第16話 とっくに
「……え」
驚きのあまり、風音が固まっている。目を真ん丸にした風音を見るのは、なかなかに気分がいい。
「私と一緒は嫌?」
「……そんなことないよ」
言葉とは裏腹に、風音の表情は暗い。だけど、直接私に嫌だとは言えないみたいだ。
「じゃあ、早速愛莉先輩にも挨拶してこようかな。風音も一緒に行く?」
「……私はいいよ。もうすぐ昼休み終わっちゃうし」
「そう? じゃあ私、ちょっと行ってくるね」
白紙のままの入部届をファイルにしまう。演劇部はまだ正式な部活じゃないから、入部届を出す相手がいないのだ。
教室を出てすぐ、私は廊下を走った。時間がないからじゃない。どくんどくんとうるさく心臓が脈打つのを、走っているせいにしたかったからだ。
◆
「愛莉先輩!」
廊下から名前を呼んで、教室の扉を開く。一年生が三年生のクラスにくることが珍しいのか、教室中の視線を集めてしまった。
バスケ部の部長もいるし、陸上部の副部長もいる。
あっちの人は確か、サッカー部のエースだっけ。
いろんな部活に体験入部したせいで、三年生にもたくさん知り合いができた。どこからも入部を誘われているだけに、ちょっぴり気まずい。
まあ、仕方ないけど。
愛莉先輩は自分の席に座って、一人でお弁当を食べていた。小さなお弁当箱には、色とりどりのおかずが詰められている。
「彩ちゃん? どうかしたの?」
私と先輩は何度も話したことがある。でもそれは風音という共通の繋がりがあるからで、二人で話したことはほとんどない。
風音を変えたのはむかつくけど、愛莉先輩がいなかったらたぶん、私が風音と一緒の部活に入ることもなかったんだろう。
そう考えると、感謝すべきなのかもしれない。
「愛莉先輩に伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
「はい。私、演劇部に入ることにしました」
「本当!?」
愛莉先輩は勢いよく立ち上がり、満面の笑みで私の手をぎゅっと握った。
「やったー! 本当にありがとう、すごく嬉しい。彩ちゃんが入ってくれたから、これで四人になったし……あっ、ごめん、急に大声出しちゃって」
焦ったように愛莉先輩が謝ると、ひそひそと陰口のような声が聞こえてきた。
たぶん、元演劇部の人たちだろう。
「せっかくだし、ちょっと廊下で話せない?」
そう言うと愛莉先輩は、私を教室の外に連れ出した。
◆
「本当に、本当にありがとう」
近くの空き教室に入ると、愛莉先輩は何度も私に頭を下げた。
「お礼とかやめてください。私が入りたくて入るだけですし」
「それを言うなら私だって、私がありがとうって言いたいから言ってるんだよ」
目が合うと、ふふっ、と愛莉先輩が笑う。わざとなのか天然なのかは分からないけれど、あざとい人だ。
「なんで彩ちゃんは演劇部に興味持ってくれたの?」
「……風音と一緒にやってみたくて」
「そっか。じゃあ、風音ちゃんにも感謝しないと」
不純な動機だ、なんて言わず、愛莉先輩は笑顔のまま頷いてくれた。
先輩の笑顔を見ていると、意地悪なことを言ってしまった自分が恥ずかしくなってくる。
「これで、あと一人なんですよね?」
「うん。ちゃんと部活になれば部費だって下りるし、文化祭とか、他校との合同発表会にも出られるようになるの」
「じゃあ、どうにかしてあと一人集めないとですね」
誘えそうな子が誰かいないだろうか、と頭の中で同級生の顔を思い出していく。
うーん。まだ部活決めてない子、思い浮かばないかも。
「……あの、愛莉先輩」
愛莉先輩の眼差しは優しい。たぶん風音がここにいたら、私の発言は遮られると思う。
だけど今回は、意地悪がしたくて言うわけじゃない。
「堂嶋先輩のこと、誘わないんですか?」
あからさまに動揺した後、愛莉先輩は大きく深呼吸をした。
そして、覚悟を決めたような顔で言う。
「玲央を迎えにいくのは、ちゃんと五人集まった後。演劇部が正式にできてからって、決めてるの」
「……なるほど」
愛莉先輩の考えは分かった。だけど、堂嶋先輩はどう思うんだろう。
まあ、私が口を出すことじゃないだろうけど。
「堂嶋先輩も、また演劇部に入ってくれるといいですね」
「……うん。ありがとう、彩ちゃん」
よかった。
風音の中で、愛莉先輩が特別な人になっちゃうかもしれない。最近はずっと、そんな不安に苛まれていた。
だけど愛莉先輩にはもう、とっくに特別な人がいたんだ。
「私にもできることがあったら、なんでも言ってくださいね!」
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