二つの世界、ひとつの恋

速水静香

二つの世界、ひとつの恋

 俺は、平穏な高校生活を過ごしていた。

 今日も一日、授業を受けて、うたた寝をして…。

 そんなことをしていると、一日があっという間に終わっていた。


 そんな俺は、いつものように一人で下校途中だった。


「先輩。」


 後ろから、女子生徒の声が聞こえた気がした。

 いや、気のせいだろう。俺を先輩などいう、後輩の知り合いはいない。

 

 いや、そもそも…。友人と呼べる生徒はいないのだ。


「先輩、先輩!」


 ああ、しつこい。

 絶対、間違いだろう。


 俺は振り返って、説明しようとした。

 

 そこには、ニコニコと笑顔を浮かべる見知らぬ女子生徒がいた。


 ああ、やっぱり…。

 俺の知らない顔だ。

 その女子生徒は、確かに同じ学校の制服を着ている。


 肩までの長さに整えられた茶色い髪。

 その茶色い瞳は穏やかな感じだった。


 ただ、その小柄で華奢な体つきからは不思議と守りたくなるような雰囲気があった。


 もちろん、俺はそいつを知らない。


「ようやく振り返りましたね!先輩、どうしたんですか、こんなところで。あっ、それより髪型変えましたか?」


 まるで、彼女は俺のことを知っているかのように、次々と俺に言葉を投げかけてきた。

 しかし、俺の髪型が変わったと言うが…。

 少なくとも中学時代から、俺の髪型はまったく同じスタイルを保っていた。


「すまないが、君は誰だ。」


 そんな俺の問いかけに、彼女は一瞬、表情を曇らせる。


「あの…。その先輩の冗談は…。まったく面白くないですし、重すぎます。」


 落胆した様子で言う彼女の表情に、どこか申し訳なさを感じてしまう。

 しかし、これは決して冗談ではない。


 記憶にない人物が突然現れて、まるで知り合いのように話しかけてくるという状況。

 間違っているのは目の前の彼女のほうなんだ。 


「いや、これは冗談ではなくて、だな。」

「先輩は、幼馴染である私との会話が嫌になったんですか?」

「は?幼馴染?何を言ってるんだ?違うだろ。」


 俺には幼馴染なんていない。

 そもそも、長く付き合いのある友人すらいないのだ。彼女は何かの勘違いをしているのか。

 それとも、これは最近の女子高生の間で流行っている新しい遊びなのだろうか。もし、それがあるとすれば、間違いなくボッチである俺をからかうような悪質な遊びだろう。


「先輩、そこまで必死に否定しなくても良いじゃないですかっ!!」


 彼女は、感情的になっている。本気だ。目には涙が浮かびだしている。


「ああ、すまん。その、俺が悪かった。」


 理不尽な状況であるにもかかわらず、謝ってしまう自分がいる。これは日本人特有の謝罪文化というやつだろうか。

 ああ、理不尽だ。


「そう、あの時だって、先輩は……。」


 それから彼女は独り言のように話し始めた。まるで映画の回想シーンのように、自分の知らない過去の出来事を語っていく。


 その内容は、俺と彼女の小学校時代の話だった。

 彼女の話を信じると、俺は、目の前の彼女と、一緒に虫を取ったり、テレビゲームをしたりしていたらしい。

 話を聞いていると、その話の中でのテレビゲームで、キャラ選択する俺の思考回路なんて、確かに小学校のときの俺らしい。


 いや、こいつ…。

 どうしてそんなことを知っているんだ?


