澄凪の人魚姫

西藤りょう

澄凪の人魚姫

第1話【澄凪の人魚姫】1


 ――俺、八木圭介やぎけいすけが絶望の淵に立たされている。という言葉は間違っているのだと知ったのは、十五分程前に絶望から抜け出す方法をスマホで調べた時のことだった。


 場所は通っている澄凪大学付属高等学校すみなぎだいがくふぞうこうとうがっこうの教室。

 授業が終わり放課後になったということで、クラスメイトの多くは既に帰宅しており、残っているのは俺を含めて二人という状況。


 そんな中、机に項垂れるように突っ伏すと、教室に残っているもう一人、星波陸斗ほしなみりくとに話しかけた。


「何回目だ?」


「えっと……僕の知ってる限りでは五回目……かな?」


「五回……そっか、五回か」


 現実と向き合った俺はより深く机に突っ伏す。

 帰宅する元気はおろか、顔を上げる気力すら無い。

 できることと言えば、こうして息を吸って吐いて植物が一生懸命に作った地球の酸素を無駄に消費することだけだった。


「圭介は本当に諦めないよね。普通、一回でも”フラれたら”諦めると思うんだけど」


 陸斗は俺が突っ伏している机に寄りかかるように体重を乗せると淡々とそう言う。


「それはあれか? 俺がしつこくてストーカー気質のあるキモイ奴だと言いたいのか?」


「そこまでは言ってないよ。まぁ、その執念は相手の立場から考えたら少し怖いな。とは思うけどね」


「……二階から飛び降りたら、楽に死ねっかな」


「当たり所によってはチャンスはあると思うけど、怪我するだけだと思うよ」


 フフと小さく笑いながら陸斗は言葉を続ける。


「圭介って色々と勿体無いよね。その気になれば彼女の一人や二人くらいできそうなのに」


「汐海以外から好かれても意味がねーよ」


「ブレないねぇ」


 さて、何故俺が絶望を嚙み締めているのか。

 それは陸斗との会話が示す通り、好きな人にフラれたからである。


 高校の入学式で一目惚れして一年、通算五回目の告白。

 結果は言わずもがな見事に玉砕。

 こんなの絶望する以外にできることなんて無いだろう。


「……何が悪かったと思う?」


「んー、そもそも相手が悪いんじゃない? 相手は鞠奈――”人魚姫”だよ?」


 ――人魚姫……ねぇ。

 誰が言い出したのかは知らないが、それは俺の好きな人、汐海鞠奈しおみまりなにつけられたあだ名である。


 人魚姫なんて大そうなあだ名だとは思うが事実、これ以上無いほどピッタリなあだ名だということを俺は一番知っている。


 優れた容姿もそうだが、汐海が人魚姫と呼ばれている所以は彼女の特殊な恋愛観によるところが大きかった。

 

「なんで汐海って”一回しか恋愛しない”って言ってるんだろうな。それって昔から?」


「僕の記憶が正しければそうだね」


「そっか。何か理由があるんだろうけど……さっぱり意味が分からん」


 深い溜息をつく。


 汐海が人魚姫と呼ばれている所以。

 それは”恋愛は一度しかしない”というスタンスから来るものだった。



 デンマークの童話作家である”ハンス・クリスチャン・アンデルセン”の『人魚姫』。


 誰しもが一度は読んだ、もしくは読んでいなくとも、なんとなく内容は知っている有名な作品だろう。


 一目惚れした王子と結ばれるために、魔女と取引して声と引き換えに人間の姿になった人魚姫。


 その時に王子が別の人間と結ばれてしまうと泡になってしまうと魔女から忠告を受けていたのだが、勘違いから王子は別の人と結ばれてしまう。


 既に声を失っていた人魚姫はその勘違いを訂正することも、自分の想いを伝えることもできず……。


 唯一、人魚に戻る方法として王子をナイフで刺して、その血を足にかけるという手段があったが、結局刺すことはできず王子と、その妻になる人間の幸せを願いながら泡になって消えてしまった。


