Re:リフレクション

snowdrop

一、凍てつく思い出

 音もなく雪が降る十二月二十三日の夕暮れ。私は百貨店で買ったケーキを手に、幼馴染の窪塚くんが住んでいたマンションを訪ねた。紙袋の中身が傾かないよう、指先で袋の縁を押さえ、慎重にバランスを取る。

 六年前の夏、難病を患っていた彼は亡くなった。親に止められて葬儀に出られなかったが、線香を上げに伺えてからは、ときどき足を運び、向き合ってきた。

 玄関の扉がわずかに開き、おばさんと目が合う。

 ケーキを持ってきましたと言いかけるも、「悪いけど、もう来ないでくれる。あなたの顔を見ると、つらかったあの子の看病のことを思い出すから」低く乾いた言葉に遮られた。しかも、追い払うように金属製の扉が閉じられる。鈍い音が廊下に響いた。

 瞬間、心に痛みが走る。手に提げた紙袋に目を落とし、私は黙って階段へと向かった。一段一段降りるたび、重い気持ちが胸に押し寄せる。無知は罪だから、知ろうとするのは誤りではない。しかし、常に正しいとも限らない。おばさんは悪くない。私に訪ねる自由があるように、拒む権利もある。それでも胸が締め付けられ、息苦しさが増していく。

 マンションを出ると、冷たい風が肌を刺す。薄汚れた雲が空を覆っている。舞い落ちる白い結晶は忘れ去られた記憶の一片のようだった。頬に触れては溶け、儚さだけが心に重くのしかかる。

 首元のマフラーを握りしめ、「雪の降る街を、思い出だけが通り過ぎていく」と口ずさむ。心の叫びのような言葉は、けぶる吐息とともに風にかき消されていった。

 私は小学生のとき、事故で記憶を失い、幼馴染との思い出も失った。再会したとき彼はすでに植物状態であり、アルバムの写真を見て会いに行ったが、面影すら見つけられなかった。

 彼の存在は私にとって苦しみの象徴となった。もしおぼえていたなら寄り添えただろうか。彼の最期に立ち会えなかった儚い思い出だけが、いまも胸に残っている。

 雪は次第に辺りを覆う。吹きすさぶ風に耳が痛む。私の足跡が一つ一つ刻まれ、新たな雪に埋もれて消えていく。しかし心の痛みや罪悪感は消えない。ただ覆い隠されるだけ。足跡を残して歩むたび、心の痛みもまた生まれていく。それでも歩き続けるしかない。

 どこへ向かい何のために歩くのかもわからない。胸に巣食う罪悪感が私を動かす。他人を助けることで埋め合わせようとしても、空虚さは埋まらない。あの人になにも出来なかったことが、雪のように静かに、降り積もっている。

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