第2話 そして希望が射し込んだ
その日のニュースは、誰かがSNSに投稿した不思議な雲の写真が話題になっていた。もくもくとした雲が、まるで超高速の矢に射られたかのように散り散りになっている。しかもそれは直線上の雲全てに起きており、大いに人を賑わせた。更に話はその程度では留まらず、同日の近い時間に天虚空大社にて『死亡者が二名』発見されたという事件と合わせて、ネット上では様々なオカルトや陰謀論、不謹慎でふざけた投稿などで雑多に溢れるようになった。
しかし現実はどんなオカルトより奇妙である。どんな不謹慎よりも話にならないし、そこいらの陰謀論より荒唐無稽なものだった。つまり、真実とはこういったものだったのである──。
その前に一つ。とあるユーザーがSNSにこんな動画を投稿した。それは天虚空大社付近で撮影されたもので、光の弾が高速で飛び回る・巨大な爆発が起きるといったものだったが、ネット上の多くのユーザーからは流石に嘘くさいといわれ、メディアに取り上げられることもなく埋もれていった。
雲を突き抜け鳥居を超え、上空から境内へ着地する。直前で勢いを九割殺したが、その分の反動はどこへ行くのだろうか。本人が言うに、魔力で相殺しているとのこと。
境内には悪しき魔力の渦、瘴気が漂っている。これほどまでの『穢れ』を神聖な空間である社にまき散らすなど、罰当たりなどでは済まされない。
「おい律加! 生きているか!?」
まるで閉じられた空間であるかのように、大気は静まっている。空気も、土も木も水も、全てが永久に眠っているかのよう。一切の音/生を許さない、踏み入ってはならない。常の正しさがこの場では異であるのだと、そう思わされる。
ユーゲンは思う。これは只人の仕業ではないと。そして最悪の場合、すでに律加の命はないと。続けて思考する。敵の思惑は何か。何のためにこのようなことをするのか。合せて力量はいかほどのものなのか。何故敵は襲ってこないのか──。
凛々しく建つ本殿を彼は睨む。そしてしばらく思案した後、ある策に打って出た。
「俺がドル札をぶちまけていないということは、魔術自体の使用は問題ない。であればだ」
空港で行ったあの収納魔術は恒久的に働く魔術である。もし魔術が通用しない空間であったのなら、即座に四散するだろう。
足元の地に手を翳し、魔方陣を呼ぶ。そして詠唱。
「委細は令に下す。『
この魔術はサーチ、そして召喚を組み合わせた魔術である。魔術師が己の身1つで動くなどそんな手間をかける事はしない。
ほどなくして魔方陣が新たに展開。二重になったその陣から人影が現れる。
「生きてたのか」
「こ、ここはいずこに⁉ 私は律加です!」
「意識がはっきりしているようで結構。そんで下手に動くなよ。首が飛ぶぞ」
困惑しているばかりの律加を尻目に結界を展開し、境内は魔力の壁で包まれる。律加はその隅、結界の外にいた。驚いて駆けよらんとする律加だが、魔力を持たないものには視認できないため結界に激突する。しかし持ち前のタフネスでこらえ切った、鼻血は出しているが。
「い、一体何が……ユーゲンさんこれなんですかぁ! もう!」
「あー、いいからお前はそこにいろ、それ以上血を流したくなかったらな。それと結界がある故、下手に暴れるなよ」
片手で払いのけるようにして、律加を邪険に扱う。声色は明るいが決して律加の方面へ顔を向けない。それは結界の中、悠々と建つ大社本殿を前にして瘴気が、いや瘴気の根源が姿を見せようとしている。たかが瘴気、死の気配が無用の長物であると至ったか、確実に彼を仕留めんとする。その為の姿を現す。
標的はユーゲン・ハートマン。畏れを知らぬ大気は魔方陣を描く。
