面倒事が発生しないからこその甘言

 好きになったのは一年の頃だった。

 僕と桐生の間に接点なんて無かった。あったのは二年間同じクラスだったという事だけ。たまに挨拶したり席替えで近くなったりした時にほんの少し世間話をした程度。

 知人にもなりきれていないポジションにいたのに僕は桐生の事が好きだった。

 元々目立つ人だなって思っていた。同じ年の筈なのにどこか落ち着いていて、でも見た目がすこぶる良いから嫌でも人の目を引いていて住む世界の違う人だと思った。

 その感想は桐生が仲良くなった人達を見てさらに深まる。

 マンガとか学園ドラマでしか見たことが無いようなカースト上位軍団の中に桐生がなんの違和感もなく解け込み、休み時間も昼休みも放課後だって賑やか。「俺がこの世の主役」と言わんばかりの華やかさに住む世界が違うと思いつつも、僕は度々見惚れていた。


 今思えば顔が好みなんだと思う。僕は面食いだったらしい。

 だけど意外にも人の事をちゃんと見ていて、折り合いの悪い人達が喧嘩になりそうになるとさりげなく止めに入るところだったり、委員会とか日直も休まない真面目なところだったり、助っ人を頼まれたスポーツの出来が良くなくて悔しがってるところだったり、そんな毎日を真っ直ぐに生きているところが眩しいなって思った。

 一年の時ほんの少し会話をしただけの同級生に僕は恋をしていた。一生誰にも言う事のない、僕の胸にだけしまっておく、小さな宝物みたいな感情だった。

 それが叶う事なんて絶対に有り得ない。でも、それでも、少しだけ。

 近付いてみたい、そう思った。


「雪穂、今日はこれね」


 夏祭りから数日経ち夏休みも終盤になった午後、僕は相変わらず桐生の家に来ていた。あんな事があったのに普通の顔してまた撮影会に臨むなんて正気の沙汰じゃないと理解しているのに、それでも誘いの連絡があった時嬉しいと感じてしまった。

 それに桐生と僕ではキスに対する感覚がきっと全然違う。

 僕にとってはとんでもない出来事だけど、桐生にとっては外国の挨拶並みの感覚なんだと思う。そう思えば納得出来るし、だからこそこんな風に誘えるのだ。


「……一体どんだけ服持ってるの」

「そんなに多くないよ? あ、でもいずれは際どいのとか行きたいよね、バニーとか」

「ぜっっったいに着ないから」

「押しに弱いから土下座すればワンチャンって思ってる」

「……」

「雪穂ってたまに視線だけで人殺せそうだよね」


 これ見よがしに溜息を吐いて今日の衣装に目を向ける。

 桐生の手に持たれていたのはホビーショップで見るような仮装の衣装。今まで桐生が用意していたのは結構質が良かった為見るからにパーティグッズのそれに少し意外だなと瞬きをした。


「今日のコンセプトは初めての女装です」


 口角を上げて得意げに笑う桐生にむかついて脇腹にパンチした僕は悪くない。

 引ったくるように薄い袋に入った衣装を奪って桐生に背を向けて服を脱いでいく。着替えはいつも桐生の前でしている。抵抗が無いと言えば嘘になるけど「だって男同士じゃん」と言われてしまえば僕に取れる選択肢なんて一つしか無かった。

