第2話 -4

 ばたん、と音を立てて扉が閉まる。ごほん、とギルバートが咳払いをした。私はシャーリーを追いかけようと腰を浮かせる。自分の食べ物くらい自分で頼むし、この人と二人にはなりたくない。

「お待ちください、リリィ様」

 彼は慌てたように腕を掴んできた。流石に学んだらしく、すぐにぱっと手を放す。

「どうか警戒しないでいただきたい。私が貴女を害することはありません」

 美しいかたちの眉は難しげにぎゅっと寄せられたままだ。

 シャーリーが人形の愛らしさなら、この人は彫刻の美しさだと思う。なんというか、線が強い。高い鼻と引っ込んだ目も、眉も唇も輪郭も、直線的で男性的で、完璧に調和がとれている。

「南町の宿で、強引にベーゼを施したことは、謝罪します。貴女を救うために必要な行為でしたが、それを先にご説明するべきでした。貴女が怒るのは当然だ」

 一息に言ってから、やっと私の様子を窺う。

「私の言葉が分かりますか、リリィ様。それともまだ、お身体に不調が」

「……言葉は、聞き取れてます。けど理解できてるかは怪しいです、だいぶ」

「なるほど」

 彼は微かに息を吐いた。安心したのか呆れたのか、感情の分からない吐息だった。

「理解できないことは、お尋ねください。私やシャーロットには気を遣わずに、どうぞ楽にお話ください」

 何しろ顔がお美しいので、真正面から見つめられると居心地が悪い。じりじりと尻移動で距離をとる。

「はあ、じゃあ、聞きますけど。ベーゼって、何すか。あの虫汁のこと?」

「虫汁……あれは気付けの薬酒です」

「うそ、毒でしょ。蠱毒ってやつでしょ」

「薬です。そしてベーゼそれ自体は、騎士から神子様への、誓いと施しの行為を指します」

「誓いと施し」

「はい。生涯の忠誠と愛の、です」

「忠誠と……あ?」

「い。愛です」

 愛。らぶ。

 いや、気付いてはいた。

 ベーゼって、ベーゼだ。フランス語だ。カップルをアベックと呼ぶみたいな昭和の単語。キスってことだ。接吻ってやつだ。

 いや、しかし、待ってくれ。

「……つまり?」私は人差し指で彼と自分を交互に指した。「ゆー、騎士? みー、神子様?」

「いかにも」

「いや、何それ。どゆこと?」

「神子様は、神子様です。貴女のようにある日突然空や海から現れて、世界の外殻にある知恵を授けて下さる存在を、我々はそうお呼びしています」

「……ある日突然空から降ってくる人が、私以外にも、いるってこと」

「おられます。十五年に一人と言われていますが、実際には、十三年から十七年の間に一人というところかと」

 アメリカのセミ大量発生みたいな周期だ。

 てか結構コンスタントじゃん、と思う。百年弱の人生なら、生きている間に五、六回はそんなイベントがある計算だ。なんなら神子様、直近の何人かはまだ普通に生きているのでは。

「騎士は神子様のお傍に侍り、神子様をお助けする役を負います。この世界にとっては異分子がゆえに、神子様の心身は何かと危険にさらされ易いのです。しかし、健全な精神と肉体を持つ騎士がベーゼを捧げ、神子様と大地と大気との結び付きを深くすることで、神子様の光の揺らぎを安定させることができる」

 ギルバートは淡々と述べた。冷たくも暖かくもない、耳に届きやすい声で、ともするとそのまま聞き流してしまいそうになる。

 しかし内容はなかなかにファンキーだ。やばいカルトの教義みたいだ。

「つまり、あなたが私に虫汁ちゅーしたのは、私を安定? させるため、だったと?」

「虫汁では、ございませんが。概ねご理解のとおりかと」

 ギルバートは軽く咳払いする。さっきから喉が痛いのかしら。

「外殻からいらした神子様に、この世界の大気は馴染みません。領民の手で助け出されたのは良かったが、貴女の光は消えそうなほど衰えていた。それをお救いするためには、騎士たりえる者が一刻も早くベーゼを捧げ、貴女をこの地にお迎えする必要があったのです」

「……いやちょっとまだ何言ってるか分かんない」

「ご理解ください。そしてこの忠誠は生涯続き、死ぬその時まで役を解かれることはありません。……ですからリリィ様、私は貴女をお守りする責務こそ負い、傷付けることなどありえないのです」

 そこに戻るのか。

 何が何やら、と思う一方で、なるほど、と思う自分もいる。

 そういう世界観。そういう設定。

 異世界からやってきた私はチートでちやほやしてもらえる存在で、護衛してくれる騎士様は見目麗しい王子様。弱ったらキスして回復なんて、なんて王道で安直な。

 しかしその出逢い方には、致命的な設計ミスがある気がしてならない。

 いくら見た目が良くたって、相手は身体の大きな男だ。そんな人が言葉も通じない中、権力と剣を見せびらかして、ものすごく悪趣味な毒をもって強引にキスしてきたのだ。令和のコンプラ的には完全アウトだろう。

 ギルバートは目を逸らさず、じっと私の言葉を待っている。私は恐る恐る尋ねてみる。

「……じゃあ、ギルバートさんは」

「どうぞ、ギルと。親しい者はそう呼びます」

「ギルは、……私が男だったとしても、べろちゅーしたの?」

 長い睫毛に縁取られた青い瞳は、短時間で複雑に色を変えた。衣装部屋で見下ろされたときには濃紺に近く見えたのに、陽の光に満ちた部屋で目をみはると、澄んだ空のような色になる。

「当然です」

 返事には全く躊躇いがなかったので救われた。

「なるほど? 人工呼吸みたいな感じ? あ、今急に納得した。うわ、過剰反応しちゃって恥ずかしいわ。二度も叩いてごめんなさい」

「いえ。ご理解いただけたのならよかった」

 ギルは薄く微笑んだ。なんだ、この人笑えるんだ、と思いながら、私は部屋の入口へ視線を逃した。

「てか、シャーリー遅いね。厨房までってそんなに遠いの……遠そうだな」

「貴女のために張りきって色々と用意しているのでは」

「それはありがたいけど、申し訳ないというか。いや、やっぱり私も行く」

 立ち上がり歩き出そうとしてふらついた。自分が何を着ているのかすっかり忘れ、ドレスの裾を踏んづけたのだ。即座にギルが支えてくれる。

「まだ目眩がしますか」

「や、これは違」

「無理をなさらず。掴まって」

 誤解が解けたと思ったからか、腰に当てられた手は離れていかなかった。さっきの今で振り払うのも失礼かと、私はとりあえず困った顔でギルを見上げた。

 すると彼はその美しい顔を近づけてくる。

 次の瞬間には唇が触れ合っていた。

 手足の先からざあっと血が引く。

 流れ込んできたえげつない苦味や、あの虫のあの細い足の触感や、相手の舌のざらついた感触が蘇りそうになる。

 この場に他に人がいれば、私はさっさと意識を手放していただろう。

「やめて」

 震える声で私は言った。平手打ちこそしなかったが、顔に添えられた手を思い切り振り払った。

 ギルバートは困惑顔だった。なぜ、と聞きたいのは私であって彼ではないと思うのだが。きっと彼のような王子様は、女の子から拒絶されたことなんてないのに違いない。

 彼は何か言いかけるが、ちょうど部屋の扉を叩く音がしたので口を噤んだ。大きなワゴンを引くメイドさんを従えて、シャーリーが戻ってきたのだった。

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限界社畜OL(Lv29)は異世界の最終兵器になりました ハセ @haseichico

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