「なるほど召喚魔術ときたか。こんなところで召喚するのなら、それなりの上物だろう? なあ?」
「貴様の命、紙屑のように散らしてやる」
「会話ぐらいしゃんとしろ 『スカル』」
召喚物は骸骨の魔物。但し、通常の骸骨魔とは格が違う。その名こそは『スカル・トリガズム』、死の先の世界、冥界を知るもの。あるいは王、であったのかも知れない。
「舌がないくせして毒を吐く。『紙屑』のように散るのはお前の方だ」
戦闘が続く。瞬間移動魔術を使いスカルを翻弄するも、決め手に欠ける。翻弄に対抗して数十のナイフが飛び道具として襲い掛かるが、防壁魔術、つまりは部分的な結界によって一切を防ぐ。
スカルが体術を繰り出すことに対し、ユーゲンは瞬間移動による回避を取る。いつしかフィールド上に、幾何学模様の魔方陣がなみなみと描かれていた。翻弄に次ぐ翻弄。即死の呪いが付与されたナイフが数多、地に降り注ぐ。であれば再び防壁魔術を敷くのみであり、煮え切らない攻防が続く。ある瞬間、結界の外にいる律加からユーゲンへと声がかかる。
「ちょ、ちょっとユーゲンさん!」
「どうかしたか律加。今は話をしている場合じゃないんだが」
「いやだって、このままだとやられちゃいますよ! ないんですかこの……なんというか、必殺技とか!」
切羽詰まった顔で結界を叩く。このユーゲン謹製の結界はダメージを術者にフィードバックする仕様なので、背中にどかどかと衝撃がくる。大したものではないが、それ故か、興が削がれたと言わんばかりの顔を見せる。そう言っている間に飛び道具は捨て、スカルは間合いを詰めてくる。素早く魔力弾を放ち後退すると、律加の声がより大きく彼へ聞こえるようになる。逆も然り、先の疑問へ回答する。
「必殺技……ああ合点がいった、切り札ということだな。なら安心しろ、俺は十三もの上級魔術を修めているからな」
実に自尊心に満ち溢れた、快活な笑いを見せた。
「だ、だったらそれを使えばいいじゃないですか!」
「馬鹿を言え、この程度の奴に使ってやるほど俺の術は弱くない。何、お前は晩御飯の献立でも考えておけばいいんだよ」
スカルが魔力弾を生成し、弾幕を描く。対面者から見て、それは文字通り視界を埋め尽くした。視認後、彼は得意げに鼻を鳴らした。全く、魔術師を知らん手合いだ、と。途端、弾幕は起爆し轟音を立てる。続けざまにスカルは上級魔術を発動させる。轟音に紛れ、かつ弾幕を相手が受けている。それは詠唱をする最も良い瞬間だ。
「赤子知らざる冥界に、勝手知ったる英雄よ。行きはよいよい、帰りは怖い。余人踏み込むことなかれ、死人拙速おいでませ。万物の生死こそは流転せり、即ち魂の帰還なり。骸語り、とどのつまり、私は生/音を許さない。気の揺らぎ、川のせせらぎを認めない。そを常と謳うなら、そを異だと笑おうか。眠れ、眠れ。殺す故。『
極大の魔方陣が爆発的に広がり、その後爆速的に収縮する。最終的に手のひら大に収まったそれを、詠唱の終わり、術式の宣言と共に握りつぶす。指の骨身の節々から湯気のように瘴気をまき散らす汚泥が溢れ、結界の中はまるで、地獄の窯の中のようにおぞましい様へと変貌する。律加は只唖然として、その場に力なく座り込んだ。目の前の受け入れがたい地獄を前にして。
絶死界:反転。生の状態であるものを死の状態へと反転させる、簡単な効果だが恐るべき魔術。防ぐことは不可能であり、浄化や吹き飛ばしも不可。この魔術に相対できるのは生と死に干渉できる存在のみである。
「対策も簡単だがな。つまるところ、触れなければよいということだ」
「え……」
小気味よい足跡と共に、無傷のユーゲンが律加の後ろに現れる。無傷と言えども、服装がロングコートから黒のローブへと変化していた。陰に隠れたその瞳は、なおも自信に満ちている。
