ひねくれ魔術師と契約少女

水迅

第1話 異界から、空船に乗り

 建付けの悪い扉が悲鳴を上げた。その音は窓越しに聞こえるカラスの狂騒をかき消すほどで、思わず棚の書籍も転げ落ちていくほどであった。その仕業は、黒いローブを身にまとった魔術師然とした男によるものであった。男が足を前へ押し出すたびに、床をぎしりと軋ませる。部屋に一人佇んでいた少女は何もできず、じりじりとベッドの上で後退りするほか無い。規則正しいハズの秒針が急かすように音を立てているみたいで、それはせり上がるような吐き気を促してくる鼓動とセッションをしている。そこに少女が口をはさむ余地なんて、そんなものは残っていなかった。

 いよいよ背に壁が付いた。それでも足は無軌道に、掛け布団を蹴り続ける。男は窓から差し込む狐色の夕陽に射されて、それが眩しかったか否か、そこでピタリと歩を止めた。合せるようにして少女の足も落ち着きを見せる。男は払いのけるようにしてそのフードを外し、続けて右手を少女に向けて差し出した。そしてつり上がった口角のまま、息を吸い込んで、言葉を吐き出した。


「契約少女──お前を異世界へ連れていく」



 ●



 轟音を立てて、今日も鉄の翼は空を往く。無風晴天、素晴らしきお出かけ日和ときたが、もしそのお出かけ先が『異世界』ともくれば思わず二の足を踏んでしまうのではなかろうか。しかし広い世の中には幸か不幸か、世界をまたぐ羽目になる者がいる。もっとも、世界を渡るのにお出かけ日和も何もないのだが。


「あの喧しいアメリカ人め。まったく、風情がないことこの上ない。まあ昼飯代が浮いたことには感謝だがな」


 その人間は焦茶色のロングコートと黒色のブーツを合わせた装いをした男で、少し長い黒髪を結んだ姿が特徴的だった。しかし、時は九月。少し先取りをしすぎているようなファッションだが、平日昼間の空港内で誰も彼に視線を向けることがないのは、彼自身の工作によるものである。その工作とは科学では説明のつかない不可思議な現象。それを引き起こすのはファンタジックな力。つまるところ彼は、『ユーゲン・ハートマン』は魔術師である。


「ああ、そうだ。お金は財布へ仕舞っておかなければいけなかったな。しかし財布を買うのは面倒だ、であれば──」


 コートのポケットからはみ出たドル札はまるで逃走を図っているようだった。だがその逃避行も魔術の前では虚しいものである。ゆらりと彼がかざした手には魔方陣が展開されており、その陣を囲うようにドル札が舞った。


「『小さきものは隙間を縫う。大きものは暇を覆う。しかし、影は万物を翳す――〈陰飲取中チニスト〉』」


 懐から取り出した小箱が魔術によって開かれ、そこへみるみるお札が吸い込まれていく。その容量は、全くその大きさにそぐわない。そしてこの光景も、誰彼であれ視認することは適わない。それは透明化の魔術によるものであり、その対象は物体だけでなく魔術にも適用できる。

 この空港、『風国際空風港ふうこくさいくうこう』は盛況な他の空港と比べ、幾らか物静かで人も少ない。穏やかである。ユーゲンは透明化の魔術を解き、外の空気を吸った。それはとても柔らかい笑顔をしていた。しかし、これから彼が行おうとしている事は、決して笑顔が伴うようなものではない。

 彼がやってきた理由は、少女を異世界へと連れていくこと。有り体に言えば、拉致だ。そこに少女の意思なぞ介在しておらず、ただ一方的に、『魔術師の上層部』による命令である。悲しきかな、そこには彼の意思もなく、実行犯として抜擢され、強制的にアメリカ・ニューヨーク州へと運ばれたときた。しかも、この任務を果たさなければ異世界へつながるゲートは開かないという嫌がらせ付きだ。更に与えられた情報は少女の顔・名前・住居の三点のみ。加えて重要任務と言いつつ担当はユーゲン一人。これでは気力も湧かないだろう。


「しかし困った。喫茶店のパフェが実にうまいらしい」


 だが、彼はこんな扱いを受けようとも素直に任務を遂行する男ではない。なぜなら彼はひねくれ者として名高い男なのだから、今もこうして観光パンフレットをしげしげと眺めている。

