな」

「でしたらおもてを上げると同時に万歳三唱もセットで如何です?」

「カメリアだからと万年も生かされちゃ堪らぬわい」ドニャ・キホーテは《二世》の石突きで擬宝珠の頭を打った。「而してウェールズのマーリンは《騎士自らの手で勝ち取った冠でなくば何ぞ兜に代えて戴く甲斐もあらむや》と得意気に嘯いておったのに、青きフクロウ谷のベルガラスはその羽根を鳶合羽とんびがっぱよろしくいとも容易く翻してくれよる。出会した魔術師次第で言うこともアベコベじゃ目利きの本阿弥を以てしたとて甚だ厄介じゃて、その真贋だけでも白黒付けてもらいたいものよ」

「誰かさんのお陰でこの目を白黒させてる内にはそれも叶いますまい。十五ラウンド闘い終えて赤青コーナー共に白髪が生えるまで燃え尽きられたら御の字、このままじゃ耳齧られたドラえもん顔負け、ガミラス星人も真っ青なレベルで顔面蒼白歌合戦でさあ」

「ガミラスとな?――神のはべらす烏となれば主はアポロかオーディンか」烏に纏わる聖人サントといえばテバスのパブロやも知れぬ。[訳註:『宇宙戦艦ヤマト』に登場するガミラス帝国の語源はシェリダン・レ・ファニュの同名小説に登場する女吸血鬼バンピレーサ『カーミラ』だとのこと。余談だが第十八章岡崎篇の楽屋裏にも同じ源氏名の女装男子が登場した]「まさかヨタというのがそれこそ与太で、真実おぬしが八咫烏だと言うのじゃあるまいな?」

「なあに与太も烏も飛ばしてナンボ、侮っちゃいけません。何たって十垓ゼタキロ倍、一兆テラテラ倍もあるのですから……」ユタと言うと南米南部ではナメクジバボーサを指すが、カパラソーンの有る無しに限らず蝸牛カラコーレスの類――《理性を去勢するカパール・ラ・ラソーン》とは何とも恐ろしい言葉だ!――であれば綱どころか壁や天井に至るまで張り付いて進むことも出来たであろう……その一方、取り分けブエノス・アイレス界隈では二人一組の警察官ユンタ・デ・アヘーンテス・ポリシアーレス[訳註:西yuntaは通常二頭で使役する牛馬等を横に繋ぐ為の頸木くびきのこと]を意味するそうで、こちらは一転今現在ヨタの学士が最も顔を合わせたくない存在であったに違いない。「ヨタヨタ歩くもヨチヨチ歩きも素面しらふの千鳥が踊る舞台としちゃ石畳の上の方が格別に広うございますまいか?」[訳註:《より広い石畳の上で舞う――それこそが千鳥のあるべき姿でしょうアスィ・エス・コモ・ウン・チョルリート・デーベ・セール結局のところはア・フィン・デ・クエーンタス》]

「言うに事欠いて燃ゆる熾天使セラフ[訳註:西serafín el flameante]とは、今度は随分と持ち上げられたものよ!」玉葱に乗せられた片足へと次第に力が込められていく……!「然るにても赤き翼が三対もあれば千鳥の頭ばかりか紅鶴フラメンコの長い足とて覆い隠して余りある、其処へ持ってきて宙に舞うならそも片足で立つ労さえ御無用じゃ」[訳註:熾天使は六枚の羽の内、中央の一対を飛翔に、残りの上下二対をそれぞれ顔と足を隠すのに用いると謂う。これには神の威光に目を灼かれぬ為、人の住まう大地を踏まぬことでその愛と恭謙を神のみに捧げる為――と双方に理由があるのだとか。尚、第十章の訳註でも述べた通り《千鳥の頭カベーサ・デ・チョルリート》とは阿呆の意]

「やめやめやめっ! 風見千鳥が屋根上で白鳥の湖踊るというでもあるまいに、フラメンコの長い足は舞台タブラオの板を踏んでこそ、湯船バスタブの縁に爪先立って道往く耳朶みみたぶ誑かすとはご法度タブーにも程がある!」日和見ベレータの学士は得意の駄弁でラ・サンチャの風見少女ヒラルディージョの注意を逸らしつつそろりそろりとにじり寄る。少年時代を振り返れば蝶を手掴みで捕まえようとした経験こそあれ、二十歳を超えてから見知った蜂娘相手に同じ試練を課されるとは、今日この時まで思いも寄らなかった筈だ。「お山を下りた牛バカだって、蝶々結びの高下駄脱ぎ捨てそんなヒールに履き替えちゃったらすってんころりんどんぐりこ、お堀にハマってさァたい――」

「ドン・グリコが父君ててぎみたる半獅子殿ドン・グリフォの子という意味じゃということくらいならそれがしにも察しが付くが、なあに幾らお茶目な荒馬とは云い条その点貴兄のケルピン君とは相異なるのじゃ……詰まるところ主人を奔流に突き落としたり河床かわどこへと引き摺り込んだりする暇があったらロサウラを残して崖下に転がり落ちたファエトンの如く――」