 俺には彼女の記憶にはない。


 彼女の真剣な様子に嘘はない。内容も妥当性がある。

 俺は次第に恐怖すら感じ始めていた。これは何かの悪戯なのか、それとも本当に記憶違いなのか。考えれば考えるほど、状況が掴めなくなった。


 俺の困惑した様子を察したのか、突然、彼女は俺の手を握った。柔らかく温かい感触だった。


「先輩、あの公園で話しましょう。」


 そう言って彼女は、近くの公園を指さした。小さな公園だった。

 その夕暮れ時の公園には誰もいなかった。

 ベンチ、砂場、ブランコ。そんなものしかない、質素なそれ。


 住宅地にある、ごく普通の公園だった。場所が場所だけに静かだ。


 俺は彼女に引っ張られて、そんな公園の中へと進んでいった。


「ここです。」


 彼女はブランコの前で止まった。


「もう知らないふりは、もうやめてください。」


 ブランコの前で立ち止まった彼女は、真剣な眼差しで俺を見つめてきた。


「知らないもなにも。」


 そういう俺は、酷く困惑していた。まるで彼女に洗脳されているような気がした。

 嘘も100回言えば真実になる、なんてことがあったな、と俺は思った。

 それくらいに俺は混乱していた。もはや、なんて言えばいいのかよく分からなかった。


「そうですか、それなら私にも考えがありますよ。」


 彼女は意を決したように、俺へにっこりと笑いかけた。そこで、彼女は俺に告白した。


「先輩、私と付き合ってください。」

「無理だ。まったく意味が分からない。」


 俺は即答で断った。彼女のことをよく知らないし、好きになることもない。それどころか、もはやこの少女の勢いについていけなかった。なにもかもが恐ろしい。


「はぁ、だめかぁ。」


 彼女はショックを受けたようだった。


「その、なんというか、君のことが俺にはよくわからない、なにがなんだか。嘘とか、そんなんじゃなくてだな。」


 何とか絞り出した言葉に、彼女はニンマリとした表情を浮かべている。


「断らないんですね。」


 そう独り言をつぶやいている彼女の声が、夕暮れの公園に響いた。

 この状況が非現実的で怖いとさえ感じる一方で、彼女の一途といえる感情は感じていた。


 しかし彼女は、そんな俺の困惑など意に介さない様子だった。


「明日、学校で会いましょう!」


 それだけ言い残して去っていった。

 残された俺は、呆然とするほかになかった。



 翌日。俺は、ごく普通に学校へと通い、授業を受けていた。

 昨日の彼女など一度も見ていない。

 これまでの日常が、まるで揺らぐことなく続いていた。


 ……きっと夢だったんだろう、俺は、そう思い込むことにした。


 しかし、平和は続かなかった。


 放課後。

 俺は、教室で帰り支度をしていた。その時、突如として、誰かが教室へと走ってくるような足音が聞こえた。

 廊下を誰かが全力で走ってくる音。


 そして――。


「先輩!!」


 勢いよく開けられた教室の扉から、昨日の彼女が飛び込んできた。息を切らせながら、彼女は真っ直ぐに俺へと向かってくる。


「ひっ!」


 思わず情けない声が漏れた。男子高校生としての威厳も何もあったものではない。しかし、彼女はそんなことなど気にする様子もなく、興奮気味に話し始めた。


「先輩!先輩が幼馴染じゃないんです!」

「はぁ?」


 突然の訪問。

 さらに意味の分からない発言。

 やっぱり、こいつはなんかヤバいやつなのか?


