漆黒の闇から
一宮 沙耶
第1章 女性としての再出発
1話 死後
私の男性時代は暗闇に閉じ込められていた。
真っ暗な闇の世界。
わずかな光も次々と消えていく。
もう、どこにも一欠片の希望の光もなくなった。
それは私が異常だから。
男性なのに、女性として生きたいと思っているから。
男性なのに、男性に愛情を抱くから。
そう、この世の中では、生きていてはいけない存在なの。
私は心を病んだ。
そして、同様に自分のジェンダーに苦しむ女性と出会ったの。
お互いに慰めあう日々が過ぎた。
そして、その女性と脳移植で体を交換したの。
しばらくは満ち足りた日々が続いたわ。
でも、そんな日々は続かなかった。
やっと、女性になれたのに、すぐに体を奪われてしまったから。
今は、死んで幽霊となり、ほとんどの人は私に気づかない。
与えられたジェンダーにあらがってはだめということなのね。
でも、体に縛られない魂だけというのは私に合っている。
体がない分、自分は女性だと思えるもの。
私は、3時間ぐらい前に目覚めた。
たしか、夫だった祐一と車の事故にあったはず。
それもテロを阻止した報復として。
漆黒の闇が私を包みこむ。
どこにいるのかしら。
闇だけじゃない。音も何一つ聞こえてこない。
光も音もない世界。
でも、重力だけは感じる。
何かとてつもないほど重いものが上から私を押さえつけている。
ここはどこだろう。
寒い。体が凍りついて、起き上がれない。
指でさえ床にくっついて離せない。
鉄の匂いがする。ここは私の血で海のようなんだと思う。
そういえば、息をしていない。
手が動かないからわからないけど、脈はないみたい。
私はやっと死ねるのね。
みんなから嫌われた生活は、やっと終わる。
でも、どうして意識はあるのかしら。
死後の世界なんてあるのかしら。
もう、開放してほしい。
その時だった。いきなり、まわりは陽の光にあふれた。まぶしい。
さっきまで乗っていた車が真下に見える。
首都高の壁に衝突してぐしゃぐしゃ。
前の座席はなく、私たちはおせんべいのように潰されたのかしら。
あ、今、ガソリンに引火したのか炎が車を覆う。
私たちの体は灰になっていくんだと思う。
いつの間にか、宙に浮いていて下を見下ろしていた。
そして、祐一も横で呆然と下を見下ろしている。
無口で、何かこうなることを知っていたかのように。
そこに、これまでの組織のボスの声が頭に響いてきた。
ボスは、いつも謎に包まれていて、背後は暗闇のよう。
ニヤけた顔をみるだけで、いつも怖い。
「どうだ。起きたか。」
「私、まだ死んでないの?」
「いや、死んだ。でも、幽霊としてまだ存在しているんだ。」
何を言っているのかしら。
やっぱり、私は、死んでしまっているのかしら。
でも、周りはごく普通のビル群と高速道路。
ただ、違うのは、私たちが乗っていた車が炎上しているだけ。
でも、車が横で燃え盛るのに不思議と熱さは感じない。
むしろ、凍えるよう。
「それで、なんで、あなたと会話できているの。」
「我々、公安は研究部隊も持っていて幽霊との会話ができるテクノロジーを開発したんだよ。」
「じゃあ、横にいる祐一も幽霊ってこと。もう開放して。」
「そう、2人に、もう1つの仕事をやり遂げてもらいたい。」
「それをやって、私に、なんのメリットがあるのよ。」
「我々は、もう一つのテクノロジーも開発したんだよ。」
「それは?」
「幽霊を、今生きている人間に乗り移らせるものだ。」
「その人はどうなっちゃうの?」
「その人の魂は消滅する。だから幽霊とかになって彷徨うことはないんだ。」
「そんなのひどいじゃないの。」
「あなたは、自分の幸福と知らない人の不幸とどっちをとるんだ。答えはでてるよな。」
そう、せっかく女性として生活を始めたのに、これで終われない。
見ず知らずの人の幸せなんてどうでも良かった。
そんなことを考えると、私の目がつり上がる。
幽霊は気持ちが顔の表情にそのまま現れるみたいね。
私は、自分勝手な非情な表情で、目や鼻から炎が燃え広がっている。