 嗚呼、ドニャ・チドリチョルリータにしてお喋り娘チャルレータよ、不肖インディーグノ・イホのアベンダーニョもついつい大事なことを忘れていたぞ……熾天使セラフィーンとはこれ則ち《焼け付く蛇セルピエーンテ・アルディエーンテ》、天から地へと堕ちたあの光齎す者ルシフェールとて嘗ては彼等と等しくその聖なる階級に於ける最高位ランゴ・マス・アールト・エン・ラ・エラルキーア・ディビーナに従事し、従うべき唯一の神から最も近い場所でかしづく栄誉をさえ許されていたのではなかったか?[訳註:羅seraphimの語源である猶太語«שרף/saráf»の原義は動詞《焼く/燃やす》だが、これが悪魔の隠喩でもある毒蛇の意味を持つようになったのはその咬傷が焼けるような痛みを伴うが故だろう。又、神に背いた堕天使が第一位の熾天使と第二位の智天使ケルビーン――花が戯れにKelpieをQuerupínと呼んだのは欄干に上った自身から見て地上の相手を一段低く見積もった為か――何れの成れの果てかという議論には古今神学者の間でも未だ決着が付いていない。例えば第十四章では湖上の千代さんが親しみを込め《秋茄子》と呼んだトマス・アクィナスは、魔王サターンが落魄した天使長であるのならその前身は熾天使であると考えるのが妥当だが、傲慢の罪は前者の特性たる《熱烈な愛》よりも後者の《知恵》にこそ似付かわしいとの見解から、エゼキエル書第二十八章の記述通り悪魔へと身を窶したのは智天使の方だと規定している]


――《荒ぶる半鷲半馬よイポグリーフォ・ビオレーント 汝は疾風の輩と成り果てたケ・コリーステ・パレーハス・コン・エル・ビエーント》。[訳註:第八章、沼津の浜辺にて従士の手を借り脱衣する最中に花が諳んじた男装の麗人ロサウラの独白。《風の相方となった/同化した》とは戯曲『人生は夢』冒頭、険隘なる岩壁で突風に煽られた馬が断崖から滑落した様子を、命辛々自分だけ生き延びたその主人が峡谷を見下ろしつつ、出し抜けに旅の伴侶を失った不安と絶望を半ば高飛車な物言いで直隠ひたかくしながら描出した表現である]

 ――ガチャンクロンク

 上流から吹き下ろされた川風が北側の欄干に空く支柱と支柱の隙間を貫き、手摺に凭れその身を休めるイポグリフォの細い馬体を(又も!)横薙ぎに転倒させた。満身創痍エリディッスィモ

 サラマンドラは背後で響く騒音に抗う術なく振り向かざるを得なかったが、その横っ面は張り手ボフェターダの如き昂ぶる北風神ボーレアス・ボラスコーソの温い一吹きで即座に南側へと押し返される。次いで耳の中を削るように駆け巡る風精たちスィールフィデス・コリエンドに細めた両眼を何とかこじ開けて見えたのは、着地面積ソナ・デ・アテリサーヘの著しく狭い擬宝珠の上でにっちもさっちも行かなくなった風見少女の姿だったのである。

 いや、玉葱の突端を挟み込むように両膝を引き寄せれば両足で立つことも或いは出来たやも知れぬ。しかし想像していただこう、先ず風を受けて最初に後方――つまり流れている水面上――へと突き倒されそうになったのは彼女の上半身に相違ない。転落を免れる為には腰を折って臍より上を橋の上へと突き出さねばならなかったであろう。となると今度は逆に顔面から石畳に向かって飛び込む方向へと重心が傾く。そのまま落ちるという選択もあるにはあった筈だ。とはいえラ・サンチャの騎士も所詮は人の子、その四肢は反射的に落下を回避する為の手段を講じたと考えられる――一方の足を支柱に残して全身を支え、他方の足は後方にピンと伸ばし、腰を支点として前方に傾斜した上半身との平衡を保つのだ……そう、教会の丸屋根や平屋根クープラ・イ・アソテーア・デ・ウナ・イグレースィアの上に立つ風見鶏ガジョ・ベレータも雪降る湖上で踊るアラビアの白鳥シースネ・アラベースコ[訳註:ここでの《唐草模様のアラベースコ》とは勿論バレエに於ける片脚立ちの技法を指している。直前に烏小路が発した《白鳥の湖》を受けてのことか。尤も風見鶏は通常両足立ちで、どちらかといえば鶏冠を持つ頭部と盛り上がった大きな尾羽根で釣り合いを取っている印象が強かろう]も――よもやこの舞こそが彼女の《白鳥の歌カント・デル・シースネ》だとでも?――丁度そのようにしてしなを作るではないか。

 否、これは寧ろ水飲み鳥パーハロ・ベベドールの原理か? それとも伝統尊ぶ日本人であれば烏威しエスパンタクエールボス[訳註:案山子エスパンタパーハロスの直訳は《鳥威し》]ならぬ鹿威しエスパンタシエールボスなる風雅な装置アルテファークト・エレガーンテを思い浮かべるであろうか?……というのも大きく下げられた千鳥の頭には竹筒から湧き出て帯滝カスカーダ・デ・シンタ[訳註:一直線に落ちる直瀑?]のように降ってくる池の水こそ溜まらぬにせよ、その胴体を巡っていた赤い血潮が司令塔たる脳目掛けこぞって流れ下りてくるに違いないからなのだが。

