遅いよ
みやじ
第1話
放課後、帰り道、親友のナギから告白された。
「わたし、オーディションに応募しようと思うんだ」
ある意味、告白だ。頬を赤らめて、瞳を潤ませて、肩が強張って、私に自分の気持ちを伝えることの恐怖と、それを振り切って一歩踏み出した興奮が見て取れた。
「オーディション……?」
「うん。韓国でやってる番組の日本版なんだけど……国民投票があって、視聴者がデビューする子を選べるの。で、上位十人に入るとガールズグループでデビューできるんだって」
立ち止まったナギから、ほら、とスマホを見せられる。公式サイトだ。応募締め切りが一日前だった。
「アイドルになるのが夢で、だけど、ずっと悩んでて、踏ん切りつかなくて……でも、ゆーづに宣言したら、逃げ場なくなるから、飛び込むしかないかな、って」
「……そっか……」
「そ、それだけ? どう思う……?」
「…………」
「な、なんか言ってよぉ……」
「…………」
「…………やっぱりわたしなんかがアイドルなんて無理かな」
「…………そんなこと」
私はナギの細い両肩を掴んで自分に引き寄せた。
「絶対言うな!」
「……えっ」
ナギはぽかんと口を半開きにしたまま固まる。
「やっっったじゃん! ついに決意したんだ! 偉い!」
「えっ? えっ?」
「ナギずっとアイドルに憧れてるって言ってたじゃん! 文化祭でコスプレして踊るの楽しそうだったし! じゃあやればいいのに、って正直ずっと思ってた!」
「えっ、えー……そーなの……?」
戸惑いから一転、呆れたようにナギは肩から力を抜く。
「だってぇ、そういうのって周りが言うよりも本人の意思じゃない? 私はナギが世界一可愛いって思ってるけどさぁ」
「だっ、だからそれ、毎回言ってくれるけど言い過ぎなんだよ!」
顔を真っ赤にしたナギが私をぽかぽか殴ってくる。
「ははは、ごめんごめん。でもマジだから。こんな可愛い子が受からないワケないもん! ぜったい受かる! 大丈夫!」
「……顔の可愛さだけじゃないし、アイドルって」
「バレエ小っちゃい頃から続けてるんでしょ! こないだの発表会なんか主役までやってたし! いけるいける!」
「わ、わたし人見知りだし……」
「オーディション参加しようとする時点で人見知りとか嘘じゃない?」
「うううう、でも、でも────」
「こら!」
私はナギの肩を思い切り揺さぶった。
「わわっ」
「せっかく心決めたんだからブレるな! やれる! ナギはやれるよ! 大丈夫!」
「……ホントぉ? ホントにそう思ってくれてる……?」
ナギは私と目を合わせる。自信がない、というよりも、背中を強く押してほしい、と望む瞳の色と声の震えだった。だから私は強く頷いた。私の声でナギの夢への帆を押してあげられるように。
「本心だし、ナギも、自分がそう決断したことを、もっと褒めてあげなよ。偉いよ、本当に。一歩踏み出せた勇気がすごいよ」
「……うん」
彼女は肩にある私の手に、自らの手を重ねた。私の左手に、彼女の右手を。緊張していたのか、白い手が冷たくなっていた。
「ありがとう、ゆーづ。やっぱりゆーづはわたしの……『親友』、だね。わたしの背中、いつも、押してくれて……」
「当たり前じゃね? 親友なんだし。マジ超応援する! 私がファン一号ね! ファンクラブの会長するから!」
「うん……ありがとう」
ぎゅうう、と、ナギは私の手を痛いくらいに握ってきた。だんだん温かさが戻っていく。私の体温が彼女に伝わったのかもしれない。心から応援する気持ちも一緒に届いてほしいと思った。
「じゃ、帰ろっか」
「うん」
離してくれそうな気配がないので、もうそのまま手を繋いで帰路を再開することにした。親友だから普通に腕を組んだり手を繋いだりして帰ることはしょちゅうあるけれど、今はなぜか気恥ずかしい気持ちになった。それを紛らわせるようにペラペラと口が動く。
「あれだね! なんか……アイドルになったらなったで、ちょっと寂しくなっちゃうな、遊ぶ時間無くなっちゃいそうで!」
「そ、そんなことない。もしアイドルになれてもゆーづとの時間は大切にするもん」
「なら嬉しいけど、忙しくなっちゃったら無理しないでいいからね?」
「無理なんか……」
「あ、もしかしたらこうやって手ぇ繋いで街歩いたら噂になっちゃいそうだね。週刊誌に撮られたり……ないか! はは、女同士だし」