 ――というのがアンデルセンの童話『人魚姫』なのだが、つまるところ人魚姫は恋愛に失敗したから泡になって消えてしまったのだ。


 故に人魚は恋愛に失敗できない。

 ”一度しか恋をすることができない”のだ。


 そして、好きになることはもちろん、付き合うことも人生で一度きりだと宣言してしている汐海。

 彼女につけられた人魚姫というあだ名は的を得ているだろう。



「それにしたって理想が高すぎるんだよなぁ~」


「一回しか人の事を好きになれないなら、理想が高くなるのは仕方ないんじゃない?」


「そうは言うけどさ、高身長、高収入、包容力に、優れたスペック、そんでもって婿入りが条件なんて……普通の高校生には無理じゃね? そもそもスペックとか身長はともかく、収入とかは学生の時点で分かるものでもねーし」


 つまりは無理ゲー。

 どれだけ自分を磨いても、絶対に付き合うことなどできないのだ。


「圭介は鞠奈と結婚したいと思う?」


「それは勿論。正直一回しか恋愛したくないっていう考えは夢見がちだとは思うけど、理解できるし、理想的だとは思うよ」


「じゃあチャンスはあるんじゃない? 鞠奈の理想がどんなモノなのかは分からないけど、将来がどうなるかは分からないんだし」


「……今すぐに付き合いたい」


 そう思ってしまうのは我儘だろうか?


 好きな人がいれば今すぐにでも付き合いたい。手も繋ぎたいし、キスもしたいし、勿論その先も……。

 普通の男子高校生なら……いや、普通の男ならそう思うのは当然だろう。


「目が怖いよ。圭介は本当に鞠奈が好きなんだね」


「好きに決まってるじゃん。そもそも陸斗は幼馴染の癖に汐海の魅力に気付いてなさすぎると思うんだけど!?」


 汐海と幼馴染にも関わらず、一切興味無さげな陸斗に苛立ちすら覚える。


 そりゃ、陸斗くらいになれば選び放題だろうし、性格も相まって女子からはモテるんだろうけどさ!


 でも、汐海だぞ?

 好きになるのは大前提。

 同じ男として思うが汐海に好意を抱かないなんて全くもって理解できない。


「僕と鞠奈は昔からの付き合いだからね。異性っていうよりも兄妹って感覚が強いんだよ」


「昔からの付き合いだぁ!? それなら尚更好きになるだろ!?」


「勢いが怖い。……全く、圭介は鞠奈の事になると人が変わるよねぇ。見てる分には面白いけど、あんまり周りに迷惑をかけちゃダメだよ? 間違っても鞠奈に近づく人に危害は加えないようにね?」


「それは大丈夫。汐海の事が好きな男が存在しているなんて考えたくないし、考えない」


 汐海の事が好きな男子がいるなんて、考えるだけで頭がおかしくなりそうだ。


 まぁ、汐海くらいになれば学校の全男子から惚れられていても不思議じゃないんだけど……でも、考えない。


 理由は至ってシンプル。

 もしも汐海がその気になってしまったらと想像するだけで死にたくなるからだ。


「……ずいぶんと都合の良い思考をしてるんだね」


「当たり前だ。伊達に一年間、片思いしてないからな」


「誇るようなものじゃないと思うけど……まぁ、いいや」


 溜息をつく陸斗。

 俺としては当たり前のことを言ってるだけなんだけどな。

 おかしいのは陸斗の方だ。

 

「圭介は鞠奈のどこに惚れ込んだの? 幼馴染の僕の目から見ても鞠奈は綺麗だと思うけど……そこまで入れ込むほどかな?」


「……はぁ? お前何言ってんの? 全てが完璧じゃねぇか!」


 椅子から立ち上がり、陸斗を正面に捉える。

 汐海の良さが分からないなんて幼馴染が聞いて呆れる。


「まず見た目が良い。俺が一目惚れしたくらいだからな。可愛いと言うより綺麗系な整った顔、いや、別に可愛く無いって言ってるわけじゃねーぞ? 汐海が可愛いのは確定事項だ!」


 勢い良く酸素を吸い、それを体内で汐海の魅力に変換すると、二酸化炭素の代わりとして吐く。


「確かに性格はドライだし、たまに冷たいなって思うことはある。でも、知ってるか? 汐海は人が嫌いっていうわけじゃなくて、人との距離感が分かってないだけなんだよ!」


 俺の力説は止まらない、止められない。

 っていうか、止める気がない。


「先生に二人一組になれって言われた時に、友達が居ない汐海は当然困るよな? で、そんな時にクラスの女子の一人が一緒にやろって誘ったんだ。その時の安心した顔と言えば……もう最高! あとは――」


