第2話 秘密の共有

「私は主、神である。あなたは私以外のどんなものも神としてはならない。偶像を作って、それにひれ伏してはならない。神の名をむやみに唱えてはならない。安息日を守るように。父と母を敬いなさい」

  

 目を閉じた私の耳に低い声が聞こえた。声の主は隣席の初老の男性だ。勘弁して欲しい。露骨な咳払いで迷惑だとアピールしてみたが、動じるどころか彼はさらに巻物のような物に目を落とし言葉を続けた。


「殺人をしてはならない。姦淫をしてはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。隣人のものを欲しがってはならない」


(この人l、神とか偶像って言ってる。気味悪いな。もしかして隣人って私たちのこと? 蒸し芋が欲しいのかな?)


 すでに寝息を立てているユカリに同意を求めることもできず、私は食べかけの芋を渡すまいと鞄にしまうふりをして彼を盗み見た。貯えた白髭。眉間と目尻に濃いシワを認めると、視線に気づいたのか、彼の窪んだ目がギロリと私をとらえた。


「もっと続きを聞きたいかね?」

「……べ、別にいいです。そういう話は興味がないので」


 こんな人と関わったら楽しい旅行が台無しだ。宗教勧誘なんてごめんだ。だが、場の空気が悪くなるのが嫌で、私は警戒心を悟られないように世間話をすることにした。


「日本には観光旅行でいらしたんですか。私たちは奈良に行くんですよ」

「それは奇遇だね。昨日までは伊勢にいたんだが、今日からは奈良に用事がある。お嬢さん、お互い良い旅にしよう」


 紳士的な対応に安堵した私はお嬢さんと呼ばれたことに気を良くし、笑顔で相槌を打つ。流暢な日本語を話す彼の目的は神社巡りだろうか。お遍路さんのような恰好に納得し、つい質問してしまった。


「どこに行かれる予定ですか? 私たちは春日大社と興福寺、唐招提寺と薬師寺に行くんです。特に薬師寺は世界文化遺産ですからぜひ足を運んでくださいね」

「ほぉ、お嬢さんに言われずとも。まさに薬師寺そこで人と会う約束をしておる」

「……すいません。余計なことを言いました」

「謝らずともよい。私のことを知らないのだから仕方ない。教えてあげよう。日本に神社仏閣を作ったのはこの私だ。いや、正確に言えば、私が呼び寄せた者たちが私の監修の元、建造した。薬師寺はもとより伊勢神宮もだ」


(やばっ。やっぱり関わるんじゃなかったな。どうするよ、この展開。ユカリ、起きて。お願いだから起きて)


 困惑した私は、ユカリの肘をつつく。それに気づいたのかユカリは私を見てほくそ笑んだあと、彼に向き直り言葉を発した。


毛瀬もうせさま。もうカスミに自分の正体を明かしたのですか?」

「いや、まだだ。だがこの女使えそうな気がする」


「えっ、ユカリこの人とお知り合い? 正体って何? 意味が分からないんだけど」


「カスミ、良かったね。毛瀬さまからそんなことを言って頂けるなんて光栄ね。もうカスミは私たちの仲間だよ。秘密の共有をさせて貰うね」


 予想だにしなかったユカリの言葉に私は驚き、蛇に睨まれた蛙のように固まった。

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