第7話 海露荘

 山を下りて帰り道を行く。

 朝方になる頃、ようやく見覚えのある海岸線へと戻って来た。

 元気なのはモエだけで、私も死神も1言も発さず、もはや表情もない。

 1匹と2人は少し高い防波堤の上に座り、海を眺めている。

 雨は止み、海は静かで。

 一面雲に満ちた空からの一部を裂き、沈みかけの太陽がその刃を海に突き刺している。

 この町に来て初めて見る太陽は、眩しくて、とても大きかった。

 「この後、どうするの?」

 死神は顔を動かさず、そう声をかけてくる。

 どうする、か......私が聞きたいくらいの質問で。特に予定もない。

 学校も、趣味も、何もない。

 やる義務を放棄して、この町に来たから......そしたら、何もなくなった。

 正直、宿舎に戻るしか無いとは思うんだけれど。

 さっきも言った通り、夢橋さんの顔をまともに見れる気がしないし、これ以上。

 「迷惑、かけられないよな~」

 そう。死神の言う通り。この町にもう何日かいるとして、ずっとそこに、しかもお金も

払わずに居座るのは、私が無理。絶対に。

 「この子には悪いけど......野宿、かな」

 「......あれ? 僕は? 僕には申し訳ないと思わない?」

 「うん」

 モエを撫でると、クスンと小さく鳴いて、私の頬を撫でてくれた。

 気温も体温も感じないけれど、この子に包まれ、触れることのできているこの手は、暖

かく感じた。

 「あら、お二人さん――こんな所にいらしたんですね」

 よいしょ、と。私の横に並んで座ってきたのは、まさかの夢橋さんで――。

 背筋が勝手に反応して、ピンと伸びきってしまう。

 それにしても、お2人って――あぁ。

 「可愛いわんちゃんですね――そういえば、もう1人の御方は――」

 あぁ、と。何かを察したように、夢橋さんは身を引いた。

 私も、その話について続ける気はなく。

 波の音と、優しい風の音、それに混ざる死神とモエの鼻息だけが耳に反響した。

 暫くして、長い足をプラプラと揺らしていた夢橋さんが、口を開く。

 「そういえば、本日はどちらにご宿泊を? よろしければ――」

 「いえ、大丈夫です」

 全然大丈夫じゃないけれど......。

 夢橋さんも「そうですか」と言った後は、それについて言及してこなかった。

 色々と説明しなくても、察してくれるから、話しやすくて、大好き......お母さんとは、

全然違う。

 再び沈黙が襲う。

 時の流れが緩やかになっていく。

 また、少しして。それを破ったのは夢橋さんだった。

 「そういえば、しばらくはこの町に滞在なさるんですよね?」

 「......はい、そうなります」

 本意では無いのだけれど......帰る場所も無いわけで......。

 「それでしたら、この町の学校に行かれてみてはどうでしょう――海露荘と呼ばれる、

生活する場所も与えられるので」

 「学校?」

 「はい、小中高一貫で、生徒さんも少ないですが」

 学校か。

 正直、学校という単語を聞いた瞬間、シャーペンのあの感覚が、消しゴムのあの匂いが、

急に恋しくなった。