「……そう、だね。女同士、だもんね」
「…………」
「ゆーづ?」
ふふ、と控えめに笑うナギの横顔を見て、私は思わず見惚れてしまった。いつも隣でずっと見ていた光景のはずなのに、急に────ナギがアイドルになったらこの時間が減ってしまうと思うと、急に、この瞬間の尊さに気づいてしまった。
ナギが私の隣から離れ、遠くに行ってしまうかもしれない。
二年以上、ずっと、毎日、お互いの家族よりも濃い時間を過ごしてきたのに。
それをうばわれるかもしれない。
「……ナギは、私の……」
突然、左側が寒くなったような気がして、私は立ち止まった。無意識に、歩みを止めた。
「ゆーづ?」
「……な、んでもない! ちょっと通知が……」
私を待ってくれているナギを慌てて追いかける。吐いた唾は飲めない。女に二言は無い。たった十分前の発言を撤回するなんてできない。大丈夫。応援できる。ナギが世界一可愛いと思っているのは本心だし、ナギが夢を叶えることは私が夢を叶えるくらい嬉しいことなんだ。
「ナギ」
「なぁに?」
「大丈夫。きっとなれるよ。がんばって」
「……うん。ありがと」
ナギは目を伏せて、私の肩へ頭をとん、と当ててきた。それもいつもの仕草だ。いつもの仕草なのに、これから『いつも』じゃなくなるかもしれない。
それでも。
「ずっとわたしの味方でいてね」
ナギは私へ囁いた。それは約束じゃなくて、どこか、確認のようだった。
ナギと出会ったのは高校受験の時だった。彼女が受験票を探しているのを手伝ったのがきっかけだ。
「どうしよう、どうしよう、わたしいつもこうだ……」
その日は朝から雪が降って、早起きしたのに目が覚めるほど寒かったのをよく覚えている。受験会場へ向かう生徒の流れを、一人の女の子が青白い顔をしながら逆らっていた。
「もうやだ、肝心な時にいつもしくじる、なんでわたし」
「きみ、大丈夫? 受験生?」
うわ言のように何かを呟くナギへ私が声をかけた。そんな子を放っておいたらバチが当たって落ちてしまいそうだったからだ。私はゲン担ぎを重視する性格だった。
「……じ、受験票」
「受験票? 忘れたの?」
ナギは首を横に振った。それが身体の震えなのか一瞬見分けがつかなかった。それほど絶望に表情を染めていた。
「お、落とした、かも……バスを降りて、ファイル、カバンに仕舞って、そこまではたしかにあって……」
「バスって、駅から出てるやつ?」
「うん、うん」
偶然私と同じバスを使っていたからピンと来て、私はすぐさま彼女の手を引いてバス停へ走った。
「ごめんなさい、退いて!」
流れに逆らうために大声を出す。単語帳や教科書に目を落としていた受験生がびっくりしてすぐ道を開けてくれる。あっという間にバス停に辿り着いた。
「どこ? あった?」
ベンチの下や標識版の近くをざっと見て、ナギは泣きそうな顔をした。
「ない……バスの中? いや、でも、家じゃないし、ファイルの中にあったのにどうして……」
「待って、あれじゃない!?」
私は道路を指差した。車道の真ん中に一枚の紙が落ちている。ちょうど車が一台過ぎ去って、その紙が舞い上がってひらひら空を漂う。
「こら、待て!」
私は躊躇なく道路へ飛び出した。ひらひらと不安定に漂う紙が、右に行って、左に行って、どこに落ちてくるか分からない。ならいっそ、こっちから。見逃さないように目を凝らして歯を食いしばって、私は足に力を籠めて飛び上がった。
それは神様のおかげか、人生の運を使い切ったのか。定められていたかのように紙が────受験票が私の手のひらに収まった。私は強く拳を握った。
「よっしゃあ!」
「危ない!」
ナギの声が響き、クラクションの音が耳を突き抜けた。私はバランスを崩して着地をしくじった。きーっ、と急ブレーキの音と跡が車道に刻み込まれ、私の鼻先で車が止まった。
「だ、大丈夫ですか!?」
運転手さんが車から降りてきたのを見て、私は我に返った。
「ご、ごめんなさい、こちらこそ! すみません、すみません!」
ひたすら頭を下げ、逃げるようにナギの元へ帰っていく。
「あ、あはは、怒られちった。でも、これ────」
受験票を渡そうとした瞬間、彼女に強く抱かれた。
「よかった……! 怪我が無くて、本当に……! うっ、うう」
密着しているから彼女の震えがダイレクトに伝わってくる。泣き声と鼻を啜る音がすぐ近くからする。心配させてしまった。罪悪感と達成感が混ざり合う。
