浮遊生命〜土地神様とコネがあった曾祖父ちゃんが死にました。〜
南天
第1話文吾町(ぶんごちょう)
今は昔、神寄せの次郎右衛門といふ者ありけり。
嘘です。そんな遥か遠く昔の事ではありませんが、まあまあ古い明治大正の時代。この山間のド田舎にある我が文吾町(ぶんごちょう)がまだ村と呼ばれていた頃のこと。神寄せという神事が盛んに行われていたのだそうで、今は見る影もない路傍の石のような八百万の神様を祀る石碑にも、お供えが欠かされる事は無かったといいます。
俺の名前は松尾重紀(まつおしげのり)。そんな基礎知識も最近知ったばかりの高校生なりたて男子です。
"神寄せの次郎右衛門が死んだでどぉする。"
"しげちゃんしかおらん。"
最近になって俺の周りに、そんな事を言う人達が現れるようになりました。
曾祖父ちゃんと同じ名前なのは勿論わかります。確かに血縁です。けれど俺は中学卒業とほとんど同時に親から聞いた親族の訃報に、特別な悲しみや懐かしさや執着は湧いてきませんでした。同じ町内でも別居していて実はあまり交流が無かったからです。むしろ曾祖父ちゃんは我が家では触れてはいけない扱いでした。神寄せの次郎右衛門の二つ名も、昔聞いたことはあったかもしれないんですが記憶も曖昧なくらいに疎遠のまま過ごしてきました。
なのに何故?と言いたいわけです。今此処に俺が来ないといけない理由は何?と。
「いいから一遍お社行って来い。わかるから。」
などと父親から言い付けられた意味不明な使いパシリに異議が無いわけがなく、穏便に収めようという努力とそうしなければならない圧力に対する不服が拮抗した結果、丁寧語を使って煽っているのです。心の中で。この気持ち、わかりますか?わかる人、多いと思います。
コンビニのある交差点の角の竹籔の奥にお稲荷さんを祀るお社が在ることは上(かみ)地区の小学生なら皆知っている。すぐにも少子高齢化の大津波に流されそうなこの文吾町にはコンビニだけが新たに進出し競争をする唯一の業種として人々の関心を買い、奇異を見る目で品定めされてはふるい落とされ消えていった。今はただ選り抜かれし四軒のみが残っている。代々個人商店を営んでいた田端(たばた)さんが一番にチェーン店のフランチャイズを始めた事は父さんから聞いていた。ライバルの出現にも変わらず安定して客が入るのは揺るがぬ信頼と実績というやつなのか、確かな実力の成せる技なのか。まさか真向かいのお稲荷さんの御利益か。それがあったとしても、やはりヤリ手ということだろう。オーナーは同級生の田端んち(親族の誰か)でもあるから買い物に行って本人に偶然会ったりすると暫くは、ちょっと気まずい。志望していた都会の女子校に落ちて結局地元の商業高校に入ったそうだ。こういう事を大して仲良くもない俺までも知ってしまうのが田舎町の怖いところである。
上地区子供会で毎年やらされるお稲荷さんとこらへん(正確な敷地がどこまでか大人もよく知らない)の草むしりはご褒美がだいたいいつも五百ミリのペットボトル入りジュースとポテチの小袋。目の前のコンビニから受け取って運んでくる役割は六年生と決まっていて、田端と親しく話したのはそれが最後だったと思う。別に何か特別なことがあったわけではなく中学になると自然と話さなくなってそれっきりなだけだ。
学校帰りなら途中に少し回り道をすれば済むのに、一旦家に帰ってから荷物を持って来てとなるとそれなりに苦痛だ。母さんからは用事が済んだら帰りにコンビニでワッフル買っていいから、と千円渡されたがワッフルよりゲームを買う資金にしようと思う。田端の母さんが作るワッフルは生地も生クリームもフワフワの絶品であり、俺の好物だ。店内のキッチンで作って売っている商品で、運が良いと出来たてを食べられる。たまに本人も手伝っているから気の利く奴なら様子を見に行ってみても良いのかもしれないけど俺はそうじゃないので無理はしない。そもそも気にしているのはウチの祖母ちゃんだ。町内に張り巡らされた噂話ネットワークを牛耳るおばちゃんコミュニティに所属し、この件の情報元でもある祖母ちゃんは田端の祖母ちゃんと今で言うママ友同士なのである。志望校に落ちたからって大人達は好き勝手に腫れ物扱いするけれど、田端の通う商業高校は公立の中でも決してレベルは低くない。(田舎では公立が圧倒的支持を集める為に倍率が高い)それを滑り止めにするくらいの学力があるやつを俺が心配するのは勘違いとか思い上がりに当たると思っている。多分田端も迷惑だろう。本人から話を聞いた訳でもないのに事情を知ってしまっているこっちが一方的に気まずいだけだ。