「ほれ律加。しゃんと立ってな。ちと怖いかもしれんが、なあに、怖いだけさ」
「そ、その前にどうやって此処に……」
驚愕なさまを隠せないまま、ゆらりと律加は立ち上がる。
「ふむ、後幾ばくか時間はあるか。端的に話してやる。最初に弾幕を受けた時、俺は着ていたコートを代償に魔術を発動させた。魔術っていうものにも種類があってな、今回は条件を満たしたときに発動する魔術だった。それをこういう時のために仕込んでおいたのさ。その魔術っていうのは、瞬間移動だ。但し、任意の場所に移動できる。俺はひとまず境内から出て、そして今しがたお前の所へと現れたという事だ」
「はあ……。つまりどうにかなったと。でもこれからどう始末をつけるんですか?」
「あの魔術は使い手にも不利だ。なんせ視界が悪いし、そもそも俺が貼った結界だって消えていない。つまりはずっと閉じ込められている状態なんだからな。ほれ、結界の上を見てみろ。満たされていたはずなのにじわじわ水位が下がっている。これでは今にきれいさっぱり無くなるだろうよ。さすれば、次の一手で勝負はつくさ」
「……勝てますか、率直に言って」
ユーゲンの腕を掴み、すがるように彼女は問うた。その思いで涙を滲ませて。
「死なせないから安心しろ、律加」
しかし、その真意は彼には届かなかった。
しばらく経過した後、汚泥は失せ、元の状態へと戻っていく。幸運なのは、境内は手入れが行き届いているため動植物が少なかったという事だ。それも今は零になったが。ユーゲンは意気揚々と結界の中へと入り、肩で息をしているスカルを挑発する。
「おいおい、大層な魔術使っておいてこのザマとは情けない。所詮は非魔術師だなァ!」
「貴様……! いいだろう次こそは──」
瞬間、ユーゲンは奴の懐へ入り、胴体に小箱を差し込んだ。骸の胴体は文字通りのスカスカで、人並みの大きさであれば、小箱の1つくらい入るだろう。無論そのままでは落ちるので、魔術で固定してやるサービス付きだ。
「な、なんだこれは!? ぬ、抜けん!」
「遅い」
サッと距離を取り、パチンと指を鳴らした瞬間、スカルは爆発四散し、あたりには散り散りになったドル札が舞った。その残りカスもすぐに燃え尽き、辺りには何も残らなくなったのだが。瘴気も消え、結界も解かれる。青々としていた空は橙色に移ろい、そこに映えるカラスの鳴き声が時間を知らせてくれている。
「有言実行。ほおら、紙屑になったろう」
高らかな勝利宣言が轟く。律加は爆発地点へ眼が釘付けになりつつも、ユーゲンの下へ駆け寄った。心臓の鼓動が大きい。今にも心の底から震え上がってしまいそうになるのを抑えつつ、彼女は一体何があったのかを聞いた。だてにアカデミアの徒をやってないのである。そのたくましさに、なんともまあ、彼も呆れた顔をした。続けざまに、せっかくならと答えた。
「聞いても分からんだろうに。だがまあいい、二度使える手ではないしな。あの小箱にはな、圧縮魔術によって大量のドル札が押し込められていた。当然、あんな手のひらに収まる大きさの小箱に入る量ではない。俺がやったのは圧縮魔術の解除だ。魔術によって本来ありえない程に収縮した物質は、必ず元の状態に戻ろうとする。その性質を利用したんだ」
「つまり、押し込められていた分の反動が爆発という形で表れた、ということですね! でも分かりません、これだったらわざわざ時間をかける必要もないと思いますが……」
即座に疑問を投げ返してくる律加。しかし、ここにきてユーゲンは毅然とした対応をする。笑みを浮かべて、だが目には笑顔無く。猫のような彼女に警告を突きつける。
