4 来ると戻る
ジーンはそんな日が永遠に続くような気がしていた。自分がこの店にいる限り、トーヤは戦場や海から帰るとひょっこりと顔を出し、1日か2日ゆっくりしてからミーヤのいる店に戻る。
そう、「戻る」のだ。ジーンのいる店には「来る」がミーヤのところへは「戻る」のだ。
ジーンはその事実に苦しくなる。トーヤが戻るのが自分の元であればいいのにと考えて、その考えにハッとする。
ジーンは自分がトーヤを好きなのだとあらためて自覚した。初めてのあの出会いの時、なぜだか妙に気になって仕方がなかった。あの時さらっと自分の手の上に祝儀を置いて店の奥に消えたトーヤにおそらく恋をしたのだ。あの時の胸のときめきを思い出す。
それはもしかしたら初出しの恐怖と緊張が見せた錯覚だったかも知れない。人は吊橋の上ですれ違った人を、高い橋の上にいる恐怖から心臓が早く打ち、それを恋のときめきと勘違いすることがあると本で読んだことがある。
その時は確かにそうだったかも知れない。まさかあんなことを言ってあんなことをするなんて、思いもしなかったからだ。事実、その後で女将が連れてきたそこそこ羽振りのいい常連が初客となった時、トーヤが言うようにその人のことは記憶に残った。おそらく一生忘れないだろう。だがジーンにとってはその前に出会ったトーヤのことの方が本人は望まぬだろうが、深く記憶に残り特別の人になっていた。
だからその人が本当に自分のところに来てくれた時はうれしかった。続けて通ってくれた時もうれしかった。今も来てくれることがうれしい。これからもずっと来てくれればもっとうれしいと思っている。
だがそんな保証はどこにもない。自分とトーヤのつながりはただの娼婦と客、それだけでしかない。トーヤが他の店や娘の方がいいと気が変わったら、もう来てはくれない人なのだ。
その事実が時にジーンを打ちのめす。「また来る」と言って店を出る時にはいつも、次はもう来ないのではないか、そう思って胸が苦しくなる。そして来てくれるとうれしくなりその時だけはそのことを忘れるのだ。恋人同士のように睦み合い、微笑みを交わすことが真実のつながりであるように錯覚をして。
それともう一つ、トーヤにはジーンに見せないもう一つの顔、「死神」の顔がある。それを一度だけ見たことがあると思う。
ある夜、トーヤはジーンの横でぐっすりと眠っていた。ジーンは眠れず、その寝顔をじっと見ていたのだが、ふとその髪に触れてみたくなり、そっと手を伸ばした。その手が触れるか触れないかのところで、突然眠っているとばかり思っていたトーヤの手がジーンの手を掴んだのだ。
驚いてトーヤの顔を見ると、今までに見たことがない鋭い視線に捕えられジーンは動けなくなった。まるで冷たい光に焼き焦がされるような、そんな冷たく尖った視線だった。
「なんだ、なんかあったか?」
氷の視線はそれがジーンであると判断した途端、いつもの温かい視線に戻り、優しい口調でそう言ったが、まだ握ったその手に入った力は緩めないままだった。
「眠れないのか?」
ジーンが驚いて動けずにいることを理解し、トーヤは力を抜いた。ジーンには悪意がないと分かったからだ。
「眠れないのならこうしててやるよ」
力を抜いたままトーヤはジーンを優しく引っ張ると、その肩を柔らかく抱きしめる。そこにはさっきの冷たさのかけらもなかったが、その温かい体のその奥には、あの冷たさが隠されているのだとジーンには分かった。これがトーヤのもう一つの顔なのだと。
トーヤは決して心の底から自分に心を許しているわけではない、おそらく、トーヤが本当に心を許せる相手はミーヤだけなのだ。ジーンはそのことをさっきのことで突きつけられた気がした。
今こうして柔らかく自分を抱きしめてまた夢の世界に戻っていったトーヤだが、もう一度触れようとしたらまた拒否されるのだろう。目を覚ましている時にはどう触れても受け入れてくれているが、それは覚醒をしているから。無意識の内ではトーヤは心の底から自分を受け入れてくれているわけではない。本能のまま敵に対する防御態勢をとる、だからこそ「死神」と呼ばれることができるのだ。そのことを痛感した。
ジーンはトーヤが死神でいてくれてよかったと本心から思っている。死神でいる限り生き残り、ずっと自分の元に来てくれると思っているからだ。だがその死神は自分のことを受け入れているわけではなく、死神ではないトーヤが心底求めているのは、本当に戻る場所は、ミーヤという親代わりの娼婦の元なのだとジーンは受け入れるしかなかった。
そしてこの時初めてミーヤに対して憎しみの気持ちを持った。トーヤは親代わりだと言っていて、それはおそらく本当のことなのだろう、二人が男女の仲だとか、そんな気持ちを持っているのではないと思う。だが、親子であれ姉と弟であれ、本当にトーヤが信じているのはミーヤだけ、その事実にジーンは焼けるような嫉妬心を持った。ミーヤがいなくなればいいのにと心の底から願った。
それから間もないことだ、どうやらミーヤが病気らしいとの噂が流れてきたのは。
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