第16話 とっくに

「……え」


 驚きのあまり、風音が固まっている。目を真ん丸にした風音を見るのは、なかなかに気分がいい。


「私と一緒は嫌?」

「……そんなことないよ」


 言葉とは裏腹に、風音の表情は暗い。だけど、直接私に嫌だとは言えないみたいだ。


「じゃあ、早速愛莉先輩にも挨拶してこようかな。風音も一緒に行く?」

「……私はいいよ。もうすぐ昼休み終わっちゃうし」

「そう? じゃあ私、ちょっと行ってくるね」


 白紙のままの入部届をファイルにしまう。演劇部はまだ正式な部活じゃないから、入部届を出す相手がいないのだ。

 教室を出てすぐ、私は廊下を走った。時間がないからじゃない。どくんどくんとうるさく心臓が脈打つのを、走っているせいにしたかったからだ。





「愛莉先輩!」


 廊下から名前を呼んで、教室の扉を開く。一年生が三年生のクラスにくることが珍しいのか、教室中の視線を集めてしまった。


 バスケ部の部長もいるし、陸上部の副部長もいる。

 あっちの人は確か、サッカー部のエースだっけ。


 いろんな部活に体験入部したせいで、三年生にもたくさん知り合いができた。どこからも入部を誘われているだけに、ちょっぴり気まずい。


 まあ、仕方ないけど。


 愛莉先輩は自分の席に座って、一人でお弁当を食べていた。小さなお弁当箱には、色とりどりのおかずが詰められている。


「彩ちゃん? どうかしたの?」


 私と先輩は何度も話したことがある。でもそれは風音という共通の繋がりがあるからで、二人で話したことはほとんどない。


 風音を変えたのはむかつくけど、愛莉先輩がいなかったらたぶん、私が風音と一緒の部活に入ることもなかったんだろう。

 そう考えると、感謝すべきなのかもしれない。


「愛莉先輩に伝えたいことがあって」

「伝えたいこと?」

「はい。私、演劇部に入ることにしました」

「本当!?」


 愛莉先輩は勢いよく立ち上がり、満面の笑みで私の手をぎゅっと握った。


「やったー! 本当にありがとう、すごく嬉しい。彩ちゃんが入ってくれたから、これで四人になったし……あっ、ごめん、急に大声出しちゃって」


 焦ったように愛莉先輩が謝ると、ひそひそと陰口のような声が聞こえてきた。

 たぶん、元演劇部の人たちだろう。


「せっかくだし、ちょっと廊下で話せない?」


 そう言うと愛莉先輩は、私を教室の外に連れ出した。





「本当に、本当にありがとう」


 近くの空き教室に入ると、愛莉先輩は何度も私に頭を下げた。


「お礼とかやめてください。私が入りたくて入るだけですし」

「それを言うなら私だって、私がありがとうって言いたいから言ってるんだよ」


 目が合うと、ふふっ、と愛莉先輩が笑う。わざとなのか天然なのかは分からないけれど、あざとい人だ。


「なんで彩ちゃんは演劇部に興味持ってくれたの?」

「……風音と一緒にやってみたくて」

「そっか。じゃあ、風音ちゃんにも感謝しないと」


 不純な動機だ、なんて言わず、愛莉先輩は笑顔のまま頷いてくれた。

 先輩の笑顔を見ていると、意地悪なことを言ってしまった自分が恥ずかしくなってくる。


「これで、あと一人なんですよね?」

「うん。ちゃんと部活になれば部費だって下りるし、文化祭とか、他校との合同発表会にも出られるようになるの」

「じゃあ、どうにかしてあと一人集めないとですね」


 誘えそうな子が誰かいないだろうか、と頭の中で同級生の顔を思い出していく。


 うーん。まだ部活決めてない子、思い浮かばないかも。


「……あの、愛莉先輩」


 愛莉先輩の眼差しは優しい。たぶん風音がここにいたら、私の発言は遮られると思う。

 だけど今回は、意地悪がしたくて言うわけじゃない。


「堂嶋先輩のこと、誘わないんですか?」


 あからさまに動揺した後、愛莉先輩は大きく深呼吸をした。

 そして、覚悟を決めたような顔で言う。


「玲央を迎えにいくのは、ちゃんと五人集まった後。演劇部が正式にできてからって、決めてるの」

「……なるほど」


 愛莉先輩の考えは分かった。だけど、堂嶋先輩はどう思うんだろう。


 まあ、私が口を出すことじゃないだろうけど。


「堂嶋先輩も、また演劇部に入ってくれるといいですね」

「……うん。ありがとう、彩ちゃん」


 よかった。

 風音の中で、愛莉先輩が特別な人になっちゃうかもしれない。最近はずっと、そんな不安に苛まれていた。


 だけど愛莉先輩にはもう、とっくに特別な人がいたんだ。


「私にもできることがあったら、なんでも言ってくださいね!」

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