無理はしない。思い上がらない。これは普段から心掛けていることだ。俺は身体がデカいせいもあってか変にヤル気を見せると周りが過剰に期待してくる傾向がある。母さんが著しい。あまり軽々しく動けない向きに追いやられているように感じて窮屈とも言えるが、デカいは強いとは限らない。勘違いされやすいのでもう一度分かりやすく言うと、デカい人間に強い心が宿っているとは限らないのである。俺などむしろパシリに使われ放題で嫌になっているくらいだ。縦に長いだけで身体能力は平凡なので落胆されがち。背が高いとモテるんじゃないかと言われるとアドバンテージがあるのにモテない現実に殴られる。実際、女子に話しかけられる時はだいたい高い所か力仕事を任される時であり、他に一切ないというのも寂しいものだ。いや別にいい。穏やかで平和で結構。ただでさえ目立つから調子に乗るとろくなことは無いのだ。だいたい予想はつく。もう逃げだとわかっていても大人しく過ごすのが一番なのだ。本音を言えば親にも放っておいて欲しいところではある。
中学では背の高さを生かしてバレーボール部でアタッカーをしていた。…訂正。確かにデカいと有利だ。強いわけではなかったのにレギュラーだった。それはそれで複雑なのだが自分なりにやれるだけの事をやった。それだけだ。不満があった訳ではなく、後から自分の為の選択ではなかったと気付いてしまったのが何だか重たかった。先生の勧めるままに入部したのがまず良くなかったのだ。高校では持っているものを生かすより、やりたいと思える事をやりたい。そういう意味では無理しないことを一層心掛けるつもりだ。
とりあえず大事な青春時代、華の高校生活を出来る限り悔いのないように遊び尽くす予定でいる。予定は未定、とかいう酒を飲んだ祖父ちゃんのつまらない冗談は聞き飽きた。予定は実現の為の助走である。そう考えた方がカッコいい。現実的でひたむきで、自分の性格と矛盾しないものと信じている。目的が遊びというのは褒められたものではない、なんて正論を気にする高校生なんかいるわけが無いとも信じている。
遊ぶ為に何を偉そうにと思われるかもしれないが、これくらい力を込めて立ち向かわないと田舎者は近隣の市街地にある高校に通うのも気が引けるというか、なかなか堂々とは振る舞えないものなのだ。真面目なだけでイジメにでもあったら青春どころかお先真っ暗。デカいから大丈夫とはとても思えない。器用に、ある程度は想定外の事態にも対処出来なければならないとなると、適度な遊び人を目指す覚悟と柔軟性こそが俺には必要だと思う。やからさき方言なおさんとかんでよぉしっくりこん。…おわかりいただけただろうか。まずはここから。正しい日本語もスキルの一つとしてきちんと身に付けなければ。方言が恥ずかしいとは思わないけれど、通じないものに意地を張っても意味がない。祖父ちゃんなんか見てて思う。愛着があるなら筋を通して守ればいいのだ。意地になってしがみついて相手に折れろと強要するから反発される。面倒くさい人とは思われたくない俺には反面教師でもある。だいたい自分のやっていることが只の我儘だから筋道が通らないのだ。
嫌いでも仲が悪いわけでもないが、こうして俺にわけのわからんお使いをさせているのも元を辿れば祖父ちゃん達ご高齢の方々の意図だから、多少は噛みつきたい気持ちにもなるというものである。
それにしても祭でも正月でもなく、曾祖父ちゃんが亡くなったからお参りに行けとはどういうことだろう。寺じゃないんだぞ?変だろ。俺しかいないと言われても思い当たる理由が無いのが不気味でなんとなく怖い。神様絡みの用事なだけに、下手をして祟られたりしないだろうな?大丈夫だよね?
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