「・・・。わかったわ。で、なにをすればいいの。」
「そうそう、自分が一番大切だと顔に出てるじゃないか。仕事は簡単だ。あなたは、人間からは見えない透明人間ともいえる。今、首相暗殺計画があのテロ組織で進んでいるんだ。あなたの女性としての体を奪った憎いやつらだろう。」
「そうね。」
「そのキーとなる3人の情報を盗み、計画の全貌を暴いてもらいたい。」
私たちの日常の生活を脅かすテロ組織。
それを殲滅するのが私の仕事だった。
それをすることで人間に戻れるのなら。
「わかったわ。それで、それができたら、私はどんな人の体に乗り移ることができるの。男性や年寄りなんて嫌よ。」
「わかってる。もう探してるんだ。今度の4月に女子校に入る女性だ。だから3月までにはやり遂げてくれよ。そうすれば、4月から新たな環境で、自然に女子高生の仲間に入れるんだから。」
「それなら、やるわ。3人のキーマンの情報をちょうだい。ところで、祐一はどうしてしゃべらないの。」
私のパートナーである祐一の表情は気が抜けたよう。
空に浮かび、灰になっていく自分をじっと見つめている。
「まだ混乱しているんだろう。あと1時間ぐらいで正気に戻ると思う。」
「よく知っているわね。過去にもこんなことがあったということ?」
「実験済だから。じゃあ、後であなたの旦那さんに、このミッションを伝えておいてくれ。」
上司が言うとおり、しばらくして祐一は正気を取り戻したわ。
そして、私は聞いたミッションを伝えた。
祐一は、このミッションを知っていたようで、私の元から去っていった。
なにかやることが分かっているんだと思う。
私は、早速、1人目のキーマンである男性の住居に入り込んだ。
部屋のカーテンは全て締め切られて、暗がりの中で男が多くの部品を組み立てている。
食べ終わったカップラーメンの容器が床に転がる。
小さな電球が机の上にある爆弾を照らす。
部屋の中は爆弾でいっぱい。
その男は、手を休めると、なにやら、仲間に連絡をし始めたの。
「2月11日建国記念日だな。象徴的な日じゃないか。その日は総理大臣が天皇に拝謁するんだって。じゃあ、天皇も一緒に爆破だ。宮中の豊明殿というのは、腕がなるな。警戒が厳しいからこそ、成功したら俺の名が知れ渡るってもんだ。」
今回のターゲットは、総理大臣と天皇らしい。
目的はなんだろうか。目的なんて、そもそもないのかもしれない。
日本を混乱の渦に巻き込みたいとか。
「今作っている爆弾は、蚊のように小さいが威力はバレーボールぐらいの大きさの爆弾と引けを取らない。この蚊型爆弾を10匹とばせ、同時に爆破したらどうなると思う。まず、半径50mはなにもなくなるほど破壊されるね。いや、そんなにおだてないでくれよ。いくら俺が天才だからといって。」
どうも、昆虫型の爆弾で攻撃するらしい。
とんでもないことを考えるわね。
蚊なんて、小さくて気づかないじゃないの。
しかも、当日の遠隔操作だとすると、事前に防げるわけじゃない。
これじゃあ、SPがいても総理大臣は殺されてしまう。
ここで、この部屋を暴風雨のようにすることもできる。
でも、泳がせた方がテロ組織の全貌がわかるから、まずはこのままがいいわね。
攻撃の日と攻撃の場所は掴めたんだから。
「なんか、今日はやけに冷えないか? でも、そのわりには、じめじめするな。なんか、ぞくぞくして、気分が悪くなってきた。熱でもあるのかな。そういえば、誰かに背後から見られているみたいだ。誰もいないが、目だけが俺を睨んでいるような。俺の勘違いかな。」
しまった。気配を感じられたみたい。
男性は更に目つきが悪くなり、疑心暗鬼になりかけている。
まずは、この部屋をでよう。
次のキーマンは女性だった。
総理大臣とそのSPたちの当日の行動を調べているらしい。
ボスらしい第3のキーマンと話していた。
「まあ、私の宮内庁役人に対するハニートラップを褒めてよ。本当に男ってばかね。女の体をちらつかせるだけで、こんな情報をすぐに喋っちゃうんだから。」
「お前の腕がすごいのは認める。それで、どんな情報が手に入ったんだ。」
