第29話 転ばぬ先の杖なおじさん
凍りついたオークとゴブリンの群れを、俺と赤木くんは息を潜めて見つめていた。
ボロボロの日本家屋の窓から覗く大通りの光景は、まるで時間が止まったみたいに動きがない。雪がしんしんと降り積もり、視界は一面真っ白。雪の結晶が落ちる音だけが、微かに耳に届く。
「どういう状況だよ、これ」
赤木くんの声は低く、緊張と好奇心が入り混じっていた。俺の頭には、さっき美怜ちゃんが言っていた「目印」という言葉がチラついている。この不気味に凍りついた魔物たちが、彼女の言う「目印」なのだろうか? だとしたら、一体どんな力でこんな光景を作り出したんだ?
「なあ、まっさん、近くで見てみねぇ? めっちゃ不気味だけど、なんかスゲェよな」
赤木くんがゴツい盾を背負い直し、窓の外を指差す。瞳には好奇心がキラキラ光ってて、メイスの柄を握る手がワキワキと忙しなく動いてる。
そんな彼を、俺は色んな意味で冷めた目で見ながら、「餌を前に『待て』をされた
「近づいて大丈夫か? でも、確かにどんな状態か知っときたいね。凍ってるだけで、死んでんのかも分からんし」
俺たちは恐る恐る家の出入り口からそっと出て、雪の積もった石畳に足を踏み出す。歩を進めるごとに、静かな空間にザクッと雪を踏みつける音が響き、足元から冷気が一気に体を包み込む。足の指先からジンと痺れ、あまりの寒さに嫌気が差して「はぁ……」と俯いてため息を吐く。吐き出された白い息はすぐに白く凍ってしまって、寒さをさらに助長させる。
肌着と支給品のチュニック、その上にジャージを羽織っただけの軽装じゃ、この極寒の中で別の意味で俺も凍るんじゃないかと本気で不安になる。
「これ、終わったら絶対風邪引くやつだ。嫌だなぁ、この歳になると風邪もなかなか治らないんだぞ。それに、二人に移しでもしたらどうすんだよ」と、ブツブツと溢れた不満を呟きながら、嫌々赤木くんの後を追う。
大通りに出ると、凍りついたオークとゴブリンがすぐそこに立っている。近づいても微動だにせず、まるで精巧な氷の彫像のようだ。
「……近くで見ると不気味さが際立つなぁ」
「ガチでカチカチに凍ってんのな」
ファンタジーものの定番モンスター、オーク。
オークは猪の頭を乗っけた人間のような見た目の魔物だ。体格は2メートルを超える巨体で、肩幅は広く、全身が筋肉でゴツゴツと盛り上がっている。腕は人間の太ももほどもあり、赤木くんと並ぶとそのゴツさが際立つ。
頭にはまばらな剛毛が逆立ち、戦国時代の兜の毛飾りのように荒々しい。鼻は平たく、鼻孔から漏れるはずの白い息は凍りつき、口からは2本の鋭い牙が突き出している。牙には唾液が凍りつき、氷柱になって地面に伸びている。
「よくよく考えると、なんで猪が二足歩行してるのか不思議だよね。体はほぼ人間みたいなのに、頭だけ猪まんまなのも謎だし」
「いやいや、無粋だぞ? ファンタジーに理屈を求めちゃ駄目なんだよ。ノリだよノリ! そういうもんなんだよ」
どこか和風で粗末な革鎧には血や泥の汚れがこびりついてて、鎖や鉄板が雑に縫い付けられている。鎧の表面には雪が積もり、白い毛皮のように見えるが、ところどころ錆びた鉄板が剥き出しで、かつての戦いの痕跡を物語ってる。
手に握る巨大な棍棒は、太い木の幹に鉄の鋲が打ち込まれ、刀傷や焦げ跡が刻まれてて、まるで戦国時代の合戦で使われた武器みたいだ。
棍棒を握る拳は、関節の皺まで凍りつき、ガラス細工のように光を反射する。凍った目は、怨念を封じたようにギラギラと光り、まるで俺たちを睨んでいる気がして背筋がゾクっとする。
「はぁ〜、装備品から何から、ディテール凝ってるね。舞台が城下町って設定だから、魔物も和風な感じなのか? 凄いな、製作者のこだわりを感じる」
「どれどれ、うわ、近くで見るとマジで怖ぇな……初めて見るけど、オークってこんなデカいんか」
赤木くんがオークの前に立ち、脛をメイスで軽く叩いてみる。コツコツと硬い音が響くが、オークは微動だにしない。