 それは扠置きこの状況を理解する為に読者諸賢が公園のギッタンバッコンスビバーハで遊ぶ子供たちを思い浮かべたり、況してや一度振り上げた拳プニョ・レバンタード・ウナ・ベスはいつか下ろさねばならぬという真理に思いを馳せたりするまでもないと信じる筆者は兎角簡便な描写に留めんと努めて記すものだが、つまり橋の内側に大きく傾斜した頭部が次の瞬間天を向いて跳ね上がり、それとは対照的に手摺を越えた反対側で宙を蹴り上げたばかりの(恐らく挫いていた側の足が履いている踵靴タコーンの)本底スエーラ化粧革タパが得点を決める直前の蹴球選手よろしく勢い良く振り下ろされたとしても何ら不思議なことではなかったし、それこそが《反動レアクシオーン》乃至《復元力フエールサ・レスタウラドーラ》と呼ばれる物理法則だったのである。

 ひとつ問題があったとすれば、彼女の足元に蹴り飛ばすのに手頃な球技用の球ペロータ・デ・デポールテスは転がっていなかったし、仮に何処かから転がってきたにしてもその場に留まっていてはくれなかったであろうことだ……何故ならそこに地面が無かったからである。自然振り下ろした片足は空振りしつつ振り子の最下点プント・マス・バホ・デル・ペーンドゥロを通過し、そのままつい一秒前まで自分の頭があったのと指幅ひとつ分ウン・デドも遠くない空間を蹴り上げた。

 さて天秤棒の両端が共に時計回り――東側から観測していた場合は反時計回り――に回転したとすると、支点となっている騎士の股関節の可動域が軟体動物並みか或いは骨盤と大腿骨が取り外し可能であるといった特殊な条件でも満たさぬ限り[訳註:腰部と大腿部を繋ぐ各種筋肉の存在も無視は出来まい]、擬宝珠の上で全身を支えていた方の片脚――支柱ソポールテ――にも同方向への推進力が加わるであろう。玉葱の禿げた頭皮クエーロ・ノ・カベジュードや花の履いた太踵靴タコーネス・グルエーソスに余程の滑り止め加工でもされていたならば話は別だが、手触りや快適な歩行感を犠牲にしてまでそのような処置を施すとは考え難い以上、軸足ピエールナ・ピボターンテは舞い上がった他方の浮足ラ・オートラ・フロターンテに引っ張られる形で欄干を離れ、宙に浮くことになりはしないか?

 換言するとまさにこの瞬間――跳躍台帝国に栄光あれグローリア・ア・ラ・トランポリソンダ! 毛布跳ばしよりいや高くムチョ・マス・アールタ・ケ・エル・マンテーオ!――ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャの痩身は、ややもすればその従者の身代わりとして空を飛んでいたのである。[訳註:本家『ドン・キホーテ前篇』第十七章では宿賃を踏み倒して立ち去った主人に代わり、出遅れたサンチョ・パンサが不幸にもペドロ・マルティネスやテノーリオ・エルナンデス含むその場に居合わせた連中に依る私刑リンチャミエント――毛布跳ばし――の被害に遭っている]


宿泊所オステリーア![訳註:これも《聖餅オースティア!》に代わる驚き・嘆きの感嘆詞で、毛布跳ばしの行われた旅籠ベンタからの連想だと思われる]我等が天秤の騎士の最期フィンは突然到来し、斯くも呆気なく劇場の幕が下ろされるのか?

 立っていたのと同じ位置に背中から落下するとなれば垂直に突き立った玉葱のタジョ[訳註:発芽する部位で一般には首部しゅぶ等と呼ばれる]は彼女の薄い胸郭を容赦なく貫き、六条の河原ならぬ五条の橋の上で晒されるその痛ましき串刺し刑エンパラミエーントの景観は怪奇的な蜂の楊枝料理ピンチョ・グロテースコ・デ・アベーハさながらの様相を呈することとなろう!

 しかしながら名古屋城の外堀から川の流れに沿って飛来した気流は依然として伊勢湾を目指していたので、文字通り蝶の羽のように宙を舞い鳥の羽根の如き重さしか持たぬ花の身体は僅かながら風下へと押し流されていた。それはそれでコモ・バ・ラ・コサより長い時間、より長い距離を落下せねばならぬのではあるけれど……堕ちた先が地上ラ・ティエーラであったルシフェルは幸い哉!

 尚以て未だ希望は潰えていない……そう八日前の、あの鹿島立ちの朝[訳註:第二章参照]を思い出してみようではないか? 扇風機の風に飛ばされた招待状アインラドゥンを追い掛けるドニャ・キホーテは二階に位置する千代の私室の窓枠を通り抜け、矢張りあの時も露台の防護柵から身を乗り出した挙げ句に頭から地上へと転落しかけたのではなかったか? そして出会って間もない主人の唐突な死と共に人生最悪の夏休みが開幕するのを覚悟した従士が、遠からず我が身に降り掛かるであろう雑事ペケニェーセス――警察に依る事情聴取等――に思考を漂わせることで殊勝にも細やかな現実逃避を試み始めていたのを余所にして、当の吊るされ娘アオルカディータは形好い額も露わにその長い黒髪(及びそれこそ紅玉の首元飾り)を時計の振り子よろしく半坐宅の中庭に向け揺らせていたのである……此度もあの命懸けの曲芸に微かな期待を懸けてみては?