「ごめん……でも、これ! ほら! 受験票! やったじゃん!」
「あ、ありがとぉ……! でも」
「ん?」
ナギは受け取ったしわくちゃの受験票を大切そうに胸に抱きながら、不安そうな顔を私に向けた。
「ここまでしてもらって、もし受からなかったら、わたし、どうしたら────」
「こら!」
私はナギの肩を掴んで、思い切り揺さぶった。
「わわっ」
「せっかく見つかったんだからネガティブなこと考えない! 今きみには最強の運がある! この調子で受かるって思って!」
涙がボロボロ落ちる彼女の目を、出来る限り優しく拭う。
「そんでさ……もし二人とも受かったら友達になってよ。だったら私も頑張った甲斐、あるってもんだからさ」
「……うん」
ナギは涙を拭う私の手を掴んで、目をぎゅっと瞑り、涙を全て絞り出した。
「ぜったい、ぜったい! 友達になる! 頑張ろうね!」
「うん、頑張ろう!」
ここまでやって私だけ落ちたらクソださいな、と内心ひやひやしたけれど、結果としては普通に合格できてよかった。
そして入学式、私が新しい制服に身を包んで登校すると、正門の傍に一人の女の子が立っていた。
あの子は、もしかして。
彼女に気づいて私が速度を上げるのと同時に、彼女も私に向かって駆け出してくる。
「あの!」
彼女が私の目の前で息を切らしながら口を開く。
「瀬戸ナギ、です」
「……あはは、そっか。自己紹介してなかったね」
あれだけ濃い思い出があるのに、今さらで、少しくすぐったかった。
「須田ユヅキです、よろしくね」
こんな馴れ初めがあったし、さらに同じクラスで席も前後という役満状態で速攻友達になったし、親友になって大親友になるのに時間はかからなかった。一年生が終わる頃にはお互いの親まで仲良くなって、よくお泊り会をして、毎週土日もほとんど一緒にいるようになった。
ナギが幼い頃からやっているバレエの発表会に何度も呼ばれたし、私と一緒のダンス部で全国大会に挑戦したりした。夢を語り合うのも、笑うのも泣くのも全部一緒だった。趣味や性格はまるで違うのになぜかウマが合うし、前世で双子か夫婦だったんじゃない? なんて冗談で言い合うくらいラブラブだった。
部活の友達に彼氏ができたり別れたりした時も、特段欲しいとは思わなかった。私はそもそも幼い頃から男の子にあまり興味が無かったし、ナギは……どうかは分からないけれど、そんな話を前のめりにしている姿は見られなかった。
「わたしたち、いつまで一緒にいられるのかな」
二年生になってから、ナギがそんなことを言い始めた。そろそろ大学受験が近づいてきて、友達も塾に行き始めたりした頃だ。
「卒業しても会えばいいじゃん?」
「……そんなこと言って、ゆーづ、彼氏できたら私のこと放っておきそうだし」
「そんなイメージあんの!? ひどっ」
「ちがっ、一般論! だって、今までわたしに割いてくれた時間を彼氏にもあげなきゃいけないわけで……そしたらわたしと遊ぶ時間減っちゃうから……」
本当に私が彼氏を作った、と想像しているような顔、だろうか。下がった眉がつり上がって、彼女の声がだんだん怒りで震え始めた。
「わたしよりも過ごした時間は確実に少ないくせにゆーづを自分の物ヅラされるのすごいムカつく……」
「じゃあ彼氏作んないわー。てか付き合ったら別れるじゃん。そういうの辛いもん。私なら無理だ。強くないから」
えっ、と大きな目が飛び出しそうなくらい驚いた彼女の顔を、今でも覚えている。
「大学もさ、仮に一緒のところじゃなくてもさ、ほら、ルームシェアとかしてさ。てかさぁ、そんなこと言ったらナギだって────」
「わたしは!」
今度はわたしが驚く番だった。そんなに感情を表に出した声を、聞いたことがなかったから。
それはあまりに切実で、真に迫っていた。
「わたしは……わた、しは……」
「ナギ……?」
「……………………ゆーづがいたらなんもいらない」
私を見上げるナギの顔が、赤くなって、吐息まで見えるようだった。
空気が湿っぽく、生温かくなって、なぜか、私の心臓がバクバクと耳元で鳴った。
これ、わかる。直感が警報を鳴らした。
「わたし、ゆーづが────」
「私っ、も」
私はナギの言葉を遮った。溺れた時の、必死に空気を求めるような息苦しさを感じていた。
