マンションに老人を捨てないでください

新田漣@ファンタジア文庫より書籍発売中

『ガランド』に舞い込んだとある依頼①

 あちこちから掻き集めた不幸を女性の型に流し込み、歌舞伎町かぶきちょうで一晩冷ませば円図えんずくららが完成する。


 これは果無はてなし那海なみがくららと二年ほど過ごした末に下した、ややマイルドな評価である。


 だから今回の依頼主が反社会勢力の人間であろうと那海に驚きはなく、むしろ「くららが受注した案件だしな」と曖昧に受け入れる余裕さえ芽生えていた。


 ゆるやかな時が流れる昼下がりの喫茶店は、ヴェールのように柔らかな日差しに包まれている。その光に目を細めながら、佐伯さえきと名乗った男はボストン型のサングラスを丁寧に外し、テーブルの上に置いた。


 顕になった茶色の双眸からは感情が読めなかったが、すらっと通る鼻筋と薄い唇からはやや軽薄な印象を感じ取った。年齢は二十代中盤に差し掛かった那海よりも少し上くらいだろうか。若頭という地位に不釣り合いな若さが、胡散臭い雰囲気を増幅させていた。


 なんだか、繁華街を這う小狡い蛇みたいだ。


 そんな那海の分析を知ってか知らずか、佐伯は口元だけで笑みを作る。


「今回君たちに依頼したのは他でもない、僕自身が『ガランド』の動画を前々から観ていたからだよ。投稿頻度もちょうどいいし、編集だって上手い。とくに人形屋敷の怪なんて最高だったね。まさか、家主の娘が所属する地下アイドルのホームページに謎のリンクが隠されていたなんて――」

「はぁ……ありがとうございます」


 社交辞令にしては熱量の高い賞賛を那海はおざなりに受け取り、隣に座るくららへと視線を巡らせる。


 表参道のヘアサロンで整えたらしいシースルーバングを揺らしながら、エビピラフを口いっぱいに頬張る姿は能天気極まりなかった。


 芸能人ばりのルックスと引き換えに、あらゆる運を犠牲にしたであろう彼女は、二十二歳という若さにもかかわらず生命の危機に何度も陥っている。ヤクザと同席する程度、日時茶飯事なのかもしれない。


 とはいえ、待ち合わせ場所に指定されたこの店は、あちこちで談笑と愚痴が入り交じる主婦の溜まり場だ。どう好意的に捉えても風俗業の斡旋にしか見えない那海たちの席には、日常からかけ離れた空気が漂っていた。


「では、ご依頼された内容なんですが――」


 社会不適合者の自覚はあるが、人並みの羞恥心も捨ててはいない。那海はあくまでもビジネスを強調しつつ、本題へと切り込む。


 あらかじめ佐伯から受け取ったメールに全容は記載されていたのだが、何度読み込んでも釈然としなかった。意味が理解できないのではなく、意図が理解できなかったのだ。


 那海は認識のすれ違いが起きないよう、念を押すように依頼内容を確認する。


「うん。僕が所有する何も起こらない物件を、“曰く付き”として広めてほしいんだ。怪異が発生するんだって、君たちのチャンネルでアピールしてくれないかな?」


 しかし、面と向かって確認しても同じ意味合いだった。おおよそ正気とは思えない依頼内容だが、佐伯は満面の笑みを作ってみせる。

 

「こんなのは、モキュメンタリーホラーチャンネル『ガランド』の二人にしか頼めないからね」


 やはり冗談ではないらしい。たしかに那海とくららは『ガランド』というチャンネルでモキュメンタリー系のホラー動画をいくつも制作し、YouTubeに投稿している。


 内容としては、一見すると関係性のない掲示板の書き込みや不審者の目撃情報などを繋ぎ合わせ、土地や建物にひとつの怪異を創作する動画だ。


 舞台は一軒家に眠る蔵だったり、マンションのエレベーターだったりと多岐に渡るが、裁判沙汰を避けるため具体的な場所は特定されないよう配慮している。


 実名を明かしたほうが怪異の輪郭は鮮明になるが、近年の流行であるモキュメンタリーホラーは考察が楽しみ方のひとつとなっており、全てをつまびらかにすると一気に冷めてしまうジャンルでもある。


 彼女たち『ガランド』はその塩梅が絶妙であり、専用のスレッドが立つほどにリアリティが高く、たしかな熱を生み出していた。


「えっと、少しだけ整理させてください」


 とはいえ、実録系の依頼が舞い込むのも珍しいことではない。


 事故物件の検証や心霊写真の鑑定は何度も行っているし、『ビジュ爆発しすぎ!』と賞賛されるくららや『なんか美人に見えてきた』と評される那海にも固定ファンがついている。他にも、トークスキルやSNSでの場外乱闘などモキュメンタリーの手腕を抜きにしても強い要素が多く、いまやチャンネル登録者数は五十万人に迫る勢いだ。


 それでもさすがに、所有する物件を曰く付きにして悪評を広めてほしいと頼まれたのは初めてだった。


 考えても仕方ないと結論づけた那海は、目にかかる前髪を払いながら質問する。


「率直にお伺いしたいのですが、なぜでしょうか」

「入居希望者を募っても、とある理由で普通の買い手が現れないんだよ」

「……はぁ」


 那海はとりあえず相槌を打つが、疑問点がどこにあるかさえどこか曖昧だった。


 当然ながら、曰く付きの物件は避けられる。そして佐伯の言葉をそのまま受け取ると、今現在は普通じゃない買い手が少なからず居るらしい。


 わけがわからん。頭の中に疑問符を浮かべた那海の表情から察したのか、佐伯は説明を続けた。


「まあ理由については現地を見てもらったほうが早いから今は省略するよ。僕の目的としては、怪異を全面に押し出してホラー好きの人にアピールしたくってね。ゆくゆくは、マンションの一部を体験型の宿泊施設にしたいんだよ」

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」


 ようやく佐伯の意図を掴めた那海は、小さく頷いた。荒唐無稽な計画に聞こえるが、これには成功例が存在する。


 茨城県に存在する有名な事故物件はとある団体が管理しており、公式ホームページから宿泊の予約ができる。その人気は凄まじく、キャンセル待ちが常であり、今やテレビ番組のロケにも登場するほどの知名度を誇る。そこまで発展すれば、事故物件がビジネスとして成立する訳だ。


 ヤクザの着眼点としてはニッチな気もするが、成功するか否かは那海にとってどうでもよかった。 


 だが、ビジネスとして売り出すには必要不可欠な要素がある。

 

「メールにも記載がありましたが、佐伯さんが所有する物件では幽霊の目撃情報などはないんですよね?」

「そうなんだよね。仮にあったとしても、住民が住民だから信憑性に欠けるかな」

「じゃあ、住民が不自然な死を遂げたとかは」

「管理が僕の代に変わってからは、それもない。まあ、そろそろ死んじゃいそうな人ばっかりだけど」

「えらく意味深ですね……」


 那海は対応に困りつつも、思考を巡らせていた。一般的に怪異とは、恨みや未練を残して死んだ人の魂が引き起こす現象といわれているが、佐伯が所有するマンションではそういった事例は見受けられないらしい。


 つまり、怪異の種が存在しない。


 今回はいつもと違い、実在するマンションを舞台にする。真偽はともあれ、怪異の目撃情報は必要不可欠だった。


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