魂は燃えているか
激しい闘いは続いている。
血みどろで殴り合いをする一年生、それを応援する仲間達。
それを取り囲んで高みの見物を決め込む三年生。
われ関せずの二年生。
闘う意思のない女子や雑魚は、壁際で震えるだけ。
この非現実的空間を作り出したのは、三年の永瀬だ。髪をリーゼントに撫で付けて、口髭を蓄えた剣呑な雰囲気の男。
「ははは、今年も中々のルーキーが揃ったじゃねーか」
故に支配者気取りで、解説者張りに、二つ並んだリングの特等席に陣取っている。
「名簿の連中、まだ見つからんのか」
怪訝そうにこめかみを掻き、隣のオールバックに訊ねる。
「まだ見つかってないのはこの連中さ」
そして相沢が指し示す名簿に、二人で視線を落とす。
「ヴァンプ高崎?」
「そいつは血を見ると、てんぱる曲者だぜ。幸いなことに今は、登校途中で他校の奴と乱闘騒ぎになってるようだが」
「却下だな。サツの厄介にならなきゃいいが。それじゃ"闘うアイドル……"女じゃねーか」
「女だが相当なるルーキーらしいぜ」
「却下だな。俺は女には優しい、硬派だからな。……えっと次は"仏のさとちん"……」
「そいつは無視しろ、葛城の後輩らしい」
「却下だな。あの狂犬に関わるのはなにかと面倒。……それじゃ"大友のかっちゃん"」
「目の前で闘っているじゃねーか」
その名簿に連なる名前、後々にこの物語のキーマンとなることを、今はまだ誰も知らない。
一方で居並ぶ教師達は、場の
『校長、訓辞は短めで』『去年は長すぎて、生徒の怒りを買いましたからね』『祝電も省略で。早く終わらすのが
一見責任逃れの馬鹿げた状況に見えるが、実は賢い選択だ。
何故ならこの状況は、一年前に比べたらだいぶマシだから。
一般の生徒や教師を巻き込む、最悪の修羅場には至っていないから。
永瀬との契約通りなら『ルーキーのリーダー各を掌握して、きっちりしつける』筈だから。
狂暴な蛇だって、頭をがっちりと掴んでいれば尻尾など怖くはない。
現に所々で小競り合いが
とにかくこれ以上騒ぎが大きくならなければそれで良しとしていた。
誰だって始まりのめでたき日に、人生のどん底には突き落とされたくないだろう。
体育館中央に掲げられた『みんなで一緒に卒業式を迎えよう』とのスローガンは、暗にその意味も含んでいる。
去年は入学式しょっぱなから、乱闘騒ぎで退学者が続出した。
流石にあれは学園側としても痛手だった。 悪い評判が一気に流出するし、授業料収入も激減した。
どうせこのくだらない余興も、式の開始と共に終了する。
スピーカーの電源が入れられて『これよりオーク学園、新入生入学式典を開催されます』との内容が流れるまでの辛抱。
それも永瀬との契約。
時間にしてあと十数分。そんな思いで溢れていた。
「くそったれ、こんな場所で負ける訳にはいかないんだ」
体育館入口から向かって右手リングでは、金髪の少年が熱戦を繰り広げていた。
百六十ほどの一般的な身長に、余分な脂肪のない整った体型の持ち主。髪の右サイドを刈り上げてていて、右側だけ見える澄んだ視線が印象的だ。
そしてその手前には、爬虫類のような印象の、ひょろ長い少年が立ち尽くしている。
二人共に制服の上着を脱ぎ捨ててTシャツ姿。
ひょろ長い少年は、
喧嘩の腕っぷしというより、闇討ち、騙し討ちなどの、姑息な手段で有名な双子だ。
「おらぁー!」
気合いと共に猫屋の拳が
はやる気持ちを抑えて、意識を集中させる金髪。
こう見えても彼は空手の有段者。間合いを見極めれば、これくらいの攻撃はかわせて、一気に逆転に転じられる。
猫屋の攻撃は宙を切る。
息を止め、拳を握り締めて一歩踏み込む金髪。
「ぐおっ!」
だが頬に激痛を覚えて後ずさる。
「さっきから卑怯だぞ!」
堪らず吠えた。
「卑怯だって? これは喧嘩だぞ」
目の前では猫屋兄が、大きな目を更に大きく掻き開いて、薄ら笑いを浮かべている。
手で振り回すのは黒い革製の袋。その先に砂を詰めた三十センチ程の代物だ。持つ長さを調整して、相手に当てるつぶてとして使用していた。
「流石は猫屋ブラザーズ兄だぜ、やり方がエグい」
「ありゃー地味に効くぜ」
その様子を悠然と眺める永瀬達。
一応このステージに武器、つまりエモノの持ち込みは禁止だ。