「あれ? なんか、配信とかで見たオークより一回りくらいデカくない? こっちのゴブリンも、さっき倒した奴よりデカいし」
俺はオークの横にいたゴブリンの顔をそっと触ってみる。ゴブリンの顔は冷たくて、熱を全く感じさせない。
こいつらはさっき戦ったゴブリンよりも体格が良く、オークほどではないがガッチリと筋肉がついている。赤木くんと並んでも遜色ないゴツさだ。
顔は禿げた頭にギョロリとした紅い目が埋まり、鼻は潰れ、口にはギザギザの歯が並ぶ。耳はコウモリの皮膜のような形をしており、血管が透けてて気持ち悪い。顔には泥や傷がこびりつき、不潔な印象だ。
装備もただの襤褸切れの腰巻きだけじゃなく、くたびれた革鎧を着ている。まるで戦国時代の農民が急ごしらえで武装したような出で立ちだ。腰に結んだ縄にはナイフや短剣がぶら下がっており、貧弱さとはほど遠い戦闘的な姿だ。
「種類が違うのか? このゴブリン、さっきのより強そうだな。俺と同じくらいのゴツさだし。こいつらが来てたらヤバかったかもな」
赤木くんがゴブリンの潰れた鼻を指で弾き、カチンと音を立てる。凍ったゴブリンは、まるで憤怒の表情を浮かべたままギョロリと紅い目を光らせている。
「だね。けど、オークとゴブリンがこんな風に凍ってるって、マジで意味分からん。美怜ちゃんの魔法だとして、どんだけスケールデカいんだよ……」
「それな! 周り見てみろよ、まっさん。レベルが違い過ぎて笑えるぞ」
周囲を見回すと、大通りの両脇、路地の入り口、崩れた家屋の影――至る所に凍った魔物が立っている。オークの巨体、ゴブリンの群れ、コボルトらしき犬顔の魔物、配信でも見たこともない魔物まで。
凍った魔物たちは、まるで氷の墓標のように静まり返り、城下町を不気味な彫刻の森に変えている。武器を手に取り走り出そうとするもの、驚愕の表情で自分の手を見つめるもの、家に戻ろうと踵を返すもの――それぞれが異なる瞬間に凍りついたみたいだ。
瓦屋根の家々は、雪に覆われて白い波のようだ。崩れた壁や板で塞がれた窓が、廃墟の雰囲気をより強めている。
「うそだろ……これ、全部凍ってんのかよ?」
「美怜の魔法、どんだけ範囲広いんだっつーの。あいつ、ほんとに人間か?」
不安が胸を締めつける。美怜ちゃんが魔物を引きつけて戦ってるのは分かるけど、こんな数の魔物を一瞬で凍らせるなんて、想像をはるかに越えている。「特級探索者」というのを甘く見ていたかもしれない。
雪の冷たさが、まるで警告のように肌を刺す。身体強化の感覚が、遠くの風や雪の匂いを鋭く捉えるが、魔物の気配は感じない。感じるのは美怜ちゃんらしき魔力だけだ。
「まっさん、美怜がやったってんなら大丈夫だろ。考えてもしゃーないし、進むしかないな!」
赤木くんがメイスを握り直し、肩に担ぎ上げてニヤッと不敵に笑う。革鎧の金具ががガチャリと鳴り、まるで戦場に向かう武士のような雰囲気が漂う。その豪快な態度に、少しだけ俺の不安が和らいだ。
調子に乗るから本人には絶対言わないけど、こういう時前向きなのはちょっとかっこいい、と思う。
「……そうだね。美怜ちゃんの魔力の感覚、あの時々鳴るキィィンって音の方向に進もう。ゲートもそっちだろうし」
俺達は大通りをゲートに向かって歩き始める。石畳に積もった雪がクシュクシュと音を立て、ジャージに雪がこびりつく。凍ったオークやゴブリンが道の両脇に立ち並び、まるで氷の衛兵みたいだ。美怜ちゃんの魔法のおかげで、こんなヤバそうな魔物たちが動かないなんて、いまだに信じられない。
「まっさん、この数、ヤバくね? こんなの全部相手にしてたら、下層攻略とか無理ゲーだろ」
「それな。美怜ちゃん一人で、一発の魔法でこれでしょ? ……特級探索者か。君の姪っ子、マジでバケモンだな」
大通りを進むにつれ、凍った魔物の数が増えていく。ゴブリン、オーク、コボルト、全部カチカチに凍ってる。美怜ちゃんの魔法の範囲は、この街全域に達しているのかもしれない。
