現代の浮世絵「これが青春だ」 V.2.1
@MasatoHiraguri
第1話 50年前の日本の若者を描いた名作ドラマ
正月、50年前に放映された「青春をテーマにしたテレビドラマ」を観た。 海辺の町の私立高校に、体育会タイプの熱血漢英語教師(俳優は竜雷太)が赴任してくる。その蛮カラ的性格を校長に見込まれ、できの悪い生徒・品行不良学生ばかりを集めたクラスの担任を任される。 彼は、上から目線の教師ではなく、同じ青春の心を持つメンター(mentor:良き指導者・助言者)として、落ちこぼれ・荒くれ者と供に悩み一緒に汗をかくことで、彼らをまとめ上げ各人の最適な道へ後押しする。
学問や知識(頭)で知性を伸ばすのも重要だ。しかし、身体を使って汗水流すことに一生懸命打ち込むことで、人間として本来備わっている理性を磨く、というアプローチでも(そういうやり方こそ)真の人間になることができる。その大切さに気づかせてくれたドラマでした(全15回)。私が中学生の頃(1970年代)に放映されたテレビドラマ(白黒)で、そこから続く「青春シリーズ」のはしり(先駆け)となった名作です。
テレビドラマとしての脚本もよくできている。また俳優たちの演技以上に、その存在感も、韓流のオーバーアクション(わざとらしい演技)と異なり、真の人間らしさがにじみ出ている。だから、話の運びと俳優たちの素のキャラクター(人格・個性)が役柄を越えて伝わってきて、観ている側も「真に泣けてくる」のです。 韓流的作りもの(頭でこしらえた物語)ではなく、当時の在来種純粋日本人と世相(世の中の有り様・ムード)をそのまま切り取って見せてくれた、まさに当代の「浮世絵」といえるでしょう。(韓国のテレビドラマや映画・音楽とは、そんな日本の文化作品を学習し、その良い部分だけを寄せ集めた「お子様ランチ」。そもそも韓国という国(社会)自体が日本(社会)のコピー。そんな「作りものの社会」で「作りものの人間」が「作りものの文化」を「疑似体験」している。ラーメン屋で中年の男性が背広姿でお子様ランチを食べているような、奇妙さがあるのです。)
第2話 差別がなかった50年前の日本社会
昔は、高校・大学なんか行かなくても、義務教育の中卒で充分メシが食えたし、社会的にも充分認められていた時代でした(私も中三になるまで、高校へ行くことなど考えていませんでした)。 豆腐屋でも八百屋でも魚屋でも、大工・左官屋・水道工事屋・電器屋、蕎麦屋・鮨屋・ラーメン屋・肉屋・天ぷら屋等々、休日には一家4人で浅草の花屋敷や後楽園遊園地・豊島園・富士急ハイランドといった日帰りで行ける行楽地で楽しみ、盆と正月には田舎へ帰ってゆっくり休む。大学を出たから偉い、海外旅行をするからステータスがある、なんてことはなかった。 ドラマ「これが青春だ」でも、豆腐屋の親父が「オレは豆腐を作ることだけが一番の楽しみ。」なんて、ニコニコしながら言う場面があります。ゼニカネや地位・肩書きではなく、どんな仕事でも生き方でも、誇りと喜びを見出せる時代だったのです。 (天皇・政治屋・マスコミ屋・警察屋・医者といった)権威や権力をちやほやする今の方が、よほど(戦前と同じ)差別社会に戻ってきているといえるでしょう。
昔のドイツでも、義務教育終了後は各種マイスター(名人・親方)になるための修行をするのが普通であり、大学で医学や教育といった専門的な学問を学ぶのは一部の人間だけ。靴職人でも服飾デザイナーでも大工でも左官屋でも、若くして修行を開始し、20年~50年かけて親方・師匠・巨匠・名人を目指す。ですからそんな沢山のマイスターたちには、大学や大学院を卒業した学士や博士以上の社会的地位・名誉があったのです。
<セリフなんか要らないわ、私たちには顔があったのよ>
とは、無声映画時代の大女優グロリア・スワンソンの言葉です(米映画「サンセット・ブルバード」)。 あの頃の日本もまた、私たちの生活そのものがドラマであり・漫才であり・ミュージカルでした。自分たちで自分たちの生活を作り、それを楽しみ味わうことができた時代。 生活そのものに躍動するリズム感があり、豊かな人間性が溢れていた昔の日本社会では、作りもののセリフや演技・音楽は不要でした。音楽では、韓国音楽のような作りものではなく、私たち在来種純粋日本人の本性に即したフォークソングや演歌・ポップスが豊富にありました。 「これが青春だ」というドラマでも、セリフや演技を突き抜けた、出演者の個性そのものの存在感に溢れています。ドラマではなく、現実の・生きた(日本)社会を見ているかのようです。
<セリフや解説がなければ存在しない韓国社会>
一方、韓国ドラマ・映画・音楽とは、現実の生活とかけ離れた全くの作りものですが、そもそも大韓民国という国と社会そのものが、1948年に「いきなり」アメリカによって人工的に作られたのですから、そうなるのは仕方がない。韓国ドラマや映画の安っぽいセリフや演技・チャチな音楽とは、作りものに由来する無個性・画一的で無味乾燥の韓国人社会で必要な(キムチのような)刺激物といえるでしょう。 「いきなりステーキ」「いきなり戒厳令」「いきなり国家破産」。 考えようによっては、なんの脈絡も必然性もない「サプライズ」で色をつけるしかないのが、今も昔も変わらない「のっぺらぼうの韓国」という社会・国家なのです。
