第20話 仮面教師の憂鬱 1.良い子の上っ面

     1.良い子の上っ面


 私は朝、シャワーを浴びる。どれほど寝不足でも、疲れていても頭がすっきりするからだ。

 体を流れ落ちていく水滴が、気持ちいい……。

 お風呂上がり、私はスプーン一杯のアルコールを身体に入れる。

 酔いたいわけじゃないし、お酒はあまり好きじゃない。でもそれは頬を上気させ、目を潤ませ、私を魅力的にみせてくれる。寒い日だったら身体を温めてもくれ、一人身の寂しさもまぎらわせた。

 しかし職業柄、酔った姿をさらし、酒臭い息を吐くわけにはいかない。口臭予防にローズヒップティーを飲むことも忘れなかった。

 香水なんてつかわずとも、口から、そして汗からローズの香りを漂わせば大人の女を感じさせるだろう。


「先生、おはようございます」

 私は新人教師、新 依弥璃――。

 北南東高校に赴任したけれど、そこに問題があった。県立だけれど、とても優秀な生徒が集まり、授業中に騒いだり、邪魔をしたりする生徒もなく、仕事はかなり順調である。

 ただそこに、見知った顔を見つけた。

 籟之目 叡智――。

 教師ですら一目おく存在――。

 特に反抗的ではなく、ふだんは目立たず、発言することもない。だが授業なんて彼にとって退屈で何の価値もなく、そんな態度が頻々と伝わってくる分、プレッシャーも大きい。

 だけど私は、それ以外の、とある意識をもって彼をみつめていた。


 六年前――。

 特に目的もなく、やりたいこともなく、何となく入った高校で、そこそこ頭がいいと自負していた、そのプライドすらぶち壊され、ちょっと遅めの反抗期と、居場所に悩んで、家に帰ることもなく、何となくぶらぶらと外を彷徨い歩くことも多くなっていた。

 人気もなく、さびれた公園ぐらいがちょうどいい。

 遊具も錆びていて、小さな子供は使用禁止で、大きな大人には微妙展示、目障りなディスプレイだ。

 私はブランコにすわり、スマホに目を落として、ただ暇をつぶす。

 そのとき、やってきた小学生が滑り台に上がった。滑ると確実にお尻が二つに割れる……血でざくざくとなるが、その小学生は滑り面に手を当て、そこを丁寧になぞるだけだ。


 何をしているのかしら……? 不明ながら、小学生とは思えぬ真剣な表情で、分度器を当てて、メジャーを当て、そこに物を載せて滑りぐあいを調べている。

 世を拗ねてはいるけれど、別に人のことが嫌い……、他人との交わりを一切断ったわけではない。その不思議な雰囲気をまとった、小学校の低学年ぐらいの男の子に、声をかけてみることにした。

「何をしているの?」

 彼は女子高生から話しかけられても、大して興味も、関心もなさそうに「運動方程式の考察ですよ」


 運動方程式――。

 私は文系だけれど、高一の物理基礎で学んだ。それを小学生が、なぜ……?

「何でそんなことを調べているの?」

「物理の基本だから、ですよ。むしろ古典物理学として、くみ上げられた理論を検証することで、その大本となっている量子力学への展開を考えたくて……」

「え……? 量子力学?」

「ええ。物質を構成するのは素粒子。それが相互に影響することにより、運動を規定する。マクロで現れる事象は、すべてミクロの相互作用であり、根源的な四つの力に支配されるのですよ」

 その話は知っている。電磁気力、弱い力、強い力、重力により、世界は成り立っている……と。それが運動方程式や熱力学といった、古典物理の基本となっている、という話だ。


 ただ、そんなことを目の前にいる、立っても私の胸ほどもない小学生が語るなんて意外……だ。

「友達はいないの?」

「それが同学年の子と遊ばないことが不自然、という意味なら、お門違いも甚だしい話ですよ。友達とは対等か、それに近い部分があって、初めて成り立つもので、差があり過ぎると、どちらかに遠慮が生じてしまう。それはもう友達と呼ぶべきものではない」

 小難しくて、よく分からないけれど「友達はいないのね?」

「逆です。友達となるべき対象が今はみつかっていない。年齢の近い者同士を集めると、対等だと考えるその思考方法、現代の価値基準が、オレのような存在から友達を遠ざけるのです。

 これは大人と子供の関係でも同じですね・オレが大人以上の能力を有しても、大人たちは決してオレを認めない。子供だから……という理由で、オレは格下だ。年齢差と標準偏差と、その二つが近いものでないと友達ではない。これが物理とは関係しない人の道理ですよ」


 何、この子……?

「大人と子供は、立場がちがう?」

「特にこの国では、昭和の時代に家父長制を布いていた残滓もあり、未だに男性優位の発想が抜けきらない。むしろ年齢、性別、能力的なものなんて一切関係なく、でかい顔して、他人を使役できる権利をとりもどそうと、躍起となっている〝保守〟と名乗る者たちだっているぐらいだ。

 法律でも、子供は未熟――と決めつける。どれだけ能力があろうと、知識をもとうと、ただ年齢が達していない、というだけで権利は限られる。その一方で、若いから間違いも犯すとか、どれほど邪悪であろうと、教育すれば改善する、とか決めつけてくる。

 子供はこういうもので、こうすればいい……とテンプレで考え、押し付ける。それがすでに子供を下に見ているとも気づかず、上から目線の浅ましい人間だと露呈するのに……。

 結局、今の世代の近い者たちが、オレと同じ能力まで自分を引き上げた上で、オレを認めてくれない限り、オレに友達はできないのさ」


「へ、へぇ~……。キミ、すごいね」

「それも決めつけ……ですよ。小学生はすごくない、と決めつけているから、想像を超えると驚く。

 キミが有識者から今の説明をうけたら、きっと『すごい』じゃなく『なるほど』となるはずさ」

 なるほど……。あ、今の納得は、素直にそう思った。

 彼はこうした偏見とずっと戦ってきたから、小学生の低学年にして、理論武装をしてきたのだろう。

「あなたは考え方が、もう大人なのね……」


「大人と子供……という仕分け方がそもそもの間違いなんですよ。線引きなんてどこにもない。

 三十歳が成人、という人もいる。人間はずっと幼児期だ、という意見もある。

 生物学では、サルの幼形進化が人、という。サルの赤ん坊は全身が無毛で、そうした幼形のまま大人になると、生物学的には柔軟性が増すことで、次の進化のジャンプを手に入れる。

 人間は大人の姿が固定されていないからこそ、大きく進化できる。大人といっても無能で、怠惰な者など五万といるように、子供の中でも大人を超える能力をもつ者もいる。それだけさ」

 私もはっきりと分かった。彼は、大人から嫌われる子供だ……と。

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