 もはや、俺には理解が追い付かなかった。


「だから、先輩が幼馴染じゃないんですよ!なんか学校の様子も違うし!なんですかこれ!?」


 彼女は矢継ぎ早に同じことを繰り返し話し始めた。


 俺と彼女が幼馴染ではないこと。

 学校の友達グループが彼女の知っている状態と違うこと。


 混乱気味に話す彼女は同じ話を繰り返していた。それらの言葉が、教室中に響いていた。

 周囲に残っていた生徒たちが面白いものを見たとばかりに、俺と彼女の様子を見ていた。


「だから何を言っているんだ。俺とお前は幼馴染なんかじゃないだろ……。」


 なんとか俺は、それだけ発言することができた。


「先輩!そこがおかしいんですよ!」


 彼女の反論だ。

 この状況が現実なのか、それとも何かの悪戯なのか、俺の理解は完全に追いついていなかった。

 最近の女子高生の間で流行っている新しい遊びという仮説としては、もはや、彼女の真摯な態度があまりにも本物すぎた。


「もう、なんていうのか、まるで私が違う世界に来たみたいで。」


 そう言った彼女はその場で言葉を切り、何かに気づいたように目を見開いた。そして、小さな声でブツブツと呟いていた。

 その様子を見た周囲の生徒がバラバラと教室から出ていっている。

 こいつをヤバい奴だと直感したのかもしれない。


「…ええ。先輩。やっと分かりましたよ。先輩が幼馴染じゃないのも、学校の人間関係が違うのも。先輩の家や私の家の隣にないことも。それが原因です。」


 夕暮れの教室で、俺と彼女だけがいた。もはや、他の生徒たちは、この異様な雰囲気を察してか、既に帰ってしまっていた。


「はぁ、つまりどういうことなんだ。」


 俺は落ち着いて話を聞こうと、机に腰かけ直した。教室の窓からは部活動を終えた生徒たちが下校する姿が見える。

 日常的な風景が、この非日常的な会話と奇妙なコントラストを作り出していた。


「先輩。たぶん、私は、ちょっと違う別の世界から来たんです。だって、昨日まで、先輩と私は幼馴染でした。それに先輩は成績が優秀で、サッカーをやっていて、かっこよくて、いつも友達に囲まれていました。でも、幼馴染の私のことはあまり相手にしてなくて……。」


 最後の言葉は、まるで自分に言い聞かせるように、彼女の口から自然という感じで、零れ落ちていた。その表情には、寂しさが読み取れた。


「かっこ悪くて、悪かったな。」

「あっ、いやそういう意味ではなくてですね。あの……。」


 彼女は慌てた様子で言葉を繋ぎ止めようとしていた。

 その表情は、怒ったり、悲しんだり、困惑したりと、面白いように変化していく。


「話が進まないから、続けてくれ。」


 俺は軽いため息をつきながら、促した。西日が窓際から離れ、教室の中央の机へと差し込み始めていた。


「でも、先輩は私のことをたぶん嫌っていました。私は先輩のことが好きで、告白しようと、何度も二人きりになろうとしましたが、先輩は嫌がっていて。私はどうしていいのか分からなかった。私は悲しくて、もう先輩のことは諦めようと思いました。」


 彼女の声には深い悲しみが見えた。その表情は、まるで遠い日の記憶を追うかのように、どこか遠くを見つめている。


「それで、昨日なんですが。近所にある有名な神社で、そこに祭られている縁結びの神様にお願いをしたんです。素敵な出会いがありますように、と。その帰り道に気がついたら、私はこの先輩が幼馴染でない世界に来ていたんです。たまたま、出会った先輩の髪型は変わっているし、いつもと雰囲気も違うし、一人でいたんで、私は思いました。これはチャンスだと。だから、昨日、私は先輩に告白したんです!」


 彼女の話を聞きながら、俺は窓の外に目を向けた。部活動を終えた生徒たちが、グラウンドを横切っていく。

 日常的な風景が、彼女の非日常的な話をより際立たせる。


「ここでは、先輩は幼馴染ではないし、私のことを知らないし。でも、先輩は一対一で優しく私に対応してくれるんですよ。」


 彼女の表情には悪意は見られず、むしろ純粋な感動すら浮かべているようだ。


「俺が一人だと言いたいのか?」

「まあ、そうですね。先輩の周りには常に人がいましたから。」

「うーん。じゃあ、なんで、その俺は君を嫌っているんだ?」

「それは、たぶん私に魅力がないから……。」


 彼女は目に涙を浮かべながら答えた。

 彼女の話が本当なのか嘘なのか、もはやそんなことは重要ではないような気がしてきた。

 目の前にいる彼女の想いの強さと純粋さは、間違いなく本物なんだろうな、と思った。


「先輩!これから付き合ってください!」


 夕暮れの教室に、彼女の声が響き渡った。涙を瞬きで押し戻しながら、彼女は俺に向かって真っ直ぐな眼差しを向けた。その瞳には迷いのかけらもない。


「お、おお。」


 俺は勢いに押されて、気づけば、その言葉が口から漏れていた。


「いいんですね!」

「いや、その…。」


 俺はモゴモゴと、そういうほかになかった。正直、理解が追い付いていない。


「いいんですね!やった!じゃあ…。」


 続けて彼女は、週末のデートの約束を取り付けようとしてきた。その一途な想いは、確かに本物だと感じられる。


「あのな。少なくとも俺は、君の知っている先輩ではないぞ。」


 俺は、なんとかその疑問を彼女にぶつけた。


「いいんです!少しでも先輩のことを知りたいんです。それがたとえ違う先輩でも。」


 涙ぐんだ瞳で真っ直ぐに見つめられては、もはや拒否する言葉は見つからない。

 もし仮に演技だとしても、これほどまでの感情を込めて演じられるものだろうか?