さらに二十分ほど、雪に覆われて真っ白くなった世界をひたすら歩く。最初は雪景色と凍った魔物でテンションが高かった俺たちも、次第に寒さと疲れで無言になっていった。
気づけば風がビュウビュウと強まっており、ヒラヒラと舞って風情があった雪も、今じゃゴォォっと吹雪みたいに顔に打ち付ける。頭や肩には雪が積もり冷気がジャージを突き抜け、骨まで凍りそうな寒さに歯がガチガチ鳴る。
上がったレベルと身体強化のスキルのおかげか、こんな過酷な環境でも体を動かし続けてる自分に笑える。
「……はは、意味分かんねぇ」
「……急に笑ってどうしたよ、まっさん。
寒さで頭おかしくなったか?」
言葉に出したら、足が止まった。
赤木くんも足を止めてこちらを振り向く。
「いやね、俺、何やってんのかなって思って」
「……おい、待て、まっさん! 駄目だ、冷静になるな!」
「なんでこんな薄着でさ、こんな馬鹿みたいに雪ん降ってる中歩いてんだって、考えちゃって」
「おい、やめろよ! 現実に戻るなら一人で戻れよ!」
「もうね、俺、帰りたい」
「あ……言っちゃった」
「帰ってりっちゃんに甘えたい」
「やめろよ、そゆこと言うの……」
「綾ちゃん抱っこしたい」
「あぁ、もう! くっそ寒ぃな! まっさんのせいだからな! 俺だって意味分かんねぇよ! もう、無理だ! ギブギブ!」
「もう嫌だ! そもそもこんな薄着で進むのが間違ってんだよ! 誰だよ、ジャージでダンジョン入るように言った奴は! 馬鹿じゃないの!? 魔物と戦う前に凍死するわ!」
「美怜だよ! この寒さの元凶も、全部あいつのせいだよ! 風邪引いたらどうすんだよ、マジで! 40歳の独り身で風邪引くとなぁ、寂しさがヤバいんだぞ!」
赤木くんが急に立ち止まり、大声で不満を撒き散らす。何も動くものがいない白い街に、くたびれたおっさんたちの慟哭が響き渡る。
緊張の糸が切れたのか、俺もダンジョンのファンタジーな雰囲気に酔ってたから耐えれていたけど、ここにきて不満爆発である。
「もう少し限度ってもんがあるだろ、限度ってもんがよ! てか、あいつ、下層にいるなら魔物と戦ってないで、さっさと俺らに合流してくれればいいだろうが! 違うか、まっさん!?」
「そうだ! そのとおりだ、赤木くん! 良いこと言った! そうなんだよ! 『ちょっとコンビに行ってくるね』みたいなノリで下層まで来たんだから、そのノリで俺たち回収してさっさと外に出してくれよ! なに調子に乗って攻略開始してんだよ! 『探索者赤木美怜、攻略開始します』じゃねぇんだよ! 色気出すなよ! これだから若いやつは!」
大人しく後ろをついて回ってたDDに、二人で大声でボヤく。どうせ魔物と戦いながら、片手間にスマホで見ているんだ、あの特級探索者は。
「おい、美怜! 見てるんなら何とかしろ! 俺たちはもう一歩も動きたくないぞ!」
「そうだそうだー! いい加減にしないと、りっちゃんと綾ちゃんに言いつけるぞー!」
「疲れちゃってェ、動けなくってェ」って座り込んでボヤいていると、遠くからキィィンという一際甲高い音が響く。地面がわずかに震え、雪が一瞬強く吹雪く。空気が重く、まるで魔力の圧が世界を押し潰してるみたいだ。
「《特級探索者赤木美怜:体力ないなぁ、これだからおじさんは。もうすぐ雑魚狩りが終わるから、ちょっと待ってよ》」
「いや、雑魚狩りってなんだよ。雑魚の前に俺らが死ぬわ。なんだ、俺らは雑魚以下か? 知ってるわ! なぁ、まっさん、もう休もうぜ。このままじゃ凍死するぞ。美怜も何考えてんのか分からんし」
「うん、とてもいい考えだ。さすが赤木くん。でも、もっと早く言ってほしかった! あ、ほら、あの建物、でかそうだから隠れやすそう。あの中で休もうか」
大通りの脇に、大きな屋敷が見えた。瓦屋根が一部崩れ、木の門が半開きになっている。門の柱には、風化した唐草模様の彫刻が薄く残り、まるで戦国時代の大名の屋敷みたいだ。俺たちは雪を払いながら門をくぐり、屋敷の中に滑り込む。