「私も、ナギのこと、親友だと思ってるから」
「…………そ」
「これからも親友だよね? 私たち、ね?」
「……そうだよ」
これでよかったのか、今でも分からない。でも何か、致命的に何かが変わってしまうような気がして。
私は強くない。私が一番分かっている。それでも、私はその夜、涙が出るほど後悔した。
「そうだよね。ごめんね」
と、ナギが泣きながら笑顔を作っていたから。
ナギが最終審査まで残った。現在は六位だ。私は毎回ナギに投票していたし、やっぱりナギは世界一可愛いし、何よりバレエとダンス部の下地があるからどんどん成長して、今ではトレンド入りするくらい認知度が上がっていた。
「……宣材写真、可愛くないな」
公式サイトを見ながら呟く。私が撮ったナギの写真の方が百倍魅力的だ。まぁ写真に撮るまでもなくナギは魅力的だけど。だから国民投票で六位になれてるわけだけど。
だから全く疑っていなかった。それとは裏腹に純粋な気持ちで応援できなくなっていた。SNSで検索するたびに誰か知らないような奴がナギを評価して、ナギのこと何も知らないくせに番組で見ている姿だけを見て理解したつもりになって褒めたり貶したりすることに我慢できなかった。ナギが審査員に厳しい言葉をぶつけられているのを見ると歯を食いしばり過ぎて吐きそうになった。
高校二年生の秋から番組が始まって、今は冬。私は受験勉強を始めているけれど、ナギはそうじゃない。彼女が忙しくなって放課後は一人で帰るようになった。二人で行こうと約束していたオープンキャンパスも一人で行った。
私よりもオーディションを生き残っている仲間たちと一緒に過ごす時間が多いことに心の底からムカついた。
「ゆーづ。いらっしゃい」
インターフォンを鳴らすとすぐに出てくれた。話があるから家に行っていい? と訊いたらすぐに了承してくれたのだ。
「ナギ、ありがとう。時間、作ってくれて」
「ううん。言ったでしょ。もしアイドルになれてもゆーづとの時間は大切にするって」
まだアイドルじゃないけど、と苦笑するナギの顔はさらに美人になっていた。オーディションを通じて体型管理をして痩せたのだ。フェイスラインが綺麗になって、首もすっきりして長く見える。肌の調子も良い。
ナギの家にはすでに私のお泊りセットが常備されていて、だから私は着の身着のままで泊まりに行くことができる。いつものようにナギの部屋に行って、いつものようにナギが私のマグカップに淹れたココアを持ってきてくれた。
「久しぶりだね。毎週お泊り会してたのに。なんか、ちょっとだけ緊張する、かも」
「そう、だよな」
明らかにナギは変わった。前よりもハキハキ喋るようになったし、態度や姿勢から自分に自信を持っているのを感じる。ナギを変えられたのは私じゃないことに、とてつもない劣等感を覚えた。
「それで? 話ってなに?」
ナギは私の真正面に座った。私はココアを一口飲んで、そして────何の言葉も出なくなった。話がある、と言ったはいいものの、何を話すのか。オーディションを辞めてほしい、なんて今さら言えない。応援すると言ったのは私だ。ナギが嬉しい時は私も嬉しいはずなんだ。
「私」
「うん」
「私ね……」
「うん。いいよ、ゆっくりで」
ナギをちらりと見る。まるですべてを分かっているような表情だった。悟りを開いているような穏やかな顔つきだった。
そうだよな。だって、親友、なんだから。
「……私、たぶん、女の子が好き、なんだ」
「……うん」
「中学生の時、友達のこと好きになっちゃって、でも、ダメで」
「うん」
「その子とは友達に戻ろうねって約束したんだけど、噂が広がっちゃって、中学生ってそういうのすごく揶揄われるから、その子、恥ずかしくなったみたいで、学校に来なくなっちゃって」
「……そっか」
「それで、みんなからお前のせいだって、言われて、それで、もう、こういうの止めようって、誓ったんだ」
「……ゆーづが、そんなこと思わなくてもいいのに。悪くないでしょ」
「今から思うとね、そうかもしんないけど……でも、傷つけたのは、まわりまわって私だし、友達、大事だし」
「……………………」
「勘違いだったら、恥ずかしいんだけど、たぶん、あの時、ナギ、私に告白しようとしてた、よな」
「わたしは女の子好きじゃないよ」
「えっ……」
「ゆーづが好きなんだよ」
「…………そっか」