第3話 「これが青春だ」名言集
不良の生徒:「先生、オレたちできの悪い人間には、つまんねえひがみがあるんだ。心の中では人の親切や行為をありがたいと思っても、逆にそれに反抗したくなる奴が多いんだ。」 主人公の教師:「それは甘えだ。不良とかできが悪いとかいって、その特権に自分から甘えて努力しようとしない弱虫の言うセリフだ。」 不良の生徒:「オレたちは弱虫だから、何か支えが欲しいんだ。それがなんだかわかんないから、ケンカをしたり暴れたりしてさみしさを紛らわせているんだ。」
先輩の物理教師(50歳くらい)は、元海軍の特攻隊員(の生き残り)。 主人公が宿直の夜、二人で星を眺めながら、太平洋戦争時の思い出を語る。「ある晩、*学徒出陣*で特攻隊員になった全員が寒い野外に集められ、隊長の訓示があった。『お前たちは全員死ぬんだから、ここで覚悟を決めておけ』と。そして、夜空に輝くオリオン星座(3月上旬の夕暮れに南中)を教えてくれた。私は生き残ったが、今こうしてオリオン星座を見るたびに、戦死した多くの仲間のことを思い出す。」 そして、続けてこう言うのです。 「ある困難に向かって命を叩きつける姿は美しい。それはいつの世でも変わりはないはずだよ。」「今の若者には身も心もぶち当てる対象がなくなってしまったんだ。さびしいんだよ。彼らには何をしたらいいのか、若さと情熱のはけ口が見つからないんだねぇ。」(特攻を賛美しているわけではない。何事も死ぬ気で・本気で、物事に立ち向かう在来種純粋日本人の素晴らしい気風・気質について賛美しながらも、それが適切に発揮されない時代や社会を残念に思っているのです。)
* 【学徒出陣】太平洋戦争下の1943年、学生・生徒の徴兵猶予を停止し、陸海軍に入隊・出征させたこと
「劣等生の特別クラス」創設に対し「生徒の人格を傷つけるばかりか、教育者の敗北です。」と、断固反対していた主人公でしたが「オリオン星座の話」を聞くと、その足で校長宅を訪問し、こう申し入れます。 「奴らの心の中にある空白に僕の青春を叩きつけてみます。どんな形で受け止めてくれるか、どんな形で跳ね返ってくるか。やってみます。やらせて下さい。」
特別クラスをボイコット(参加拒否)する50人の生徒に向かって、主人公はこう自分の決意を述べます。「特別クラス反対を約束したのは、お前たちの劣等生根性に同情したからだ。しかし今、その約束を破った(特別クラスの担任に志願した)のは、お前たちのプライドを伸ばそうと思ったからだ。だから、劣等生根性ですねているような奴はこっちでお断りだ。来るなら、誇りを持ってオレの教室にやって来い。」
学校の成績が200人中最後尾の息子に向かって、父親は言う。 「1番とは大したもんだ。でかしたぞ。」 「でも父ちゃん、ケツから一番だぜ。」 「ケツからだろうと頭からだろうと、1番てのはただ一人だ。くよくよするな。プライドを持て。」 「誇りを持てか。血がたぎってきたぞ。誇りを持とう!」 こうして、この生徒は50人中一番に、笑顔で教室に現われる。
そんな生徒に、主人公はこう言ってチョークを渡す。 「お前の顔には誇りが溢れている。自信をもって自分の名前を(黒板に)書け。」と。
(これが在来種純粋日本人。自分の名前に誇りを持つ)
そして、この「1番の生徒」が最も得意とするケンカを、新しい授業の課目として創設することを約束する。 → これが、この学校の名物となるラグビー部の始まり。
日頃「祖父も父も兄たちもみんな東大」と母から言われ、そのコンプレックスから落ちこぼれになってしまったある生徒。母親は世間の体面上、自分の息子を特別クラスへ行かせるくらいなら転校させる、と教師(主人公)に抗議する。 母親の脇に立つ生徒に向かって、主人公が言う。 「君にとって、まるでお母さんは弁天様、絶対の権威のようだ。しかし、本当の権威とは自分のなかにあるんだ。勇気をふるって、弁天様の権威なんかぶち壊してしまえ。そこで初めて君自身の第一歩が始まるんだ。」
翌日彼は、落ちこぼれクラスをボイコットしている仲間たちに向かってこう言う。 「僕は偶像をぶち壊したんだ。僕は今、自分の足で立っている。自分の足で特別クラスに行くんだ。」と。
残りの生徒たちも、劣等生根性を捨て「自分の誇りを伸ばす」為に、続々と教室へやって来る。全員が揃った教室で、教師は宣言する。 「2年D組のDとは、ABCD終わりのDではない、DeluxeのDだ。これから万事、D組はデラックスに行こう!」と。
<主題歌>
「腹が立ったらケンカもしよう」
「悲しい時には涙流そう」
「誇りひとつを胸に掲げて」
「いつも裸のこれが若さだ」
「そうとも、これが青春だ !」
「そうとも、これが青春だ !」
2025年1月3日V.1.12025年1月4日
V.2.1
2025年1月5日
V.2.2平栗雅人
現代の浮世絵「これが青春だ」 V.2.1 @MasatoHiraguri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。現代の浮世絵「これが青春だ」 V.2.1の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます