未遂少女と憑く死神
@Akutano_So
第1話 鳴明町
痛く、苦しい。そんな冬。
家の玄関を飛び出し、灰色の寒空の下に身を投げた私は、正門の前で足を止めた。
一瞬、凍えるような風が全身の体温を攫って通り過ぎ、耳や指の先には針を刺されたよ
うな痛みが走るが、それにも直ぐに慣れていく。
パタン音を立てた筈の玄関が、背後でまた、勢いよく開かれる。
私はそっと、首に巻いていたマフラーに、顔の下半分を埋めた。
―――行ってらっしゃい。
そう言われる気がした私は、家と外とを繋ぐ門をこじ開け、そのままの勢いで家を後に
した。
いつもそう。
門を出て、学校に着くまでの間。
その間だけが、自分でいられる。解放されたような。そんな気分になる。
罪悪感が、ある。
少しもせず。背後、遠くからキィと門の閉まる甲高い叫びが聞こえてくる。
その時だった。
「行ってらっしゃい!」と、そう叫ぶ、母の声が聞こえてきた。
私の足は、それを聞いて、ピクリとも動かなくなる。
自分の意思が、足と乖離しているみたいだった。
こんな気持ちになったのは、本当に久しぶりだ。
胸がキュゥと締め付けられ、苦しくなって、その場で蹲った。
そんな私の丸まった背中の方から、母の叫び声と一緒にドタバタと沢山の足音が聞こえ
てきた。
私は勢いよく立ち上がり、その音が聞こえなくなる様両耳を押さえたまま、全速力で走
った。
凍えるような空気の中を漂う白い息を、追い越しながら、意識的に更に速度を上げる。
喉が絞まって肺が小さくなり、鬼道が縮まり、横腹が酷く痛んだが、絶対に止まらない。
途中、通りすがる顔が怪訝や不思議を表現していたが、結局、沢山の線の中に消えて行
った。
気が付くと、私は学校とは真逆にある筈の、とある駅の前に居た。
私は考える間もなく、駅に設置されているトイレに入った。
普段、嫌な臭いがする筈のトイレも、真っ赤になった鼻では何も感じない。
1つの個室に入り、制服とローファーを脱ぎ捨てる。
そして、教科書の代わりに詰め込んできた、部分的に透明になっている、普段着ない趣
味の悪い白のワンピースと、これまた普段履かない、透明なヒールを身に着け、鞄や制服、
ローファーを置いたまま外に飛び出す。
そして、タイミングよく到着した電車に飛び乗った。
あぁ、もう、終わりが近い......一応書いておこう。一体、何が久しぶりだったのかを。
私はあの時。
死にたいと―――本気でそう思っていた。
そこに罪悪感なんて、これぽちもなかった。
結局私が降りたのは、電車の中から人気が消えてから、何駅も通り過ぎた後だった。
降りったった町の名前は『鳴明町』。
この国の誇る、自殺の名所らしい。
また、この『鳴明町』には人間のほかに、死神が住んでいるという噂もある。
その死神が『鳴明町』で、人間を自殺に見せかけて殺し、魂を喰らっているらしい。
私は普段、スピリチュアル的なものを全く信じないが、今なら信じてやってもいいと思
える。
喰い殺せるなら、やってみて欲しい。
真冬の風が吹くプラットフォームで、私は流される髪を片手で押さえながら、遠くを眺
める。
朝と変わらぬ陰気な寒空と、淀んだ黒色の海が、見事な程に汚い水平線を作り出してい
た。
私が数歩前に出ると、背後でプシューッと音を立てながら扉が閉まり、電車が逃げるよ
うに走り出して行く。
それと同時に、冷たい風が強く吹き荒れ、私の長い銀色の髪が視界を埋め尽くした。
実際の所、この町には死神と言われる生き物が居るのかもしれないと。
そう思わせてくれるくらい、陰気臭い町の空気だ。
まぁ、どうせ死ぬんだし―――1度くらい。
「――やぁ」
突然風が止み、私の髪が下に落ちて視界が開けた時。
私の思考を遮るほど溌溂な声を発しながら、目の前に謎の少女が現れた。
謎の、というのは、単に私が知らないからというわけでは無く......姿恰好が怪しすぎる、
という意味である。
少女はフード付きの黒装束を着ていて、顔に影を作っている。
それなのに、どうして少女だって分かるかって?
