キセイラッシュ

もも

第1話 帰省

 幼い頃の私の記憶では、大晦日はとても寒かった。

 古い戸建てはどこかに隙間が空いていて、母は家の中なのに首にタオルを巻いていた。


「タオルはすぐ洗濯が出来るから」


 マフラーやネックウォーマーを使わないことの理由として母はそう言ったが、「とりあえず首元を温かく出来れば何でもいいんだな」と思ったことを覚えている。タオルでそんなに変わるのかと思い、私も真似をしてタオルを巻きつけてみたら案外温かくて、それ以来、外ではそれなりの恰好をしている私でも部屋の中ではタオルを首に巻くことが冬の習慣のひとつになった。


 そんなしょうもないことをどうして思い出しているのかと言えば、今年、私は十年ぶりに帰省しているからだ。


 アイドルになりたくて中学を卒業後、高校も行かずに街へ出た。


「最終学歴が中卒なんて、そんなんでどうやって生きていくの。聞いたことないような事務所で、お母さん不安しかないわ。別に会社に勤める人がエライなんて言うつもりもないけど、中卒じゃロクな働き口もないし、頼むから新聞に載るような真似だけはしないで頂戴」


 見送りに来たと言いながら、駅のホームで母は最後まで私を延々とののしった。私はそれを聞きながら「全ての中卒者に対して謝れよ」と物凄く腹が立ったが、昔の価値観で生きている人間だから仕方がない。私が代わりにたくさん謝るし、中卒でもトップが獲れることを証明しようと強く思ったものだった。


「ぬるい冬だな」


 暖かくもなく、寒くもない年末年始。最寄りの駅のホームに降りた瞬間、中途半端な風が私を包んだ。


 実家までは電車の最寄り駅からバスに乗り換えて二十分。そこから徒歩で坂道をひたすら十五分かけて歩く。バス停付近にはパン屋や本屋など町らしさがかろうじて残っているが、家に向かって歩く程に景色が変わっていく。


 高い建物はほぼ無くなり、平屋の家屋や三階建てぐらいのハイツがちらほらと見えるぐらいで、人よりも樹木の方が断然多い。『自然に溢れた』と言えば聞こえはいいが、今の私に言わせればこんな場所、山の気配がすぐそこに迫り、いつ木々に飲み込まれてもおかしくない、ほの暗い場所だ。


「何でこんな坂の上に住もうと思ったのか、本当に意味わかんない」


 坂を上りながら、ぽろりと文句が口からこぼれ出る。

 私が小学生の頃は学校に教科書類を置いて帰ることが一切禁止されていたこともあり、教科書とノートのセットをランドセルに詰めては、持って行って持って帰る毎日だった。小柄な体格だったせいもあり、日々のランドセル通学は肩にずしりと重くてただただ苦痛だったのだが、小学四年生の頃、絵具えのぐセットと書道セットの持ち帰りが重なるという悲劇が起きた。


 背中にランドセル。

 左手に持ち手の紐に黄色い水入れを引っかけた絵具セット。

 右手にそこそこ重量のある書道セット。

 

 両手を塞がれた状態はさながらやじろべえのようで、必死にバランスを取りながら一歩ずつ坂道を上って家へ向かう。歩くのがつらすぎて、途中で何度もしゃがみこんで休憩をとった。


 私、何か悪いことでもしたのかな。


 幼い私が泣きそうになりながら自分のことを責める程、身体全体で抱えた荷物は重過ぎた。小学校の正門を出ておよそ十分。歩き続けて坂が最も急になる地点に到達した時、ふと私の中で自虐と加虐が逆転した。


 私は水入れを持ち手から外すと、右手で思いっきり前方へ投げ付けた。


 カン、カララとアスファルトの道路に打ち付けられ、水入れは転がる。その場所まで身体を引きっては再び強く前へ向かって投げる。ガンと音を立てても、水入れは壊れない。その頑丈さが私の加虐心に油を注ぎ、私は家まで水入れを蹴りながら帰ったのだった。


 そんなどうでもいいことをまたしても思い出したのは、坂道が少し緩くなった辺りに位置する公園で、当時の自分と同じ年ぐらいの少女がこちらに背を向けた状態で砂地の上にしゃがんでいるのを見たからだ。少女は地面の上にある何かをじっと見ているようだった。


「何してるの」


 学校帰りにうずくまっている姿に何となくシンパシーを感じて、私は声を掛けた。少女は気付いていないのか、全く反応しない。もう少し大きな声で再度「何してるの」と言うと、少女の肩がピクリと反応した。ゆっくりとこちらを振り返る。


「何を見てるのかな」


 出来るだけ優しく笑顔で問いかける。感情を込めずにただ笑うだけの仕草は、大の得意だった。


「猫」

「そうか、猫ちゃんかぁ」


 私は少女に近付くと、しゃがんでいる頭越しに覗き込む。


「ひッ!」


 思わず右手を口に当てた。

 黒い猫が死んでいる。カラスか何かにつつかれたのか、目はぐちゅぐちゅで身体もいたるところに傷があり、ひどい箇所では内臓が見えていた。


「何でこれを見てるの」


 私は少女に尋ねる。少女は顔色ひとつ変えずに言った。


「美味しそうだから」


 意味が分からず私は戸惑った。

 美味しそうだからって、何?

 この猫の死骸が?

 私は少しずつ後退りながら、かつて生き物だったモノを凝視する少女から距離を取る。


「そんなもの食べちゃダメよ。お腹壊すから」


 それだけ言うと私は公園を出て、再び実家へ向かう。

 何なの、何なのアレは。

 あんな死体なんてじっと見て。

 あまつさえ美味しそうなんて、どういう感覚なの。


 気味が悪い。


 やっぱりこんなところ、帰って来るんじゃなかったと言いたいところだけど、そういう訳にもいかないのが面倒だった。

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