 自分がここまでの勉強バカだったとは思わなかった......。

 よく考えなくても、勉強しか無かった人生だった。でも――

 「そんな急に――」

 「あ、心配はいりませんよ? この町の性質上、学生の大半は転校生で......私達、この

町に住む大人が推薦状を学校に提出すれば、明日からでも通える筈です」

 「......そう、なんですか」

 なんて町なのだろう......今更だけど。ちょっと前まで通っていた学校には、どう伝わる

のだろうか。

 お母さんに、その情報はいくのだろうか。

 まぁ、でも。どちらにしても。

 「......じゃあ、お願いしてもいいですか? あと、寮の場所を......」

 迷いはなかった。

 今はモエという守りたい存在が居て、住む場所が必要で......。

 夢橋さんは、ぱぁと表情を輝かせ、私の両手を持ち上げる。

 「分かりました! 少し、ここで待っていてくださいね!」

 「は、はい」

 気圧されていると、夢橋さんはぴょんと飛び降りて、駆けて行った。

 その背中が見えなくなるまで、追いかけ続けた。

 出会った時の、凛としてカッコいい夢橋さんではなく。

 元気ではしゃぐ、好奇心旺盛な子供みたいになっている。

 「僕が思ったより、即決だったね」

 「うん」

 「この町に住む、覚悟は決まったの?」

 「......いやぁ」

 住むって、この町に?

 ......いやぁって。

 「出られない。でしょ?」

 「うん。出さないしね」

 「それなら、生きるために行くしか無いでしょ」

 「ふふ」

 死神が小さく笑う。

 「どうしたの?」

 「六花って、何しにこの町に来たんだっけ?」

 「......死ぬため」

 「ふふっ。でも今は」

 「生きようとしているよ......そんなものだったってことだよ。私の死にたいって気持ち

は」

 「悲観する事でも無いでしょ? 生きたいって、死にたくないって......人の死を目の前

にして、実感して......そんな経験したら、そう思うのも普通だよ。今は、この子もいるし」

 「..................」

 「ただ、何もない人生だけど、生きてるだけってのも、別に悪くないでしょ?」

 「どうだろ。まだ実感ないけれど」

 「そう思う日が来るよ......僕と居ればね」

 「フスン!」

 キモめの野球部彼氏みたく、力強く腕を回して来る死神がモエに引っかかった所で。

 「お待たせしました!」

 夢橋さんの叫び声が遠くから聞こえてきた。

 防波堤から飛び降り、夢橋さんを迎える。

 夢橋さんは肩で息をしながら、くしゃくしゃの髪をかき上げ、同じく、封筒を私に押し

付けてきた。

 「こ、これを......寮長に渡せば大丈夫なはずです――海露荘の地図は、これです」

 「あ、ありがt――」

 「じゃ、これで――」

 夢橋さんは、そう言い残して早々に去っていった。

 「嵐みたいな女」

 死神が隣に飛び降りてきて、モエが脚に体を擦りつけてくる。

 屈み込み、モエを撫でながら、貰った地図を眺め、分からず、絶望した。

 

