第8話【ご都合主義とワカメサラダ】2


 授業が全て終わり、金曜日の放課後。

 今日は委員会の日ということで、俺と汐海は理科室の掃除をしていた。


 汐海がなんだか不機嫌な顔を浮かべているのは気になるけど、俺としては幸せな時間以外の何物でもない。


 好きな女の子と夕日が差し込む放課後の教室で二人きり。

 いかにも青春って感じで……。


 だからだろうか。昨日見たドラマの影響をモロに受けていた俺は、想像をそのままに口を開いた。


「お前と見る景色はいつもと違って見えるな」


「はぁ? お前?」


「……すみません」


 目が怖い。

 思わずマジな謝罪をしちゃった。

 ちょっとおちゃらけただけなのに……。


「はぁ……なんで週に二日も八木と掃除なんてしないといけないんだろ……」


「俺は幸せだけど?」


「……はぁ。すぅ……はぁ……」


 深呼吸と言ってもいいくらい深い。

 それはそれは深い溜息を二度する汐海。


 もう慣れたものだけど、少しだけ心が傷ついた。

 

「汐海っていつも怒ってるよね。笑ってた方が可愛いのに。勿体ないよ?」


「…………(ブチッ)」


 ――何かが切れる音がした。

 そして、それに続いて聞こえてくるのはバキッボキというプラスチックが砕けるような音。


 切れたのは恐らく汐海の堪忍袋かんにんぶくろで、プラスチックが砕けた音は手に持っていた塵取ちりとりが粉々になった音だろう。

 いや、どんな力してんのよ!?


「私がこんな顔になってるのは誰のせいだと思ってるの?」


「……陸斗?」


「んな訳ないでしょ!? 普通に八木のせい!」


 ガチギレの汐海。

 ただのお茶目だったのに……。

 どうやら俺はまたやらかしてしまったようだ。


「はぁ……もういいや。そんなことより、陸斗から聞いたんだけど、この前の休みの日、可愛い女の子と一緒に居たんだって?」


「…………はい?」


 突然の汐海の言葉に頭が回らない。

 だってそうだろう? 

 普通にパニック。当たり前にパニックだ。


「陸斗が朝に散歩してるときに商店街で見たって」


「……ソレ、ホントウにオレだった?」


「何その口調。陸斗が言うには八木で間違いないって。八木って……私のこと好きって言ってるわりにはやることやってたんだねぇ」


 ニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべる汐海。

 まさか白鳥と一緒に居るところを見られてたなんて……。

 これはマズいことになった。色々な意味でマズいことになった。


「いや、それはたまたま知り合いと商店街で会って……挨拶してすぐに別れたよ!」


「喫茶店から出てきて、少し話した後に二軒目も行ったって聞いたけど?」


 あの野郎!

 どこまで見てやがった!? まさか後をつけてたのか!?


 これはヤバい。

 汐海の俺に対する心象もそうだが、汐海の目。完全に玩具を見る目だ!


「あれは……そう! 妹! 妹と会って!」


「うわー、苦しっ! それは無理があるんじゃない?」


「……やっぱり?」


「うん。そもそも本州から引っ越してきた八木が早朝に偶然妹と会うってどんな状況よ? その前に自分で知り合いって言ってたし」


「……だよなぁ〜。無理だよなぁ~」


 うん。

 自分でも思う。妹は無いわ。


「それで? あの子は何なの? ついに八木にも春が来た?」


 興味津々といった様子の汐海。

 それがちょっとだけ……いや、かなり心にダメージを負う。


 だってそうだろ?

 俺に春が来たことに対して楽しそうにしているということは、俺は異性として眼中にないってことだからな。


「いや、普通に後輩」


「ふーん。可愛いって話だけど、どう? 良い感じになりそう?」


「ならねーよ。俺は汐海一筋。これは絶対だ」


「えー、勿体無い。それに、何度も言うけど私は無理だって」


 そう言って肩を落とす汐海。

 心底残念そうだ。

 そして……そんな汐海を見て、俺も心が冷えるような感覚を覚えた。


 いや、マジで汐海と付き合うにはどうすればいいんだろう。

 どうしたら好きになってくれるのか。取っ掛かりすら分からない。


「陸斗が可愛いって言うくらいだから、相当なんじゃない? もったいな――」


 