「まだあるの?」


「当たり前だ。汐海の良さを語らせたら終わりは無いと思え。まず意外な一面から紹介しよう。陸斗、お前は汐海が猫が苦手だってこと知ってたか?」


 それは目を瞑れば昨日の事のように思い出せる。

 そんな素晴らしい光景。


「半年間くらい前のことだ。登校中に汐海を発見した俺は接触するタイミングを計るために、後をつけていたんだよ」


「ん? なんか不穏な空気が……」


「その日は天気が良くてな。日向ぼっこでもしていたんだろう。野良猫が道を塞ぐように、ド真ん中で転がってたんだ」


「和やかな光景だね。……会話の内容は全く和やかじゃないけど」


「黙って聞けって。それでな? 汐海と猫。癒されるなぁ~。なんて思って後ろから隠れて見てたんだけど、汐海は猫を発見するなり、避けるようにビクビクと警戒しながら道の端っこを歩き出したんだ。その姿は可愛い以外の何ものでもなかったな!」


 あの時は汐海の新しい一面を知れて嬉しかった。

 普段ドライで冷たい印象がある汐海の怖いものが猫って、こういうのをギャップと言うのだろう。


「そして汐海の魅力と言えばこの前も――」


「圭介……後ろ」


「ん?」


 そう言った陸斗の顔。

 強張っているように感じるのは気のせいだろうか?


 俺は陸斗の声が示す意図をそのままに振り向く。

 すると――。


「……さっきぶりだね」


「そうね。さっきぶり。それで、ずいぶんと口が回っていたようだけど……どんな話しをしてたの?」


「えっと、親友である陸斗とお喋りを……あの……怒ってる?」


 振り向いた先、そこにいたのは腕を組み、眉間にしわを寄せた汐海だった。

 黒いモヤモヤとしたオーラが見えるような気がする。


「何が? 別に廊下まで声が聞こえてきて、うるさくしてるのは誰だろうなって思っただけだケド?」


「語尾にトゲがあるように感じるのは……俺の気のせいじゃないよな?」


「そう感じるなら、そうなんじゃない? 心当たりでもあるの?」


「いや、別に……」


 これはヤバい。と体中から警報が鳴り続けている。

 美人が怒ると怖いと言うが、本来の意味はどうあれ、この状況には足が竦んだ。


「……こんな時間に教室に来るなんて珍しいね。どうしたの?」


 気まずそうに顔を背け、声を震わせながらそう尋ねる陸斗。

 

「これから帰るところ。さっきまで”失礼なクラスメイト”から告白を受けててね。帰るのが遅くなっただけ」


 ギロリとしたナイフのような視線を向けられる。

 これが視線だけで良かったと心底思う。

 もしも汐海の手に凶器があれば、俺は無事では無かっただろう。


「そ、そっか」


「それで? 何の話をしてたの?」


「いや、その……普通の会話だよ。圭介と普通に普通の会話をしてただけ」


「そう。それじゃ、私の事は気にしないで”普通の会話”ってものを続けてどうぞ」


 自分の机から荷物を取りながら、冷たい声色でそう言う汐海。


 汐海の笑顔と書いて圧と読む。

 例え好きな人が相手だとしても、怖いものは怖いものだ。


「話さないの?」


「い、いや……その……」


「二人が話さないなら、私も混ざっていい? 話題はそうだなぁ……。失礼なクラスメイトが失礼極まりない話を廊下まで聞こえてくるような大声で話していたことについて……なんてどう?」

 

 どうやら俺たちの会話を聞かれていたようで……少しの恥ずかしさと、多くの恐怖が冷や汗となって形に表れる。


 口が渇いて仕方ないが、さて……こんな状況の中、俺には三つの選択肢があった。



 一つ、誤魔化す。

 まぁ、これが無難な選択だろう。

 安牌を選ぶならこれ。



 二つ、謝る。

 これも選択としては正しい。

 自分に非があることを認め、素直に謝罪するのは人として正しい姿だ。

 しかし前提として、罪を認めることになるから怒られることが決まっているという欠点がある。



 三つ、会話を続ける。

 この選択は汐海の魅力についての会話を続けて、照れさせることができれば勝ちだ。

 全てを有耶無耶にできる可能性を秘めている。

 ついでに俺がどれだけ汐海のことが好きなのか。それをアピールすることができるというのも、良い点と言えるだろう。



 さて、どうしようか。

 三つの選択肢の末に起こる結果を脳内で想像する。

 