リングへの登場時にボディチェックは行っている。
しかしそれは建前に過ぎない。各自ひとつまで、衣服の中に隠せる大きさなら、黙認していた。
もちろん刃物や拳銃、そういった殺傷能力の高いものは厳禁だが。
エモノを使うのも喧嘩。それらをうまく使いこなせぬようでは、いっぱしの戦士とは呼べない。
「エモノの取扱いは、Aレベルにも匹敵するかもな」
「弟の方もそれと同等らしいぜ」
猫屋ブラザーズの名簿格付けは、共にBレベル。戦場であれば、勝敗を左右する重要な位置づけになる。
猫屋兄の独壇場は続く。
金髪を引き付け、ギリギリでかわして、攻撃を叩き込み、そして逃げる。それこそが彼の必勝パターン。
元々リーチの長い彼が武器を持てば、相手を攻撃範囲にさえ浸入させない。
攻撃こそ最大の防御というが、まさにそれを地でいく。戦に長けた戦士の面持ちがそこにはあった。
「それに比べてなんだよあいつ? 所詮空手はスポーツってか」
「決められたハコの中で、ルールに則り正々堂々だからな」
一方の金髪もBレベルに名を連ねていた。中学三年当時、神奈川県空手道選手権大会新人戦で準優勝した猛者を、一撃で沈めた経歴を持っている。
しかしその実力は発揮出来ずにいた。
武器の長さを巧みに調整して、攻撃を繰り出す猫屋兄の前に、成す術を持たない。ダメージばかりが蓄積されていた。
ムカつくのは猫屋の態度だ。攻撃する度にリングの奥に引っ込んで、挑発するように目を掻き開いたり、舌なめずりしている。
時折すぐ横にいる弟と、聞こえるように会話する。『弱いな』『早く沈めろよ』その淡白な会話が、益々頭にくる。
「ふざけんじゃねーぞ!」
荒れ狂う獣のように突進を図る金髪。
あの時のように、悔しい思いはしたくない。掴むべきは勝利の二文字、そしてその先にある栄光。
瞼の裏でストロボのような閃光がひらめいた。鼻頭を強烈な痛みが貫き、後方に吹き飛ばされる。
掻き消えそうな意識。
おぼろ気な視界に、拳を付きだし高笑いする猫屋兄の姿が映る。
このまま倒れるか、リングアウトすれば敗北は決定だ。
やはり自分には、それ程の実力はないのだろうか……
「……ここで踏ん張らなきゃ、全部おしまいだぜ」
不意に誰かが言った。ひどく冷静な響きだ。
それに呼応して意識を集中させる。ぐっと身体に力を籠めて、倒れるのを踏みとどまる。
「お主の魂は、まだ燃えとるんじゃろう」
ごくりと唾を飲み込んだ。胸の奥の方に熱いなにかを感じる。
「魂が熱いっちゅうのは、まだやれる、っちゅう意思表示じゃ。その感情があれば、お主はまだ負けん」
金髪の傍らには知らない少年の姿があった。サングラスを掛け、ブラウンのフライトジャケットを羽織っている。日焼けした褐色の肌に筋肉質の小太りな体型。後方に撫で付けて逆立てた黒髪が印象的。
再び猫屋を睨む金髪。
「どうすればいい?」
何故だろう、その声を訊くと冷静になれる。素直にアドバイスを求める自分がいる。
小太りの口元に笑みが浮かぶ。
「先ずは相手のエモノを奪え。そこからが本当の勝負じゃ」
この荒野を生き抜く為に必要なのは、相手を倒す武器じゃない。
熱い魂と、頼れる仲間。それがあれば百戦危うからず。
猫屋兄の放つ拳は宙を切った。
それでも反動を利用して、革のつぶてを打ち放つ。猫屋得意の必勝パターンだ。
場に響き渡る凶音。
革のつぶては確実に金髪の額にヒットした。おそらくは脳髄に相当なダメージを刻んだだろう。
あとは安全圏内に逃げ戻って、金髪が地面にのたうち回るのを見下ろせばいい。
それで自分の勝利が決まる。猫屋ブラザーズの名声も一気に高まる。
だが次の瞬間はっとした。
逃げようにも逃げられない。外れないように手に巻き付けた革のつぶてが鎖となって、逃げだすのを防いでいたからだ。
「エモノは奪ったぜ。これでいいんだよな?」
揚々と響く金髪の声。
右手で革のつぶてを絡め取って、猫屋が逃げるのを封じていた。
額を襲ったつぶてのダメージはそれ程ではない。伸びきる前に自ら当たりにいったことで、その威力を封じていた。
どんなに斬れる名刀でも、振り下ろす瞬間を狙えば怖くない。
感嘆したようにヒューと口笛を鳴らす小太り。
「奪ったら叩き潰せ」