 死神の薄い記憶を頼りに、町を歩き続ける事数時間。

 薄暗い空模様のせいで現在時刻は分からないが、もう夜の方が近いと思う。

 「ここが、海露荘」

 「ふるくさ~」

 死神の言う通り、かなり古臭い。

 おんぼろ立て札に書いてある『海露荘』の文字は薄れて消えかけ。

 建付けの悪そうな扉を引いてみると、思った通りに動かず、何度かガタガタ揺らしてい

ると――。

 「邪魔」

 ガラガラと反対側の扉が急速に動き、手を挟まれそうになる。

 海露荘の中から出てきた、ガラの悪そうな男の子は、私をガン無視で何処かに去ってい

った。

 すれ違う時に左耳にピアスが見えたが、あれも死神なのだろうか。

 にしても......苦手なタイプだ。

 ここでの生活が早速不安になってきた所で、右耳に衝撃が走った。

 死神がピアスに変化したらしい。

 「お前さん方、何しに来た」

 右耳を触っていると、頭頂部に生暖かい空気の振動が伝わってくる。

 何事かと顔を上げると、甚平にサングラスという摩訶不思議な恰好のオジサンが、私を

見下ろしてきていた。

 あまりのイカツさに、つい後退りをしてしまう。

 背が高すぎるのか、それでも視界に収まらない。

 「こ、こここ、これ、を」

 失礼ながら、恐ろしすぎて近づけないので、夢橋さんから貰った封筒を、オジサンに投

げつける。

 少し不穏な表情になったが、直ぐに何かを察したように封筒を開き、中から紙を取り出

し、読み始める。

 しばらくして、手紙と私とをチラチラと見比べ始めたと思えば、手紙に視線を落とした

まま、海露荘の中へと戻っていく。

 途中、手に持っていたらしい竹ぼうきを思いっきり扉に打ち付けていた。

 扉を閉められ、置いてけぼりだ。

 どうしていいか分からず、扉の前の段差に腰掛ける。

 隣に寄りかかるように、モエもぐったりしている。

 それを撫でながらポケ―ッと空を見つめていると、遠くの方から声が聞こえてくる。

 慣れてきたが、慣れ切ることは無い......頭の中の、死神の声だ。

 『―い。おーい!』

 「――うるさい。何?」

 『今のオッサン、めちゃ怖くない⁉』

 失礼だな、コイツ――

 「めちゃこわ」

 「ね!」

 モエとは逆方向に、死神が姿を現す。

 「てかさ、あのオッサン。箒ぶつけて無かった⁉」

 「......」

 「扉閉める時も少し引っかかってたし......最初に出てきた男の子はスッと開いてたのに

ね! 年の功とか無いのかね!」

 「......」

 「あの威厳ある風でミスするって、相当恥ずかしいと思うんだけど。どうせ、今頃顔真

っ赤で――」

 ダンっと扉が開き、ガサッと死神が、ふさふさの竹ぼうきへと消えていく。

 「お前さんが月冴六花だな、で――このポンコツがお前さんの死神か」

 「んな⁉ ぽ、ポンコツだと⁉」

 竹ぼうきを押し上げ、退けようとして、失敗した死神がまた消えていく。

 「学校の件は俺が話を通しておく......とりあえず、今日はここに泊って行くといい。本

格的に泊まるのは、話が通ってからだ。あと――」

 オジサンは竹ぼうきを上に上げる。中から死神が姿を現す。

 「荘内では、死神は姿を隠すことだ」

 「誰がお前の言う事なんか――」

 何度か死神が竹ぼうきの中に消え。

 「......分かったな?」

 「ぐぬ――」

 ひと睨みでKO。

 オジサンはまた、荘内に姿を消した。と同時に、右耳がチクリと痛んだ。

 「あと、そこの毛玉は庭に居てもらう――いいな?」

 「スン!」

 モエはひどく正直に、オジサンへと連れられ。庭へと姿を消した。

 思った以上に世渡り上手だ。

 