 ある程度読んで満足したのか、空港に隣接しているバスターミナルへと向かっている。その際少し持ち手が緩んだか、一陣の風が吹き、パンフレットをひったくっていった。邪な見方をすればダイナミック不法投棄である。


「うわ! 何ですかこれ! 顔に引っ付いて……!」


「あらら」


 幸運にも近くにいた女性の顔にくっ付いたため事なきを得た。しかし相手方にとっては災難だったが。


「なんともまあ面食いなパンフレットだこと。あー、そこな方、万一にだが怪我とかはないか?」


「いえ、まあ、なんとも」


「ならばよし。重たそうなリュックを背負っているから、腰痛めるかと思ってな」


 パンフレットを折りたたんでしまいつつ溌溂と話すユーゲンと対照的に、女性はどことなく歯切れが悪い。それも仕方ない事で女性からすれば、平凡な自分に向かってやたらと口数の多くて日本語がうまいロングコートの外国人、それがユーゲンである。あまりにも胡散臭いため、彼女はこっそりとスマホを握った。いつでも警察を呼べるように。


「あ、そうだ、駅の方にある喫茶店『秘花ひばな』への行き方を教えてくれないか? パンフレットに場所が載っているんだが、どうせならバスに乗って行きたくて」


「それなら五番のバスに乗ればつきますよ。というか私が乗るバスと一緒になりますね……」


 時は十三時過ぎ。二人は軽く自己紹介をしてバス停へと足を運ぶ。彼女は『草薙 律加くさなぎ りつか』という名前で、喫茶店の店主とは面識があるとのこと。ただ、彼女の目的地は喫茶店ではなく、もう少し先にある『天虚空大社あまうつろのそらたいしゃ』に用があるという。


「私は今大学の方で天虚空大社に関する研究をしていて、今回実地調査をするためにこの『風市ふうし』へやって来たんです。知っていますか!? 天虚空命信仰には謎が多くて記紀には登場しない神なのですが――」


 このような調子で話しているうちに彼女の中にある警戒心はすっかりなくなってしまったようで、バスが近づいている事にも気付かない様子だった。彼女は続けて、パンフレットの地図を指さした。


「この風市は南の都市部と歴史的建造物が多く残る北の観光地に分かれています。私がこれから向かう天虚空大社は北の『花伝町かでんちょう』にあります。観光地ですが時期が時期なので、今はあまり人はいないと思いますよ。よければ行ってみてはどうでしょう?」


「そうさな、どの道行かねばなるまいよ」


 重々しい声に当てられて、律加の熱が冷めていく。


「そういえば、ユーゲンさんはどのような目的で日本に来たのですか?」


 彼は何か訳ありなのだろうか。そういった疑念が胸中で渦を巻くが、丁度悪くバスが到着したため、答えを聞くことは無かった。


「風が強くなってきたな……」


 バスに乗る際、ユーゲンはこわばった表情で呟いた。しかし、すぐ後に運転手と運賃の支払いで揉めたため、すっかり暗い調子は吹き飛んでいった。なお、運賃は律加が立て替えた。


「そういえば、座る位置が決まってたりしないのか?」


「いえ、特に決まってないですけど」


 こういった一幕に、常識の違いを感じるユーゲンであった。バスの車内にはユーゲンたち以外にお年寄りが三人ほど居るだけで、後は運転手の抑揚のないアナウンスが響くだけ。後方の座席へ並んで座った二人は、小さめの声で会話を始める。


「喫茶店に行くといってましたけど、お金大丈夫なんですか? 言っておきますけどドルは使えませんからね」


「それが問題だな。金はあるのに文無しだなんて何の頓智を利かせりゃなるんだか」


 実にわざとらしい仕草で頭を抱えて見せるユーゲンに呆れてしまう律加。思わずパフェ代を融通しそうになったが、それは流石に良くないと自らを諫めた。将来はこんなダメ男に貢いでしまうのだろうかと、景色を見ながら目輝かせているユーゲンを横目にため息をつくのだった。