その一言に、金髪が後方に頭を振りかぶる。
すかさず強烈な頭突きを、猫屋兄の顔面に叩き込んだ。
「ぐがーーっ!」
響き渡る猫屋兄の悲鳴。顔を仰け反らせて口から血飛沫を吐く。
「てめーよくもやってくれたな!」
それでもその闘争本能は萎えることはない。
エモノを奪われ、逃げることを封じられたが、刻み込まれたダメージではまだこちらが有利。
「ぶち殺す! ぜってーぶち殺す!」
「そんな拳、効きはしねーんだよ!」
拳を叩き込み、そして食らう。血が弾け、
防御など一切なしのチェーンデスマッチが展開される。
躊躇いも駆け引きもない、魂焦がす熱いバトル。
そしてその熱気は他の面々にも飛び火する。
「タマ、いま助けに行くぜ!」
加勢しようと、木刀片手にリングインする猫屋弟。
「おいおい、ふざけた真似は止めたらどうじゃ」
そうはさせじと動き出す小太り。
『タマとハチを守れ!』『猫屋会なめんな!』猫屋ブラザーズは十人程の一族を従えていた。
『義理はねーが加勢すんぞ』『ネコ野郎は嫌いだからな!』そして同じくらい多くの者に嫌われている。
かくして激しい場外乱闘戦が開始された。
「嘘だろこの連中、なんとかしつけてたのに……」
愕然とその様子を眺める永瀬。
「あの牛みたいな小僧の仕業だぜ。どうすんだよこの騒ぎ」
額に手をあてて、うんざりそうに吐き捨てる相沢。
彼らとすれば、四角いリングの中で全ての騒ぎを収める筈だった。それが教師達との契約だったから。
案の定、遠くの方では教師達が『話が違うじゃないか』といった表情を見せている。
「……まぁ、いいだろう。あと数分で入学式も始まる。それまではルーキーの好きにさせるさ」
腕を組んで支配者張りに言い放つ永瀬。それでもかすかに青ざめ、膝頭が震えている。
「しかし、とんでもない流れ者が入学したもんだな」
相沢の視線が捉えるのは、猫屋弟と対等に闘いを繰り広げる小太りの姿。
その姿に先程までの冷静な様子は微塵も感じ取れない。喧嘩にいっては激しい気性を顕にしてる。
相手の攻撃を浴び、それでも突進する様はまるで
「直前までは関西にいたんだよな?」
「らしいな。全国津々浦々を転々としているようだ。格付けはBレベル、渾名は赤べこ……」
「しかしそう考えると、的確な名簿だよな。あんな余所者、どうやってBレベルって格付けたんだ? しかも渾名まで」
「俺だって知らねーよ。本名が記載されてないのが、マヌケだがな」
硬派を気取る彼らは、市内の勢力図、及び有名な不良の名前は頭の中に叩き込んでいる。誰々は危険だとか、どこの学校を占めているとか、どこの事務所にスカウトをうけているとか、そういった情報。
それ故名簿に羅列してある名前には殆ど聞き覚えがあった。
だが例の小太りはこの辺の出身ではない。故に見覚えも聞き覚えもなく、その素性は一切不明。
しかし名簿にはBレベルと記載されている。改めてその名簿格付けの正確さに感服していた。
「うおーー!」
場に地鳴りにも似た大歓声が響き渡る。
「かっちゃん!かっちゃん!」そして続くかっちゃんコール。
体育館入口から向かって左手では、狂喜乱舞の様相が展開されていた。
否が応でもその注目を奪うのは、横綱級の一際大きな少年。
体重百五十キロを誇るそそりたつ巨人。その名を
「嘘だろ、大具足虫の奴が?」
「まさかのジャイアントキリングってやつか」
愕然と視線を向ける永瀬達。
大具足虫の悪名は、彼らも聞き及んでいた。
幼少の頃より巨大な体格の持ち主で、小学生相撲大会で全国優勝した経歴を持つ。
しかし生まれついての凶暴さとその素行の悪さがネックとなって、プロの世界への道は途絶える。
土俵の上で対戦相手を次々と病院送りにしてしまうのだ。しかも止めに入った行司や保護者にも暴力をふるう。
更にはストリートに繰り出して、更なる暴力を求める。その補導歴は、数十回にも及ぶ。
その渾名は二種類ある。血に飢えた獣、それと……
それ故ルーキーの中では一番の注目株とされていた。永瀬達が押さえるべき最重要人物とマークしていた。
この男さえどうにかすれば、一年生は支配できると。
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