「スッキリさせて」
バー『ドミニク』の事件から三日が経った。
捜査一課から公安へと事件が引き継がれ、捜査の進捗がまったく降りてこない状態の安倍はモヤモヤとした憤懣を腹に抱えながら始末書を記入していた。
そんなときである。開きっぱなしの空気の通りがいい一課のドアを真っ黒な背広を着た偉丈夫が軽くノックした。課内の視線が一斉にそちらを向く。注目を集めた本人は一切気にもせずによく通る声で喋り始める。
「公安の
突然の指名に安倍は片眉をあげ、滋丘の方を向いて訊いた。
「俺、いや私ですか?」
呼ばれた安倍はゆっくりとボールペンを自らのデスクの上に置き、視線だけを上司である落葉係長に向ける。スッと冷たい目つきに変えた滋丘は機械的に一度首肯し、安倍の上司である係長へと半ば恐喝じみたイントネーションで問う。
「イエス。よろしいですね、
権力に弱い落葉係長が公安に所属する彼に反抗など出来るはずもなく、安倍の傍へつつつっと近寄って耳打ちする。
「おい、とっとと行って頭下げて来い」
否応のない係長の態度に安倍は口をへの字に曲げ、悪者に仕立て上げられたことに抗議する。
「なんで俺がやらかした前提なんですか。どうせバーのマスターと知り合いだから秘密裏に聞きたいって感じでしょう、特記案件は大っぴらに捜査できませんからね」
「だといいけどな……はよ行け。公安の方を待たせるな」
落葉は大きく安倍の背中を叩いて送り出した。
◇
会議室を押さえているといった滋丘が安倍より半歩前に立って先導しつつ、早足のまま警視庁の廊下をすれ違う人々と様々な挨拶を交わす。そのついでにいった感じで安倍に訊く。
「三日前の事件は特記案件一八四号、通称ドミニク事件と呼称されることになりました。安倍警部補は特記案件に関わった経験は?」
「まぁ、警官やってりゃ何度かはありますが」と安倍は数えるのも面倒なので適当に答えた。つれない態度の安倍に滋丘はツイっと赤いアンダーリムの眼鏡を直して再び問う。
「こちらが把握している数で七度、それら以外になにか関わった経験がおありで?」
立ち止まり振り返って訊いた滋丘の眼鏡が光って見えた。そして、そのままなにごともなかったかのように歩き出す。安倍は慌てて追従し、警視庁の長い長い廊下を進みながら問われたことを曖昧に答える。
「あー……そんなところです。出先でちょちょいとってのが何度か」
「ミスター白峯との密事といったところですか」
安倍は不意に出てきた知り合いの問題児の名前に驚き、一歩前を行く滋丘の背中をじっと見て立ち止まった。背後で制止した安倍の動きを察したのか、滋丘も立ち止まって振り返る。その顔はどこか悪戯気である。
「密事って……つか、白峯のことご存じなんですか」
安倍が訊いた。滋丘は大きく頷く。
「特記案件の最終兵器ですから。出動要請三回のうち全てが危険度甲、つまり最上級難易度の対処を無犠牲で乗り切った傑物。ですよね?」
異様に褒められる知り合いの評価を聞き、安倍は両手を抱えて身震いしながら返す。
「あいつはそんな大したもんじゃないですよ。ただの変な力もった一般人です」
「――そうですか。見解の相違を埋めるのは、また今度にしましょう。こちらです」
いつの間に目的地に到着していた二人は、第二会議室と銘打たれたドアを開けた。
安倍が案内された第二会議室の中には、いかにも公安ですといった風貌の屈強な男たちが立ち並んで直立したまま待機していた。その妙な圧力がある光景に安倍はひるむ。
「紹介します。彼らが公安特記事案対策班の面々です。自己紹介は各自が後でお願いします。あまり時間がありませんので、あぁ、公安の皆さんも席について結構ですよ」
滋丘の言葉に、公安の人員はまるで軍隊のような息の合いようで綺麗に着席をした。その動きを見て内心ドン引きつつも、安倍は滋丘に訊く。
「時間がない、とは?」
「端的にお伝えしますと、本案件のタイムリミットが近づいております。およそ、三日後が限界。あぁ、質問は後ほどまとめてで。先に必要な説明と情報共有を行いましょう」
安倍は奥歯になにか挟まった表情で「了解しました」と頷いた。滋丘は結構と言い、ひとつ手を叩いて説明を始める。
「では、まず安倍警部補に基本的な認識を共有を行います。特記案件、ご存じでしょうが私から再度説明させていただきます。御不快に思われるかもしれませんが、正式に特記案件に参加する警察官には必ず説明していることなのであしからず」
滋丘が咳払いをした。
「特記案件とは通常人間の起こせない超常を用いた事件事故を差す案件です。原則、これらの案件は初動捜査以外は通常の事件とは区別し、我々公安が秘密裏に調査します。これは知識を持った人間が対処しないと被害拡大と大規模な人員損失の危険がありえるからです。ここまではよろしいですか?」
安倍は黙って首肯した。
「また、特記案件には独自の技術を持つ人材、非常にわかりやすく言い表すならば、いわゆる退魔師とカテゴライズされる存在を臨時雇用する権利があります。それこそ、安倍警部補が懇意にしている白峯氏などが当てはまりますね。もっとも、彼からはよくフラれてしまうのですが」
「奴は根拠のない手伝いを嫌いますからね」
「ほう」
安倍の言葉に、滋丘は眼鏡をキラリと光らせる。
「ありがとうございます、今後の参考にさせていただきます」
滋丘は眼鏡の位置を直して続ける。
「話を戻します。この特記案件には危険度が設定されており、上から順に甲・乙・丙、三種類となっています。特記案件の九割は丙、これはいわゆる退魔師の力を借りずに警察内部だけで完結できる事案です。ほとんどが公安によって処理されますが、大規模な事故などでは交通課との連携も行います。続いて乙、小規模な敵性特記存在、妖怪やら幽霊やらと呼ばれる連中が悪意をもった殺人などを引き起こした場合こちらにカテゴライズされます。原則、退魔師協会等を介して派遣を要請し、事態の鎮静化を図ります。最後に甲は……説明するまでもないでしょう。世界が滅ぶ規模の特記案件です。これは公安ではなく、より高次の対策組織を緊急に立ちあげて事態に当たります。ここまでになると我々のような平の警察官が介在する余地はほとんどありません」
ひとつ息を吐いて、滋丘の説明は終了した。
「なにか、ご質問は?」
「いえ、なにも。ですがひとつ疑問が」
端的に返した安倍は続けて訊いた。
「根本的な話なんですが、何故私をここに?」
かねてよりの疑問の答えを安倍は滋丘にねだった。
「シンプルにお答えしましょう」
滋丘は顔色を全く変えず、極めて冷静に安倍に教える。
「今回の事案。次に狙われる可能性が高いのはアナタです、安倍警部補」
滋丘の死刑宣告ともとれる言葉に、安倍は眉間を揉み、思わず空を仰いだ。
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