 ……否、遺憾ながらその望みは極めて薄い。解さぬ者は過日の狂態で阿僧祇花が如何様に柵を乗り越えたかを追懐してみよ――軒下を過ぎて舞い上がる紙切れを何とか掴まんと身を乗り出した騎士は、前のめりで手摺に腹を乗せ――バンギャの謂う《布団》である――窓の向こうの寝室に、次いで家屋の外壁に相対する状態で地球の重力にその髪の毛を引っ張られたのだ。だからこそ直立した姿勢では顔と同じ方向を向くのが常である爪先を柵の支柱と支柱の隙間から覗く扶壁パラペート[訳註:ここでは柵を支える土台たる立ち上がり部分のこと。千代さんの部屋の窓から出入りできる露台や防護柵の形状について詳細を知る手立てはないが、いずれにせよ足の甲を乗せられる場所がなければ花は真っ逆さまに落ちていた筈である]に差し入れて引っ掛け、それこそ肉吊り鉤ガラバート[訳註:本章序盤、伝馬橋の袂にて花が呟いた諺を参照されたい]のように自身を吊り下げることが叶ったのだ。

 だが今回彼女が川面に向けていたのは背中ではなかったか? これがもし前傾していたのだとしたら前面、則ち橋板を覆う敷石の上に落ちるのが道理なのである。

 嗚呼さらばラ・サンチャの蜂よ、今やその翅しとどに濡れて再び自由に天穹を翔け巡ることなけれども、河口にて馴染みのネクロカブリーオと落ち合えば、後は帰途の海流コリエーンテ・デ・トルナビアーヘ[訳註:黒潮のこと]、北太平洋と渡り泳くばかり、やがては新西班牙ヌエーバ・エスパーニャの地を踏むことも強ち真夏の夕の夢スエーニョ・デ・ウン・クレプースクロ・デ・ベラーノとは言い切れまいぞ?


――ポチャンパフ

 落ちた、遂に落ちてしまった……どうだろう? 如何に蜂の翅や蜂鳥の羽が一枚の羽根のように軽いとは言い条、余りに水面との衝突音が控え目過ぎやしないだろうか?

「……ナちゃん! ハナッ!」

 さて千鳥の髪カベージョ・デ・チョルリートはというと、柳の下で愛らしき女土左衛門モナ・ドサエモーナとなった丁国ディナマールカの娘のそれが川面に疎らとなって広がり藻草に絡まりながら嫋やかに沈んでいったのとは打って変わって、いやそれどころかその毛先を水に浸らせることすらなく――我等の与り知らぬところで膂力を失っていたと思しき眼の前の短髪サムソンサンソーン・コン・エル・ペロに遠慮したラプンツェルが、塔の下まで届くその艶やかな髪を事前に断ち切り川に流してしまってさえいなければ、ここが京都なら《友禅流しユーセン・フロタンド》(la técnica tradicional de lavado de las telas de kimono yuzen)と見紛うような絹の如き黒髪が川面に揺らめく幻想的光景を拝めたであろうに!――、占杖術ラブドマンシーアで水脈や鉱脈を探し当てるのに用いる振り子ペーンドゥロよろしく極めて神妙にバスターンテ・スミサメンテ垂れ下がっていた。

「ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ!」

 阿僧祇花が眼下のミランド・アーシア・アバーホ――それとも眼上のアーシア・アリーバと記すべきだろうか?[訳註:今現在彼女の天地が逆転しているからである]――流れは三途の川のそれでないことをやっとのことで知覚するに至るや、十秒間に渡り通行止めとなっていたその口唇は大きく開かれ、そこから一度に大量の空気が流れ込む。

「アタマッ! 頭打ってない?」

 今や過剰に行き渡っているだろう脳内の血液へと、遅ればせながら必要な分だけの酸素が十全に運び込まれ漸く最低限の認知機能を取り戻した騎士は、更に一拍置いてから肺の中に溜まった気体を時間を掛けてゆっくりと全て吐き出し、最後に少しばかり噎せた。それから幾度か深呼吸を繰り返す内に、陣太鼓タンボーレス・デ・バタージャ――それとも戦火の砲台バテリーアス・デ・ゲーラか?[訳註:西bateríaにも膜鳴楽器の意味がある。《鼓合戦バタージャ・デ・バテリーアス》]――を思わせる苛烈な鼓動も徐々に緩やかに転じていく。

「……あなあな、聖祖母サンタ・アナ」やおら鼻詰まり声ボス・ガンゴーサで、さも感慨深げに呟く吊るされ娘。紅石カルブーンクロは又もその形好い顎裏にでも張り付いているに違いない!「《柵見れば、背ダイがしたい……静穏剤をくれダメ・ウン・セダンテ》とは斯許りのものか」[訳註:第三章で多摩川に架かる水道橋を渡った際に千代が発した独言を参照のこと]

「な、何て? 意識あんなら返事して!」

「いひき?……《いくひあいき》あら――んんッ」ドニャ・キホーテは二三喉を鳴らしてからエヘムとやや大仰に咳払いすると、顎を上げて小川のせせらぎムルムージョ・デル・アロージョを背景に万歳した両腕ブラーソス・レバンタードスを見下ろしつつ以下に続けた。「――うんッ、ありゃ?」