 いや、もしそうなら、俺はもう誰も信じられない。


「分かった。」


 結局、俺は承諾するほかになかった。

 その瞬間の彼女の笑顔は、夕陽に照らされて、どこか幻想的な光を纏っているかのように見えた。



 教室を出た俺たちは、昨日と同じ公園へと向かっていた。

 彼女の話によれば、この小さな公園には特別な思い出があるという。もちろん、それは俺の知らない別の世界での出来事だ。


 公園のベンチに腰掛けながら、彼女は矢継ぎ早に話し始めた。彼女の世界での俺との思い出を。その話に耳を傾けながら、俺は彼女のことをより深く知ることになった。彼女は明るくて、元気で、人懐っこい性格の持ち主だった。しかし、その明るさの中に、どこか切なさを秘めているようにも感じられた。

 たぶん、もう一人の俺に無視されていることがあるのだろう。


 彼女の語る先輩は、彼女のことを恋愛対象として見ていないどころか、友人としてすら認識していないようだった。

 むしろ、彼女の存在を煙たがっているようにも聞こえた。彼女自身、そのことを十分理解しているという。その事実を、彼女は淡々と語った。


「もう、あきらめろよ。」


 思わずそんな言葉が口をついて出た。なぜ、そこまで一途になれるのか。理解できない相手に、なぜそこまで心を寄せることができるのか。

 俺にはよく分からない。


「いいえ。私は諦めません。それに私は分かりました。先輩にもいろいろな可能性があることを。」

「ここにいる俺は、悪い可能性だろ。」


 公園のベンチで、俺は自嘲気味にそう言った。

 夕暮れの空が徐々に紺色を帯び始めていた。周囲が暗くなり、街灯が一つ、また一つと灯り始めている。


「確かにここの先輩は、なんか友達もいなくて、カッコよくないですけど。」


 彼女は言葉を区切り、ゆっくりと続けた。


「でも私と一緒に行動してくれます。優しいです。…だから、私は諦めません。」


 彼女の瞳が、街灯の明かりに照らされて輝いている。その表情に、俺は言葉を失った。この世界の自分は、確かに人気者でもなければ、特別な才能があるわけでもない。でも、そんな俺であっても、彼女にとっては大事な存在らしい。