 ――それは本能的な行動だった。

 考える前に体が動いた。


 廊下から女子生徒の会話。

 とある名前が聞こえた瞬間、汐海の頭を抱えるようにして、胸元に身体を寄せた。


「え!? ちょっ、何!?」


 パニックを起こし、俺から距離を取ろうとする汐海。


 しかし俺はそんな汐海のことなんてお構いなしに身体を抑え付け理科室の机に身を隠すと、変わらず抵抗している汐海の口を左手で塞ぎ、空いていた右手で耳を、そしてもう片方の耳は俺の胸に押し付けるように塞いだ。

 

 聞こえてきた女子生徒の会話。


 ――汐海さんって何考えてるか分からないよね。


 話の雰囲気的には恐らく悪口の類だろう。

 そんな会話を汐海に聞かせてはいけない。


 ただそれだけを思っての行動だった。


「………っ、ムグッ……はぁ……ん゛っ」


「ちょっと静かにして」


 俺は暴れている汐海にそう言うと、口元に人差し指を当てる。


「……はぁ!? 急に何して――んッ!」


 今にも大声を出そうとしていた汐海の口を再度塞ぐ。

 俺達の存在がバレてはいけない。


 しかし、ここが理科室で良かった。


 理科室の机は自分らの教室で使われているものよりも大きく、特殊な形をしており、板で足元まで隠されている。


 座っている状態なら見つかることはないだろう。

 息を殺し、女子生徒の気配が消えるまで身を隠す。


 ジタバタと汐海が暴れて体中が痛いが、その対価として抱き抱えているからか幸いにも大きな物音が出ることは無かった。


「人気のある先輩からの告白も断ったらしいよ」


「あ、それ私も聞いたことある! 野球部の人だっけ?」


「そう! 私だったら一発でオッケーしちゃうなぁ~」


 理科室に用があるのか、微かに聞こえてくる声は徐々に近くなってくると、俺はさらに気配を消し汐海を更に強く抱き寄せる。

 その頃には汐海も観念したのか、俺に体を預けてきていた。


 まぁ、すっごい眼光で睨まれてはいるけど……。


「いつも教室で一人だし……そういえば星波君と幼馴染って聞いたけど本当かな?」


「どうなんだろ。話してるところは何回か見たことあるけど」


「ね。でも、星波君と幼馴染なら、他の男子に興味が無くなるのは納得だよね~」


 そんな不快な会話は理科室の前を通り過ぎると、女子生徒たちの足音が聞こえる度に距離を離していく。


 どうやら理科室に用事があったわけではなかったようだ。


「……ふぅ」


 まだ油断はできないけど、なんとかやり過ごすことができた。

 殺していた息を吐く。


 やっと緊張を解くことが――。


「でもさ、そこが汐海さんの良いところって感じだよね。高嶺の花って言うかさ。綺麗だし、本当に憧れるわ~」


「分かる! 顔は小さいし、スタイルも良いし、髪もメッチャ綺麗! 汐海さんのレベルで彼氏いないとか、逆に良いよね! みんなのお姫様って言うかさ」


 …………おっと。おっとと。

 えぇーーとぉ。うん? ……俺の勘違い?


 背中に滲む冷や汗と、やらかしてしまった焦りからくる熱が体を包み込む。


 もう女子生徒たちの声は聞こえない。


 聞こえるのはグラウンドで掛け声を合わせランニングをしている野球部や、ボールを蹴る音を響かせているサッカー部、そしてそんな放課後に音を添えている吹奏楽部の演奏だけだった。


 二人の息遣いだけが響き渡る理科室。

 そこにいる俺。そして抱き抱えられるように俺の胸に収まっている汐海。


 感じるのは守ってあげたくなるような汐海の細い体から感じる体温と、体を引き寄せたことによって生じた重み、そして手のひらに感じる汐海の吐息だった。


 高鳴る心臓の音が、まるで何かしらの機械……それこそスピーカーを通しているかのように、俺の耳から聞こえてくる。

 

 今まで必死になっていたから分からなかったけど――この状況はマズい。

 俺史上最もマズい状況だ。

 

「あの……さ」


「……はい」


「そろそろ離して貰ってもいいですか?」


 素直に手を離し、距離を取る。

 心なしか汐海からドス黒いオーラが出ているような気がした。


「言いたいことは……分かる……よね?」


「……はい」


「よし。殺す」


「仰せのままに」


 それからのことはよく覚えていない。


 気付けば俺は一人、理科室に転がっており、空は綺麗なオレンジ色から真っ黒に塗り替わっていて、体の節々に感じる痛みとボタンが取れている制服だけが、俺の身に起こったであろう出来事を教えてくれていたのだった。

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