「どした? もしもーしッ!」

「いや、橋の地覆じぶく[訳註:高欄の基礎部分で一番下部に設置される横材のこと]に強か腿裏でも打ち付けられちゃあ然しもの腿当てキホーテとて悲鳴のひとつも上げたところじゃが……幸いサラマン殿の前肢が長うて助かりましたわい」

「ちょっとあんまり……動かんでください、幾ら羽根より軽いっても片手じゃ――」

「ハネでございます」

「何だって?」

「何でもない」

「待って、両手で……よいっしょ。これで、何とか」

「うむ……慥かに貴兄が迅速と拙速を履き違え、それがしの腰の辺りにしがみ付いておくれであれば」騎士は兜を失って間もない己の後頭部を擦った。「――この石頭も石柱と望まぬ逢い引きを強いられ、帽子を脱いだ団栗どんぐりは気付けば棘の皮を剥かれた毬栗いがぐりに宗旨変え、パクリと口を開いて目鼻なき鬼瓦ならぬ鬼皮が顔を覗かせていたところですじゃ」

 ……そうか読めたぞ! この石橋の側面部は恐らく、橋脚ピーラスの上で歩行者や通行車輌を支える主桁スペレストゥルクトゥーラ石欄プレティールよりも内側に引っ込んでいるのではないか? だからこそ騎士が高欄の外側で逆さ吊りに落ちた際も、勢い余って後頭部や背中を壁に激突させることなく宙に浮かせることが出来たのである。

「申し上げにくき、儀ではあるか、小生とて桃尻と呼ぶにゃ未だ熟すことを知らぬ――その気配さえ匂わせることなき天華てんげの騎士[訳註:蓮華を意味するとなれば安藤嬢個人に仕えるという解釈も成り立つ]が鉄壁の御居処へと不用意にもしがみ付いたとあっては、鼻当て兜ナザールヘルムすら被れぬ天狗の鼻[訳註:守るべき鼻が邪魔で被れないのである]ならポッキリ圧し折れ我が面目とて丸潰れ。目鼻に加え口共々の粗方が損なわれたのっぺり顔になっておったのは寧ろこちらの方だったとこですよ……あっ」唐突に降って湧いた非常事態にすっかり忘れていたことを、学士は今更になって思い出した。「あの、足……思いっ切り掴んじゃってるけど」

「兄の掴んだそちらのアキレス――もといアキッレの腱は恰も好し、偶さか挫いておらぬ方の泣き所であった」

「それはそれは……余程の籤運くじうんをお持ちなようで」手摺に《布団》の状態となり下方に伸ばした両手でドニャ・キホーテをぶら下げていた学士は、顔面は兎も角肺腑が見る見る潰されていくのを腹筋の頑張りで何とか堪えながらそれにも限界が近付いている旨を肌に感じていた。彼を責めることなかれ、何しろ西陽に照らされたその髪は騎士のそれより遥かに短いのだ。文句ならデリラダリラに言うがいい……だがもしこれがセビーリャの(稀にララメンテお喋り男パルラドールであったなら、この首と脚以外も均等に細作りな珊瑚色した紅鶴フラメンコ・デ・コロール・コラールを片手で軽々と引き上げていたであろうか?[訳註:事実か否かは定かでないが、第二十三章にてジョヴァンニは花と自転車を両脇に抱え、水風船の親子の死角へと瞬時に避難したという描写が為されていた。又、同僚の口からは彼が平素は極めて無口であるという証言も何度か得られている]「化け鯨に相対したスキロポリアが、寄せ返す波に乗り主の許へと返り咲いたのには、倣わず、敢えなく川流れせし《意気地の箒》でしたら代わりに、サラマンドラのを、進呈いたします故、えぇっとそろそろ……どんなもんですかね?」

「土左衛門とな?」

「いやですから……場所柄地鶏を吊るす分にゃ何ら、憚ることもないのでしょうが」成る程、名古屋コーチンは日本三大地鶏の一角にして《地鶏の王レイ・デ・ロス・ポージョス・ナティーボス》の異名を取るのだとか。四匹の猫が素通りしてしまったのは口惜しいことだけれども[訳註:第三十六章に拠れば、千代が投宿した城のある一画は南東端が便利店で南西端が葡萄酒食堂、それらに挟まれる形で鳥料理屋が店を構えていた]、吊るされた王様を目にせねばならぬというのとてそれはそれで痛ましいに違いない。「いくら波に千鳥ったってこんな、黐鳥もちどりみたいな無様な姿を市井の、人々にでも隠し撮りなんかされた日にゃ、天下のキホーテとて今後気兼ねなく堂々と、往来を、闊歩することも叶いますまい?」

「そうじゃな……川波は、」騎士は薄汚れた鏡面が如き流れを改めて見上げた。舐めた人差し指を突き立てたかまでは判らぬ。「――凪いでおるようだけれども」

「今そんな、言葉遊びにかまけてる余裕は……川が凪いでいようが我がたなごころは泣いておるのです――厠で流す涙とてこれほど、の、かさには至り、ますまい」便所で流すべきは別の物であろう。「言い換えると手汗が、ね」

「それは難儀な……天狗の軍手に持ち合わせは?」[訳註:《天狗の手袋テングアーンテス》]