広い畳の部屋には、煤けた屏風が倒れている。壁には刀傷のような跡が刻まれ、畳には赤黒い染みが広がっている。
「……何この部屋。事故物件?」
「やめろよ、まっさん。俺がお化けとか苦手なの知ってんだろ」
「ごめんごめん。……ん? 何、今の音?」
「おいぃぃぃ! やめろよぉぉ! マジでさぁぁぁ!」
「いや、冗談じゃなくて……」
「もう、マジでやめろ! 疲れてんだよ、俺は! 無駄にライフを削ってくんなよ!」
「……気のせいかな」
外の雪の音に混じって、何か音がした気がするけど気のせいだろうか。魔物は全部凍っているしな。
「もうやめて、赤城のライフは0よ」と、赤木くんが呟きながら、メイスと盾を下ろし畳にドカッと座る。革鎧がガチャリと鳴り、囲炉裏の灰がフワッと舞う。俺も杖を握りながら、囲炉裏のそばにしゃがむ。
天井の梁はむき出しで、影が揺らめき、掛け軸の裏とか隠し部屋に繋がってそうな雰囲気だ。
「偽美怜の言ってた忍者屋敷って、これか?」
囲炉裏の灰は冷え切り、カビと埃の匂いが鼻をつく。窓は板で塞がれ、薄暗い部屋に雪の光がわずかに差し込む。畳は湿気で膨らみ、足を踏むたびにギシッと音がする。
「ふぅ、なんとか落ち着けるな。周りをよく見なければ、だけど。なんか不気味だな、ここ」
「だろ? 忍者屋敷みたいで、隠し扉とかありそうじゃね?」
『忍者屋敷』に心ときめかせてるウホウホゴリラは放っておく。
美怜ちゃんの魔法のおかげで、ここまで魔物にエンカウントせずに済んでる。けど、この寒さと雪の激しさのせいで、おじさんの心はもう折れかけてる。
「囲炉裏があるんだから薪はないのか? 火をつけて暖を取りたいんだけど」
「見当たらないね。何か燃えるもの……この杖でいいか? 冷たいし、地味に重いし、邪魔なんだよ、さっきから!」
「いや、それ、まっさんの武器だから! 『ここにちょいどいい薪が……』じゃないから! 燃やしてもいいけど、武器なくなるぞ? いや、もうこの屋敷全部燃やすか? なんなら街全部燃やしちまえば暖かくなるだろ」
「いいね、それ。木造っぽいしよく燃えそうだし」
「城攻めなんて真面目にやらないで、全部燃やしちゃえばいいんだよな?」
「そうそう、律儀に対面で魔物と戦うなんて面倒いし」
なんて過激な発想が出るくらいには、心身ともにやられている二人。
全部美怜ちゃんが悪いんだ。魔法のチョイスが駄目だ。守るっつってんのに守る対象を弱らせてどうすんだよ。
「まっさん、ちょっと休んだらまた大通り戻るか? 美怜の戦ってる方向、ゲートに近いはずだろ」
「ああ、けど、雪が強すぎるし。体も冷え切っちゃって駄目だわ。杖燃やして、なんとか暖を取ってからもう少し――」
――シュッ。
突然、首に冷たい感触が走る。
視線だけで下を見ると、首元にピタリと、何か金属の板が当たってる。
なんだ、これ?
冷た。
あ、ナイフ?
剣?
え、やば、切られ、え……死?
「そぉいっ!」
「!?」
――ガギンっ!
咄嗟に手に持っていた杖を滑り込ませ、短剣を弾く。刃が首の皮膚をかすめ、チクッと痛みが走る。
「まっさん!? ――こ、のっ!」
赤木くんが飛び上がると同時に、俺の背後にメイスを振るう。
スキル『身体強化』で向上した身体能力で全力で振るったメイスは、ゴウっと荒々しい音を立てるが、何も捉えられず空振りに終わる。
「ギャッギャッギャ」
俺の後ろにいた何者かは、汚い笑い声をあげながら軽い足取りで距離を取り、メイスを躱した。
俺は首の痛みに顔をしかめながら体を起こして反転、杖を握り直し目の前の敵を見据える。
薄暗い部屋の影、そこにいたのはチビッとしたシルエット。ボロ布を腰にまとい、粗末なナイフを持っている。
「なんだ? ……ゴブリン?」
「うおぉ! 杖持っててよかったぁぁ!」
燃やさなくて良かった。マジで。
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