怪談ノ本箱

夢翔 鳩

四ツ平橋

 先の見えない霧の中を、ただひたすらに歩いていた。


 何のために歩いているのか、何処を目指しているのか全く分からない。ざらざらとした砂利道は歩きづらく、時々混じる大きな石に何度も躓きそうになる。それでも、何としても歩き続けなければという強い使命感を感じていた。


 しばらく行くと前の方にぼうっと明かりが見えてきた。

木製の灯篭が二つ。朱色に塗られた柱は一部が剥げており、笠には蜘蛛が巣を張っている。その間から、一本の木橋が立ち込める霧の中へ伸びていた。橋に足をかけると、足元に明かりが灯った。橋桁の中央に黒い木組の行灯が等間隔に置かれており、一つ通り過ぎるごとに次の行灯に火が灯り、後ろのものは火が消えていった。


 真ん中に差し掛かった辺りから、霧が少しずつ薄れていった。橋の向こうの地面がうっすらと見えてきて、ふと見上げた空は暗く深い紫色に染まっていた。その時になってようやく、今は日の出前なのだと気がついた。

残りの半分を渡り切ってしまおうと歩きだす。霧が晴れるにつれ、周りの音が徐々に聞こえてくるようになった。木々を揺らす風、足元をさわさわと流れる川、それらに混じって何か声がする。

「……… さん。」

「……た さん。」


「り ょ う た さん。」


誰かが私の名前を呼んでいた。


「りょうたさん。りょうたさん。どちらへ。」

「りょうたさん。りょうたさん。おもどりよ。」


誰かが私に、来た道を戻るよう促している。

後ろ側、橋の反対から私を呼び止めている。その声に聞き覚えがあるように感じ、心なしか足が重くなった。戻った方が良いのではないか。


 一歩進むごとに声は大きくなり、足はますます重くなった。

「りょうたさん。おもどりよ。」

やはり引き返すべきだろうか。誰かが私を必要としているのかもしれない。

「りょうたさん。こちら。」

橋はもう少しで終わるはずなのに、ひどく長いように思えた。妙な汗が額を伝っている。ようやく出口が見えた。瞬間、強い風が吹き、残っていた霧が吹き飛ばされた。音がはっきりと、鮮明に鼓膜に届く。


「り ょ う た さん。みて。」


何かおかしい。本能が進めと命じる。

鉛のように重い足を引き摺るように動かす。あと数メートル。

「りょ う た さん。こちら。りょ うたさん。みて。」

あと一歩だ。絶対に見てはいけない。

「りょう たさん。りょうた さん。みて。みて。みて。」

「り ょ う た さん」


「うしろ」


 地面に足がかかると声はぱたりと止んだ。それでもまだ、振り返ってはいけないと感じた。空は白み始めていた。坂になっている林道を進み、その先の石段を登る。登りきった先で朝日に照らされ、あまりの眩しさに思わず目を瞑った。


 「亮太さん、亮太さん。」

目を開けると、知香の顔が見えた。涙を堪えながら、必死に肩を揺すっている。ストレッチャーに寝かされ、体は動かせない。知香の目を見る。

「亮太さん、良かった…。」

「知香、」


「戻ったよ。」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る