「そうか。俺はお前を尊敬する。頑張れよ。」


 その言葉は、心からの想いだった。彼女の直向きさが、俺の心を少しずつ動かし始めていることに気づいていた。


 そして、もしこのまま――。


 その瞬間、まるで焦点の合わない景色が重なり合うような感覚がした。

 それは一瞬だけの浮遊感。


 だから、それは気のせいだったのかもしれない。

 けれども、もし…。

 彼女のいる世界と俺のいる世界、その二つの世界が交差するときがあるとすれば、こんな感覚かもしれない。そんなものだった。


「もしかして、先輩。私に惚れてます?」

「……はっ。この世界に本来いない人間がなんだって?」


 俺は、なんとかそれだけ言って誤魔化した。

 彼女はそれ以上は何も言わなかった。もしかしたら、俺の心の揺れを感じ取っていたのかもしれない。


 太陽が完全に沈むまで、俺たちは公園に留まり続けた。

 彼女は饒舌に語り続けた。別の世界の俺の話や、幼い頃の思い出を。その一つ一つが、俺の知らない物語であり、しかし、確かにあり得る可能性の物語だった。


 彼女の語る。俺の知らない俺の行動を聞くたびに、俺は不思議な感覚に襲われた。

 なぜ彼女をそこまで避けるのか。彼女のような純粋で一途な想いを、どうして受け止められないのか。理解できない気持ちが、モヤモヤと渦を巻いていた。


「先輩、もう暗いんで帰りますか。」


 街灯が完全に灯り、辺りが暮れた頃、彼女がそう切り出した。


「ああ、そうしよう。」


 立ち上がった彼女の横顔が、街灯に照らされて柔らかな輪郭を描いている。俺は咄嗟に決断した。


「送っていくよ。」


 その言葉に、彼女の瞳が一瞬輝いた気がした。

 月が周辺を照らす中で、俺は後輩に連れられて、彼女の家へと歩いていく。


「先輩。これから行く場所には、何度も行くことになるはずですよ?」

「お前の家に何度も行くって、恋人か?」

「私はそう思っていますけど?」


 彼女は隙を見つけたように、茶目っ気たっぷりな表情を見せた。

 しかし、その彼女の言葉は、どこか別の世界の俺に向けられているような気がした。

 それを感じた時、俺にはわずかな寂しさを感じてしまう。


 俺はその感情を故意に無視した。

 だって、そうするほかにないのだ。

 なにしろ、彼女が見ているのは、俺であって俺ではないのだ。


 ふと、俺の前を進んでいる彼女に焦点が合った。

 夜の静けさの中、二人の足音だけが響いているのだ。

 俺は彼女に従って道を進んでいった。


 やがて、彼女の家の前に着いた。


「ここか、俺は知らないところだな。」

「先輩にはそうですよね。でもこれからは馴染み深い場所になるんですよ!」

「ああ…。ああ、俺は、もうそれでいいよ。」


 投げやりに答えた言葉に、思いがけない反応が返ってきた。


「ええっ、いいですか。やったー!」


 彼女は本気で喜んでいるようだった。月明かりに照らされた笑顔が、まぶしいほどに輝いて見えた。

 俺の横から、彼女は玄関へと小走りで向かっていく。


「先輩、バイバイ!また、明日!」


 彼女は両手を大きく振りながら、そう言って家の中へと消えていった。その声には、純粋な期待と喜びが溢れていた。


「はぁ。」


 一人残された夜道で、長いため息が漏れた。

 疲れが一気に押し寄せてくるのを感じながら、俺は自宅に戻る道を進んだ。



 次の日、俺は何か予感めいたものを抱きながら登校した。教室の窓から差し込む朝日が、いつもより鮮やかに感じられた。放課後、彼女から教えられた教室へと足を向ける。一学年下の廊下を歩くのは初めてで、どこか落ち着かない気持ちを抱えていた。


 教室に入ると、確かにそこには彼女がいた。


「おい。昨日、言われたように来てやったぞ。」


 俺が声をかけると、しかし、何かが違った。


「……???えっと、人違いではないですか?」


 彼女はきょとんとした表情を浮かべていた。

 その瞬間、全てを理解した。確かに目の前にいるのは昨日までの彼女と同じ姿。しかし、雰囲気はまったくといっていいほど、異なっているのだ。


 『先輩』『先輩』と慕ってきた彼女の面影は、そこには全くない。

 どうやら俺の知っていた後輩は、元の世界に戻ったようだ。そう確信した瞬間、何とも言えない感情が胸を突き刺した。

 だが、このまま、この彼女の前で立ち尽くすわけにもいかない。


「ああ、すまない。そうだ、人を間違った。」


 俺はそう言って教室を後にする。そして、心の中で、彼女への別れの言葉を告げた。


 俺の世界に迷い込んできた不思議な後輩。彼女の一途な想いと、折れない心は、確かに俺の心に大きな痕を残していった。

 自分の中にぽっかりと空いた穴を感じながら、俺は別の世界で生きる彼女の幸せを願わずにはいられなかった。


 きっと彼女は、元の世界で再び、俺と向き合うことになる。その時、彼女は何を思うのだろう。この世界での俺との出会いは、彼女に何を残したのだろう。


 教室の窓から夕暮れの光が廊下へと差し込んでいた。

 その中で、俺は進んでいく。胸の中には確かな寂しさがあった。

 しかし、俺は、違う世界に生きる後輩の恋愛成就にエールを送ることにした。


 その、どこかの世界で、彼女が幸せな笑顔を見せていることを願いながら。

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