 その後はぽつぽつと他愛のない会話が続いた。ハートマンということはドイツ系の人なのか、やら喫茶店の店主はどのような人間なのか、だとかを話し込んでいるうちに再び抑揚のないアナウンスが車内に響いた。


「次は風駅ー風駅ー」


「――っと、もう着いたみたいだな」


「お金、大丈夫ですか? 本当に」


「ん、まあ最悪ツケで払うさ。それじゃあな、何時になるかわからんが、バス代は返すよ」


 そうしてユーゲンはバス停へ降りていった。律加は心配が取れないまま、残り十分ほどの時間を車内で過ごした。


「あの人にツケ払いだなんて言ったら銃声が響きそうだよ……」


 駅前で降りたユーゲンは足音をよく響かせながら喫茶店へと向かう。五分ほど歩いた後、白い洋風の建物が道角に見えてくる。店先に置かれた看板には確かに『喫茶店 秘花』と書かれていた。そして心地よい鈴の音とともに中へ入ると、窓側のテーブル席にも、カウンター席にも、客は一人として見つからなかった。この店に今居るのはグラスを拭いている店主とユーゲンのみ。


 他に客がいないのは気楽でいいと言葉を零し、ユーゲンはカウンター席の店主の真ん前へ腰かけた。


「ここの名物になっているパフェを一つ、ストロベリーで。ああ、ツケで頼むよ。それかドル払いだ。見たところアンタ此処の人じゃないだろ? ふむ、白人だな。飛行機内にいたあのアメリカ人もそうだった。ガタイがいいのは従軍経験があるからか?」


 その言を遮るように店主はその手にあるグラスを置いた。店主のブルーアイが冷たくユーゲンを睨みつける。


「申し訳ないが、今のあなたを客と見なすことは出来ない。帰ってくれ」


「そいつはよろしくない判断だな、ミスター。今の俺に貸しを作っておけばきっと律加の助けになるぜ?」


「なぜ律加の名を知っている。もしや、あの子に何かしたわけではないだろうな……」


「いんや何も? ただ空港で知り合ってそこそこ仲良くなっただけさ。それに、会ったばかりの外国人へデレデレになるような女性じゃないだろうよ、彼女は。心配なら電話でもすればいいさ。あと水くれ、喉が渇いた」


 なんとも飲み込めない表情でグラスに水を注ぐ店主を、なおもしたり顔で眺めるユーゲンである。意味もなく人を不快、とまでは言えないくらいの気分にさせるのが彼のある種の日課であった。それは今日まで途切れたためしがない。

 カウンターに出された水を飲みながら、あくせくと通話を始める店主を眺めるのは実にいいものだとユーゲンは心中で舌鼓を打つ。


『あれ? バルさんどうしました?』


『その呼び名はよしてくれないか、律加。私は殺虫剤ではないのだから……』


『ははは……ごめんなさい、呼びやすいものだからつい。えと、それでどうしたんですか? 電話なんて珍しい』


「いやなに、今、律加のことを知っているツケかドル払いでパフェを食べようとしている男が来ていてな。この男によからぬことをされてはいないか?」


『えーと、まあ何もされてませんよ。というかユーゲンさん……その男の人は大丈夫ですか? もう風穴開けちゃったりしてませんよね⁉』


「ああ、まだ実行には移してない」


 この返答にはさしものユーゲンもひやりとした。しかしまあこの店主は心配性なようで、ニ十分を越してもまだ通話を収める気がないのだから律加の側も少し呆れてしまった。


『とにかく私は問題ないので、ユーゲンさんの対応をしてくださいな! いまから天虚空大社で話を聞かせていただくので!』


「しかしだな、この男は金を持っていないのだ。荒事が良くないというのなら、律加の方から言ってくれはしないだろうか」


『あんまり時間がないっていうのに……それじゃあパフェ代は私の立て替えってことにしておいてください、バルスターさん』


「ああ――」


 その後も会話を続けようとしたバルスターに対し、呆れながら通話を切った律加。空のグラス、そのフチをなぞり暇をつぶしていたユーゲンが一言。


「何はともあれ俺が潔白であることが証明できて何より。それで、ストロベリーパフェはどうなるのかな、ミスターバルさん」


「……今用意する。だがその呼び名は辞めてくれ」


 眉間の皺が一段と深くなる、そんなバルスターは渋々とパフェを調理する。店内で掛かっているジャズに合わせて身体を揺らすのは大変心地が良い。

 そうして心の底で微睡んでいると、ストロベリーを乗っけている店主がぽつりと言の葉を落とす。


「実の所、こういったスイーツ作りは不得手なんだ。本来ならアルバイトに任せているんだが、今日は腹を壊したと言ってな。期待には沿えないかもしれないが、これがウチの名物『ストロベリーパフェ』だ」