「グロ――籠手ゴーントレなら迂闊にもさっき外して、しまいまして……」不慮の事故で兜を突き飛ばしてしまった直後、狼狽して花に駆け寄った折にであろうか? それはそうと斯様な熱暑の中でも煩わしがらずにきちんと手袋を嵌め騎乗していたとは、安全面を考慮しても存外感心な若者である。「尤も天狗の鼻には軍手よか、典雅テンガのが収まりが好さそうですが……おおっとっとっとスベスベ過ぎんだよクソッ、ごっつい踵も邪魔臭いしもう……ここまで何とか、持ち堪え候えども致し方もこれなく……ああもうスッポ抜けそう」

「よしどれ……よっ」思うように起き上がれぬ様子。「腹に力が入らぬ。午餐を抜いたからかしら」

「そいつは大誤算、だ。俺なら腹熟しに逆立ちさせられるより空きっ腹を選ぶけどね」こちらも手摺で胃を圧迫され続けているだろう学士にしたってこの時もし満腹であったなら、ボルランドが飛ばした護謨爆弾ボンバ・デ・ゴマ[訳註:意図せず吐き捨てられた噛飴ガムの残骸のこと]にも況して見るに堪えない汚物エメースィスを、少女の後ろ髪どころか全身に浴びせ掛けていなかったとも限らぬ。「ああつらい、肩が抜けそう……とりあえずここまで持ち上げるから、ここに……分かる? 一旦足首というか、向こう脛?引っ掛けられますかな?」

「試す価値はありそうですな」

「そう云っていただけるとこちらも……でなきゃ遠からず共倒れ――ならぬ共流れ」烏小路は勢いを付けて、片手を引っ張ると同時に他方の手を騎士の膝裏へと引っ掛けた。「――よし。アレは何と言いましたっけ……素っ裸の、イカれたオルランドと一緒に橋から、落ちたアルジェの王は?」

「サラセーノのロドモンテ」[訳註:第二十八および三十五章でも言及があった]

「そうそうロドモンテ……そんな感じ、擦り剥かないようゆっくり」どうやら逆さまドニャ・キホーテの脚部は着々と固定されつつあるようだ。「――あ、逆にそっちの膝引っ掛けてこっちは足付いて踏ん張った方がいいかも……うんそう。アレって王様そのまま溺れちゃったんでしたっけ? 流石に……はいここ、表題役をしてこの最期はないだろうが」

「共に岸から這い上がっている筈です。尤も大口叩きの山転がし[訳註:《転がすロドモンテ》]王に関しちゃその後《黄金の槍ランチャ・ドーロ》構えし女騎士ブラダマンテに敗れ、その恋人ルッジェーロの愛馬フロンティーノを取り返されるも、――」

「お手をどうぞ……はいもう一息」

「巻尾にて御両人の華燭の典へと乱入した挙げ句、」午前中にドニャ・キホーテが再会した方のご両人アンボスはまだ祝言前のようであったから[訳註:慥かに第二十八章で共に地下の一本道を冒険した関西弁のふたりからは所帯染みた倦怠など微塵も感じ取れなかった]、恐らくこれは異なる分岐を経た並行宇宙ウニベールソ・パラジェーロの逸話であろう。「破魔の狼煙剣バリサルダを佩きタタール王から奪いしヘクトルエットーレの甲冑纏った改宗者ルッジェーロに討たれたのじゃ……」

「ふむ、人間引き際が肝要という良い見本ですな……よし掴んだ、せぇーの!」

「¡Puf!」烏小路が反動を付け思い切り仰け反ると、手摺の裏に押し当てた自身の膝頭を支点として花の上半身がくるりと引き上げられる。

「……ふう、おかえり」

「《一年と一月と一日》」[訳註:«...finché non sarà un anno, un mese e un giorno.»――アリオストの『狂へるオルランド』内で、思い掛けず女騎士の後塵を拝せし己に大層恥じ入ったロドモンテが戒めとして自らに科したのが隠者のセッラに於ける蟄居であり、上記はその期間。いっそそのまま大人しく引き篭もっておればよいものを、年季が明けた王はいざ意趣返しとばかり止せばいいのに祝いの席に闖入した挙げ句、必勝の武器を持った新郎の返り討ちに合い哀れ相果てる羽目となった]

「何です?」

「――でしたろうか?」

「……ああはいはい、一年と六月むつきね」学士は些細な訂正を付け加えた。「ムツキと言っても正月の睦月までってことじゃありませんよ?」[訳註:«...un año y medio, pero sin ninguna llorona.»――「一年と半分、但し泣き言はなし」。《よく泣く女ジョローナ》といえば御伽噺に登場する妖精の名であると同時に、他人の葬式へと雇われて出向き大袈裟に嘆き悲しんで見せる嘆傷女プラニィデーラのこと。この職業は世界各地に残っており、殊に墨国メーヒコのジョローナが有名である]

御湿おしめ[訳註:襁褓むつき]を取るには気が早かろうて!」そう嘯くと老いた赤子蜂の騎士カバジェーラ・デ・ラ・ベベーハ・ビエーハ[訳註:西bebé+abeja=bebeja]は柄にもなく戯けて両手を、今度は正真正銘ベルダデラメンテ・デ・ベーラス上に、或いは前方へと伸ばした。[訳註:西訳で「泣くには年を取り過ぎておりますソイ・デマスィアード・ビエーハ・パラ・ジョラール!」]