 恐る恐る海露荘の中へと入る。

 開閉慣れない扉を、ガタガタ音をかき鳴らしながら何とか締め切り、厚底真っ黒の靴を

脱ぎ、丁寧に並べる。

 他に靴は見当たらない。

 先程のオジサンの履いていたであろう草履くらいだ。

 廊下に足をかけ、ゆっくりと歩き進む。

 すり足気味に歩いても、ギシギシと床が軋むのが分かる。

 初めて訪れたはずなのに、最早嗅ぎ慣れた匂い――イグサの匂いが鼻をくすぐった。

 「お前さんの部屋はここだ」

 廊下向かって左側の障子がサーっと開き、先程のオジサンが姿を現した。

 よく見ると、その向かい側も障子になっている。

 その奥にうっすらと木製の足場が見えた。

 「この部屋はほんの少し前に開いた......2人部屋だ。広くて少し寂しいだろうが、今開

いているのがここだけなんでな」

 「はい......お邪魔します」

 部屋に上がると、匂いがより一層強くなった。

 広い畳の部屋だ。

 2段ベッドに2つの机と椅子があるだけの簡素な部屋。

 前の人の所有物だろうか、いろいろなものが転がっている。

 「トイレは向かいの障子を開けた先にある縁側の先に――お風呂は今の廊下を進んで左

手にあるから、自由に使うといい」

 「はい。ありがとうございます」

 「あと、飯なんだが......人数分しか用意していなくてな。悪いが、今日は我慢してくれ

るか」

 「はい。大丈夫です」

 少し何か言いたげだったが。「それじゃあ」と言い残し、オジサンは姿を消した。

 静かな部屋に取り残され、出来ることは周りを見渡すことだけ。

 よくみると、散らかった物は部屋の隅に集中している。

 物を投げ合って争ったみたい。

 「......少し前に開いた部屋って言ってたし」

 この部屋の住人は死んだのかもって。

 そう思った途端、寒気が襲ってくる。

 ブルブルっと震え上がる体を、腕で抱える。

 すると直ぐに、まぶたと腕が重くなってきて――意識も鈍ってきた頃に。

 畳に突っ伏していた。

 初めてだ。こんな感覚は。

 死ぬ限界まで勉強した時だって、文化祭の実行委員と生徒会を併せ持って働き詰めにな

った時も、家に帰ったらすぐに疲れなんて取れて――

 『その頃から限界だったことに、そろそろ気づけよ~い』

 ......うるさい。

 死神の声が、暗闇のトンネルに反響する。

 『六花って寝だめするタイプでしょ』

 「寝だめというより、やることをやってたら遅くなってて――」

 『そこ。六花が直さないといけないところだよ』

 「?」

 『今日も一緒』

 「......何が?」

 『オーバーワークなんだよ。自分のキャパを越えて行動してる。六花の悪い癖』

 「......そんなこと、別に――」

 「自分のキャパを分かってないんだから――ほら」

 突然姿を現した死神が、私の頭を上に――膝枕の形になる。

 「..................」

 「人に頼って――といっても、僕は人間じゃないんだけど――足りない容量分のストレ

スなんて、人や物にぶつけないと、いつか壊れちゃうよ......最も、今の世の中、人に当た

るのは悪みたいだけど......僕みたいに近い人間なら、いいんじゃない?」

 「......うん」

 「そんな人間が、六花の周りにはいなかったから――」

 そんなことはないと、言い返したかったけど。

 「いつか、出来るといいね」

 「......」

 この状態が、状況が。凄く居心地が良くて――良すぎて。気がついた時には、口を開く

気にもならなかった。

 目を瞑り、死神に委ねる。

 体が、心が、スッと楽になっていく。

 底の見えない暗い海に沈んでいくような、そんな感覚。

 眠くはない。意識もある。ぬくもりも感じない。

 それなのに、こうしているのは何故だろう。

 楽になっていくのは、どうしてだろう。

 少しして、死神の手が、私の髪を撫で始める。

 体が跳ねそうになるのを我慢して、それを受け入れる。

 また、少しして。死神のその手が止まる。

 何か、覚悟を決めるためのような、そんな行動だと。そう思った。

 「あと1つだけ」

 「............ん」

 「死神ってね、本来名前を持ってないものなんだけど」

 「んん」

 「――僕には名前があってね」

 「......」

 そうなんだ。とは思いつつ、無言で続きを促す。

 するとしばらくして。死神の手が先に動き出し、そして――

 「僕の――僕の名前は――」

 トンッ!

 「死神は姿を隠せ‼‼」

 身の縮むような怒号。

 しかしそれに驚く間もなく右耳が痛む。頭が畳に落ちて鈍痛が走る。

 そこを触りながら、恐る恐る顔を上げる。

 顔を真っ赤に、息を切らしているオジサンが私を見下ろしている。

 「い、いいか......再度言っておこう――ここでは死神の姿を隠しておくことだ」

 何がそこまでさせるのか。

 オジサンの顔色が赤から青に変わっていく。

 「――恐ろしいことが起こらんうちに、癖づけておくことだ」

 「............」

 「分かったな?」

 「............はい」

 「よし」

 オジサンは廊下に出て戸を閉め、そのまま歩いて離れていく。

 それまでの出来事が吹き飛ぶような、台風のような出来事だった。

 「......何のはなしだっけ」

 『ううん。一旦、いいよ――うん......一旦』

 後腐れの残りそうな言い方だけれど。

 特に言及する気にもなれなかった。

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