 カウンターに出されたのは瑞々しい苺がフチに並んだ鮮やかなストロベリーパフェだった。


「まったく作り手がそういう事を言うもんじゃない。こちらからすれば、寄り付く島も無くなってしまうぞ。ま、何はともあれ『いただきます』だ」


 目の前に出された赤色の甘味は冷気を纏っており、口に運べばスプーンを伝って脳へ直撃し、後、それを力業で治療するが如く、ベリーの甘みが身体を巡る。


「美味いな。いやなに、これだけの甘味を口にした事が無いぞ」


 口に運ぶ速さが上がっていく。ユーゲンが育った世界にストロベリーのようなモノはあった。だがパフェなんて料理は無かったので、正に新鮮な体験である。

 目を輝かせ、すぐさま完食だという時に、瞳孔が暗く揺らいだ。


「ああ、出来れば他のも食べたいが──!」


 果汁のついたスプーンがカウンターの上で跳ねる。その次に、水栓を占める音と慌てた足音が飛び込んできた。


「どうした。一気喰いで頭を冷やしたか? それとも頭痛か?」


 金切音のような痛みが頭の中を駆ける。片方の手は汗を滲ませながら頭を抑え、もう片方の手は痛みからか藻掻く様に動き、途端、グラスを床へ叩き落とした。幸いにも落ちたのは水が入っていた方のグラスだった。


「おい、大丈夫か!」


 砕ける音は金切音より重く響く。痛みの走る道が熱を失い、ユーゲンは落ち着きを取り戻す。

 身体の震えは未だ治まらず、立ち上がるも足取りが覚束ない。


「頭痛が引いた。確かに今、魔力が乱れたような……」


「まだ錯乱中か? 少し離れた席に移っておけ。グラスを片付ける」


「ああ、好意に甘えておこう」


 ちり取りとホウキを持った店主がカウンターから出てグラスをホウキで掃く。じゃらじゃらとした音が耳に馴染み始めてジャズと入り混じる。

 ふと、疑問を溢す。


「なぁ、その割れたグラス、捨てるのか?」


 バルスターは笑って破片をつまみ上げて。


「ご愁傷様だ」


 そう笑った。

 ユーゲンはそれを理解できなかった。まだ微細動する身体を前に傾けて、更に問う。


「思うんだが、たといヒビが入って砕けてしまったとして、修理をすればまた使えるようになるんじゃないのか?」


 ゴミ箱に捨てられる破片達。ジャラジャラと音を立てるのは、まるで悲鳴のようであった。それに視点を合わせることなく、店主は答える。


「ヒビが入って砕けたらそこで終いだ。幾ら元の形にしたところで歪になった跡は消えない。そんなモノを人前に出せはせん」


「そうかい。それじゃあ俺はもうそろ行くとするよ。次は完食と、そうだな、チョコレートパフェを予約しておこう」


 両手で脚に力を入れ立ち上がる。ついで店主へ言う。

 陽射しは橙色に染まり、店内も少し賑わいを見せる。此処はどうやら放課後の学生達の憩いの場でもあるらしい。店内が混んできたということもあり、ユーゲンは不本意だが退店することにした。


「次は頭痛とその人をからかうような言動を治してからくるんだな」


「どっちも治る予定はないがな。そんじゃ、縁があれば」


 閑古鳥は鳴き止み、学生たちの波がうねる。どこからともなくカラスの鳴き声もよく聞こえる。しかし凍える突風が一陣。それは死、それは濃密な魔力の気配。方向は天虚空大社。


 「想定斜め下。いや、直下型の衝撃だなこれは……全く穏便に行かないな!」


 地に魔方陣を開き、空を舞う。天空まで立ち昇る魔力へ向かい、認識阻害の衣を羽織った魔術師が駆ける。

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