「さてと。好奇心があるのは大いに結構。しかし、ここから先は余人の踏み込むところじゃない。カラスもやんやと鳴いているしほら帰った帰った」
「え、ちょっ、いきなり魔術を掛けられ──て?」
瞬間、律加の視界が移り変わり、喫茶秘花の閑古鳥が鳴く。実は瞬間移動の魔方陣を喫茶店前に仕掛けていたのだが、無論それを知る由も無し、激動なる律加の一日はここで終わりを告げた。そしてユーゲンは地に手を当て、短く言葉を唱える。
何故ユーゲンはわざわざあれほどの大立ち回りを演じていたのか。それは、そもそもスカルが召喚されたものであるという事に起点する。つまり、この一件には黒幕に相当する何者かの暗躍があり、ユーゲンは戦いながらそれを調査していた。召喚魔術の残滓を調べ、敵を特定するために。
結果は想定以上だった。白日にさらされたそれは、道に走る亀裂のような線にしか見えないが、魔術師にはわかる。それは魔方陣だ。しかもただの魔方陣ではない。その極一部分であり、その実態は、この風市全土を包む規模の魔方陣であるということだ。
先の戦いでユーゲンは結界を貼り、地に魔方陣を敷くことにより盤面を支配した。しかし、その戦いも何もかも、既に敵の術中に居た。盤面は既に支配されていたのだ。
「それじゃあちゃぶ台返しでもしてみるか……っと!」
足にたっぷりの魔力を込め、それを勢いを乗せて振り落とす。すると、全く異なる魔力を流し込まれた魔方陣はショックを起こし朽ち果てていった。
「これでイーブンだ。舐めるなよ、魔術師」
ここにきて初めて、獰猛な笑みを見せた。
そしてようやく本題へと入ることになる。元々物見遊山の身ではないのだ。念を押して境内の瘴気を払いきると、大社の近くに建つ古い洋館を目指す。事前情報によれば、そこに少女はいる。本殿の横を通り過ぎ、二つある鳥居の内の本殿の向こう側、二の鳥居を潜ろうとしたその時、彼の左耳に獣の鳴き声が飛び込んできた。神社周辺の森林、所謂『鎮守の森』の方面に目を向けると銀の狐が踊るようにその尾っぽを揺らしていた。ただの獣であれば気にも留めないだろう。しかし今回はその限りでは無かった。
「何だあれは。魔術じゃないあれは──!」
視界に入れた瞬間、魔力ではない何か大きな力の奔流に飲み込まれたか、ユーゲンは頭痛に襲われた。狐は走り、奥深くへと消えていく。
「待、て、……!」
頭痛の影響か、魔術が使えない。魔力が空になったかのような錯覚に陥るも、体を引きずるようにして森へと飛び込む。森の中は薄暗く、木々の葉から水滴が垂れ落ちている。辺りからは腐葉土の香りがして、足で地を踏み込むと粘性の高い音がした。そのまま我武者羅に、ただ見えなくなった狐を追い続けた。四方八方変わらずの景色を走ること、彼の体感時間で数十分。カラスの鳴き声と共に視界は開け、古びた洋風の中庭に一人、ユーゲンは立っていた。
「なんだってこれは……頭痛も消えてやがる。魔術の使用も問題ない」
一先ず浄化の魔術で先ほど着いた汚れを濯ぎつつ、彼は洋館の中へと入った。それは事前情報の通り、彼女が居る洋館だ。人が住んでいるにしては蜘蛛の巣が張った、人気より霊気を感じさせる中を歩き、ある部屋を目指す。すでに魔術で捉えた、この洋館唯一の人間の元に。
「さて、扉の前に着いたが。初対面ならばインパクトが必要だろう?」
笑み一つ。途端彼は扉を蹴り開いた。
これが魔術師と少女の出会い。後に二つの世界を揺るがす、大騒動のその幕開けである。
ひねくれ魔術師と契約少女 水迅 @suieshun
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