GARON

間城信

第1話 蛇のイデオロギー

神とはは残酷だ。

篩という神具を使い、増え過ぎた汚物を排除していく。

どれだけの善人も悪人も、神の前ではただの人なのだ。

人間と呼べるのは、神が用意した肉の塊だけだ。


それを言った父親は、世界を恐怖に陥れるシリアルキラーだった。

きっと頭がどうかしていたんだろうと思っている。

だが僕がしている事は似たモノなのだろう。

この行動が世界を少しでも救うとするならば、それは許されている筈だ。


そう思想しながら、静かな走行音に少し口角を上げる。

小さく流れる白鳥の湖のリズムに合わせる様に指を叩く。


『マ…イケル、マイケルもう解放してくれ』


助手席に置いてある端末から流れてきた懇願に、ふと男の笑みが消える。


「何からだ?」


『頼む、もう限界だ。殺してくれ』


走行音より小さな声は問いを返さない、ただ震えている。

その声に小さく苦笑し、後部座席のシルバートランクに目をやった。


端末に手を伸ばそうとした直後、車体が鈍い音を立てて止まる。

その反動で額を強打してしまう、どうやら何かにぶつかった様だ。


急な衝撃に、少し目を丸くして驚いたが、直ぐに冷静さを取り戻す。

退いたものを確認する為、車から降りた。


1.5センチ程降り積もった雪は、踏み込む度に耳障りな音を立てる。


「……」


どうやら鹿だった様だ、頭部から大量の血液が溢れている。

それは雪に染み込むと、まるで氷菓子の様だ…


「う…うわぁぁぁ!」


無様に泣き叫ぶ声に振り向くと、トランクに入っていた男が飛び出していた。

よろけながら走る男に、男はゆっくりと銃口を向ける。


小さく白い息を吐きながら、引き金を引き撃つと、男は、鮮血を頭部から吹き出したと思うと、ゆっくり膝から崩れ落ちる。


この雪だ、腐敗にも時間は掛からないだろう。

埋もれれば、死体の発見も遅れる筈だ…


そう思い更けながら、後部座席の扉を開け、トランクへと手を伸ばした。


空のトランクを左手に掴み、懐から刃渡り3mmのナイフを持って揺らしながら、男に近付いた。


出来るだけトランクに敷き詰めやすく刻むと、ビニールを引いて詰め込んだ。

腐敗が進みにくいとは言え、出来るだけの保護は必要だろうな。


切れ味の良いナイフは、着けていた手袋で包み込む。


近くの雪原にトランクを埋めて、雪道に放置したメルセデス・ベンツのシルバーを投げ捨てて、男は来た道を戻った。




  


