第2話

 イアン・エルスバトはその日、久しぶりに城下町へと出てきた。

 城の城門から出た時、明らかに心が安堵した。

 夕暮れの街並みを馬で歩いていると、忙しく夕食時の準備を行う店や、帰宅に向かう人々で街は賑わっていた。

(ああ、やっぱ俺は王宮勤めなんかより、こういう街の雰囲気の方がずっと好きや)

 落ち着いたら、いずれは王宮の外に住まいがほしいな、などと思いながら馬に乗っていると人が避けるので、イアンは人通りの多い通りに入ると、馬から降りて、手綱を引いて歩いた。

「あっ! イアンさん!」

「ん?」

 どこかから呼ばれてキョロキョロすると、そこにあった食堂の店先で、開店の看板を掲げていた一人の男性が、こちらに向かって手を振っていた。

 一瞬誰か分からず、しかし見覚えが確かにあった。

「あー! あの時馬貸してくれたおっちゃん!」

 以前、初めて王宮に登城する時、遅刻をしそうだったイアンに馬を貸してくれた男だった。

「あれ? けど、おっちゃんの家もっと向こうの通りやったような」

 歩いて行くと、男は気さくに笑った。

「ここは弟の店なんですよ。今うちのバーから酒を届けに来てね。ついでに開店準備を手伝っとりました」

「そうなんか」

 イアンは笑った。

「ええなぁ。近くに兄弟がおって、店出しててもそうやって協力してやって行けるのは」

「商売敵ですけどね!」

 あっはっは! と、充実した日々の生活を思わせる笑い方を見せた。

「今日はお勤めですか」

「いや今日は終わり。ちょっと最近忙しくて、街に出て来れんかったから久しぶりに……」

「知ってますよお。今イアンさんお城にいらっしゃるでしょ」

「あれっ? 誰から聞いてん?」

 ラファエルはともかく、自分はもっぱら新設された近衛団の編成や修練で忙しく、ほぼ王宮でも騎士館の方にしかいなかった。街の人間が知っていると思わなかったのだ。特にイアンは城に通っているわけでもない。

 しかし、男は屈託なく笑う。それはそうですよ、と胸を張った。

「姪が王宮の侍女をしているんですよ。姪の婚約者が新設された近衛団に入ったんです。新しい上司がスペイン海軍出身のいい方だと姪が聞いて喜んでいました。名前を聞いて貴方だと分かって」

「そやったのか! いや~世間ってのはどこでどう繋がっとるか分からんもんやな!

 苦労したんやで。編成には随分気ィ使って、元々の近衛隊から引き抜く時も全員俺は顔と剣技見て選び出したんやからな。だとしたらええ腕持った婚約者やで。選ばれたこと労ってやってや。自信持っていい人材選んだって俺は思ってるしな」

「イアンさんにそう言ってもらうと本人も自信になりますわ」

 一気に話が盛り上がってしまった。

「どうですかイアンさん、お時間あるなら召し上がって行きませんか。ここなら食事、食事という気分じゃないなら俺の店で一杯でも構いませんし」

「いや丁度腹減ったんで駐屯地戻ってメシでも食おうかな思って出て来たんや」

 おっ、と男が明るい表情を浮かべる。

「そんならぜひ、この店で食べて行って下さい! 弟だから誉めるわけじゃありませんが、うちはいい料理出しますよ。あの時のお礼にぜひご馳走させて下さい」

「そっか。んじゃお言葉に甘えてご馳走になろうかな」

「どうぞ! いらっしゃいませ。馬は庭の方に預かりますよ」

「ありがとなー。良かったわ、たまたまこの通り来たけどまだ街よく分からんし……」

「お忙しそうですもんね。来て早々スペイン艦隊は港増設作業だったんでしょ」

「おっちゃん耳聡いなぁ。情報通やな」

「うちの店はこの辺の店のやつが集まって月に二回寄合やっとるんですわ。昼間は妻がお店でレース編みの教室を開いてるので知り合いの奥さんたちが集まるし。妻は若い頃レース工房で働いていたんです」

 ヴェネトに店を出し、家族で根を張って暮らしている一族らしく、店に入ると客も馴染みの人間が多く、騒ぎ立てるようなものはいないが、穏やかな笑いが絶えない雰囲気が、伝わってくる。いい店だ。こういう店は入ってすぐ分かる。客も安心して食事をしながら、今日一日の最後を楽しんでいるのが伝わってくるのだ。


「どうも、イアンさん。兄がお世話になってます」


 ええ雰囲気やなーと店を見回していると、声を掛けられイアンは目を丸くする。

「おっちゃん、双子やったんかい!」

 分身の術のように現われた二人に、イアンは吹き出した。

「驚いたでしょ」

「驚いた! 似てるわぁ」

「子供の頃はもっと似てました。学校の先生もよく間違えてたけど、父親も間違えてたんでまあ責められません」

「将軍のことは娘からも娘婿からもこいつからも聞いてます。今日はどうぞゆっくり召し上がって下さい!」

「おおきに。じゃあ遠慮なくご馳走になるわ」

 ただいまー、と声がして若者が入って来る。

「おお、いいとこに帰って来た。誰が来てると思う?」

「誰ですか?」

「お前の上官さんだよ」

「?」

 若者がテーブルを見ると「よっ」という感じでイアンが気さくに手を上げている。青年は驚いたようだった。

「だ、団長どうしてこんな店に」

 あわあわと敬礼をした。

「左のおっちゃんに前馬借りて世話になったことあるんや」

「あ、聞きました……本当だったんだ」

「本当だったんだって疑ってたのかお前は……」

 男が口許を引きつらせる。

「大体おまえ娘婿のくせに今『こんな店』って言ったな?」

「あああ! 違います違います! そういう意味じゃなくて……! しょっ、将軍は、王宮で食べられるのかと!」

「王宮の優雅な食事じゃなくて悪かったなオイ」

「ああああああ苦しい!! ごめんなさい! すいません! 口が過ぎました!」

 双子に首を絞められている若者に、イアンが声を出して笑った。

「今から少し店に戻って、こっちに出るって伝えて来るから。それまでお前がここにきちんと座ってイアンさんのお相手をしておくんだぞ」

「は、はい。分かりました」

 若者は慌ててテーブルに着席する。

「そんじゃイアンさん、俺はちょっと店に戻って妻に事情話してこっち戻って来ますんで。

 そうだ、酒持ってきますよ。どうしましょう、スペインのお酒もありますが」

「どうせならヴェネトのおすすめの酒もらおうかな。俺まだあんまりヴェネトの料理堪能出来てないねん」

「分かりました、うちでよく出る人気の酒持ってきますわ」

 男は弟に声を掛けてから、いったん店を出て行った。

「明るいおっちゃんやなあ。お前もこの一家に入らなあかんねんで。城の修練きつくてもくよくよしてられへんな」

 若者は苦笑して頷いている。

「俺の実家の両親と全然違う雰囲気なので、まだ慣れてません……」

「この店の娘さんが嫁になるのか」

「はい。今年の春に婚約して、来年結婚します」

「そうか。おめでとうな」

「あ、ありがとうございます!」

 近衛団の団長であるイアンに直接言われて、青年は緊張と動揺で顔を赤くしながら頭を下げた。

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