 一、二、三。

 

 時間にして数秒の脳内シュミレーション。

 選ぶべき選択肢は――決まった。


「汐海ってマジで可愛いんだよ! 黒髪のボブヘアーに制服の上からパーカー! 髪型も服装も好みそのものでマジで、マジでドンピシャなんだよな」


「……は?」


 俺が選んだのは三つ目の選択肢。

 これなら俺がどれだけ汐海が好きなのかを伝えると同時に、身の安全を確保できるという素晴らしい一手。

 まぁ、汐海の目がとんでもないことになっていることだけは気になるけど……。


「だからさっきまでしていた話の続きだろ? いや、本人を目の前にして言うのもどうかと思うんだけど、汐海からも了承を得られたし汐海の魅力を陸斗に説こうかと思ってさ」


「意味分からない」


「そのままの意味だって。俺は汐海が好きで、さっきまで陸斗に魅力を伝えていた。それに対して汐海は話の続きをしろと言った。ね?」


「ね? ってバカでしょ。陸斗、友達は選んだ方が良いよ」


 汐海は俺から視線を外すと、俺たちの会話を黙って聞いていた陸斗にそう言う。


「相変わらず辛辣だなぁ。まぁ、言いたいことは分かるけどね。でも、こんなでも一緒に居ると楽しいんだよ」


 こんなとは失礼な!

 確かに変なテンションになっていることは認めるけどさ!

 でも、それは汐海が魅力的なのがいけないと思うんだよなぁ。

 

「あー、なんかバカらしくなってきた。もういいや、私は帰る」


「……え?」


 あれ?

 なんだかおかしい。

 アニメなんかのヒロインなら、ここで赤面して恥ずかしがるところなのに……。

 至って普通、素面だ。


「あの……恥ずかしがったりしないの?」


「はぁ? なんで?」


 頭上に浮かぶ疑問符と、照れているのとは対照的な心底真面目な顔。


 ――冷静に考えれば分かることだった。


 まず汐海は俺にとってはヒロインだけど、アニメのヒロインじゃない。

 普段の汐海を知っているならば、赤面なんてしないことは分かっていたはずだ。


 そして、俺はつい先程汐海にフラれている。それも一年を通して五回も。

 フッた男から魅力を伝えられたところで、照れるなんてことはない。

 だからこその疑問符と真顔。


 何気に一番ツライ対応……。

 まともに相手されないのが、なにより悲しい。


 真正面から罵倒された方がまだマシだったとすら思えるほどだ。


「あ、そうだ。今日は”澄凪すみなぎ星浮ほしうかし”の日だけど、陸斗は行くの?」


「僕は行かないかな。正直見飽きてるし」


「今月は綺麗に見えるって話だけど……そっか、分かった」


 汐海はそう言うと、俺たちに背を向けて教室から出て行く。

 残されたのは手を振って見送っている陸斗と、そんな陸斗を睨む俺。


 たまらず心の中でスクリーーーム!


 その会話は何!?

 一緒に行くのが当たり前ですよってか?


 昔からそんな感じですか?

 幼馴染特権ですか?

 

 そうですか!

 羨ましいですねぇ!


 ……はぁ、はぁ、ふぅ。

 まぁ、心の中の叫びだから呼吸は必要ないんだけどね。

 雰囲気だ、雰囲気。


 それにしても……。


「俺、澄凪の星浮かしってまともに見たことないや」


「そうなの? ……ってそっか。圭介は本州から来てるから」


「見に行こうと思っても、天気が悪かったり、次の日学校だったりしたからタイミングが合わなかったんだよな。今日こそは見に行ってみようかねぇ」


「せっかく澄凪に住んでいるんだし、それがいいよ。穴場教えるから行っておいで」


「ああ、気が向いたら行ってみるよ」


 本州から離島である澄凪島に引っ越してきて一年。

 まさかフラれた日に恋愛成就で有名な”澄凪の星浮かし”を見に行くなんてどんな自虐行為だろうか。


 でも、まぁ、心機一転と考えれば良いのか?


 俺は頭の中で今日の予定を組むと、陸斗と共に帰宅路につくのだった。

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