震える雨のブルース
間断なく続く秋雨がフロントガラスを勢いよく叩きつける音を耳にしながら男は車を走らせる。車検を通したばかりで効きのよいブレーキを小刻みに踏みつけ、妙に蛇行した山道のカーブを軽やかに曲がっていると、目的としていた赤色のランプたちが男を迎えた。
懐から禁煙用の小粒タイプガムを取り出した男は、銀紙を着崩れた背広の右ポケットにしまい、傘も持たずに車外へと飛び出す。近場にいた大きな傘を持つ制服警官のもとへ駆け寄った男に、警官は驚きつつも軽く頭を下げた。
「安倍警部、お疲れ様です」
「おう、お疲れ。状況は?」安倍は訊いた。「つっても、おまえらも到着したばかりか」
安倍はバタバタと鑑識たちが傘もささず、雨で流れてしまわないうちに手早く証拠を集めようとしている様子を眺めて、中途半端に味の残ったガムを地面に吐き捨てると警官に感謝を告げて部下である女警官へと駆け寄る。その女警官、高松の傘にするりと潜り込み、軽く背中を叩いて安倍は軽口を叩く。
「よっ、あいかわらず現着が早いな」
快闊な笑みを浮かべて安倍はいった。
「安倍さんが遅すぎるだけです」
部下の高松は口をへの字に曲げて厭味ったらしく返した。
「メシの途中だったんでな。別に現場が逃げるわけじゃねぇし、別にいいだろ?」
「犯人は逃げてますけどね」
高松は大きく溜息をつき、警察手帳にとったメモを開いて安倍へと今のところ判明した情報をつぶさに伝え始める。当然、不良警官である安倍はメモを取る素振りなど見せない。
「被害者は
と、高松は補足した。安倍はなにも考えていないような心の籠っていない「ふーん」の言葉を口にして続ける。
「つか、なんで全焼してんだよ。昨日の明け方から今の今まで大雨だったろ」
「それも不明な点です。詳しくはまだわかっていませんが、鑑識さんが言うには外からの炎上なのに燃焼材の反応はなく、かといってエンジンから出火したわけではないと判断されました」
安倍の指摘に高松は透明なビニール傘越しに空を見上げて、警察手帳の角で眉間を擦りながらいった。安倍は傘に入りきっていない左肩についた雨粒を払いつつ、高松に訊いた。
「じゃあ、なにか? 下手人は車の外から火炎放射器みたいなもんで推定熊野氏をこんがりまる焼けローストにしたってのか」
「暫定ですが、鑑識の見解はそのようです。あと、まる焼けローストだと意味かぶってます」
「うるせぇよ、チゲ鍋だって日本語に直したら鍋鍋だろうが」
「そんなことはどうでもいいんですよ、重要なところはそこじゃないんですってば」
グズグズと食ってかかる安倍に苛立ったのか、高松は手帳をパタリと閉じて面倒くさそうにいった。
「肝心なのは火炎放射器程度じゃ、現場となったセダンを雨の中で燃料もなしに全焼になんかできないって事実です」
高松の言外に示した物理的に実現なんて不可能の判断に、安倍は唇をへの字に曲げた。
「とりあえず高松は千乗寺に聞き込みにいってくれ。俺はここで鑑識がわかったことまとめたら司法解剖に立ち会うわ」
「わかりました。あ、傘使ってください」
高松は自分の傘を安倍に渡し、小走りで自らの空色のハッチバックに乗り込んで山道へと消えた。安倍は彼女を見送り、懐からワインレッドのスマートフォンを取り出してメッセージアプリを起動した。アプリを挟んだ向こう側にいる人物に送った言葉はたった一言だった。
――相談したいことがある。
安倍はそう打ち込んで、見知った鑑識官へと声をかけた。
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