Jean Was Lonely(黒のシャンタル外伝)
小椋夏己
1 トーヤとの出会い
港町に吹く風は潮気を含んでいる。夏の暑さをさらりと流してくれながらも重さを感じるその風を受けながら、ジーンは思わず振り返る。もう戻らないだろう人が通り過ぎたかのように感じて、微かに潮と血のような鉄分の臭いを含んだその風に。
その人と初めて会ったのはジーンが15歳の時、ある娼家に売られて来て、その日が初出しという日だった。
ジーンという名はこの店に来てつけられた商売で使う名前、いわゆる源氏名というやつだ。元の名前は家を出る時に捨ててきた。
ジーンの家はごく普通の商家だったが父が事業に失敗し、大きな借金を抱えてしまった。比較的裕福であったジーン一家は家も店も何もかもを失い、借金返済のために身を粉にして働いていた父は過労から倒れ、最後には子どもを売るしかなくなってしまった。そしてジーンは故郷から離れたこの港町に売られてきた。
15歳だったジーンはある娼家に連れてこられ、色々と教えられた上で店に出ることになった。この町では娼婦が仕事ができるのは公式には15歳から、年齢的には不足がないということで、そこそこまとまった金が実家には支払われている。少しでもそれを取り戻すために数日で支度をし、心の準備もできない間にその日になった。
「赤みがかったウェーブのかかった黒髪、色はどちらかと言うと白いが特別の美人ってわけでもない、これといった特技もない。読み書きができるぐらいが取り柄といえば取り柄か」
色々な格の店があるが、ジーンの行き先は高からず低からず、中程度でそこそこ繁盛している店だ。買う方の店も商品を品定めして店の格にふさわしい子を選ぶ。特に秀でた美貌の持ち主でもなく、ごくごく普通の容貌のジーンを買ったのは、やはりそれなりの店であった。
家族のため、覚悟の上の身売りとはいえ、やはり怖くてジーンは小さく震えていた。これから自分の身の上に起こることをがどういうことがよく分かっている。そしてこの先の人生がどうなるかも。自分が家を出る時に泣いていた両親と幼い妹2人の顔が頭に浮かぶ。
「何しろ初出しは三倍売りだ。その分おまえの家には高く払ってるんだから、しっかり稼いでおくれよ」
店の
一体どんな客の相手をするんだろう。そう
「ちょっとトーヤ、この
ジーンがおそるおそる女将に声をかけられた相手を見ると、そこにいたのは自分と同年代と思われるまだ若い男。中肉中背で黒い髪、一見すると特にこれといった特徴がなさそうなその男の、鋭い瞳とうっすらと
「うーん、俺、特に初出しってのには興味ねえんだけどなあ」
やや低く、申し訳なさそうに言うその声には、思わぬ優しい響きが含まれていた。
「珍しいね、初出しってえと大抵の客はそれきたとばかり大喜びすんだけど」
「まあ人それぞれってな。それに
「まあねえ、それは言われてみるとそういうもんかも知れないね」
女将もトーヤと呼ばれた若い男の言葉になんとなく納得しているが、ジーンは死神という恐ろしげな単語にびくりと身をすくませる。
トーヤはジーンに近づくと、一応品定めでもしてみたのか上から下まで視線を走らせる。
「まあ初出しに興味ねえってのは本当だ。だからあんたが気に食わねえとかって意味じゃねえからな。せっかく声かけてもらって悪いけど、ちょいこなれた頃にでもまた顔出すよ」
トーヤはそう言って革袋から金を取り出すと、ジーンの手を取って握らせた。
「初出しの祝儀だ」
そこには初客が支払うのと同じぐらいの額の金があった。断った女に買った時と同じ額を払うなんて、ジーンが驚いて金を見つめていると、男は今度は女将に向かってこう声をかけた。
「すまねえけど風呂だけ貸してもらえるかな。仕事帰りなんでこのまま帰るとまたミーヤにどやされる」
どうやら断ったジーンに気を遣ったようで、今日はもう他の女を選ぶことはしないようだ。
トーヤはそう言って今度は女将にいくらかを握らせると、そのまま風呂場の方へと向かった。
「祝儀はあんた個人の取り分だ。よかったね、幸先いいよ」
自分も思わぬ金を手にした女将はにこにこ顔でジーンにそう言うと、次にまた良さそうな客が来たら声をかけると言ってからトーヤを追いかけ、中に入ってしまった。
これがジーンのトーヤとの出会いだった。
その日から
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