昨夜まで降り続いた大雪の所為で、足元まで積もっていた雪は、腰辺りの深さまでなっていた。


車道と歩道を区切る様に出来た柵には、少しばかり雪が積もっていた。


帽子を深く被り直して、厚着のコートの襟を立て直す。

しかし、襟は本来の仕事を出来ず、冷気を通していた。


冷え切った手を息で温めていると、遠くの方から走行音が聞こえてきた。

青と赤のライトを点滅させている車は、正面でゆっくりと止まった。


「事故か」


「はい、生き物を轢き殺した様です」


男にそう返してから、男の前にある潰れた車を指差す。


男は溜息を吐いてから、素早く車を降りた。


「ユリガ、トランクは見たか」


「まだ確認していません」


そう会話を交わしながらトランクを見ると、トランクも少し凹んだ様な後があった。

まるで、無理矢理こじ開けようとしたみたいに。


厚着の手袋をはめ直してから、2人で蓋を開けていく。


「弾いたのは鹿か…」


中には、足を明後日の方向に曲げた屍があった。

まるで冷凍庫の様に、車内は冷え切っていた。


「運転手は?」


その問いに、ユリガは首を振った。


もう一度鹿を見ると、トランクから血が垂れていて、どうやら雪原に続いている様だった。


血を辿る様に、小走りでその道筋を追っていく。

暫くそうしていると、雪が一度掘り返された様に、もっこりと山になった部分を発見した。


少し異臭が漂う山を、ゆっくりと掘っていく。


「手伝います」


後から来たユリガが、俺と向かい合う様に掘り始めた。


それから一二時間後、大きめのシルバートランクが出てきた。

トランクの留め金には、融雪剤が使われていた様だ。

あっさりと蓋が開いた。


「うっっ!?これは…」


食事を抜いてきて正解だったかもしれない。

先程の異臭の正体は、解体された人間の遺体だった。


「死後8時間ぐらいだな」


「この辺りに防犯カメラはありません。調べる手掛かりは、取手の指紋でしょうか?」


「この慎重さが取れる様子。指紋が残っている可能性は低いだろうな」


だが、残る可能性にしがみつくしかないのも事実だった。


「持って帰って調べよう」


「分かりました」


そう会話を交わすと、私達は雪原を後にした。


 

 

人は嫉妬しやすい生き物だった…そう言う僕も例外では無い。

そんな一時の感情が、時として一線を越える事がある。


「ホギャァー…」


ふと手元を見ると、幼い妹が泣いていた。

産声などではなく、助けを求める…最後の足掻きの様なモノ。


しかし嫉妬で狂った僕に、その足掻きは意味を成さない。

小さい首を締め上げる両手に、更に力が入る。


目を潤ませて、此方を真っ直ぐ見る赤ん坊は、徐々に冷たくなっていく。

その命の灯火が消えた事を確認すると、僕は膝から崩れ落ちた。


「あぁ…」


何て事をしてしまったのだろうか。

正気に戻った途端、漸く、己のやった事を理解する。


『ルーシー?…ルーシー!?』


リビングから聞こえてきた両親の声に驚き、慌てて妹をうつ伏せにした。

駆けつけた両親は、顔を真っ青に染め上げると、僕を妹から引き剥がした。


「アリアナ叔母さんが、ルーシーをうつ伏せにしてたのを見て、慌てて駆けつけたんだけど。…間に合わなくて」


溢す様にそう返すと、父親が、僕を強く抱きしめた。


「ナブィン、辛かったろうに…」


気付けなくてごめんなさい、母は縋る様にそう溢す。


「サナ、警察に連絡してくれ。アリアナにも」


「えぇ、分かってるわ」


震える手で、母は電話を掛け始めている。


後悔を覚えた。

嫉妬の為とはいえ、こんな事をするべきではなかった。

当然だった。


『ナ…ブィ』


背後から女性の声がする。

明らかに母のものでは無い。


「ナブィンさん」


はっきりと聞こえた声に、俺は、ゆっくりと覚醒した。

というより、自身は上の空状態に近かった。


「はい」


少し呆けて小首を傾げると、目の前のカップルは、怪訝な顔を浮かべている。


「見渡しが良くて、比較的に安いアパートでしたね」


笑顔を作ってから、手元にあった資料を漁る。


「この物件など如何でしょう?アサルドアパート。築二十年で比較的安い方で、ご近所さんや大家さんも優しくて話しやすいですよ。値段は階によりますけど」


そう言って、物件の資料を差し出すと、2人は楽しげに人生設計の話をしている。


「では其処にします」


「えぇ、勿論」


幸せ気にそう言う男女に対し、俺は首を傾げる。


「他に候補もありますが」


「ナブィンさんが進めてくれた所が良いんです」


働き詰めの疲れた心に、そんな温かい言葉が染み込む。

とは言え、少し休む必要があるのは間違いない。


そこまで考えてから、少し頭を振る。


その時、お昼を知らせるアラーム音が聞こえた。

セットしなければ、永遠と働いてしまうタイプの自分には、これくらい必要な予防なのだから。


「少し出ます」


「いってらっしゃい」


そう言った上司に、愛想笑いで会釈をしてから、店内から外に出た。


 


