餅殺人事件

三坂鳴

第1話 餅の狂騒曲

「人類を最も多く殺してきたのは蚊だ。そしてその次に、静かに息を詰まらせる餅である。―― フェルディナント・カシオ・シュタイン(歴史学者)」


登場人物

浅葉光一(あさば こういち)

若き名探偵。どんな突飛な事件でも冷静に真相に迫る。今回の事件に対して「餅が犯人」という言葉を聞き、興味を抱く。


山本徳次郎(やまもと とくじろう)

被害者の老人。正月に餅を食べている最中に窒息死する。家族には莫大な遺産を残す予定だった。


山本和男(やまもと かずお)

徳次郎の長男。遺産目当てで父に冷たい態度をとっていた。事件後、「餅が悪い」と怒り出し世間に騒ぎを広める。


山本美咲(やまもと みさき)

徳次郎の孫娘。正月に餅をついて持参した本人であり、責任を感じているが、どこか様子がおかしい。


事件の中心に存在する「犯人」。誰もがただの食べ物だと思っていたが、探偵はその裏に何かを見出す。



新年は、穏やかな風と共に山本家にもたらされた。親族一同が集まり、正月の慣例通り、酒と料理が並ぶ食卓に笑顔が揃う。重厚な家屋に、孫の笑い声、杯を交わす音、そして突き立つような臼と杵の響きがリズムを刻んでいた。


「じいちゃん、餅、もうつき終わったよ!」

孫娘の美咲が嬉しそうに徳次郎に呼びかける。山本徳次郎、八十一歳。頑固で口うるさいが、家族思いの長老だ。


「ほう、美咲がついた餅なら旨いに違いないな。」

徳次郎は目尻を下げながら、真新しい餅を手に取った。


食卓に白く光るその餅が並んだ瞬間、彼の人生は終わりを迎えることになる。



食事が始まってすぐ、事件は起きた。


「うっ……ぐ、ぐふっ……!」


突然、徳次郎が顔を真っ赤にし、喉元を押さえた。家族がハッと振り返ると、徳次郎は椅子から立ち上がろうとするも、そのまま前のめりに倒れ込んだ。


「お父さん! どうしたんだ!」

長男の和男が慌てて駆け寄る。妻や子供たちも悲鳴をあげる中、徳次郎は動かない。


「餅だ! 餅が詰まったんだ!」


救急車が呼ばれ、徳次郎は急ぎ搬送された。しかし、搬送先の病院で医師が首を振ると同時に、山本家の新年の空気は凍りついた。


葬儀が行われた翌日、遺族たちが居間に集まった。喪服のまま、重苦しい雰囲気が漂う。徳次郎のいない長椅子が、不自然な空間となっていた。


「あんな死に方、親父らしくない……。」

和男がため息をつくと、美咲が目を伏せた。


「お祖父ちゃん、私の餅を食べてくれたのに……」


そこに突如、和男が声を荒げた。


「……違う! 親父は餅に殺されたんだ!」


「……は?」

遺族全員が呆気に取られる。


「お父さん、何を言ってるの?」

妹の順子が眉をひそめる。


「考えてみろ! 正月の餅が詰まるなんて事故だと思ってるだろ? だがこれは違う! 俺にはわかる。親父は――餅に殺されたんだ!」


「和男、ちょっと冷静になりなさい!」

妻がなだめるが、和男の興奮は収まらない。


「いいや、これを事故だと片付けるのは早すぎる! あの餅が、俺たちに隠している何かがあるんだ!」


「そんなわけないだろ!」

親族たちの反論をよそに、和男の不可解な言葉はじわじわと山本家を浸食していく。


その日の夕方、山本家には数社の新聞記者が押し寄せていた。和男が「餅による殺人事件」と騒ぎ立てたことが、予想外にニュースとして取り上げられてしまったのだ。


「餅が殺人犯だなんて、馬鹿げた話だろ……」

親族は困惑し、記者を追い返すが、騒動は収まる気配がない。


そして――警察署に「奇妙な捜査協力依頼」が舞い込んだ。


数日後、探偵・浅葉光一が山本家を訪れた。黒のロングコートをまとい、淡々とした表情で仏壇に手を合わせると、静かに遺族を振り返る。


「捜査依頼を受けました。浅葉光一と申します。」


「……探偵さん、うちの兄が勝手に騒いでるだけなんです!」

順子が申し訳なさそうに言うが、浅葉は静かに首を振った。


「真相が事故か事件か、それを決めるのは私ではありません。しかし――」


浅葉は徳次郎が最後に食べた餅の入った箱を手に取り、ぽつりと呟いた。


「餅には手がない。それでも殺したのなら、何か理由があるはずだ。」


探偵は餅を見つめ、山本家に新たな静寂が訪れた。


「この餅、何かを知っていますよ。」


遺族たちは震えるような気持ちで、その言葉を聞いていた――。

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