「しめしめ……では自慢の羽を伸ばし――開いてくださいまし」[訳註:「よしよし旧友よビエン・ビエーハ翼を広げて高く飛べデスプレーガ・ラス・アーラス・パラ・ボラール・アールト……そしてよい旅をアオーラ・ブエン・ビアーヘ!」]

 学士は父親がしばしば幼い娘にそうするように、日本人が《高い高いアールト・アールト》と呼ぶところの所作で――則ち騎士の両脇に両手を差し入れ――そのまま持ち上げんとした。要は欄干を跨いで石畳の上へと着地する手助けをしたかったのだが、芳紀十六七の乙女ドンセージャ・デ・ドゥールセス・ディエース・イ・セーイス・オ・スィエーテの柔肌にこうも気安く触れようとは馴れ馴れしいこと甚だしいではないか……だが何か問題があったとしたらそれは彼がドニャ・キホーテを、まるで超芳紀六七の女児ニニャ・デ・ドゥルシッスィモス・セーイス・オ・スィエーテにそうするかのような感覚で抱き上げたことであった。


サラマンドラのカラスコが実際ナジル人の土師フエースサムソン宛らの偉丈夫であれば少女を手の平に乗せて欄干どころか橋そのものを越えさせてやることすら可能だったかも知れぬ。しかし生憎彼は身の丈も筋力も人並みか、多少恵まれていたにせよ精々常人の範囲内デントロ・デル・ランゴ・ノルマールであったものだから、騎士は[訳註:学士の持ち上げる高さが足りなかったせいで]その膝か若しくは足の甲を手摺に引っ掛けてしまった。嗚呼、せめて彼が照れずに狩蜂の腰の括れシントゥーラを掴んでいたら高低差を補完することも出来ていたであろうに!

 膝より下がアーンクラの役割を果たし予期せず重量を増した千鳥に対し、そうでなくとも不眠と疲労が祟っていた石松はそれに抗えるだけの余力を持たず引っ張られてしまう。そうなれば川の方へ押し返される形となったドニャ・キホーテは反射的に落とされまいと、全体重を青年の上半身へと任せるように動くと考えるのが自然だ。ともすれば彼女は咄嗟に足の支えを外し(丸みを帯びた手摺はけだし外し易かったであろう)、跳馬を飛び越える際の体操選手よろしく彼の両肩を勢い良く突き飛ばすことで前方上向きの推進力エンプホーン・アーシア・アリーバ・イ・アーシア・デラーンテと変え、何とか敷石の上に着地しようと努めたのではないか?

「――ンがッ!」

 気の毒なことに生きているサンソンサンソーン・ナシード[訳註:ナジル人のサムソンサンソーン・エル・ナシレーオ(西nazireo o nazareo)は既に死んでいる為]は均衡を崩し、又もや派手に尻餅を搗いて石畳の上で仰向けに転がることとなった。人助けアークト・デ・ボンダッは時と場合、そして何より《相手オブヘート》を吟味してから為すべしと、この男も今日この日ほどに痛感した憶えはあるまい。

 一方のラ・サンチャのパトリシア・モレーノは如才なき着地で十点満点カリフィカシオーン・デ・ディエス・プントスを叩き出す為にも平坦な床スエーロ・プラーノを選び――つまり寝転んだ人体は避けて――舞い降りたに違いなかったものの、畢竟彼女はナディア・コマネチどころか騎馬民族の娘以外の何者でもなかったナーディエ・スィノ・ウナ・コマーンチェとみえ、うっかり挫いた方の足裏で大地を踏み締めてしまったか、或いはそちらを庇ったが故に片足で着地し結局は平衡を保つことが出来なかったか、若しくは――

「ぉあっ」

 ――いや、痛みドロール焦りパーニコではなく純粋な驚きプラ・ソルプレーサが籠もったこの間投詞を聞くだに彼女の身に何が起こったかは明白であろう。そう……ほんの数分前に白尻の騎士を襲ったのと同じ災難、つまり投げ捨てられた上に踏み潰され、そのまま敷石の上にこびり付いた卵ボーロに足を滑らせたのである! に恐ろしきは魔術師マゴよりタマゴ哉![訳注:奇しくも南米でtamangoというとこちらは滑った方つまり《履物》側、取り分け使い古された古靴のこと。語源は葡語のtamanco《木靴タマーンク》、若しくは回教徒支配下のイベリア半島に暮らした基督教徒の言葉モサラベ語ált amánko《高き足布アールタマーンコ》に由来すると謂う]

 とはいえ斯くの如く耳から得た情報のみを頼りに想像するより他に関わりようのない本書の著者にとっては他愛なき単なる喜劇的一場ウナ・エクサークタ・エスセーナ・スエールタ・イ・コーミカに過ぎぬ登場人物二名に依る転倒でありながら、取り分け下敷きになった方の身に己を置き換えてみればこれとて侮り難き苦悶を伴う一種の拷問に相違なかったという事実も又、想像に難くなくはあるまいか?