マイナス2℃越えの寒さは、思った以上に身体の内部を冷やしてきた。


どれだけ着込んでもこの寒さだ、あまり意味を為さないだろう。

そう言って愚かな自分を嘆いていると、不意に背後を叩かれた。


あまりにも強い一撃に、思わず態勢が崩れる。


「よぅ!ナブィン」


一撃を加えた相手は、全く悪びれる様子が無く、そこそこ良い体格で見下ろしている。


「この人がインド人?そんな風に見えないけど」


聞こえてきた少女の声に、思わず目を見開く。


「悪い悪い、久々だったから忘れてた」


「小学校から高校まで一緒だったんだ。忘れる筈ないだろう」


僕はそう言って、服に付いた埃を払いながら立ち上がる。


「アルフレッドは元気か?」


「今はジャスだ。俺の妻になったから」


口角を上げてそう言うと、男は愉快気に笑う。


「そういえば、アルフレッドに抱きしめて貰った事があったなぁ?」


「あれは卒業式の時だった。だが、レイに下心なん」


そう言い返そうとした時、顔面に強い衝撃が襲って来た。

少しの痛みで顔を顰めてから、男の顔に頭突きを喰らわせると、よろけながら息子達と走って帰っていった。


 



額の痛みに目を開くと、30分程前に見た病院の天井が現れた。


不思議と長くは感じなかったが、こうも静かだと…


ふと横を見ると、一席開けて座る男の姿があった。


「その目、どうしたんだ?」


そう問いかけると、血を流し右目に青アザを作った男が驚いた。


「友人と再会して、誤解が生まれてしまったんだ」


僕から視線を外した男は、痛みに堪えながらそう返した。


「気性が荒い友人なんだな。まともじゃないな」


「あぁ、否定しないな」


男は嘆く様に溜息を吐き、僕を見ている。


「昔、一度抱きしめて貰った事があって、凄く柔らかかったと言ったから。言い返す前に頭突きをしてしまった」


男はそう言って、天を仰いだ。


「喧嘩両成敗ってところか」


「側から見ればそうだな」


男はそう言って、正面へと目線を移す。


「子供の前で男が虐めるのを許したのか?止めなかったなら同罪だ」


「父親が怒鳴られるのを見る方が辛いだろう。それに、オレオ=ブラットは変わってなかった」


「部外者の僕がこう言うのもアレだけど、やり返さなければその男は分からない筈だ」


「え?」


「今回は右眼だったが、恐らく次は首だ」


「確かに、車道に突き飛ばされそうになった事はあったけど、いくら何でもそれは…」


そこまで言って、男の顔を見て言葉を失った。


「そんな大人のなり損ない、生かしておく資格も無い。もし、僕が君だったら」


そこまで言った男を、思わず疑視する。


「そいつを殺してる」


その言葉に内心ギョッとしてても、不思議と目が離せなかった。


「それは僕が捕まるだろう、法にも当たるし」


「常識に囚われすぎているな。もう少し頭を解した方がいい」


その言葉に思わずカチンときて、椅子から素早く立ち上がった。


「僕に殴り返す力は無いし、アンタみたいに殺すなんて言えない。僕に出来る訳がないだろ……それともなんだ、アンタが殺してくれるっていうのか?」


「俺に殺してほしいのか?」


その言葉に、思わず身体が硬直する。


「オレオ…オレオ=ブラット」


「いや…言いたいのは」


「YesかNO、答えるだけでいい」


その言葉に返せずにいると、男はゆっくりと立ち上がった。


「じ…冗談だよな」


動揺している僕に、男は一枚の紙切れを渡してきた。


「これは」


「ナブィンさん、診察室にどうぞ」


振り返ると、小首を傾げる看護師が居た。


「はい」


しまった、弁解する余地も無かった。

まぁ、きっと冗談…だよな?


 


男が消え去るのを待ってから、俺は、再び椅子に腰掛けた。


数秒後に、懐に入れていた携帯が振動した。

周囲を少し見回して、静かに電話を取る。


「僕だ」


『上手くいったか?』


威圧的な声が、耳元で囁く様に聞こえてきた。


「あぁ、予定通り、三男に遺産が相続される。明日、三男の所に行く」


『そうか』


「だが良いのか?今回の件が漏れれば、真っ先に疑われるのは、次男の貴方と、三男の弟だ」


『問題ない。信頼できる弁護士が居る』


安堵した様に息を吐いて、男は、溢す様にそう返した。


「分かった、じゃあこれで」


そう短く返すと、静かに電話を切ってから、懐に携帯を戻した。


その男は、言わばパンドラの箱だった。


誰もが恐れるような、決して触れてはいけないモノ…


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