にほんのれきし①

北 不二夫

第1話

律令国家の形成

・飛鳥の朝廷

6世紀はじめに在位した「継体天皇」の元でヤマト政権の政治を主導したのは全盛期を迎えていた大伴氏だった。しかし大連の大伴金村は512年に朝鮮経営の失敗により失脚。これはヤマト政権が朝鮮半島での拠点を失うという大きな事件である。

続いて572年、ヤマト政権に対して朝鮮半島の新羅と結託した反乱が起こる(磐井の乱)。この反乱はヤマト政権から派遣された物部麁鹿火によって鎮圧される。磐井の乱ののち、ヤマト政権による西日本支配が強化され九州北部にヤマト政権直轄領がもうけられる。

大伴氏が朝鮮半島経営失敗で失脚した後6世紀中頃の欽明天皇の時にはヤマト政権の軍事を担っていた物部尾輿と蘇我稲目との対立が激化するようになる。蘇我氏はヤマト政権の財政を握っていた。さらに政治の改革や仏教の受容も積極的に進めた。仏教の受容をめぐっては崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏がヤマト政権内で激しい論争になる。

587年、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、その後592年には朝廷で対立する甥の崇峻天皇を暗殺し政治権力を握っていく。後継の天皇には敏達天皇の皇后だった「推古天皇」を擁立、蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸皇子(聖徳太子)らが支え国家組織の形成を進め、603年冠位一二階、604年憲法十七条が定められた。

そして仏教奨励については、594年仏法興隆の詔が出される。厩戸皇子も595年高句麗から来日した恵慈を師として「法華経、維摩経、勝鬘経」の3つの経典の注釈書「三経義疏」をまとめた。

7世紀前半に王族により広められた仏教中心の文化を「飛鳥文化」と呼ぶ。蘇我馬子によって建立された飛鳥寺、厩戸皇子創建とされる四天王寺や法隆寺など建立され、寺院の建立は古墳に変わって豪族の権威を示すシンボルとなった。

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