 でも何回もやっていれば慣れるもので最早作業と同じ感覚で服を広げる。やはり生地は薄いし今まで着た服を思うと安っぽく感じるし実際そうなんだろう。

 でも確かに世間一般でいう初めての女装とやらはこのレベルに違いないし、コンセプトには合っているのかと思うと心中は複雑だ。


「……ていうかセーラーじゃん。また撮るの?」

「うん」


 やけに短いスカートに生地の薄い上着、スカーフは真っ赤でいかにもコスプレですと言わんばかりの服だが恐ろしい事に僕はもうそれらに抵抗が無くなっていた。

 着せ替え人形はきっとこんな感情なんだろう。


「雪穂ってさ、背中綺麗だよね」


 掛けられた声は思ったよりも近くて、振り返ろうとした矢先背筋をなぞられて僕は叫んだ。


「やめろこのばか‼︎」


 人の気も知らないでと苛立ちのまま睨んだ桐生の表情に心臓がどくりと脈打った。

 熱を孕む、というのはきっとこんな顔なんだろう。


「……な、に」


 思わず一歩後退った僕を桐生は静かに見ていた。ただ見て、じっくりと見て、急に片手で口を覆った。


「下スカートで上は裸の破壊力やば……‼︎ 倒錯的ってこういう事を言うのかな、きっとそうだ。なるほどこれが。雪穂全身白くて綺麗だから余計に破壊力が凄すぎて最早芸術なのかもしれない。なんか美術館にも有りそうだもんね、それくらい綺麗だし、エロいし、なんかいけない事してる感じがあってめっちゃくちゃクる」

「うるせえぞど変態どっかに頭ぶつけて気絶しろ」


 僕は光の速さで上を着た。


「今までちゃんとした服着せてきたからチープなの着ると更にエロい」

「桐生の目ってどうなってるの本当に。腐ってるの」

「生きてきた中で今多分一番視力が良い。今なら多分透視も出来そう」

「きっも」

「チープなセーラー着た黒縁メガネの女装男子にゴミみたいな目で見られるってなんでこんなにも興奮と幸せを同時に運んできてくれるんだろうね?」

「知らないよ」


 肺の中の空気を全部抜くように息を吐き出して興奮気味に鼻息を荒くする桐生の肩を殴る。

 学校でも運動をしている時でも、数いた恋人の前でも桐生はこんな顔をしていなかった。

 だからこれは現状ではきっと僕一人が知っている桐生の顔。その事に対する優越感があるから僕は桐生の誘いを断らないし、桐生が「もういい」って言うまでこの関係を続けて行くんだろう。


「今日はメイクしないの」

「やっぱり積極的になってきたよね雪穂」

「もうそれでいいよ。で、するのしないのどっち」

「んー……今日はいいかな。制服の時はノーメイクの方が良いし、雪穂はメイクしてなくてもかわいいから」

「……お前、誰に対してもこんななの」


 僕は一年の頃から桐生を見てきた。でも見ているだけで桐生がどんな会話をしていたのかなんて全く知らない。恋人らしい女子といる時も、もしかしたら桐生はこんな風に惜しげも無く歯の浮くようなセリフを言っていたのだろうか。そう思うと胸が少し傷んだ。


「こんなって言うのは?」

「…可愛いとか綺麗とか」

「あー、言わないね」


 ふわりと心が軽くなる。単純だなって自分でも思った。


「だって面倒臭いじゃん、勘違いされるの」


 ガツンと鈍器で殴られたような衝撃が襲った。浮上した心が一気に鉛みたいに重たくなって沈んでいく。それと一緒に口の中がカラカラに乾いていく。


「社交辞令的なのでもさすぐに気があるのかもーって勘違いする子っているんだよ。結構面倒臭い目に遭ってきたから言わないようにしてる」


 どう形容したらいいのか分からない感情がお腹の奥で渦巻いている。苦しさと悲しさと羞恥心がない混ぜになった、ヘドロみたいなそれがどんどん僕の首を絞めていく。

 でもそれを悟られる訳にはいかなくて、僕は興味がないみたいな顔をして「へえ」って言った。


「あ、でも雪穂に言ってるのは全部本心だよ。雪穂は本当に可愛いし綺麗だしあとエロい」

「男にそんなの言われても嬉しくない」


 嘘だ、本当は嬉しい。

 キスされた時ももしかしたら僕にも可能性があるんじゃないかって思った。こうして二人でいる今も、もしかしたらって。

 だけどそんなはずない。桐生が僕にかわいいって言ってくれるのも、きれいだってえろいって言ってくれるのも、全部僕が男だからだ。

 面倒事が発生しない男だから、桐生はそう言ってるだけなんだ。

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