それは―――。
「君、この町に何しに来たの?」
少女は、1人勝手に思考する私に意を介さず、1歩近づいて来る。
そして、両手でフードの端を掴むと、それを後ろに引っ張り始める。
その動きに、自然と目が惹かれる。
「もしかして―――死ぬために来た、とかじゃないよね?」
フードと連動する様に、黒い影が薄くなっていく。
すると次第に、命を感じない白さの肌を持つ、子供っぽい顔の少女の顔が露わになった。
「だとしたら、さぁ! 僕が、君に憑いてもいい⁉」
少女の声は心底楽し気で、大きな口は楽しそうにパクパクしていた。
だが、明らかに。目が笑っていない。
「ちょ―――離れ―――」
少女は私の肩を鷲掴みにすると、グイと力一杯に顔を近づけてくる。
少女の似合わない程の膨らみが、薄い服越しに押し付けられる。
酷く冷たかった。
「ねぇ! ねぇ! いいでしょ⁉」
憑くって何⁉ と、そう聞けばいいものを、その言葉は、私の喉につっかえて出てこない。
少女の両手が遂に私の顔を捕まえた。
私は後退りし、プラットフォームから落ちそうになる。
「ほら、ほら! 迷っている暇ないよ⁉ 僕以外の死神は最ッ低なんだから‼」
「し、死神?」
......なんだ。そうか―――じゃあこの子は。
私は少女の両手首を掴んだ。
少女は一瞬ピクっと跳ね「お、おうぉ」と困惑していたが、それを無視する。というよ
り、それ所ではなかった。
真冬にワンピースを着ている、私史上最低の体温を観測している筈の今なのに、その私
が触れた少女の手首は、それよりももっと冷たく、手が開けなくなってしまったのだ。
私がそれに驚いて硬直していると、少女はハッとした表情になる。
「な、何なの⁉ 早くしないと! 他の死神が―――あぁ、もう! ―――えい!」
右耳にチクッと痛みが走ったと思ったら、目の前の少女が消失し、私は前のめりに、突
っ伏すように倒れてしまう。
丁度その時、強い風が再び私を襲った。
......電車がきたとか、そういうわけでは無い。
私は無意識に、ワンピースの端を両手で押さえて仰向けになった。
すると今度は、見知らぬ。これまた黒装束の、しかし今度は背の高い男が、私の目の前
に立っていた。
その男の鋭い視線が一瞬、私の右耳に動いたと思ったら、その男は今度、小さく悪態を
ついて姿を消した。
突然の出来事に、男の不思議な行動に、私はワンピースの端をキュッと握りしめたまま
の格好で、動くことが出来ない。
「―――ふぅぃ~。危なかったねぇ~」
再び右耳に痛みが走ったと思ったら、今度は私を覆い隠すみたいな形で、先程の少女が
現れた。
私は少女に見下ろされているのが気味悪くなり、急いで立ち上がろうとしたが、その途
中で視界がクラっと傾き、少女の前で四つん這いに倒れてしまった。
それが屈辱で、急いで姿勢を戻そうとしたら、今度は後ろに尻もちをついてしまった。
その時足首に激痛が走り、よく見てみると、まず折れたヒールが目に入り、次に、青く
なった自分の足首に気が付いた。
それに気が付いた時、痛みが更に酷くなった気がした。
私は急いでヒールを脱ぎ、ふらふらと立ち上がった。
「うへぇ、痛そ~......大丈夫―――?」
途中、死神が手を伸ばしてきたが、私はそれを振り払い、先程脱いだヒールを片手に持
ち上げ、素早く踵を返す。
そして、プラットフォームから直接伸びている階段を目指して歩き出した。
全身が機械のように軋むのを感じ、足の傷がその度に痛むのが分かった。
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