 とどのつまり我等がドニャ・キホーテは、夕暮れの差し迫る晴天の空を眺める体で倒れていた学士の無防備な腹部目掛けて尻餅を搗いたのだ。烏小路参三は声なき悲鳴グリート・スィン・ボスを上げた後、少なくとも十秒間は呻き声ひとつすら上げることをしなかったとされる。

 それにつけてもどうだろうか、読者の皆さん? ラ・サンチャの騎士ときたら、空翔ける四頭立て御するヘリオスが一路名古屋の天穹を脇目も振らず東から西へと突っ切るその短い間に、一度ならず二度までも大の男をその尻の下に敷いたプエースト・バホ・ラ・カデーラではないか![訳註:一度目については第二十九章に詳しい]

「ん……あ、あっ」やっとのことで何事かを語らんとしたサラマンドラだったものの、込み上げる咳気を堪えること能わず、激しく噎せ返ったら返ったで肺の中の空気を粗方追放してしまったらしく更に暫くの間口を利くことが出来なかった。そして漸く絞り出された言葉が、「……ちょっと見ない間に縦にばっかスクスクと育ってからに、そのくせ高校生にもなって弾力の欠片もない、こうも骨張って、極めて軽いのに鋭く突き立つが如き――」

 多少は弾力のある肉椅子ソファッ・カルナール[訳注:語感が若干淫靡に響くので、印象としてはもう少し筋肉質な男子か、でなければ御子神嬢のように肉感的な体型を誇る女性が何かの拍子に家具化されたかのような絵面が先行しそうだ]に腰掛けつつも、どうやら渦中の阿僧祇花はいまだ放心したままのようである。学士は今一度痛々しく咳き込んだ。

「……こんなんじゃ桃尻どころか、……槍尻やりじり末期の言葉パラーブラス・フィナーレスを残そうと、又は臨終の秘蹟ウールティモ・サクラメーントに於ける罪の告解でもしているかのように白尻の青年がなけなしの力を振り絞って一語また一語と言葉を紡ぐ度、垂直に伸びた少女の上半身がヒョコヒョコと上下する。「……否、さしづめ《矢尻、の騎士》がいいとこ、ろ、だ」[訳註:西訳では《槍の先プンタ・デ・ランサ矢の先プンタ・デ・フレーチャ》に掛けて《売女な矢プタ・フレーチャ》となっている。これまでの訳註でも幾度か解説した通り名詞putaの語義は《娼婦/性悪女》だが、ここではflechaを修飾する形容詞として《クソ忌々しい》程度の意味だと解釈すべきであろう]

 そう言い残すとカラスコは息絶えた。道理で、こちらのサンソンにとっての売男な悪魔プト・デービル[訳註:これもpunto débil《弱点プント・デービル》の綴り損ねを装ったか、英表記を借りputo dévilと記されている]は髪の毛カベジェーラよりこの女騎士カバジェーラだったというわけだ。そうは言ってもどうだろう?、数千のペリシテ共を道連れに倒壊したダゴン神殿の下敷きとなるのに比べれば、美しい少女の尻の下で迎える最期を不幸と嘆くなどは罰当たりだと言えなくも……ない。

 片や学士の腹に横乗りしたまま呆けていたドニャ・キホーテはといえば一転して――彼の放った最後の一矢ウールティマ・フレチャーソ[訳註:《矢尻の騎士》という文言]が余程その心に的中したとみえる――クスクスと、真実年頃の少女らしく笑い始めた。初めは声を押し殺していたものの、やがて薔薇の蕾が開かれると騎士はその真珠の歯を見せて抱腹した。《泣き女はゴメンノ・ジョローナス》などという誰かの念押しは杞憂そのものだったではないか!

「――ぐはッ!」

 彼女の横隔膜の振動は直接直下の尻へと伝わり、然程緩衝効果の見込めぬ臀部がカラスコの肺を激しくそして小刻みに収縮させたお陰で、彼は(今度こそエースタ・ベス)メルリンやフレストンの力を借りずに死の淵より蘇生を果たすことが叶ったのである。生還の代償として考える限り、再びその喉を猫咳トス・フェリーナ[訳註:百日咳ペルトゥッスィスを意味する《野咳》は本来tos ferinaと綴るべきところ、第三十六章に続きここでもfelinaとなっている。こちらも――例えば千代さんを連想させるべく挿まれた――意図的な誤りであるのか否かは不明だが、語感としては猫が気管支炎に罹ったか若しくは猫に対して拒絶反応アレールヒアを示す体質の人が見せる症状を想起させるかも知れぬ]が如き発作エスパースモスが襲ったとしてもそれは忍受に値する苦痛だったと諦めるよりなかろう。

 平素の騎士らしからぬ少女の無邪気な高笑いが止む前に、青年は両眼に涙を浮かべつつも何とか深刻な喘息を押し止めることが出来た。但し虫の息のようにコモ・レスピーラン・ロス・ビーチョスその呼吸は浅い。

「……橋で、転んでも」防護帽の奥で汗ばんだ顔を隠しながら、カラカラに乾いた口唇から力なき呟きが溢れる。「……おかしい、お年頃?」

 すると漸く歓笑から立ち直った阿僧祇花は、暫く呼吸を整えてから高々二クビトゥスにも満たぬ眼下で不甲斐なく横たわるサラマンドラの兜へと手を翳すなり、徐ろにその暗い覗き窓パンタージャを額の方まで持ち上げ、「お久し振りです」と云った。[訳註:「斯くも長き時間タント・ティエーンポ!」。実際には感嘆符を付けるほどの強い語気ではない]

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