巨人の足跡の下で
千猫菜
第1話 でいらぼっちの池
ある日の昼下がりのことだった。この日、虎元は泉名探偵事務所では所長の泉名にある報告をしているところだった。
「ああ、トラくん、また変な依頼が来たんだってね。もう調査は進んでるんでしょ?」
泉名は来客用のインスタントコーヒーを遠慮なく飲みながら、面倒くさそうに言った。
「ええ、確かに変な依頼ですね…でもまあ泉名さん好みの案件ではありますけどね」
「ふぅん、そりゃ面白そうだ」
泉名探偵事務所は虎元が探偵助手として働いている事務所だ。
いつもの様に来客は無い。というより最近はめっきり依頼も少なくなっていたせいで閑古鳥が鳴いている様子だ。流行っていないを通り越してこのまま事務所ごと朽ち果ててしまいそうな勢いであった。
そんな状況なので、虎元は奇跡的に舞い込んだ依頼には出来るだけ断らずに受けることにしていたのだ。
「それで、依頼内容は?」
「神奈川の相模原市に●●公園というところがありまして、そこに巨人の足跡があると」
「ああ、それなら聞いたことがあるよ。ダイダラボッチだろ。そこらではでいらぼっちと言うのが正しいのかな。でいらぼっちの足型の池があるんでしょ」
「あ、やはりご存知でしたか」
「結構有名な話だよね。まあ、●●公園の池は後年になって伝承に基づいて整備されたものだから、もちろん本物じゃないんだけど。
その辺りには他にもぢんだら沼とか菖蒲沼とか呼ばれる、でいらぼっちに纏わる場所があったはずだよね。
柳田國男の『妖怪談義』でもぢんだら沼記事として紹介されていたかな。その当時、相模野の真ん中あたりに大沼小沼という二つの沼があって。
柳田翁はいろいろ聞き込みをした結果、そこがぢんだら沼じゃないかと当たりをつけたと。ぢんだらと言うのは地団駄のことだね。
その昔、でえらぼっちが富士山を背負おうとして失敗して、悔しくて地団駄を踏んだ跡に残った沼がぢんだら沼と呼ばれるようになった、という話だ。
でもさ、尻餅をついた、というのも方言でぢんだらって言うようで。尻の跡だったなんて言う話もある。どっちなんだろうねぇ。でも巨人なんて言ったら大体が足跡なんだから面白い話だよね。
まあ兎に角、日本全国津々浦々ダイダラボッチに関連する逸話は残っているけど、そこもその一つだ。ああそれで、どんな依頼なんだい?」
捲し立てるように話し続けた挙句、一通り話を終えて気が済んだのか、泉名はやっと本題に興味を示した。
「ええと、そうですね。そのでいらぼっちの足跡です。そこでのっぺらぼうを見た、と」
「はあ、のっぺらぼうかい。でいらぼっちにのっぺらぼうで妖怪大戦争でも始めようってこと?」
半ば呆れた口調でそう言った。確かにこれでは妖怪大集合の序章あたりの話にもなりそうだ、
「いやまあそれは同意なんですけど。一旦聞いた話だけそのまま共有しますけど。
相談者は木島奈津子さんという、二十代後半の女性の方なのですが。木島さん、先月の12月8日のことですね。その日は朝イチで出張だったらしくて。
朝の六時前に家を出て自宅から最寄り駅まで向かう途中、その●●公園を通りかかったんです。駅に行くにはそこが一番の近道らしく、毎日通っている慣れた道だったそうです。
それでその日もいつもの様に公園内に入り、ああ寒いな、なんて思いながら足早に駅に向かっていた時のことです。
その、でいらぼっちの足跡を模した池でゴボンと音がした。辺りはまだ薄暗い時間ですし、なんだと思って目を凝らしてみると」
「そこに居たって訳かい」
「ええ、最初は、何か大きな何かが泳いでるようだったと。でいらぼっちの足型をした池のちょうど、つま先あたり、親指から小指までをスゥーっと」
「スゥーっとねえ」
「そう、文字通りスゥーっと、音も立てずに移動してるんです。木島さんは池を囲むように敷かれている通路を歩いていて、ちょうど池の小指側、土踏まずのあたりに居たんです。
だから、マジマジとその何かがつま先の終点までを泳ぎきる様子が見えた。小指の端までたどり着くと、それがザブンと音を立てて、岩をよじ登ってきた。
真冬の、朝六時ですよ。それでいて、その日はこの冬初めての寒波が到来していた頃で、凍えるように寒い。ありえないですよ。
そうじゃなくても酔って落ちたとかってこともあるし、非常事態かもしれない。だから不審に思いながらも逃げる訳にもいかず」
「それで、とりあえず様子を伺おうって判断したのか。ま、しょうがないよね」
「はい。それで土踏まず辺りの傍の木陰に隠れて、そうっとその何かを見てみた。やがて池から上がってきたそれの姿が見えてきたんです。
顔がつるんとして、頭もつるんとした茶色い生き物でした。まさに、妖怪図鑑なんかで見たのっぺらぼうみたいだったそうですよ」
「のっぺらぼうねえ」
「そののっぺらぼう、池から上がってくると同時に何かすごい腐臭がしたみたいです。
池の、土踏まずから小指の先までなので結構距離はあったみたいなんですが、強烈な臭いで、鼻が曲がりそうになったと。そいつはこちらにお尻を向けて立ち去ろうとする。
まあ流石に追いかける度胸はないですし、木島さんもどうにも気になっちゃって」
「そういうことね。それこそ桐谷さんにでも聞いてもらえばいいのにねぇ。面白おかしく話してくれるでしょうに。『奇々怪界、沼地に現れた妖怪!』とか適当なタイトルつけてね」
桐谷圭一郎、前回の事件の依頼者であり、怪談師を生業としている男だ。この夏、虎元達は桐谷の持ち込んだ、ある怪談師が亡くなったことに端を発する事件のせいで大変な目に遭っていたのだ。
「怪談話をしたいって訳じゃないんですよ。木島さんとしては、正体を知りたいって。まあ木島さんものっぺらぼうに見えたってだけで、そんなものはいるなんて思ってないですから、多分暗くて見間違えたんじゃないかと。
でも人だとしても真冬の薄暗い朝に冷たい池を泳いでるなんて訳が分からない。毎日通勤する道でそんなものいたんじゃ怖くて仕方ないって言うことです。
それに、こっちのほうが心配で相談することにしたみたいですけど、それから暫くして。一月の後半になってからですね。変な連中に声をかけられたと」
「変な連中?」
「いつもの様に通勤の途中、●●公園を歩いていると、中年の夫婦のような二人組に声を掛けられて」
──お前がやったのか。
──池の中のものだよ。全部台無しじゃないか。
──お前も呪ってやるからな。
「なるほどねぇ。そりゃただ事じゃないね。依頼の内容は分かったよ。それで、とりあえず現地調査してきたって訳だね」
「はい、とりあえず●●公園の管理業者に話を聞いてきました」
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