「でも、そっか。そういうことだったんだね。なんか、あの時、わたしに言わせないようにしてたでしょ? だから……ああ、脈なしなんだな、って諦めた」
「……ごめん」
「謝らないで。たぶん、しばらく恋愛しないから。オーディション受かったらアイドルだもん。もうすぐ、手が届きそうだから」
「……だよな。このままいったら合格してデビューするんだろうな」
「油断はできないけど、ね。ふふ」
「私、ナギが好き」
「……………………」
「好き。もう逃げない。ちゃんとナギのこと好きなんだよ」
「ごめん」
「……………………」
「ゆーづのことは大好き。ずっと。わたしの一番の人だよ。これからも。でもごめん。無理」
「……どうして」
「遅いよ」
笑顔のまま、ナギは涙を流した。
「ばか。遅い。もう無理だよ。アイドルになれるかもしれないんだもん。アイドルが恋愛しちゃダメなの知ってるでしょ? 夢だったの、ゆーづ、一番傍で知ってくれてるくせに。ずるいよ。残酷だよ。今さら」
「……だって」
私はくしゃくしゃになって俯いた。
「だって、だって、ナギはずっと私の傍にいると思ってたんだもん」
「ずっとなんてないよ、ゆーづ」
「女同士だからいいじゃん!」
私は叫んだ。床を叩いて、ナギを睨みつけた。
「女同士だったら誰も付き合ってるって思わないじゃん! 私たちだけの関係でいいじゃん!」
「じゃあ止めてよ!」
ナギも叫んだ。地団駄を踏んで泣きじゃくった。
「あの時アイドルなんか応募するな、って言ってよ! ゆーづ言ってくれたでしょ!? わたし世界一可愛いんでしょ!? 世界一可愛いんだったらオーディションくらい受かっちゃうでしょ!? それ分かってて送り出してるならじゃあ応援してくれてないってことなの!?」
「ちがう、ちがう!」
私は首が取れそうなくらい横に振り回した。
「だって、ナギの嬉しいことは私の嬉しいことだから! それが親友だから!」
「そんなことわたし思ってない! 人によって嬉しいこと違うのなんて当たり前だもん! 別にいいよ、それでもわたし、あの時ゆーづにアイドルになんかならないで私のものになれって言われたらなったよ!」
「そんなこと言えるわけないじゃん……」
私は顔を覆って蹲った。
「だって、ナギの笑顔が好きなんだよ……」
「……やだ、もう」
「アイドルしてるナギは、やっぱり世界一可愛いんだよ……」
「もうやだ」
はははは、とナギは乾いた笑い声を上げた。
「何の拷問? これ。わたしのこと褒めないでよ。世界で一番嬉しくて、世界で一番悲しいよ。ゆーづも同じ気持ちなの?」
とん、とん、と足音が近づき、私の元へナギが来る。蹲る私の頭を優しく撫でる。
「わたしたち、変わらなきゃダメだよ。わたしにとってゆーづは一番大事だよ。でもそれと同じくらい、わたしのこと応援してくれるファンの人がもうできてるの。その人たちのこと裏切れない」
「……………………」
「わたし、オーディションに落ちても別のアイドルグループに入りませんか? って誘われてるの。だからどう足掻いても、もうアイドルになるの。夢はもう叶うんだよ」
「……………………」
「女がいるアイドル推せる?」
「……………………」
「まっさらな気持ちでステージに立たないとファンに失礼じゃない?」
「……………………」
「そうじゃない人もいるかもしれないけど、わたしは恋人がいるアイドルは推せないし、お金払ってるのに舐めるなって思う。から、無理」
「…………ごめん」
「もういいよ」
「ごめん」
「辛いから、出て行って」
「……うん」
「でも、ありがとう。好きって言ってくれて」
ナギは私の顔に手を添えて、優しく持ち上げ、泣き腫らした顔で無理矢理笑顔を作って私と目を合わせた。
それはあの時、私が告白を言わせなかった笑顔と同じだった。
「それだけでわたし、一生、生きていける」
私はその言葉を胸に大切に仕舞い込んで、生傷から血がどばどば溢れて死にそうな身体を引きずりながら家に帰った。
私は恋を免罪符にして彼女の夢を踏みにじったのだ。
私なんて塵としてどこかに流れてしまえたらいいのに。
そしていつか、あの子の元にその一片でも辿り着けたらいいのに。
遅いよ みやじ @miya0830
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