「その日、総理大臣は、天皇との接見は公開せず、前日から災害地域のお見舞いに行くらしいわ。現地には、その日はずっと現地にいるということにしているらしいけど、お昼には抜けて、政府専用機で東京に戻り、天皇に拝謁し、その後、夕食までにはまた現地に戻って、現地の方々と懇親会をするんだって。何をそんなに隠れてしてるんだか。今後の女性天皇をどうするということかしら。いずれにしても、14:30-15:30は豊明殿にいることはたしか。15:00ジャストが狙い目ね。SPは3人。」
「わかった。爆弾を阻止できる人数じゃないな。ありがとう。」
「報酬の5,000万円、よろしくね。」
この女性は、黒い煙をまとい、邪気に包まれている。
部屋の壁は、どす黒い液体で塗られているよう。
窓から光が照らしているはずなのに、部屋にはスタンドの光だけで真っ暗。
女性の手から、黒い煙が舞い上がる。
これまで、その手で何人もの人を殺してきたに違いない。
その肩には、4人の霊がぶら下がっているもの。
いずれも、怒りに満ちている。
憎しみにみちた、ひどい形相。
今にも襲いかかりそうね。
いずれの顔からもうじがわいている。
殺されて山中にでも捨てられたのかもしれない。
1人の顔から目の玉が落ち、そこから土色の液体がたれていた。
「なんか最近、背中に傷ができるのよね。ベッドになにかあるのかしら。」
「ダニでもいるんじゃないか。ちゃんと掃除しているのか?」
「いやだ。ダニなの? でも、ちゃんと掃除してるわよ。気持ち悪いからシーツ、洗濯しておこうっと。」
それはそうでしょう。
もう1人の幽霊が長くとんがった爪で背中をひっかいているもの。
その傷から、バイ菌が入り、死んでしまえと。
呪われた生まれなのだと思う。
もうすぐ、あなたを殺して、この霊を憎しみから解き放ってあげる。
私は、あなたたちの味方だから。
ところで、この男性、どこかで見たことがある。
誰だったかな?
そう、私が生きていたころ、会社に来ていた営業部長。
あのころから私は目をつけられていたのね。
私の行動を探り、車に細工をした。
もう私を消し去り、自分の計画は順調に進んでいると思っているでしょう。
そんな甘い世界じゃないのよ。
私がこの計画を潰すんだから。
この男性にも多くの霊が憑いている。
いずれも、びちょびちょで水がひたたり落ちている。
コンクリート詰めにして東京湾にでも放おり投げたのかもしれないわね。
顔は原型をとどめず、溶け落ちていく。
目からはカニのような小さな生き物が出てきた。
体は大きく膨れ上がり、多くの穴から海水が溢れ出ている。
この男性の周りを霊たちがびっしりと囲んでいる。
「冬っていうのに、どうしてか息苦しくないか。なんか海の腐ったような匂いもするよな。このマンション、なんかあるんじゃないか。引っ越そうかな。」
匂いもひどい。どうも、匂いや気配は気づいているようね。
でも、もうすぐ獄中ね。そこで、この霊たちになぶり殺しにされるのよ。
このボスらしい男性を調べていくと、当日の3人の動きが判明した。
どこから蚊爆弾を操るのか。
SPたちをいかに排除していくのか。
そして、予定外のことが起こらないか、どこで監視しているのか。
私は、組織に、これらの情報を渡した。
仕事はこれで終わり。あとは組織の仕事。
これで、女子高生になれる。
その女子高生には申し訳ないわね。
でも、今は、私のことが一番大切。
もう一度、女性としてやり直そう。
もう女性として過ごした経験があるから上手くやれるはず。
女子高生として友達もでき、女性として普通の恋をする。
これまで長らく漆黒の闇の中を生きてきた。光一つない世界。
やっと手に入れた女性の体も、あっという間に失った。
どうして、私には幸せが訪れないの?
これは、これまでの苦労へのご褒美なんだと思う。
本当に、これまでの人生は苦しかったの。
私は、男性だった頃のことを思い出していた。
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